Carla Bley 『Live!』

名盤・迷盤・想い出盤 
 異能の音楽家カーラ・ブレイが他界した。彼女の名を知ったのは50年余り前になる。その頃はROCKのクリームをよく聴いていたので、グループ解散後もメンバーの動向を適度に追っていた。たまたまベースのジャック・ブルースが入っているオムニバスのレコードを見つけ、そのノートを見ていると、キーボードにカーラがクレジットされていた。謂わばROCKの列にヨコ入りしたら彼女の名を見つけてしまったのである。その後、JAZZ聴きに転じて行くことになるのだが、再びカーラ名を目にしたのは「Liberation-Music-Orchestra」だったように記憶している。このバンドを率いているのはチャーリー・ヘイデンだが統制しているのはカーラだ。その後、同バンドは何作かアルバム・リリースしているが、何れもカーラ色に彩られている。この他にも彼女は多様な編成で音源を残しているが、比較的規模の大きい編成のものに魅力を感ずる。そこにはジャズ、ロック、フュージョン、民族音楽など種々の要素を共存させながら、強靭さと緻密さを織り込みつつ、彼女にしかない音楽観を作品に投影させているように見える。カーラの作品は実験的なものも多いが、それは意欲の純粋な表れであって、聴き手が着いて行かなくなるような実験主義を退けている。カーラが手がけるサウンドから管の歌わせ方に絶妙さを感じるのだが、同時にそれは後ろの引き出し方の上手さに釣り合っているのだろう。荒々しさもあれば大らかさもある。時にその幻想性に吞み込まれ、また時には寂寥感に泣かされる。とにかく多彩なのだ。彼女の「ローンズ」や「アイダ・ルピノ」といったEvergreenな楽曲 はこれからも愛聴・愛演されていくだろう。それらの作品が偶然出来たとは思えない。音楽家カーラ・ブレイとは本人自身をアレンジの対象とし続けた生涯を歩んだのではないかという想定が間違いでないとすれば、それらの名曲が生まれたことは、時代ごとに自身と向き合った必然的な成果ではないのか。そう踏めば僅かながら彼女の人物像の一端に触れられた気がしてくる。今回は稀有きわまりない才能がこの世を去りてなお生き続けることを祈り、アレンジ人生中期の傑作『Live!』に行きついてしまった(合掌)。
(ジャズ放談員)
master’s comment notice
田中朋子がレコーディングする際カラー・ブレイの曲をやりたいと言うことで全アルバムを貸したことがある。アルバには入らなかったが札幌でローンズがスタンダードになっている遠因がここにある。
40年以上前になるがカーラ・ブレイオーケストラを一度だけ聞いたことがある。ステーブ・スワロウ、マイクマントラーを擁していた。色彩感あふれるサウンドを今でも覚えている。蛇足であるが僕が主催していたジヤズ幼稚園のオープニングテーマがアイダルピノであった。力量不足でフランス現代音楽のようなハーモニーになっていた。

衆参補選総括

10月2日二県で補欠選挙があった。どちらも保守王国である。長崎は自民の勝利であったが野党に肉薄された。高知徳島は無所属候補の大勝であった。
結果は1勝1敗ということであるが岸田総理にとっては数字以上の痛手である。長崎は野党が立憲を前面に出した。高知徳島は野党連合ではあるがあくまで無所属として立憲色は抑えた。野党として立憲も人気がない。長崎で立憲色を抑えれば結果はどう転んでいたか分からない。今後の野党共闘の戦い方の参考になる。衆議院解散の可能性を探る意味もある補選であった。岸田総理はこの時期に合わせて全く無意味な減税案を持ち出して支持率浮揚策を画策したが効果がなかったということだ。徳島の投票率は20%台という低さである。政権のあまりの無策さに自民党支持者も一部野党側に投票したという事になる。立憲を支持するものではないが小手先の政策ではなく未来の展望を示してほしい。補選ではないが埼玉県の所沢市で市長選もあった。埼玉県は例の子供の留守番を禁止する法案を通そうとした県である。明石市の元市長泉房穂氏が全面的に支援する無所属候補が勝利した。地方では市民目線の政治が力をつけつつある。一市民としてまだできそうな事があるという小さな希望を見出した。

