論語

読んでいて心がたおやかになる本がある。それが「論語」だ。巧言令色鮮し仁・・・・高校の漢文で習い何となく意味も分かっていると誤解しているあの論語だ。高橋源一郎訳「一億三千万人のための『論語』教室が面白い。
jazzフアンの為に一説だけ紹介したい。
子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽になる
訳はこうだ。
「学問というものは意外かもしれないけど、まず、「文学」を読む、というか知ることから始まるのです。言葉、と言うものを知らなければ、何も理解することはできません。そして「文学」以上に、言葉について知ることができるものはないのです。
(僕の独白・・・そうそう、ヴィトゲンシュタインの哲学論考も「世界は言葉の総体である」ではじまる)
その段階が過ぎると、それから、人間の在り方を知る「礼」について習うことになります。『礼』というものを理解できて初めて、とりあえず学問が身についたと言っていいでしょう。でもそれだけではダメなのです。その『先』に音楽を学ぶと言う事があります
そしてそれが一番難しい。ことばがわかること、人間の在り方がわかることそんなものとは違った『わかり方』にたどり着かなければ音楽はわかりません。そして。音楽というものを理解したとき、ようやく、私たちは『人間』になることができるのです。」
短い一説にこれだけ深いことが込められている。孔子先生すごい!
そしてJazzミュージシャンも凄いのだろう。音楽を理解して実践しているのだから・・・
ただ何事にも例外はあるはずだ。いやかなり例外がある。いやいやいや例外だらけだ。
ひょっとして孔子先生間違っているのでは・・・・
いやいや、そんなことはないはずだ。そうだ僕はまだ「礼」と言う事がわかっていない。

jazz紳士交遊録vol11

Luna
この不運の歌姫のとの付き合いは11年目になる。初めてlazyに来た時の事ははっきり覚えている。お客さんはライブレポートを書いてくれている牛さがん一人であった。最後の曲が終わった時二人でスタンディングオベーションをした。社交辞令ではない。胸を打つものがあったのだ。それからLunaはめげずに毎年秋には北海道ツアーを敢行している。距離が急速に縮まったのは大石学トリオとのアルバムの恩恵だ。元々ゴーン氏の隠し資産くらいの実力があるLunaが最高の共演者を得て作ったアルバムだ。悪かろうはずがない。そうして少しずつフアンを増やしていった。そして転機が訪れる。竹村一哲がLoud 3というロックバンドをやっている。Woodstock世代の僕はここにボーカルを入れて聴きたいと思った。一哲に相談した。
「ボーカル入れてやらない」
「誰かいますかね」
「ルナどう?」
「ルナさん、やってくれないですよ」
「俺頼んでみるよ」
と言う事で三顧の礼をもってルナにお願いをした。いつになく丁寧な文面だったという。ルナは快諾してくれ「糞くらえjazz in lazy」は春の風物詩になっている。
そんなルナは何故かついていない事が多い。
飛行機が飛ばず。列車を乗り継いで来たこともあった。
例の北海道中部大地震に見舞われ停電でも蝋燭立てやる覚悟できたこともあった。
帰り成田まで着いたはいいが台風で都内の交通網が寸断されていて半日がかりで歩いて帰ったこともあった。
そして今年・・・サウンドの要秋田祐二が病気で参加できない。それでもルナは最初のロックのコンセプトでやってくれるという。去年はWoodstock50週記念だったがイベントは中止になった。
それをlazyでLunaと一緒に実現してやるぜBaby!
3月25日、26日待ってるぜBaby!

