2017.11.24-25  ソフィスティケイテッド・レイジー

鈴木央紹(ts)荻原亮(g)佐藤ハチ(b)原大力(ds)
札幌では中々テナーを聴く機会がなく、毎年訪れる鈴木を楽しみにしてきた。今回はピアノとギターが入れ替わったカルテットなので、これまでとの違いが浮き彫りになって欲しいと願う。文脈を転調するが、上手い演奏家が上手く吹く(弾く)ことに耳を奪われてしまうことは、誰しも身に覚えのあることである。初めて聴いた時の鈴木は筆者にとってそういう上手さの演奏家だったように思う。ある時からその印象が変わって来たのだ。上手さに押し出されまいとして、程々に目を閉じて聴いていると糸口らしきが現れる。上手さの後ろ側にあるものに触れることができ始めるのだ。いつのまにか鈴木は明らかに重要な演奏家になっていたのである。調を戻すと、例によってこのライブでも鈴木は難しそうなことを苦も無げにやってのけるのだが、聴き逃してはいけないところが多すぎる贅沢テナーを満喫し、改めて鈴木の存在感とジャズにおけるテナーの重要性を感じた。「ゲッツのように吹けるなら一人残らずゲッツのように吹こうとするだろう」という主旨のことを発したのはあのコルトレーンだが、鈴木はゲッツの至近距離に位置する一人といってよい。ここで言うゲッツとは想像の連鎖のことである。初お目見えの荻原は鈴木同様に淀みのなさが際立つプレイヤーだった。こじつけると、ジム・ホールのまろやかさとパット・マルティーノのスピード感がブレンドされていると云ったところか。このフロント陣2人に加え、いたずらに冒険をおかさずに堅実さをキープするベースと硬軟にわたりハウ・カムフォータブルなドラムスの守備陣2人。この調和は近年最上位のものだろう。
演奏曲は「ザ・モア・アイ・シー・ユー」、「貴方と夜と音楽と」、「I’ve grown accustomed to her face」(直訳では“彼女の顔が馴染んで来た”ぐらいだが、鈴木は“〇〇も見ていりゃ3日で慣れる”と不規則解説して、原から女性を敵に回すなよ!とたしなめられる一幕も)、「アイ・シュッド・ケア」、「ウィッチ・クラフト」、「レイト・ラメント(p・デスモンド)」、「グルービン・ハイ」、「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」、「ハウ・デープ・イズ・ジ・オーシャン」、「マイノリティー」(G・グライス)、「ジス・オータム」、「マイルストーンズ」、「ユニット・セブン」(S・ジョーンズ)、「ターン・アウト・ザ・スターズ」(エバンス)、「デューク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラブ」、「モナリザ」等々で、N・キング・コールものや名曲、隠れ名曲が満載となっていた。
このカルテットは選曲その他、トータルに大人向けの感じがする。その典雅な含み益に目を付けたムーディーズは、なまけ鳥を“Sophisticated-lazy”に格上げした。
(M・Flanagan)