党首討
二年ぶりとなる党首討論を聞いていた。世紀の対決と言われたモハメドアリとアントニオ猪木の異種格闘技の対決を見ている歯がゆさがあった。まるでかみ合わないのである。討論というのは聞いたことには答えてはじめて成り立つものである。議論することによって問題点を洗い出し国家の未来像を提示する使命がある。時間も短すぎる。持ち時間立憲民主党は30分、その他野党は5分である。その中で菅総理は前東京オリンピックの思い出を4,5分は話していた。情に訴えるつもりであろうが聞きたいのは具体策である。総理は側近に時間が短いので答えなければ逃げられると漏らしていたと言う。言語道断である。ワクチンの話になると金脈を当てたかのように嬉々として雄弁になる。接種回数を自慢げに語る。だがその回数、比率ともども統計の取り方に問題がある。例えば高齢者への接種が完了したとみなされるのは何%の住民が接種を終えた時点かと言う事である。自治体の判断に任されている。函館市の場合は60~70%である。国からは7月中に完了するようにと指示が来る。低い数値に設定しないと未達になるからである。かみ合わない論点は多々あったがここでは省略する。危惧していることは次の事である。あまりの誠実身の無い答弁に野党は内閣不信任案の提出を検討している。すると総理は衆議院を解散するかもしれない。国民は「こんな非常事態に選挙かよ」と怒って投票率が下がることになる。すると組織率の高い与党に利することになりこんな事態を招いた政権が国民の信任を得たとでかい顔して愚策を連発することになる。
自分たちの生活に直結していることから目をそらさないことが重要である。音楽人の前に一市民でありたい。