中居正広の性加害疑惑に端を発したフジテレビのセクハラ、パワハラ等人権問題に関する報告書が提出されその会見とそれを受けての現社長清水氏の記者会見を見た。4時間強である。まず報告書であるが2カ月という調査期間にも拘らず300ページ渡る内容で聞き込み、アンケート、メールの再現など具体的内容で評価できる物であった。ここでまず中居よる性加害はあったとの報告がされている。何が有ったのかはプライバシー保護の観点から相変わらず分からない。週刊文春に掲載された記事はおおむね事実であることが分かった。二次被害を防ぐという意味で実名を避けA氏、B氏・・の表記になっている。事件が有ったホテルの名前も外資系Hホテルとなっており実名を出した質問者が制止される場面も有った。その飲み会を設定したフジテレビプロデューサーは文春ではA氏になっておりそれで定着していたが報告書でではB氏と呼ばれていて変換しなければならず分かりづらかった。因みにこのA orB氏は灰色無罪である。現場のハイアットリージェンシー東京・・・まずい実名を出してしまった。Hホテルの宿泊費、飲食費はロケ代として申請されフジテレビが支払っている。交際費として処理すべき内容でフジテレビ側も不適切な処理であったとしている。話は飛ぶが社長会見でこれに関連して松本人志の性加害事件が起きた時のホテル代もフジテレビが支払ったのかとの質問には今日の問題とは関係ないと取り合わなかった。類似案件も多数報告されており単にフジテレビの問題だけではなくテレビ業界と有名芸能人とそれを有する大手芸能プロダクションの癒着ぶりが改めて浮き彫りにされた。続く社長会見では防止策、今後の展望も述べられていたがいかにも経営コンサルタントが作成した文書で心に響かなかった。社長の表情も何か他人事でフリージャーナリストの突っ込んだ質問にはせせら笑う場面も有った。経営陣刷新を謳いながら何故清水社長が残ったのか。何よりこういう経営体質にした元凶ともいえる人物日枝相談役が第三者委員会報告書が提出される直前に何の説明もなく辞任してしまった。臭いものには蓋をしろ・・・という思惑が見え見えである。2025.4/1
投稿者: yoshida
茹でガエルの日本経済 vol2
日銀が政府の子会社化している。政府が発行する国債は日銀が引き受ける。その金はどこへ行く。財政出動と称し給付金の形で直接国民の手に渡ることもあるが将来に不安のある国民はすぐには使わなったりする。預金に回る給付金は無意味と麻生大臣は口を尖らせていた。金を刷っても国民や企業に使わせる指示だす権限は日銀にはない。余った金は大企業の内部留保として残るが国内に良い投資先がなければ金利の高い国以外に流れる。なにせ日本は長い間ゼロ金利である。海外に投資された金はその国で循環されフーテンの寅さんのように日本に戻ってくる事はない。ここ20年円安インフレである。政府は日銀とグルでそれを容認してきた。日本の金融資産は2000兆円、まだまだ国債を発行しても大丈夫と考えている。だがいつまでもあると思うな親と金・・・である。国債残高は1000兆円。金利が1%上がると支払利息が10兆円増える。だがインフレは政府に有利に働く。例えば10%のインフレは国の負債を900兆に減らし金融資産に10%の課税をした事と同じ効果になる。そして消費税は自動的に増える。苦しいのは低所得者層で富裕層は金利の高い国で資産運用するなど円安など関係ない。高度成長期、GDPはアメリカに次世界二位であった。世界的企業に日本の会社が名を連ね様々な分野で日本の技術が世界を席巻していた。ある時から慢心した企業とそこからの献金に目がくらんだ政府とのアリ地獄への二人三脚が始まった。ゾンビ化した重厚長大企業への点滴代と一周遅れのIT企業への気付け薬代に刷った金が使われている。20225/3/29
2025.3.24 三島大輝の全貌 (Bass Solo)
三嶋は昨年来ベース・ソロをやり始めている。彼が初登場してから7年くらい経つのだが、それ以降、上昇気流に乗って今日に至っていることは衆目の一致するところだろう。筆者はレイジーでのライブでしか三嶋を聴いていないが、この間の彼の足跡を見極めるにはこれで十分である。何故なら三嶋自身がレイジーでのライブ体験が、飛躍の引き金になっていると吐露しているのだ。
まぁ普通はベースのソロ・ライブとなれば、”So What?”という突き放した反応が予想できる。だが実際のところ、想定外の客入りとなっていたのである。三嶋を起用している貞夫さんを肌で知ることのない若者たちも来場していた。この事態は音楽的な才知以外にも三嶋に人を引き付ける何かがあるのだろう。しかしそれに増して気に止めておくべきは、普段のリズム・セクションの一員とは異なる重石を自らに課すSolo演奏という彼の選択である。ここには一定の到達点に届いた現状を、今一度振り出しに戻して新たに自己確認を試みようする熱意が窺える。そしてその気迫は演奏に連動していく。欠伸が出たら帰るとあらかじめ釘をさしておいたのだが、緊張感を孕んだ演奏は止むことがなく、筆者の予見を覆す嬉しい大誤算になってしまった。このSolo演奏に臨んだ彼の覚悟には濁り一つないと、感傷すら滲んできた。そして全曲に亘ってOne Bass Hitを放ち続けた様子は、今日の三嶋の全貌を捉え切っていたと言っていいだろう。滅多に聴く機会のないベース・ソロではあるが、今般それに接し大変恐れ入りました。演奏曲は「Goodby Pork Pie Hat」、「Hallucinations」、「For Heaven’s Sake」、「Violets For Your Furs」、 「Soon I Will Be Done With The Troubles Of The World」、「No More Blues」、「Luiza」、「Star Dust」、「陰のみぞ知る」、「Time After Time」、「Blues In The Closet」。
