カントは批判ばかりで対案がない・・・という批判は聞いたことがない。野党は批判ばかりで政権担当能力がないというのが選挙に負けた理由の一つである。
「批判ばかり」に見えるのは、「批判されることばかり」するからである。改竄、身内優遇、贈収賄、ローランドカークのような犯罪のマルチリード奏者と何故安易に手打ちをしなければならないのか。必要なのは徹底的な検証と反省である。なんで後者の「ばかり」は放置されるのか。置き去りにされるのは民である。ホーチミンはベトナムだけの問題ではない。
吉村知事は維新の勢力が拡大したことをいいことに立憲民主党を「何でも反対」する党と揶揄する。立憲民主党にも言いたいことは山ほどある。しかしこの物言いは自分の党が有利になるためなら事実に反することを言い、日本の民主主義を後退させて平気な反知性主義の人物だと確信する。
維新のモットーは「身を切る改革」だという。だが実態は働きアリのように金をため込んでいる。
政党助成金は余ったら国庫に返納するのが原則だ。「基金」の名で積み立て翌年に繰り越すことを可能としている政党助成法の「返納逃れ」を使っているのだ。身を切らされているのは大阪市民と公務員である。以心伝心などと言うセリフは百年早い。
付記
楠井五月、小松伸之、鈴木央紹を迎えての通称「秋のもっちゃん祭り」は平日にもかかわらず集客、内容的にも意味のあるものであった。一年半ぶりに見る懐かしい顔もあった。元気な姿を見るだけで本当に嬉しくなる。打ち上げも盛り上がる。毎日朝までと言う事になる。ちょっと前までは時短で朝6時には起きる生活を送っていたが一気にヤクザな生活に戻ってしまった。ニューヨークから帰ってきたような時差ボケが続いている。