腹立ち日記vol21

1月28日の国会中継で驚くべき答弁を聞いた。「桜を見る会」のツアーに安倍総理の後援会は関与していなかったのかとの質問に「参加者を募集したのは旅行代理店であって後援会は参加者は募ったが『募集』はしたことはない」ご飯論法ここに極まれりだ。
こんな馬鹿々々しい国会中継など見るに値しないとチャンネルを変えた人も大勢いたのではないか。道新の読者欄にも「何、同じ桜の事ばかりやっているのだ」という声も頻繁に聞かれるようになった。だがこれは安倍総理の戦略ではないのかと思う。国会の存在を貶め、
ここでは何も議論されず合意形成もされない無意味な制度なのだと。「国会なんかいらない、閣議決定でいいのでは」という独裁制のほうが手っ取り早いのではという意識が国民の中に蔓延していく。憲法の拡大解釈も、最近の自衛艦の中東派遣も密室での閣議決定で決められた。ドイツのワイマール憲法も合法的になし崩しにされた歴史的事実を思い出したい。
ラジオではピート・シーガーの「花はどこに行った」が掛かっている。

腹立ち日記vol21

1月28日の国会中継で驚くべき答弁を聞いた。「桜を見る会」のツアーに安倍総理の後援会は関与していなかったのかとの質問に「参加者を募集したのは旅行代理店であって後援会は参加者は募ったが『募集』はしたことはない」ご飯論法ここに極まれりだ。
こんな馬鹿々々しい国会中継など見るに値しないとチャンネルを変えた人も大勢いたのではないか。道新の読者欄にも「何、同じ桜の事ばかりやっているのだ」という声も頻繁に聞かれるようになった。だがこれは安倍総理の戦略ではないのかと思う。国会の存在を貶め、
ここでは何も議論されず合意形成もされない無意味な制度なのだと。「国会なんかいらない、閣議決定でいいのでは」という独裁制のほうが手っ取り早いのではという意識が国民の中に蔓延していく。憲法の拡大解釈も、最近の自衛艦の中東派遣も密室での閣議決定で決められた。ドイツのワイマール憲法も合法的になし崩しにされた歴史的事実を思い出したい。
ラジオではピート・シーガーの「花はどこに行った」が掛かっている。

腹立ち日記vol20

国会が召集され安倍総理の施政方針演説と各党の代表質問を見ていた。腹が立つのが分かっているがこんな国にした何億分の一かは自分の責任だと思っているので罪を償う気持ちで見ている。予想通り『桜を見る会』について一言ものべなかった。これについては世論もまちまちだ。道新の読者の声欄にも政局の質問はやめて予算の審議をして欲しいとの意見が載っていた。「ご主人、ごもっとも」と言いたいのだが泥棒と防犯の話をしても無意味だ。相手は税金泥棒の可能性大なのだ。共産党の志位委員長が質問した。
「施政方針演説でなぜ『桜を見る会』について一言ものべなかったのか」
首相は「『桜を見る会』については今年は開催せず、予算案に計上していない。予算案に計上していないことは施政方針では述べないと答弁した。
それならどうして憲法改定を述べたのか?
予算案のどこに改憲費用があるか?
次の一節は志位委員長のコメントである

「森友疑惑も加計疑惑も、花見会疑惑も、安倍晋三氏がその場しのぎで適当なウソをつき、管轄省庁が慌てて「総理の答弁に合致するように」公文書を改竄・隠滅する。後世の日本人から間違いなく呆れられ、怒られるような国に、今の日本はなっている。国の根幹を担うプライドが、霞ヶ関の官僚にはないのか」
腹が立つときにはそれを笑いに変える。
カレルチャペック,又はベリーニ監督のように

本日の回文
全日本駄洒落協会の牛さんから投稿があった
牛「ネイマうまいね」コルトレーンに捧ぐ
牛「ルート66、通る」ナットキングコールに捧ぐ
夢野旧作ですが
吉「シーラEはいいらしい」
自衛隊が中東に派遣された。怒りを込めて謎掛けを贈る。
「イスラム原理主義とかけてなんと解く」
「ケニーバレルと解く」
「その心は」
「クリスチャンにはかなわないでしょう」

