2月12日。今日は央紹のお別れ会が東京で執り行われている。央紹の最後のレギュラーグループのベーシストである俊也から誘いの連絡があった。事情があって参加できないので札幌から思いを募らせている。先週北大jazz研OBのE良のライブがあった。聴いたことがあるセットリストだなあと思っていた。E良はMCで語りだした。央紹の愛奏曲であったのだ。E良は央紹に傾倒し色々アドバイスをもらっていた。コロナ禍真っ盛りの時期無理くりセッションを開催し打上で3人で感染覚悟でジンギスカンを食べに行きlazyに戻り自粛警察のチクリに怯えながらいも美を飲み続けた思い出話をE良はした。E良も僕もこみあげてくるものがあった。その日演者も含め6人が央紹と共演したことがあるお客さんであった。央紹には鉄壁のレギュラーグループで来てもらうこともあったが僕の企画で東京の若手、札幌のミュージシャン、社会人、学生ともセッションを重ねてもらった。多分述べ共演者は一番多いのではないかと思う。それは音楽性、クオリティ、人柄どれをとっても安心してお願いできるからだ。亡くなったと知ってからひと月以上たっているが心に穴が開いたような感覚に囚われている。僕もそこそこの年なので色々な死にも直面しているが央紹がいなくなって自分がやってきた事、やりたかった事が炙り出しの様に浮き上がってきた。ライブバーという職業はミュージシャン呼んでお客さん呼んで酒飲ませて楽しんでもらってお金を頂きその一部をピンハネし演者に支払い、またミュージシャン呼んで・・・・という無限に続く資本の増殖の循環コードと規定される。だが僕はこの場を演者とお客さんと店の者のとの共有地と思って続けている。資本効率は極めて悪い。央紹はそんなことも知ったうえで僕の申し出を全部受けてくれていたのだと思う。一回の例外を除き・・・・。今年の周年記念の打ち合わせをしていた。20周年の様に壺阪、楠井、珠也で2日間やりたいと伝えた。央紹はこのメンバーでは1日でも吹き切る体力的自信がありません・・・と連絡があった。その四日後央紹は亡くなった。
