中島さち子(p) チェ・ジェチョル(Changu) 小林武文(ds)
これはピアノと打楽器2つのレア編成である。レアと言えば”Changu”という楽器を初めて見た。これは韓国ではごく一般的らしく、我が国で言えば和太鼓に相当するのだろう。その形状は丸太りの砂時計風だ。折角なので当人に簡単な解説を求めたところ、3つの音程を基礎としながら上部と下部を繋ぐロープに結わい付けられた留め具をスライドさせて変化をつけるということであった。急遽決定したこのライブの狙い目は「ジャズと民族音楽の掛け合わせ」ということになっている。日頃からジャズをジャズとして意識しながら聴くこともないので、まして民族音楽について考えることは殆んどない。ただ耳に入ってくるリズムに「おやっ」と思うようなときに、それが民族音楽と称されるものであったりする。民族音楽というのは地域の土着性に根を持つ音楽であって、そもそも他の地域に広がることを求めない音楽だと思う。結果的に影響が広まることがあったとしてもである。この文脈の流れは何処から来たかというと、三人が先ごろエチオピアに行って音楽交流して来たという話があったことによるが、まぁ気合い入っているわ。粗い感想を述べさせて頂くと、中島がジャズ、チェ・ ジェチョルが民族音楽、小林が両者の橋渡しの役割を担っていて、トリオとして本日の主旨にアクセスしていたと思う。選曲は中島のオリジナルが大半を占めていたが、半ばで挿入されたチェによる韓国の”民族音楽”の独唱にはグサッときた。集落の祭事に欠かせぬ歌なのではないかと想像した。世に知られる「アリラン」や「イムジン河」とは異なる印象を受けたのだ。またラストで中島の代表曲「灼熱」を聴けたことも嬉しい。Kurageの由来は分からないが、世界の音楽をゆらゆら漂う意思表示ぐらいに受け止めておく。「ジャズ☓民族音楽」LIVEに型破りな感じはなく、寧ろ万国に連なろうというコンセプトから発案されたのだろうと思うに至った次第だ。
中島は5、6年前になるかと思うが米木康志、本田珠也とのトリオで演奏していた。この取り合わせが何所から来たのか不思議に思っていた。彼女がMCで本田竹広氏に師事していたことに触れ、疑問が氷解した。本田さんの曲を採り上げてもいた。何より演奏に本田因子が散りばめられていることが了解でき、繋がるべきものが一気に繋がったのだった。
(M・Flanagan)