前段でも触れたが、三嶋にとってレイジーは単なる活動の場ではない。それは東京でも共演が叶わぬ先導者たちの胸を借りることを可能にする幸運と転機を呼び寄せる場だったのである。その縁は思わぬ広がりに繋がることもあった。2年余り前になろうか、東京のとあるライブ・ハウスにて三嶋率いるトリオと池田篤、松島啓之、鈴木央紹という夢の共演が実現していた。そのライブで、三嶋は「今日の素晴らしい機会が実現たのも、札幌のレイジー・バードという店にお世話になったのが切っ掛けになっているのです」と率直に語っていたらしいのである。今回のライブの帰りがけに「本当はSolo活動のスタートをレイジーからにしたかった」と胸の内を明かしてくれた。そういう純真さを備えた好漢が三嶋大輝なのである。
(M・Flanagan)
茹でガエルの日本経済
水温が徐々に上がるとカエルは温泉気分でまだ大丈夫だろうと思ってしまう。日本の経済状況はそういった状況にある。10年ものアベノミクスのつけでかじ取りが難しくなってしまった。この政策の検証をしなくては将来のあるべき日本の姿を思い浮かべることはできない。この政策はそもそもデフレ脱却を目指した政策であったが結果は大雑把に言えば刷ったお金が600兆で日銀の国債残高が600兆増え同時に企業の内部留保が600兆増えたということである。要は日銀が発行した金が企業に流れたといえる。内部留保が増えるということは投資、従業員給与には回らず給料が上がらない原因になっている。一部は自社株購入、配当に回され株価好調の一因ともなっている。国民に不人気の増税はしないというお題目で膨張する国防費も一般会計以外の項目を塗り替える財務省のテクニックで乗り切ってきた。それはビルエバンスのリハモにもにて芸術的であるが素人には難しいものであった。
今年度の国債発行額は28兆円で久々30兆円を切ったが名目GDPの2.5倍の残高がある。自国通貨建ての経済はいくらお金を刷っても破綻しないというMMT理論もあるがハイパーインフレにならない範囲ということになっている。僕のレベルではこの上限が何に依拠しているのかわからない。ある時期物価が上がりだした。一番顕著なのはウクライナ戦争でエネルギーや穀物の供給量が減った時であるがその前にも異常気象のせいで農産物の不作が伝えられた時にもおこった。だが日銀はいまだデフレを脱却せず・・・として金利を上げることはなかった。コストプッシュ型のインフレは今も続いて我々を苦しめている。ここに戦前から垣間見える日本人の体質が見て取れる。「今更、間違っていたといえるか」安倍総理が退陣して黒田日銀総裁が退任しても金利は上げられなかった。
続く
付記
あまり長いと読んでもらえないし特に経済ネタは人気がない。以前社会問題ネタのタイトルを「3匹の子豚」としたらアクセス数7位と健闘している。央紹を子豚が追いかける展開になっている。今回も「茹でガエル」に命運を託すものである。今起きていることに関心を持つことが現状を変える第一歩になる。ちゃんと聴く聴衆がいて初めていい演奏が起きる可能性があるのと同じと考える。
統一教会の解散命令
旧統一教会の解散命令に司法の判断が下された。被害の大きさを考えれば当然の事と考えるがいくつか気にかかることがある。オウム真理教のような刑事事件による解散請求ではないので教会側は即時抗告の手続きを取った。宗教法人としての税の優遇措置は無くなり資産は没収される。当然先方もそれを予知して資産を別法人に移している。法人格を失っても宗教活動が禁止されるわけではない。新入生が入るこの時期キャンパスでは搦め手からの勧誘が盛んだと聞く。僕も学生の時勧誘を受けたが先方が未熟だったのか簡単に振り切ることができたのでマインドコントロールがされる過程は正直想像できない。だが集金マシーンとしての信者が再生産される可能性がある。信者数公称9万人実質5万人と言われており年間400億の献金を集める。このほとんどが韓国本部に送金される。そしてこれが日本の政界工作金として戻ってくる。自民党は夫婦別姓問題、自衛隊の憲法明記など統一教会とおなじ政策を掲げている。1954年の設立以来じわじわ自民党に食い込んでいったが現在はN国の立花とも接近している。統一教会は公明党ほど集票数は多くないが接戦区での千、二千は喉から手が出るほどほしい票数でありボランティアで働いてくれる運動員は聖母に等しい。政治家との癒着構造には何ら法的拘束力はない。市民の監視力が抑止力になる。最後にもう一点、疑問点がある。「山上被告の裁判はなぜ始まらないのか」
As time goes by日記 3月26日