パリの空の下ジャズは流れる

だいぶ前の話になるがウディ・アレン監督の「ミッドナイト・イン・パリ」という映画を見た。小説家志望の主人公が婚約者の彼女とパリ旅行に行くのだが12時過ぎると1920年代のパリにタイムスリップするという話である。あるパーティーに行くとそこにはS・Fジエラルドとゼルダがいる。ある時はピカソ、ヘミングウエイと文学や芸術の話をする。ダリ、コール・ポーターもいる。ライブハウスに行くとコクトーや黒人ダンサージョセフィン・ベイカーがいる。百花繚乱のパリ黄金期に取りつかれるストーリーになっている。その辺の文化事情の詳細が分かる本に出合った。それが「パリの空の下ジャズは流れる」である。1920年代から1950年代までの音楽、文学、映画、政治状況が一望できる。ジャズとクラッシックの相関関係、コクトーを通じてジャズとサティ、ドビッシーが影響し合う過程などエピソード満載である。どのページを読んでも小説のように面白い。毎日一話づつ紹介したいくらいだ。ジャンゴがいてルイ・アームストロングがいてエディット・ピアフがいる。スイングジャズの知識がある人には超お薦め本である。2段組み600ページの大作であるので秋の夜長にはもってこいの本である。
「パリの空の下ジャズは流れる」宇田川悟著 晶文社

Olet ystäväin –

もんたよしのりが死んだ。72才であった。店のジャズレコードに隠れて「ダンシングオールナイト」のシングル盤が佇んでいる。会社員時代飲み会に行くと半ば強制的に回ってくるカラオケの為に買った一枚である。フオークソングやロックバンドもやっていたので上手くはないがビートルズの曲くらいは歌えた。だが会社の飲み会で英語の歌を歌うとお盆にサンタの格好をしてきたように浮くのである。それで芸風を一気にムード歌謡に舵を切った。「ダンシングオールナイト」はムード歌謡との喫水線上にある曲であった。この曲がなぜかフィンランドで人気があり知っているだけで4人にカバーされている。ギターは明らかに同じ人間であるのがわかる。お隣の国のスプートニクスのような透明感のある音色だ。Olet ystäväin はダンシングオールナイトのフィンランド語訳らしい。72歳、・・・・限りなく自分の年に近い。そろそろお鉢が回ってきている。

急遽決定!Kurage mini band

中島さち子というジャズピアニストがいる。自分は米木康志、本田珠也のトリオでしか聴いたことがないが数学界では有名人である。数学オリンピックの世界チャンピオンである。中島は現在大阪万博のあるパビリオンに関わっている。「命はぐくむ」というコンセプトである。そのコンセプトで編成したバンドがKurage mini bandである。そのライブが急遽決まった。問題山積の万博であるが音楽には罪はないということで準備不足であるが敢行することとした。ご自分の耳でコンセプトを確かめて頂きたい。

Kurage mini band 10月31日 8:00
中島さち子(p)武徹太郎(g)チェ・ジェチヨル(韓国太鼓.changu)小林武文(ds)
予約¥3500当日¥4000
大阪万博日本パビリオン監督中島さちこ率いる民族音楽×ジャズバンド