震災の記憶

25年前の1月17日。阪神淡路大震災が起きた。飴細工のように曲がりくねったJRの線路、しがみつく様に自動車がぶら下がっている高速道路。焼け野原のようになった神戸市街地。映像がスライドショウのように甦ってくる。この頃僕自身人生最大の転機を迎えていた。震災の2日前僕は時期外れの人事異動で東京経理財務本部に転勤を命ぜられた。会社員だ。転勤など当たり前。覚悟の上だ。ところがこの頃少し状況が違っていた。僕は日常業務をこなしながらある犯罪がらみの案件を調査していた。あまりにも仕事が中途半端なので上司に「なんでこの時期で私なのですか」と食い下がった。ここからは一私企業の個人的なやり取りなので省略するが納得できないので辞表を出した。驚いたのは上司のほうだ「えっ、辞める。3日休みをやる。落ち着いて考え直してくれ」と言われた。家にいても「上司を立てろ」とか「辞めるのではいつでもできる」とかいろいろな人から電話がかかってくる。そうこうしているうちに震災が起きた。神戸には稼ぎ頭の店舗がありここがダメージ受けるとグループ全体の営業成績がより悪化するのは目に見えている。僕は辞表を取り下げるつもりでいたがこんな震災のあわただしい時期に転勤などしている暇があるのだろうかと思って「いつ立てばいいですか」と尋ねた。「明後日」
心は殺伐としていた。神戸の瓦礫と化した街並みとオーバーラップして他人を思いやる気持ちはほとんど湧き上がってこなかった。日に日に増える死者の数。6434人まで増え続ける。だがそれは抽象的な数字でしかなかった。転勤先は二重の意味で激務であった。この半年後戦後何番目かの多額不良債権を抱えて会社更生法の適用を受ける事になる。その青写真を作る部署でいわば大本営のような所であった。病人続出、内緒にしていたらしいが死人も出ていた。心のバランスを崩さぬうちにやめようと思った。今度の辞表は撤回しなかった。
あの時自分は冷たい奴だなあ・・・と思った。その後大きな震災が何度かあった。その度にささやかであるが出来ることをして罪滅ぼしをしている。

回文

言葉遊びが好きである。なぞなぞ、しゃれ、謎掛け、回文等々、日本語には色々な言葉遊びがある。Jazzにもbe-bop専門の人がいたりfunkが得意な人がいるように言葉遊びにも専門分野がある。僕は洒落はプロ級であるが他のジャンルはjazz研一年目クラス並みである。特に回文を作れる人は羨望の眼差しで見ていた。先日ラジオに回文士(そんな、職業があるのだと思った)でありお笑い芸人であり、シンガーソングライターなる人が出ていた。名前は忘れた。A氏としておこう。A氏が回文の作り方を説明していた。
例えば「うどん」で回文を作るとする。どの文字を軸にするか考える。「ん」を軸にする前の2文字をひっくり返す。「どう」となる。
饂飩、どう?
この時の評価の基準はできた文章の気品であるという。
作る際に便利な言葉があるという。動詞の終止形を含む言葉をストックする。どの業界にも2-5フレーズ集はあるようだ。例えば「する」
揺する、擦る、掠る。色々ある。「さする」に注目するひっくり返すと「留守さ」になる。
「留守さ。擦る」
意味は通じる。奥さんがいない時に隠してある金の延べ棒をこっそり触る旦那の姿を思い浮かべれないことはない。ここがその回文の出来不出来の基準になるという。長い文章にするため先ほどのうどんに放り込む。
「饂飩、どう。擦る、留守さ・・・・饂飩どう」
シュールなホラー映画に出てきそうなセリフであるがギリギリである。こういう努力を重ねてフレーズをストックするのだそうだ。Jazzの上達法と共通するところがある。
回文名作鑑賞
「そうよ、私したわよ・・・嘘!」村上春樹作
「私、吉田君とキスしたわよ。もっとすごいこともした・・・・ネエェ。。怒った。嘘よ・・・私広のこと好きだもの」みたいな解説がついていた。
同姓同名ではありません。あのノーベル賞候補にもなったあの村上春樹作です。村上春樹は洒落も好きでエッセイで「ウサギ、おいしい、かのやま」というエピソードも紹介している。その本歌取りの句で「ウサギ大石」というのもある。僕の作だ。