21周年のお知らせのコンテンツのアクセス数が120回を超えたところで満を持して周年記念ライブスケジュールを掲載した。翌日ドキドキしながら予約状況を確認したら延べ人数で9名であった。まあ、良しとしよう。HPの統計情報が取れるようになって2カ月程であるがアクセス数は大体予想通りであった。バズることもないしアクセス数の多寡によって一喜一憂する事もないが多少Youtuberの心境が理解できた。Youtuberにとっては視聴回数が承認欲求を満たしてくれる基準であり金の卵を産む鶏なのだ。それは時として真偽のほども関係ない世界になったりもする。ネット上には糞情報で溢れかえっている。時々陰謀論的情報を信じ込んでいる学生を見かける。情報源がSNSだけだとすると再生回数が多い情報に影響されやすくなるのだ。ショート動画や文字数の少ない旧ツイッターの情報だけに接していると集中力が欠如してくる。映画を早送りしポップスのギターソロを飛ばして聞く行為はその作品の価値を半減させる。自分でも最近集中力が衰えてきていると実感することが有る。本を一気読みできなくなったのは視力の衰えだけではないようだ
As time goes by日記 3月25日
三嶋のベースソロライブが昨日終わった。集客しづらい演奏形態であったので予め学生のベース奏者に撒き餌をしておいた。何とかかっこはつくとは思っていた。ところが前日くらいに一般客の予約が結構入りほぼ満席状態になった。三嶋が何回か来ているうちにできた縁がつながったのかもしれない。演奏内容も予想を遥かに超える内容であったと思う。初めて来た時に辛辣な意見を言ったのを覚えているので今回の演奏は嬉しい限りであった。こういうイベントがあるとご褒美と称して翌日は自分に怠惰な一日を送ることを許してしまう。尻に火が付いている状態なのに焼けても尻程度だ・・と思ってしまう怠け者なのである。そういう人間は組織のくびきにつながれていた方が良い仕事をする。高邁な政治思想など持ち合わせていなかったが権威主義的なものには反抗する若さだけは持ち合わせていた。大した牙ではないがスッカリ丸く矯正され「私会社の為お国の為死ぬ覚悟であります」と言って最後の勤務地となった東京経理財務本部に赴いたのが30年前である。その年の3月20日地下鉄サリン事件があった。事務所は銀座2丁目にあったので事件発生当時、事務市内では何やらざわついた雰囲気が支配してていた。部下が有楽町駅前で配布されていた号外を持ってきた。地下鉄でサリンが撒かれたとあった。仕事、通勤で地下鉄丸ノ内線や銀座線を利用するものも多くいたので全員の安否を確認する指示が出た。札幌からも安否確認の電話が鳴りやまなかった。今はあの事件の意味するところ、何故防げなかったのかなど考える余裕がある。だがあの時点では被害を受けた方を慮る余裕などなく会社更生法の適用を申請した会社の生き残りのために奔走していた・・・と言えばまだかっこがつくが実際はその役目から外された。戦力外通告を受けたプロ野球選手の様であった。解雇されるわけではないので消化試合の守備要員のような仕事はあったがプライドが許さない。やめる口実を探していた。サリン事件もその一つに利用された。こんな街にはいたくない。
斎藤知事の面の皮
100条委員会は議会による調査である。いわば同僚による調査の為「…の可能性はある」など語尾に今後の人間関係も考慮した苦渋の選択が垣間見える。斎藤知事も「…の可能性があるならばない可能性もある・・」それも一つの見解であるとしながらもムーディ勝山の様に右から左へ受け流す。斎藤知事は弁護士が委員の第三者委員会の設置には消極的だった。だが100条委員会の調査が進むと第三者委員会調査を待つと言い出した。弁護士による調査には理念に「疑わしきは罰せず」という理念がある。斎藤知事はかわし切れると見たのではないか。個別の案件に対し見解が述べられているが阪神優勝パレード献金に関しては贈収賄の事件性はないなど斎藤知事に有利な認識も示されている。この勧告も法的拘束力はない。それを見越した斎藤知事は今度は勧告を重く受け止めるが司法の判断を待ちたいと言い出した。だが法に触れなければ何をしてもいいのかという倫理の問題がある。第三者委員会も斎藤知事のパワハラを認定し犯人探しとパソコン押収も交易通報保護法に違反する可能性が高く元県民局長への処分も無効だとした。元県民局長を貶める発言を撤回し辞職するのが常識人のすべき行動と考える。フェイクファシズムを許してはいけない
トランプのノアの箱舟
トランプが就任してから約50日。矢継ぎ早に出された100近くの大統領令にマスコミは付いて行けない。我々も一部しか理解していない。政策も一見思い付きにしか見えないが本当にそうなのだろうか。そういう時はずっとカメラを引いて歴史全体を俯瞰すると有効である。ジャズでリズムを大きくとらえるのと同じである。スペイン、ポルトガルガ植民地主義で隆盛を極めその後釜にイギリスが座った。イギリスは産業革命を経験し工業を制する者が世界を制する時代になった。アメリカもその一員になった。ある時期の日本もそうである。だが工業製品のアドバンテージはいずれ後発国に追い付かれることになる。工業製品で没落していく国は金融資産運用で生き延びようとする。乗り遅れた日本と一見上手くいった様に見えたアメリカがいる。一度覇者になった国は没落し二度とその座に戻ってきた国はローマ帝国、エジプト王国まで遡ってもない。グローバル経済は関税をどんどん低くする傾向にあるがトランプは色々な物品の関税を上げている。明らかに自国の産業の保護政策になっており歴史を逆行している。逆行仮面の叔父さんは正義の味方ではないことが明白になったが取りあえずスティクホルダーを握っている様には見える。見えることが大事である。イギリスのBBCは興味深い見解を出している。トランプは100年後のアメリカを思い描いているのではないか・・・・・と。トランプは環境問題には全く興味を示さない。イーロンマスクがスタッフにいるのにも拘らずガソリン車を推奨しテスラの株価を暴落させた。