選挙対策としての減税

増税眼鏡が所得税減税政策を打ち出した。10・22に2県で衆院補欠選挙があるからだ。10月からインボイス制度が導入された。複雑な制度であるが一部の事業者にとってはこれも増税である。税収は過去最高である。その稼ぎ頭は消費税である。庶民の生活を脅かす物価高に起因する。それならば消費税を下げるのが手っ取り早いのではないか。岸田総理も一瞬この施策を考えたようである。勿論、国民の事を考えたわけではない。自分の政権維持延命に有効ではないかということである。だが財務省に一蹴された。それで所得税減税に至ったようである。だがこの内容がせこい。一年限りの時限付き立法である。成立したとしても即効性はない。来年12月以降の話である。賃金は上がらず、この物価高・・・低所得者に取って所得税減税の恩恵はほとんどない。だが減税という名の錦の御旗がまかり通るのである。それほど我々国民は見下されているのである。統一教会の解散請求もでた。介護職の最低賃金も月6000円上げるとした。どれも選挙のための観測気球である。支持率は下がりっぱなしである。この補選が重要な判断材料となるはずだ。

2023.10.13~14  .Push Trio & 池田篤のTowDays ・Tow Ways


池田篤(as)魚返明未(P)富樫マコト(b)西村匠平(ds) 
 このTow Daysは初日がプシュの選曲、二日目は池田の選曲によるという意味でTow Waysだ。つまり私たちは、一枚の絵から二通りの鑑賞が可能となっている。これまでのプッシュのアルバムはオリジナル曲で固められており、ここでも概ねそこからピック・アップされている。池田の方はスタンダードとオリジナルが相まじえての選曲だ。初日の演奏曲を列挙しよう。「WANA BI」、「時しらず」、「Old Folks(これはスタンダード)」、「ORA 2」、「High Step Corner」、「Lonly Bridge」、「Tiny Stone」、「照らす」。よほど熱心なファンでなければ知らないだろう。しかしながらプッシュのオリジナルはシンプルで親しみやすい。数多くの曲を提供している西村も魚返もJazzのみならず昔のポップな曲を含め、幅広い分野の楽曲に精通していることがその一因としてあるのだろう。これが耳の琴線を心地よく弾くのだ。池田は(多分)初見になる彼らの曲を違和感なく受け入れていた。彼は小手先であしらう様なことをしないし、得意技で纏めるような方法に依拠することもない。そうしたプロとしての矜持が渾身のプレイを促すのだ。だからプッシュのどうにも止まらないエナジーに対し、存分にキャリアを重ねてきた池田は格上として受けて立つように振る舞うことをしない。だからこそ四者の音圧がひと塊のJazzとなって会場を埋めつくして行ったのだと思う。二日目の演奏曲は「On The Trail」、「Never Let Me Go」、「Subconsciouslee」、「For A Little Peace」、「Out Of Africa」、 「UGAN」、「Long Vib On The Blues」、「Every Time We Say Good By」、「Flame Of Peace」、途中、池田のノン・タイトル2曲が採り上げられていた。池田を長らく聴いてきたが、ここ10年ぐらいを切り取るとキレッキレの高速演奏もバラードも辛口ではあれウォームになっているというのが筆者の見立てである。そういう視点で池田の音色に舌鼓を打つことは筆者にとってこの上ない喜び事なのである。折角の機会なので、締めくくった後、粒ぞろいの演奏の中から「Every Time We Say~」にジーンと来たことを池田に伝えた。すると池田は「シンプルな曲って、普段から手入れしておかないと、扱えなくなるんですよね」と応じてきた。また噛みしめるものが増えてしまった。今回は前日(10/12)のプッシュ・トリオ(1年前はナーテー曽我部入りのカルテットで来演)の熱演に感服させられたことを付け加えておくが、それとともに思い浮かべていたのは、LBでの東京で活躍する生きのいい若手を聴くシリーズで期待値がハネ上がった連中は、今や日本のジャズ・シーンを担う段に来ているということだ。そんな時に彼らより手前の世代である富樫が現れてしまった。先輩格はウカウカしてられない。人生、逃げ足より追い足の方が速いから十分気を付けた方がよさそうだ。何はともあれ二日間のTow Ways「ごっつあん」でした。角界用語を使ったついでに付け足そう。ご存知だろうか外国籍で初めて関取になった高見山という力士を。この人はいつも自らの相撲信条を「押して押して押す」つまり「Push,Push&Push」と語っていた。奇策を排し「Push」を貫く取り口は彼をして多くのファンを獲得せしめたのである。このライブを聴いていると、時を隔てて古い記憶と繋がってしまった。謂わばドット・プッシュによる『”唸らせられたで東京』と言ったところだ。
 すこし慎重に仕上げよう。「芸術とは真実を気づかせるための嘘である」と言ったのは、かのパブロ・ピカソである。今回のライブからはどうにも”嘘”が見つからない。例外のない名言はないということか。ここでもう一つ。筆者は”嘘”のない広告代理店を気取って、”真実”の宣伝を付け加えておきたい。最近「白鍵と黒鍵の間に」という映画が公開された。この音楽を担当しているのが魚返である。札幌でも上映されるであろうから、誘い合って魚返のニュー・シネマ・パラダイスを観に行こうではないか。
(M・Flanagan)