「マカオに密輸。積荷オカマ?」フジモトマサル作
これは図柄的には面白い。税関がコンテナを査察したらカルーセル麻紀やらイッコーやらデラックス松子が隠れていたというような所だろうか・・・。
参考文献
「言葉遊びの歴史」今野信二
「ダンスがすんだ」フジモトマサル
「またたび浴びたタマ」村上春樹

jazz紳士交遊録vol10

米木康志
とりあえずその一としておく。40年近くの付き合いだ。一回では終わりそうにない。老舗のライブハウスが閉めることになった。店を引き継いでくれないかと言われたが当時はそれだけの根性は持ち合わせておらずお断りした。そこのマスターは店でやることになっていたライブだけでも代わりにやってくれないかという。それくらいは何とかなると思ったので引き受けた。それが北海道バンド。メンバーは元岡一英、高橋知己、小山彰太そして米木がいた。メンバーがすごい割にはバンド名がダサイ治だ。全員北海道出身ということは分かるが田舎のバンドみたいで「北海道」という漢字は使わないなどポスター、チラシを作る時一工夫した記憶がある。道新でも全員北海道出身ということで比較的大きく記事にしてくれた。僕が最初に主催した東京ミュージシャンということになった。当時ライブを主宰するということはパッケージで来る企画をやるかどうかう問題でこちらから組み合わせを提案すなどおこがましい事と思っていた。米木と知己を得てから恐る恐る札幌のミュージシャンとやってもらうお願いをした。それがギターの岡本広である。例のjazz人名辞典で住所を調べ丁寧な手紙を書き岡本の音源をカセットテープで送った。返事はすぐ来た。粘り強く交渉しようと思っていたが・・・「いいよ」・・・あれ意外に簡単だ。初めてのデートでホテルまで行けちゃった。よく郵便物を送っていたので今でも住所を覚えている。国分寺市南町xxxxxxx702だ。米木も会社員社員時代の僕の電話番号を覚えているという。213-xxxxだ。そのやり取りが今の東京、札幌の交流の始まりとなる。

腹立ち日記vol19

IRは北海道には要らない。日本にもいらない。成長戦略の要だと政府は嘯く。国際会議も可能なコンベンションセンターを要する一大リゾートと昼の顔を強調する。カトリーヌドヌーブが実は売春をしていたという映画「昼顔」を思い出す。儲け頭は夜のカジノである。アメリカと中国のカジノ運営会社が利権を勝ち取ろうと贈収賄合戦を繰り広げている。甘い汁があるから虫が群がってくるのである。虫は全部外来種である。利益は国外に持っていかれてしまう。苫小牧は一回目撤退したが、誘致したとする。一大開発がされる。勿論環境問題ということもあるだろう。だがそれ以前に大手企業が受注し見せかけのGDP増を何度も聞かされることになる。恩恵を何も受けない庶民派ますます分断される。ギャンブル依存症の人間も増えるであろう。だが政府は本当にそれを心配しているとは思えない。カジノに行くのはでかいパチンコ屋に行くのとはわけが違う。千円札を握りしめていく庶民派は相手にされない。勝とうが負けようが確率の問題である。「はい、ご苦労さん。帰りの電車賃は残してね」である。007の映画を見たことと思う。プライベートジェットでトランクいっぱいの現金を持ってくる客が上客である。
世界的趨勢もマカオ他数か所以外衰退の一途をたどっている。アトランタシティであったろうか寂れたカジノ都市は整形で美を保っていた人工美人の老後を見るようで悲しい。苫小牧にはIRはいらない。ミュージシャンからは仕事が増えるから賛成という声も聞こえる。あなたがやりたいのはバンドマンですかと問いたい。

