8月15日の靖国神社前の映像を見た。降りしきる雨の中、参拝に訪れた国民が列をなしていた。そこにいた国民のほとんどは戦争を賛美するつもりもなく右翼思想の持ち主でもなく素朴な気持ちで行っているのだろうと想像する。そしてそのことが何より根深い問題なのだと思う。
靖国神社の宮司が、戦争初期、日本軍人の妻にかけた言葉を読んだ。
「あなたの夫は天皇陛下のために笑って死んだ。『おお、よく死んで下さいました』と褒めよ。泣いては天皇陛下に済まない。夫は靖国神社で生きている。夫の名を辱めるな」。
これが靖国神社の正体である。
戦後の日本の平和と繁栄が先人たちの屍の上に成り立っているという言われ方をする時がある。誰しも死者に鞭打つような発言をしたくない所に付け込むすきがある。全くの間違いである。日本は終戦を迎えた。完敗して無条件降伏を受け入れ特攻を肯定するような価値観を全否定したうえで人権人命を尊重する社会に変質したことで獲得した繁栄のはずである。
小津安二郎監督の映画の「秋刀魚の味」の一場面である。戦友の笠智衆と加東大介がばったり出会いバーで飲むことになる。
「日本が戦争に勝っていたらどうなっていたのですかね」
「負けてよかったんだよ。つまんない奴が威張らなくなった」と言うやり取りがある。
小津は当時の事をチクリとユーモアをもって批判して見せる。
「終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」
天皇のお言葉である。昨日安倍元総理の発言を掲載した。「命を捧げた英霊」と「戦没者の皆様の尊い犠牲」の上に成り立った反映であるとするなら先の戦争は正しかったと言う意味になってしまう。お二人の言外にある「歴史認識の違い」をじっくり考える必要がある