児童虐待とは何か

埼玉県でとんでもない条例が可決されようとした。子供だけで登校すること、子供だけで公園に遊びに行くこと、留守番をすること、ジャズバーに行くこと。これが児童虐待に当たるとして禁止される。子供のいる母親が一人でゴミ出しに行ったら当局に通報せよとの文言まである。誰が考えてもおかしい法案が通りそうになる背景を考えてみたい。時折車の中に残された子供がなくなるという痛ましい事件を耳にする。そうすると子供を一人にすることはよくないという短絡的な意見が雨後のタケノコのように出てくる。子供庁創設時に岩盤右翼層から子ども家庭庁に名称変更を強要されたことがあった。子供と家庭を強力に結びつける発想は女性を家庭に縛り付ける戦前の思想に直結する。女性活躍と言いながら女性を家庭に縛り付ける法案を通そうとする。字面に騙されてはいけない。2006年安倍総理時代にヒッソリと教育基本法が改正された。そこに伝統やら道徳やらが再び持ち込まれた。これらは一見悪いことのようには思えない。ところが徐々に危険物質に変わることがあるのである。
トリチゥムが食物連鎖で体に蓄積されることに近いかもしれない。この発想は日本会議、統一教会の基本理念に酷似しているのは偶然ではない。地方議会にはその手の議員が大手を降って闊歩しているのである。注意しなくてはならない。今回は住民の力で阻止できた。住民がノーといえば変えられることがまだまだある。

維新の威信

例えば大阪万博である。大阪にどれだけの経済波及効果があるかを豪語していた。ところが最近は国家事業にすり替わり吉村知事は永田町で有力政治家回り行っている。北新地のホステスが旦那におなかを擦りながら「貴方の子よ。降ろすの・・どうするの」と脅している光景とシンクロする。岸田総理は維新に絶好の貸を作れる場面と捉え「勿論産んで良いよ」と言ってのし袋に警備費と書いてポンと200億渡したのである。これで吉村知事が特に悪びれているよう様子はない。吉村知事だけではない。馬場代表も社会福祉法人乗っ取り事件の疑惑がある。党員には不祥事には枚挙にいとまがない。セクハラ、パワハラ、詐欺、刑事事件何でも有りである。国民の方も何が起きても・・・ああ、維新だからね程度で済まされてしまう。これが共産党員であったならごうごうたる非難の嵐が湧き起こる筈である。維新に論理で立ち向かってもだめだと言う事が薄々わかってきた。ヤクザに暴力反対を訴えている無力感を感ずる。それがどないしたんや・・とすごまれてどすを抜かれるだけである。維新に政治信条などない。美味しそうな肉が有れば牛だろうが鳥だろうがなんでも食っちまう山犬集団である。騙されない事である。高校無償化だって授業料の話であって咎う名目で大目に徴収されるのだ。セット料金無料のガールズバーで1杯2000円の烏龍茶を何倍も飲まれてぼったくられる様なものである「身を切る改革」が政治家ではなく府民の身であることが明らかになってきた