イーロンマスクの損害は15兆とも言われているがトランプと決裂したとは聞かない。何か裏が有る。イーロンマスクは宇宙産業にも手を染めている。地球を見捨てているのかもしれない。USAIDなど発展途上国の援助やフルブライト奨学金等も縮小する。ウクライナの停戦交渉においてもいわば敗戦処理交渉の場においてもディールを持ち出した。ヨーロッパ諸国は最早アメリカに頼っている場合ではないとフランスは自国の核の傘を強調し非難されるかと思いきやドイツまで賛同した。ヨーロッパ各国の軍需産業の株価が高騰している。ウクライナで停戦が実現しても対ロシアに対する脅威が持続すると踏んでいるからだ。そんな折武藤容治通産大臣が自動車の関税を負けてとお願いしに行って相手にもされなかった。外交センスゼロである。日本はトランプのノアの箱舟には乗れるはずはない。乗れるのはアメリカ人だけである。それも選ばれし者だけである。クリストファー・ノーランの「インターステラ」を見た後はトランプのノアの箱舟が目指す先は何処かの惑星か・・とさえ思えてくる。
財務省解体論の深層
財務省だけでなく官僚機構の在り方には疑問を持っていた。だが財務省解体デモを見た時はある種の違和感を感じた。「ザイム真理教」の著者森永卓郎の遺影を掲げるもの、日章旗を振るもの、呼びかけ人と思われる人物の財政均衡主義に反対するといった演説・・・矛先が違うと思った。そもそも財務省解体デモの発端は何であったのか。2012年第二次安倍政権発足後、アベノミクスを断行していた時期に消費税率の引き上げを二度ほど見送ったことが有った。景気が停滞することが明白であるからだ。法人税引き下げをするためには消費税を上げなくてはならない。その理由が必要だった。安倍支持者の極右勢力は財務省を利用したのである。安倍総理は財務省の圧力で消費税を上げざるをえなかったという神話である。そうすると日章旗を振りながら解体を叫ぶ参加者が大勢いたことは説明がつく。
一番の問題点は財政均衡主義に反対するという論点である。だが事実は全く逆で放漫財政の極致にある。政府債務残高はGDP対比で2.5倍ある。これは敗戦後の水準と同じである。当時は物価70倍にもなり庶民派これに耐えインフレによって債務をチャラにした。財務省は政治家を洗脳操作しているという説もある。確かに財務省の法案成立への根回しは執拗である。だが安倍政権時、財務省は半分解体している。内閣人事局設立後徹底した人事管理によってアホな政治家に従う風土を作り上げられた。その最たるものが公文書改ざんを命じた佐川理財局長である。この二点についてはほとんど陰謀論である。旧大蔵省出身官僚池田隼人、大平正芳、宮澤喜一らが日本の高度成長を支えた時期が有った。だが現在は政府の出す防衛費増額の財源をどう捻出するかについて自分の将来の天下り先を考えながら知恵を絞っているとしか思えない。増税する力は今の財務省にはない。赤字国債で国会承認のいらない基金、予備費、特別会計で防衛費を隠蔽している。自分の人事の為財政が犠牲にされている。アベノミクスの徹底した検証を行うべきと考える。20年給料が上がらない国はどこにもない。マクロ政策の失敗、産業政策の失敗、自動車産業の1本足打法。内部留保を増やすだけになった法人税減税。自社株購入で株価を維持し裕福な投資家に利益を還元する。給料にも投資にも回らず有利な海外への投資にも流れた。社会保障費は削減され消費は伸びるはずもない。そんな折のコスパ論は世代間の対立を生む。そんな大事な事がマスコミではほとんど報道されずネット上ではデマが横行する。時代はフェイクファシズムに足を突っ込んでいる。
開幕直前大阪万博の闇
開幕1カ月前だっちゅにチケット売り上げ目標1400万枚の6割らしいねん。それどころかパビリオンどこも完成しとらへん。苦労してチケットとっても何見たらいいん。大屋根上って石の葡萄棚みたいなもんの下でガス吸って道頓堀に行ったら何時でも食える回転ずし食えちゅうのかい。夢洲新駅の駅そば3800円だと。荷物預けたら1万円、大屋根リングの模型、ケーキみたいに切り売りしてるけど全部揃えたら54万だと。誰が買うねん。夢洲地下鉄駅で雨漏りがしたと報道あったやん。あれ、雨漏ちゃう。生乾きのヘドロみたいなところ掘って開通させたから汚染水が染み出て来てるねん。地震来たら危ないで。液状化現象や。金かけて地下鉄通して万博終わったら誰が乗るちゅうねん。夢洲に1件だけあるコンビニの兄ちゃんだけや。あとは運ぶの風だけや。5年後だかに完成するカジノの為や。世界中の金持ちが来る言ってるけど金持ち地下鉄で来るか。イーロンマスクやザッカーバック地下鉄で来いひんで。あいつら地下鉄の切符の買い方絶対知らんし。祝祭資本主義の象徴でもある万博の裏にもっと大きい泥鰌が隠れているんや。万博自体反対やけどやるにしても夢洲はないで。誰があそこに決めたんや。松井一郎や。責任取らされるからもうほッ被りして逃げてるやん。わしな、万博協会に聞きたいことあるから行ったんや。何とかビルの47か48階や。前に行った時は夢洲全体が見渡せたんや。今回はスリガラスに変えられていたんや。工事が進んでいないのが見られたくないんやで。せこいがな。後ろには公安の刑事がついてくるんや。
