本田珠也(ds)峰 厚介(ts)米木康志(b)吉澤はじめ(p)
筆者は臼庭のバンド「jazz-roots」がプリントされたTシャツを着用していたが、その由来を珠也が言うには「臼庭がリスペクトしていた貞夫さん、峰さん、おやじ(本田竹曠さん)など自身の音楽的ルーツに思いを込めてバンド名に託した」とのことであった。かつて臼庭本人が音楽を複雑化することを好まないと語っており、察するとその真意は音楽をシンプルにさせながら、そこにエモーションを注ぎ込むのが自分なのだ、臼庭が恩師のjazz-rootsから得た結論だったのだろう。今年もそんな臼庭を熟知しているミュージッシャンが結集した。不動のバイタル・レジェンドの峰さん、地層ごと揺さぶる米木、バッキングで歌い続けている吉澤、そしてルーツの同質性で臼庭と一致するパワー無尽蔵な珠也、臼庭が慌ててケースからサックスを取り出す姿が浮かんだ。曲の選定に当たっては、珠也が実に数カ月も前から候補曲をレイジーに打診する配慮が働いていた。そして幾つかが採用されている。その演奏曲は、
「アイブ・トールド・エブリ・リトル・スター」(ロリンズ)、「エア・コンディション」(パーカー)、「ソング・オブ・ジェット」(ジョビン)、「ひまわり」(マンシーニ)、「アンチ・カリプソ」(R・プリンス)、「* スキップ・ウォーク」、「* サスペシアス・シャドウ」、「* メッセージ」、「サムシング・フォー・JUN」~「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」(ロリンズ)で、*を付したのが若き日の臼庭のオリジナルだ。
そして、メモリアル・ライブを一層特別にしたのは、吉澤がこの日のために書き下ろした「サムシング・フォー・JUN」だ。臼庭の音楽性が凝縮されたこの曲、ダウン・トゥ・アースで臼庭ライクな演奏が繰り広げられたのだった。このことだけでも吉澤には心から謝意を贈りたい。8月の札幌、久かたの暑さのどけき夏の日は、臼庭から一言引っ張り出した。“峰さん、何か俺に似てきたんじゃない”。禁じられた一言だった。
レイジー・バードにはミュージシャンが背にするする壁に臼庭の2枚の写真が貼られている。それはどの客の視覚にも収まる位置にあり、ここに来る回数だけ彼に会うことができる。今年も臼庭人脈の最高峰たちの手により、最も近い位置で彼との再会を果たすことができた。本田珠也は、演奏以外にも微笑ましい臼庭エピソードを紹介して会場を和ませてくれたが、二日間とも冒頭で「天才サックス奏者、臼庭潤のために演奏する」と宣言した。そして、このカルテットは珠也の自然発火に調和して完全試合をやってのけた。来場したすべての“私”は、このひと時を臼庭ととともに分かち合うことができたと確信する。
(この稿、いつの日にか続く)(M・Flanagan)