札幌オリンピック断念の意味

札幌市民として自慢して良い事が起きた。小さいようで画期的な出来事である。札幌市に30年冬季オリンピックの招致を断念させた事だ。政府、自治体主導で提案される行事は東京オリンピックといい、大阪万博といい最後は国民一丸となっての標語のもと敢行されるのが習わしとなっていた。インパル作戦のように途中で取りやめになることはなかった。札幌市民は住民投票を最後の武器として市民の声を聴く会などで地味に問題点を提起し続けた。東京オリンピックの汚職談合事件を反省し広告代理店も共同主催などの案も出されたがほとんど意味にないものであった。必ず談合は起きる。設備関係費も見積もりは少額であるが「小さく生んで大きく育てる」の子育ての鉄則に従い決まったとたん大きさ自慢をするトノサマガエルのように膨れ上がるのは大阪万博の経過を見ていれば分かる。招致を断念した翌日、新幹線延伸の期日も延期が発表された。もともと工期は遅れに遅れていた。リニア新幹線工事のように十分な事前調査を行わずに起工されたことによる。オリンピックを口実に突貫工事の強行突破をもくろんでいた。札幌は不動産のミニバブル現象が起きている。中心部の再開発が進みどのビルにもホテルがテナントとして入居予定になっている。オリンピックと無関係ではない。インバウンド頼りの一本足打法政策は危険だと考えている。アベノミクスの亡霊が支配していることを忘れてはいけない。IOCの山下会長は34年の招致を秋元市長にそそのかしているようであるがもう目はないと考える。

適材適所の裏側 その4

閣僚人事ではないが国民感情を逆なでする人事が2件あった。アイヌ侮蔑発言で札幌法務局から人権侵害に認定された杉田水脈が環境部会長代理に起用された。もう1件は税金でパリ観光旅行をしたエッフエル姉さんこと松川るいが副幹事長に抜擢される人事である。テレビ父さんとしては怒り心頭である。女性活躍推進を演出しているともいえるが本質はもっと陰湿である。貴方たちがいくら騒いだって僕ちゃんには何も響いていないからね・・・という岸田総理からのメッセージである。このウィルス攻撃は国民に無力感を植え付ける。対処方法はめげない事である。駄目なことは駄目と反対の意思表示をし続けることである。
2001年9月11日の同時多発テロ以後米国は終わりなき対テロ戦争に突入した。当時米議会で武力行使を認める決議にただ一人反対した女性議員がいた。バーバラ・リー議員である。記者から「一人だけ反対しても無意味だとは思わなかったか」と質問され次の様に答えた。
「確かに議会では私一人である。だが反対する私の姿を見て職場で、学校で反対する人が出てくるかもしれない。その時私は一人ではない。」

ジャーニズ事務所記者会見の裏側

記者会見が高圧的な雰囲気で進行していた事は以前に述べた。いつまでも指名されない記者が声を上げているのが聴こえていた。声でアークスタイムスの尾形記者と東京新聞の望月記者である事が分かった。二人は最前列に陣取っていた。このままでは質問をする機会が巡ってこないとの判断で井ノ原の言う「ルール」を破っての発言となっている。ここで一部の記者から怒号が湧く。その後どうでも良い内用の質問も続く。30年来のジャニオタと自称する女性記者の熱い思いの演説もあった。時間稼ぎの演出と言う印象をもった。会見終了時には一部の記者から拍手も湧いた。お手盛りの株主総会の様相を呈している。それもそのはず、危機管理コンサル会社から指名NG記者のリストが司会者に配られていたことがスクープされた。先の二人の記者、鈴木エイト氏他6名の顔写真が写っている。逆に指名される記者はマスクをして左手を上げるものが多かったとの報告もある。途中司会者が「顔がよくわからないのですが・・・」と言いながら指名する場面が有った。今なら腑に落ちる。後部座席から厳しい質問をする者へのヤジも目立った。これらの人間がさくらではなかったのかという疑惑が湧いている。どちらにせよ全くのやらせ会見であったことは明らかになった。ジャニーズ事務所は関与を否定しているが爪の垢ほどの誠意も感じられない。無制限1本勝負で会見をやり直す必要がある。ジャニーズだけの問題ではなく日本における人権改善の1歩とすべきである。