開幕記念のイベントで佐渡裕指揮で1万人規模のベートーベンの第九やるらしいねん。今大工が作っている大屋根に1万人乗せて第九や・・笑うところやで。けどなこの大屋根の土台の土壌がはげ落ちてきているんや。危ないで。それで上に乗せる人数を何千人か減らしたらしい。この喜びの歌の参加費2万5千円だかや。勿論1万人は入場者数にカウントされる。何とか数字の体裁を整えんとならんさかい。数字作りの為子供たちも動員されてるやん。休憩所もない所に子供連れて行くんか。大阪の夏は暑いで。特に夢洲は。熱中症の心配あるで。熱中症は一人二人がなるんでないで。なる時は団体や。医療設備も不十分や。医者は3人とかや。石屋はいま葡萄棚作っているから3人以上いるけどな・・笑うところや・・。子供たちに何かあった際の責任はどこにあるのかという問題や。熱中症になろうが、ガス爆発が起ころうが、大屋根の上で雷に打たれようが、南海トラフが起きて逃げ遅れたとしても責任は校長にあると言う事や。文科省の公式見解や。校長にあると言う事は現場に連れて行った教員の責任が問われることになる。その事実を教員自信が知らんことが問題やねん。賢い校長は子供たちは行かせないと宣言しているが維新が市長の所はそれが許されないらしい。子供たちのインパール作戦や。国会の予算審議中に吉村維新代表が石破総理に会いに行った。万博赤字処理のお願いと高校無償化の政策を盛り込むことを条件に予算に賛成する取引をしたんや。何が命育む万博や・・・日本の林業再生の為に日本の材木を使った大屋根と言っていたが殆どフィンランド製や・・不倫ランドちゃうで・・笑うところや
なんやアホらしくなってきた。そろそろ終わるで。BYEなら
怒りの確定申告
怒りの確定申告
少額ながら所得税は払っている。いや、ここで卑屈になることはない。収入はあるが経費が大きすぎるので所得が少ないと言う事である。東京からミュージシャンを定期的に呼んで演奏してもらう事を続けていると旅費、ホテル代の高騰が直撃することになる。インバウンドの増加によりホテル代は時期にもよるが3倍にもなる。物価も高騰しそれに比例し納税している酒税、消費税も増えているはずだ。その分所得税納税が減っていても国民の権利としてその使い道には口を出させてもらう。最早五公五民となっている。江戸時代なら百姓一揆が起きていてもおかしくない。社会保障関係を手厚くしようという提案があると必ず財源はあるのかと反発されるが防衛費に関しては最高のスルーパスでゴールされてしまう。この納税でオスプレイのネジ代の一部になっているのかと想像するとむかむかするのである。消費税・・・二重の意味で恨みがある。1989年導入された時僕は会社員で経理の中間管理職にあった。その税の意味など考えている暇などなく会社の事務手続きを滞りなく運営すべく徹夜の日々が続いていた。レジのシステム変更、伝票類のフォーム変更、ほとんど必要のなかった一円玉の調達・・・など多忙を極めていた。そして自営業になった今その意味を考えているのであった。この税は財務省の発案ではない。直間比率の是正という名目で導入されたが経団連の圧力で法人税の引き下げが目的であった。国民には社会保障に使うという玉虫色の説明をしたが重厚長大産業の生命維持装置としての役目を果たし産業構造の改変を妨げたばかりでなくトヨタのような輸出産業には戻し税という名目で濡れ手に粟の利益を与えた。世の中は狂乱物価の領域に入っておりそれに比例し税収も過去最大になっている。消費税以前にあった物品税は特定の物品に適用されるものであり新しい商品がシ出現するとその都度法改正が必要でもありその業界から除外するよう圧力もかかった。消費税は除外品のみ法改正に頼ることなく設定できるのみならずパーセンテージを替えるだけで税収の増額を図れる打ちでの小槌でもある。そんなことを考えながら申告手続きにいそしんでいる。
レゲエミュージシャンのジミー・クリフの曲ではharder税comeという曲を思い出した
風化した3.11
東日本大震災と福島原発事故から14年を迎える。オリンピックに代表される政府の復興キャンペーンとは裏腹に復興は遅々として進んでいない。それを逆なでするかの様な判決がおりた。業務上過失致死罪で強制起訴された東電旧経営陣の無罪が確定した。この裁判で提出された証拠の中には15m津波の予測をする有識者の提言に対し柏崎刈羽原発の修理で大赤字を出した東電が福島の防潮堤に金をかけている余裕などないとした議事録もある。想定外の津波と言う発言は嘘800である。東電経営者に責任がないとするなら誰が責任者なのか。そしてこの裁判には別も問題も隠されている。この判決を出した判事の一人草野耕一はかつて西村あさひ法律事務所の共同代表でありその相方新川麻弁護士は政府のエネルギー諮問機関の委員を務め東電の社外取り締役の責にもある。これは利益相反の関係にあるのではないか。これで公平な司法判断ができるのかはなはだ疑問である。翻って考えると大企業が起こした事件で経営者が刑務所に入った話は聞いた事がない。最高裁判事は内閣が指名するのだと中学で習ったことを想い出した。
原発と防衛が全く別の分野で語られることが多い。ロシアがウクライナの原発を攻撃するかもしれないとの情報がながれた時も日本では他岸の火事程度の反応であった。台湾有事を想定してミサイルやら戦闘機やらを爆買いさせられているが日本海沿岸に立てられている原発は核爆弾が置かれているようなものである。冷却装置を壊す鉄球1個あれば事は済む話である。鎧兜で身を固めた戦国武士がアメリカ海兵隊と一戦交える光景は失笑物のはずだ
国際女性デー
3月8日は国際女性デーであった。その日自民党は参院比例区に杉田水脈を擁立することを決めた。