Jazz紳士交遊録vol9

池田篤
池田23歳の時だ。札幌でイースタシアオーケストラ、池田芳夫クァルテットで続けて聞くことができた。このサックスプレイヤーは必ず日本を代表するプレイヤーになると思った。まあ、僕が思わなくとも日本中でそう思う人が何人もいたとは思うが・・・。僕が偉いのはすぐ池田を札幌に来てもらった事だ。昔jazz人名辞典という雑誌があって演奏家の住所、電話番号が載っているのである。まだ個人情報保護法などない頃の話だ。女性演奏家の情報も惜しげも無く載っている。ストーカーには絶対高く売れる品である。丁寧な手紙を書き電話をした。池田は個人で来てもらう二番目のプレイヤーになった。スピード感あふれるフレーズ、引き締まった音色、どれをとっても一流だとその時は思った。それはほんの序章だったことに後で気づく。20年ほど前になる。打ち上げの席で米木に「池田、やりたいことがやっと技術に追いついたよな」と言われた。「そうなんです」と頷く。すごい世界だなーと思った。もっとすごいのは池田は肺癌で一度死に損なっていることだ。転移すれば助からないレベルの悪性の癌である。今も片肺で吹いている。酷使するのでその灰も肺気胸で穴が開いているのである。演奏するとそんなことは微塵も感じさせない。吹いている姿を見ると涙が出てくるのである。「池田、手抜いてもいいよ」と声をかけたくなる。池田にクリニックを受けたいというサックスプレイヤーが7,8人いて池田がニューヨークに行くまで二年ほど毎月クリニックそしてライブをやっている時期があった。僕はサックスはほとんど吹けないが池田のクリニックを何十年も聴いているので素人の欠点はかなり的確にわかるようになった。医師の免許がないのに地域の住人を直し信頼される偽医者のようなものだ。
池田はステージではクールで完璧だが、私生活は結構間が抜けている。冬に夏靴で北海道に来て転んであばら骨を折ったことがある。それに懲りた池田はそのあと札幌に来た時、演奏前に冬靴を買いたいということで靴屋に連れて行った事がある。三足も買った。
「なんで、三足も買うの」「これからも来ていいですよね」「さ、どうかな」結局三足では足りないくらい来てもらっている。問題はその後である。「篤ちゃん、これでもう安心だよね」
「そうですね」と会話をしながらホテルまで送った。車はホテルの前の横付けし玄関まで数メートルである。店で待っていると額から血を流した池田が入ってきた。ホテルの前で転んだという。えっ、数メートルしかないのに・・・・大体なんで靴屋で冬靴に履き替えなかったのと繰言を言いたくなった。額に傷テープを張ってあげた。リハ中額から血がしたたり落ちてきた。「時々テープ変えてあげるから、2ステージ大丈夫だよね」「ダメです。病院に連れて行ってください」僕は内心舌打ちしながら救急病院に連れて行った。三針縫った。その日も池田は手を抜かなかった。
置き引き事件というのもある。二年前になる。池田から羽田空港で置き引きにあったと言う電話があった。Saxと航空券だけは有るので千歳までは行けるがお金が全くないので迎えに来てほしいという。盗難届を済ませ、とりあえず飛行機には乗ってもらった。深夜航空会社から連絡が入った。誰もいない待合室に荷物が一個残っている。池田の荷物らしい。状況を分析するとトイレに行って戻る時、席を間違えたらしい。やれやれという感じだ。それ以来僕らの中では初日の業務連絡の際、「雪道と置き引きに注意」と言うのが合言葉になっている。複雑なコード進行を流れるように吹けるのに簡単なターンバックを間違えるのはよく判らない。
その池田が置き引きに会わず、雪道でも転ばなければ2月28日、29日lazy に来る。手の抜かなさ加減をぜひ聴いてほしい。