『Hampton Hawes Trio』

名盤・迷盤・想い出盤 
 これはホーズの代表作と言われている。これを初めて聴いた時、普及品のスピーカーにも拘わらず出てくる音がクリアーだと感じたのを覚えている。ホーズの演奏を格別なものに引き立てるといっていい。”compemporary”というレーベルの音質にはその思いが付きまとう。よく知られているようにホーズは軍人として1950年代の前半に数年我が国に駐留し、いくつかの演奏活動を通じて日本のミュージシャン引いてはジャズ・シーンに多大な影響を与えたとされている。このアルバムは帰米後の1955年に録音されたものだが、これを聴けばその影響力の核心に触れることができる。そのスピーディーなスウィング感は抜群の切れ味であり、また「Hanp’s Blues」にみられるブルース・センスは彼独自のものであり、他の曲を含め、何度聴いても飽きがこない。また、ポツンと一軒家のように選曲されている短めのバラード「So in love」はこの若き演奏家の懐の深さを示すものであり、一聴弾き流しているよでありながら、とても片手間で聴くような不埒を許さない。今回、本盤を選定するに当たって立て続けに5,6回聴き続けてみたが、自信をもって推薦したい。ハード・バップ期のホーズの演奏はどれも秀逸であるが、60年以降は輝きを失ってしまったように思う。唯一救われたのは、70年代半ばに制作されたC・ヘイデンとのデュオ・アルバム「As Long As There’s Music」であり、晩年のホーズがやり残したことをこの1枚に凝縮させたのだと思われる。両方とも聴いてみて頂きたい。
 ホーズのことを気に留めると、かつて清水くるみさんがLBで演奏したとき、彼女のジャズ研時代に「半分布団干~す」という駄洒落が考案されたとの話を披露していたのを思い出す。他愛のないことを付け加えるが、筆者は今回の選定盤『Hampton Hawes Trio』については時折取り出しては聴いているのだが、長らくスマホのロック画面をこのアルバム・ジャケットにしているので、こちらは日々対面している。
(JAZZ放談員)

消費税の想い出とインボイスの罠

夏の海辺に淡い思い出があるように消費税にだって苦い思い出がある。20年の会社員生活で三度ほど死ぬほど仕事をしたと言う思いでがある。その二度目が消費税の導入時の経理システムの構築であった。当時は消費税法の法規集など読んでいる余裕などない。消費税はお客さんから預かっているものと理解していた。それまで有った貴金属や毛皮に課税されていた物品税が廃止された。新しい勘定科目一個増えるだけで全ての伝票類のフォームを変更しレジスターのシステム、各種統計類の表示を変更しなければならなかった。当時は3%であったので今まで殆ど需要のなかった一円玉の確保に奔走した。従業員に呼びかけヘソクリの小銭を持ってくるように指示もした。それでも売り場で釣銭が逼迫しお客さんから「責任者出せ」の御咎めに度々謝る役を演じていた。当時税率は1種類だけであったがそれでも円滑にシステムが流れるまでは枕を高くして寝られなかった。そして今回のインボイスの導入である。その意図は置いておくとして課税業者の事務手続きの煩雑さを考えたら気が滅入る。消費税が導入されたのは1989年である。30年国民を騙し続けてきた本質をインボイスとして結実させようとしている。何度も言うが消費者に消費税の支払い義務はない。元々売上税、付加価値税と呼ばれるべき性質の税である。産業界の要請で価格に転嫁しやすくするための名称変更である。全滅を玉砕、最近であれば汚染水を処理水と呼ぶのと本質的には同じである。インボイス制導入の表向きの意図は適切な税の捕捉である。今の非課税業者が課税事業者になってくれて少しでも払ってくれたらラッキー!・・・程度である。2400億の税収の為3兆円の事務費用をかけることになる。日本の産業は凋落傾向にある。そういう時期相対的に財務省の力が増大する。インボイスで税の捕捉システムを構築した後は複数税率の導入である。今も食料品以外、新聞が軽減税率適用になっている。ナベツネの政治圧力によるものだ。品目によって税率が違うとなるとそこに巨大な利権構造が生まれる。国会審議なく増税、減税の品目が変更されることになる。財務省は産業界に強大な権力を行使できることになる。その結果無数の天下り先が用意されるはずである。そういうことによって得た椅子を陰謀椅子と呼ぶ。