杉田の差別的発言を列挙しておく。「男女平等は絶対に反道徳の妄想だ」2014衆院本会議「チマチョゴリやアイヌ民族衣装のコスプレおばさん」国連会議の参加者に対し「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない」同性カップルを念頭に。「女性はくらでも嘘をつける」性暴力被害をめぐり。
差別と人権侵害が票になるとの読みである。極右勢力のアイドルに金バッチをつけさせては絶対にいけない。ライブ前の隙間時間なので要点のみ
100条委員会の結論を巡る議論
兵庫県知事を巡るパワハラ、おねだり問題に関する100条委員会の見解が発表された。まずこの100条委員会なるものの意味を確認しておかなければならない。地方自治法100条に基づき地方議会が議決により設置する調査権を有する特別委員会である。フジテレビやジャニーズ事務所の問題調査の際設置された第3者委員会等とは重みの違う委員会なのである。ここでパワハラは有った可能性が有るとの結論に達した。斎藤知事はそれは一つの見解として受け止めるとしながらも可能性が有ったというなら無かった可能性もある・・・という高校生並みの理屈を言いだした。こんな屁理屈がまかり通るなら法の精神など無用の長物と化す。個別の問題について述べるのは控えるが公益通報者である元県民局長に対する仕打ちには憤りを感ずる。記者会見の場で公用パソコンに保存されていた猥褻な文書に初めて触れこれでもかと誹謗中傷の言葉を浴びせかける行為は常軌を逸している。もしそういう文書が有ったとしてもそれはそれである。公益通報者の情報を公にして良い事にはならない。
兵庫県知事問題は色々な問題が重層的関連している問題である。知事候補であった稲村和美元尼崎市長はどういう市政を行い、当選させてはいけない理由は何だったのか。維新とN国立花孝志を繋げ誰が百条委員会の情報を漏洩したのか。阪神、オリックスの優勝パレードと万博を繋げたのは誰だったのか。兵庫県選出裏金議員西村康稔の利権は何か。メルチュの公職選挙法違反のその後はどうなったのか。古代から堆積した地層のように静かに不純物を熟成していた。それがたまたま地表に出てしまったと言う事かもしれない。我々は忘れやすい動物である。
2025.3.1 松原慎之介Quartet
松原慎之介(as)布施音人(p)高橋 陸(b)中村海斗(ds)
この若者たちの発散するエネルギーに羨ましさを感じてしまう。ウズウズしながら出番を待っているような気合に満ちた雰囲気はそのまま演奏に直結していく。余計なサービスを排し、思いの丈やろうとする意志のみが一灯照らしているといった具合だ。その演奏は殆ど途切れることなく突き進む。このノンストップ・エキスプレスの乗り心地は中々のものだ。場内は発車してから乗客が増え、何時の間にか満席になっていた。さて、この4人を個別には聴いていたので力量は確認済みであった。これがひと纏まりになると、果たしてどんな景色を提供してくれるだろうか。言ってしまえば、相当に熱っぽい景色だ。筆者が注目していたのは、熱っぽさの質が各自異なっているところである。仮に炎が、白色から赤色の幅に納まるとするならば、布施はやや白寄りで松原と海斗は赤寄り、高橋は中間色付近で両脇に対応していると言った感じになる。こういう個々の陣取り位置が、彼らのサウンドを同質一辺倒になるのを食い止め、多彩な展開を可能にしているのだと思う。これがSS席から定点観測した印象である。演奏曲はオリジナルで占められている。彼らにとってオリジナルとは、新時代のジャズを希求しようとする突破口として想定されているのだろう。それらの曲を通じて、高速up downフレーズ然り徐行フレーズ然り、アイディアに溢れるものとなっていた。そこに危な気ないことに従う気配は全くない。これは今やれることを目いっぱいやり切るのみと主張しているに等しい。だがこの主張は波乱を敵に回すこともある。何でも彼らの前向きさは、勢い余って小突き合いの場外乱闘に発展することもあったと聞く。この頑なさ、濁っていないなぁ、ウン。演奏曲は「Black Dawn(海斗)」、「Autumnal Mood(布施)」、「Myo(布施)」、「Little Warm Winter」(海斗)、「Dr. Blythe(海斗)」、「Lapsed Away(布施)」、「Beyond Solstice(布施)」、「High Ace(慎之介)」、アンコールはエリントン「I Got It Bad And That Ain’t Good」。
自称ハンサム・ボーイ のリーダー慎之介は少年時代からレイジーと縁がある。LIVEを聴いて向上心を高めるために度々訪れていたのだ。その傍らシット・インを狙ってもいた。ここの鬼軍曹はそれを容易に受け入れることはなく、筆者もその様子を何度か目撃している。その少年が今や新世代の最前線に立っているのは感慨ひとしおである。今回その最前線を見せつけられ通して気分は上々となった。真剣に喰い入っていたのだろう、終演後は少々ヘトヘトだ。 気合を入れ直さねばいかん。
なお、メンバー各自、またレイジーで演りたがっているようである。ブッキング成立を期す。
(M.Flanagan)
21周年のお知らせ
実は今の時期が開店記念日である。周年記念ライブはどうしたとの声を何人かから頂いた。こちらの都合もあるがミュージシャンのスケジュールの関係で5月に開催することとした。5/13から5/18までにぎにぎしく行う。メンバーは壼阪健登、古木佳祐、本田珠也、池田篤を中心に札幌のメンバー、学生とのセッションも盛り込んである。ご一緒に楽しんでいただけたら幸いである。古希を過ぎてから体調がいまいちであるがこの楽しみを放棄するまで耄碌はしていないのでご安心していただきたい。来ていただけることが何よりの薬である。
ひまわり
まずこの投稿文の筆者岡田真弓さんを紹介しておく。この名前で阪神タイガースを思い出した人は我々の年齢に近いか代の阪神ファンであるはずだ。岡田さんは社会人ボーカリストで時々lazyでも歌ってもらっている。あるライブの打ち上げで話題が映画の話になった。僕も往年の映画マニアである。何か映画に関するエッセイを書いてほしいと依頼したのが半年前のことではなかったか。別に締め切りがある依頼ではないが、2月末くらいには・・・との返答であった。そして今日2月28日原稿が届いた。岡田さんが信頼できる人であることがこんなところからもうかがえる。
以下 文責岡田真弓
映画「ひまわり」は「自転車泥棒」や「ミラノの奇蹟」などの作品を生み出したヴィットリオ・デ・シーカ監督の晩年の名作である。
冒頭のひまわり畑のシーンはあまりにも有名である。地平線まで広がる、一面の、風に揺れるひまわりの花。ひまわりは日に向かって咲く花のイメージだが、映し出されるひまわりの花は下向き加減で、各々揺れている。そこにあの哀愁を帯びたヘンリー・マンシーニのテーマ曲が流れると、ひまわりの明るいイメージはそこには無い。
そして、映画が進行していく中で、その鮮やかな黄色のひまわりが咲く場所が、酷寒の雪原であり、夥しい数の兵士が行き倒れ、死体となって埋まっている場所である事が分かる。
敵兵が追ってくる中、兵士たちがふらふらになりながら生き延びようと雪原を歩いていくシーンはほとんど白黒で描かれるのだが、ロシア兵との戦いの個所だけ、赤い旗がたなびき、そこで戦う兵士や逃げ惑う兵士らを赤い旗越しに描く。それは沢山の血がそこで流されていることを想起させる映像となる。
戦争の最中に出会って結ばれたジョバンナとアントニオ。その幸せも束の間に、アントニオはロシア戦線に駆り出され、行方不明者となって、ジョバンナの下には戻ってこない。
アントニオはこの雪原で死にかけ、地元の娘に助けられ、そして彼女と家庭を持つことに・・・そうとは知らず何年も夫を待ち続けるジョバンナ。ここに戦争がもたらす悲劇が潜む。
この映画は至る所で私の心を締め付けるのであるが、とくにそれを感じるのは、行方不明の夫をやっと捜し当てた場面と最後のアントニオと再会する場面だ。このシーンはジョバンナ役のソフィア・ローレンとアントニオ役のマルチェロ・マストロヤンニの演技が光るが、特にソフィア・ローレンの演技は圧巻だ。ようやく見つけたアントニオの家、その高鳴る気持ちを抑えた演技で滲み出す。だが、そこに妻らしき女と子供、家の中のベッドにある二つの枕を見せつけられ、泣き崩れるジョバンナ・・・絶望と悲しみと嫉妬がない交ぜになった感情を見事に伝える演技だ。アントニオが仕事から帰って来る列車が来て、アントニオの姿を見て、再び絶望と悲しみと嫉妬が沸き上がり、アントニオが下りた列車に飛び乗り去るのである。これは、凄い演出としか言いようがない。また、複雑な感情の襞を演じ分けられるソフィア・ローレンの演技力もすごい。この凄さは、最後の場面でも同じように現れる。
立ち去ったジョバンナを忘れられず、今度はアントニオがイタリアに彼女を捜しに行く・・・ジョバンナが捜し続けていたのとはちょうど逆である。ようやく彼女の居場所を突き止めるが、ジョバンナに頑なに拒まれる。だが、その熱意に押され、再会。アントニオが来る前に、髪を整えイヤリングをする。そのイヤリングは結婚した時に彼がプレゼントしたものだ。ずっと大切に持っていた事がさりげなく分かるシーンだ。切ない。アントニオが来る時、突然激しい雷となる。それは戦争中の砲撃の連想させる音であり、二人はまだ、まるで戦争の最中にいるとでもいいたげに。停電になり、暗闇の中での再会。ジョバンナは暗いけど、私達にはこの方がいいと言う。アントニオは、暗闇の中で語る。これもまた出会った頃の灯火管制を彷彿させる演出。戦争は実にひどいものだ、残酷だと。そして、どうしてこんな事にという・・・アントニオの言葉が重く響く。
ロウソクの灯りに映し出される二人の顔、頭には白いものが交じり、年月が経ったことを感じさせる。一緒に行こうというアントニオの言葉にジョバンナも心が動きかけるが、そこに赤ん坊の泣き声が・・・お互い、もう元には戻れない現実を突き付けられた時、明かりがつく。見事な演出だ。
相手を深く思う気持ちを、二人の抑えた演技と会話で表現し、暗闇の中に浮かび上がらせる手法に見る者は惹きつけられてしまう。
とどめは、子供の名前を「アントニオ」だと聞いて、「「ぼくの名前を?」と聞くところだ。すかさず、否定するように聖アントニオから取ったと言う。女の最後の意地なのか、いや、アントニオに未練を残させないための訣別の一言なのか。アントニオは最後にジョバンナに毛皮を渡す。出征した時に毛皮を持って帰って来ると約束したことを覚えていたのだ・・・ジョバンナは気持ちを抑えきれず、アントニオに抱きつく。
イヤリング、雷、暗闇、赤ん坊の泣き声、毛皮という細やかなカットの中に、絶えず揺れ動く、二人の複雑な感情の襞が描出されている。
ミラノ駅での別れ。列車からジョバンナを見つめるアントニオの顔とそれを見送るジョバンナの顔。深い絶望と悲しみを湛えた二人の顔は、出征する時の列車を見送る愛に溢れた、それとは全く違う。その対比が見事だ。そして、この映画では列車が重要なファクターとなっている。「終着駅」を手掛けたデ・シーカ監督ならではの視点だ。