ジャニーズ事務所記者会見の印象

新会社名等が発表される2回目の記者会見を全編見た。前回は全部の質問を受けるべく4時間の長丁場で会社側はぼこぼこにされていた。今回は2時間限定、元NHKアナウンサーを司会に立てて1社2名の参加者、一人一問で更問なしの制約がついていた。何か戦略的意図を感じた。ジャニーズ事務所はスマイルアップと名称変更し補償業務だけを行う。ジュリー社長は代表権のない取締役で残り相続税を支払う事とした。新会社は東山社長、井ノ原快彦副社長の体制で事業機能を引き継ぐ。移籍希望者は全員受け入れエージェント制を導入しタレント養成業務も引き続き行うとした。新会社名はフアンの公募で決めることも発表された。ここ2週間で正確な数字は聞き逃したが4百数十名が被害を申し出320名ほどに補償することとなっているとの報告もあった。ジュリー社長は出席せず冒頭したためた手紙が井ノ原副社長によって代読された。母親メリー社長との確執が綴られておりそれが原因でパニック症候群になり会見でうまく説明できないため欠席との事だ。嘘とは思わないが親との確執など世界に何万件とある。何かを隠す隠れ蓑として使われていると感じた。会見は何か高圧的な雰囲気で進行していく。東山紀之社長の見て見ぬふりをした行為は児童福祉法に抵触するのではとの質問には木目田顧問弁護士がはっきりと否定し、ただぼこぼこにはされないぞとの意思も示した。この弁護士、顧問料月2億とも3億ともいわれる日本一高い西村旭法律事務所の所属である。この会見のシナリオを作っているはずだ。質問の順が回ってこないジャーナリストが声を上げると司会者がルールにのっとり発言したほしいとさとし東山と井ノ原は薄ら笑いを浮かべている。ここで井ノ原は「まあ、落ち着いてください」と記者をいなし「子供たちも見ています。ルールにのっとって進めてください」大人ぶった発言をした。さんざん子供たちをいたぶっておいてどの面下げてルールなどとほざくのだ。補償金額も個人情報であるとし明らかにされなかったが過去の判例に準拠して決定するとした。欧米に比べ日本では極端に安い。伊藤詩織さんの事件でも300万円である。11月から補償が始まるとしているが安い金額で手打ちをし新体制をアピールするように思える。新会社名の公募もフアンを弾除けにした施策である。多分ネット上でフアンたちのやり取りで盛り上がり問題の本質が忘れ去られる。概してこの会見安倍政権以来の報道管制を想起させ何の反省もなしで看板の架け替えで終わるようだ。

青春の光と影

青春の光と影
高校の同級生がふらっと店に来た。10年ぶりくらいかもしれない。風の便りで何か患っているとも聞いていたので安心した。昨日の事は覚えていないのに55年前の事は映画の一場面の様に覚えていることが有る。ジュディー・コリンズの青春の光と影が流行っていた。S子の事は3枚の写真を見るように思い出す。一枚目は2年6組の教室内である。男女二人づつ大相撲の升席の様に座っている。ちょうど教室の真ん中あたりである。ただそれだけである。担任の先生は民主的な考えの持ち主だったので生徒が決めたことは何でも採用してくれた。掃除は毎日でなくても良い。席順は早い者勝ちとする。などなど・・・。それでK代が週初め早めに登校して花見の場所取りをするように4人分の席の囲い込み運動をしていてくれたのだ。だが何故その4人になったのかは分からない。S子も覚えていないと言った。2枚目は日にちも覚えている。10月21日、テレビ塔前の集会の風景である。国際反戦デーで大通りは数ブロック人で埋め尽くされていた。見るだけでも来ないかと同級生に誘われて物見遊山で見に行ったらS子もいてスピーチが終わったらヘルメットを被せられてデモの隊列に込みこまれてしまった。絶対に前の人のベルトを離さないようにと注意を受けた。その意味が分かるのは暫くしてからであった。でもの隊列を崩そうとする勢力と出会った。あの人たち公安だから・・顔隠してとS子からレクチャーを受けた。どこの組織のヘルメットを被せられたかはうろ覚えであるが鹿島建設では無いことは間違いない。3枚目は卒業してからのあるジャズ喫茶での再会の場面である。高校の時はフォークからロックに宗旨替えをしている時期でS子は僕がジャズにのめり込んでいきつつあることを知らない。帰りしなに「吉田君ジャズ聴くんだ・・バンドやっているの」と聞かれた。ジャズ研は無かったし一緒にロックをやっていたドラムの人間と大学に入ったらジャズをやろうと話し合っていたが札幌、室蘭と生き別れになってしまった。誰も仲間がいない旨を言ったらS子は「私ジャズ研のマネージャーやってるから紹介してあげる」と言われた。それで学園のジャズ研に顔を出したことが有る。曲がりなりにも今ジャズで糊塗しているのは多少なりともS子のおかげでもある。

大阪万博の醜態 その2

万博に携わっている職員はいくら給料もらっているのだろうか。日本博覧協会役員報酬規程を見た。1号俸月10万から20号俸200万まで分かれている。誰にいくら支払われているかは個人情報で開示されないがトップ戸倉雅和が200万でアンバサダーのコブクロやダウンタウンも何処かの号俸に位置づけられているはずである。2年でボーナスも出るので6000万円は固い。この額に見合う仕事をしているのかを再度考えてみる必要がある。因みにオリンピックも同じような規定になっていて森喜朗会長は億単位の報酬を得ていた筈である。勿論高橋治之被告から貰ったであろう賄賂は抜きにである。
現地レポートも何本か見たが夢洲へのアクセスは地下道を含めて二本しかない。工期が遅れているせいも有って行きかうトラックは万博とは関係ないコンテナ運搬車両が殆どで車の流れはスムーズであった。これが突貫工事が始まったら想像に難くない。渋滞の嵐である。これで上手くいって開催されたとしたらお客さんはどうやって来るのであろうか。前売り券を買ったとしてもアクセスバスも含めて日時は完全予約制で、今日は天気が良いから万博に行ってみるかと考えている貴方・・・甘ちゃんである。逆に雨が降ろうと槍が降ろうと必勝はちまきを締めて出陣しなくてはならない。地下鉄も地下道に並行して延伸中であるがも元の軟弱地盤に加えて危険化学物質も埋まっている区域の掘削で作業は難渋している。そして災難は万博が終わった後にも残る。カジノが来るとしてそれまでの4年間この地下鉄に誰が乗るのであるかと言う事である。万博終了後は関係施設は全て撤去される。残るのはカジノ現場作業員の為のコンビニ1軒である。すると乗降客数は5人と推定される。その運営費は大阪市に降りかかる。