最後は、またひまわりの花のクローズアップ。そこに映し出されるひまわりは、まるで深い悲しみを背負った人間の顔に見えてくる。そして、そこが、今のウクライナの地である事を知れば、なお一層深い悲しみに襲われる。
戦争は起きているときも、それが終わってもなお悲劇を生み出し続けているのだと思い知らされる。
戦争の殺戮シーンや、残酷な場面は一切ないにもかかわらず、美しい音楽と映像によって、戦争の残酷さを伝えてくる。何度見ても、色褪せず、心を鷲掴みにされる。不朽の名作だ。
master’s comment notice
「ひまわり」の主題曲は中本マリさんの愛唱曲であることは知られているが臼庭潤の愛奏曲でもあったのだ。マリさんが歌ってくれた時亡くなった臼庭のことを思い出しこみあげてくるものがあったことを思い出した。
50年後の写真
おなじ場所の同じ二人の写真である。場所はウッドストック。40万人集まったロックフェスティバル会場である。ジェリーとジュディは知り合ってまだ48時間である。車が故障したジュディをジェリーが拾ってあげたのだ。イベントは3日間で終わったが二人の関係は50年間続いた。二人の子供と5人の孫がいるらしい。ジョーン・バエズやジミヘンを聴きながら愛と平和について語り明かした事を子孫に語り継いでいるはずだ。そんな表情が読み取れる。
付記
僕らの世代はウッドストックに特別な思いがある。若者でも連帯すれば何かができるのではとの蜃気楼にも似た希望を抱かせた。ドキュメント映画が公開になった時バンドメンバーと見に行った。おにぎりもって一日中映画館にいた。3時間以上ある映画であったが一日3公演を全部見た。もう尻の感覚がなかった。
小林二等兵の2・26
初年兵小林二等兵の所属する分隊は深夜に叩き起こされた。今から名前を呼ばれた者は軍服に着替え中庭に集合するようにとの事だ。その中に小林の名前が有った。班長から銃弾を取りに行くようにとの指示が有った。小林二等兵は重機関銃隊の一員であった。小林二等兵は何もわからぬまま警視庁の裏門に配備されそこに重機関銃を据えた。その前日同じ演習がありお巡りさん連中もまた演習かと思っていた。そこに警視庁の屋上を占拠せよとの命令が下り兵隊が庁舎になだれ込んだ。夜が明ける頃第3連隊は鉄道大臣官舎に移動した。雪が降りだし寒い日であったという。下級兵の間では要人の警護に行くらしいとの噂が立っていた。その日はまだ温かい握り飯が支給された。一夜明けると要所に機関銃を設置するよう命令が下り連隊長の野中大尉よりここが貴様たちの死に場所になるかもしれないとの訓示が有った。先方が発砲するまでは絶対に発砲するなとの指示もあった。部隊からの食料補給は途絶え丼1杯の飯を60人で食べたという。空腹に耐えきれず小林は近所の民家を尋ね食料を懇願した。飢えと寒さで士気は著しく低下していた。部隊長は小林二等兵に兵隊を和ませるために落語を語るよう命じた。小林二等兵は落語家柳家小さんの事である。誰一人笑うものはいなかったという。
付記
昨年書いた2・26事件に関する文章がある。貼り付けておくので合わせて読んでいただけると幸いである。
2.26事件首謀者の素顔
2月26日の国会審議の質問者に石破茂が登壇した。話は2.26事件から始まる。この人の前振りはいつも長い。世間では自民党の裏金問題で庶民の怒りはピークに達している。1936年の空気感と共通したものが有る。金解禁の政財政策の失敗、一部特権階級の専制政治、東北地方の飢饉。庶民の心情を慮った皇道派の青年将校が1500名を率いてクーデターを起こした事件である。そこには要人暗殺のテロも含まれる。青年将校の思いとは真逆に昭和天皇は激怒し首謀者は自害、あるいは死刑となった。だが国民にはある種の共感を持って迎えられているのだろう。渋谷にある関係者の慰霊碑には2月26日多くの花がたむけられていた。石破茂がイントロに2.26事件を持ってくると言う事は流石に岸田総理に裏金問題を正す質問をするのだろうと国会中継を聞いていた。ところが裏金どころか裏も「う」も出てこない。「ボリビア」のイントロで甘ったるい「エーゲ海の真珠」のテーマが出てくるような質問ばかりである。石破茂は陸山会事件の時、政治と金の問題で徹底的に小沢一郎に迫った人間である。貴方もただの自民党員なのね・・・と失望した。
首謀者の青年将校の中に安藤輝三大尉と言う人物がいる。結果的に一番多くの部下を率いて最後まで鎮圧軍に抵抗した人物である。安藤を徹底的に調べつくした佐川仁一さんという市井の歴史研究家がいる。この方のインタビュー番組を聞いた。佐川さんは宇都宮高校の同窓会会長であった。安藤もその前身である旧制宇都宮中学の出身である。ところが同窓会名簿に安藤の名前がないことに気づく。そこから佐川さんの調査が始まる。先ず出生地の特定ができない。父親の栄次郎が英語教師で全国を転々としていたことによる。父親の足取りを追うところまで戻る。その執念が実り母校の記念館の倉庫に父親の退職に関する資料を見つけることになる。小学生の時鹿児島にいたことを佐川さんは重要視している。安藤の尊王の意志はここで醸成されたと考えている。安藤は部下を思いやる心が強く自分の給料を恵まれない部下の家族の為に使っていた。投降を呼びかけられた際も部下たちは安藤大尉と生死を共にすると言って聞かなかった。この事件を遡る事3年前、安藤は自分が襲撃することとなる鈴木貫太郎と面会している。両社意気投合したとの文書が残っている。歴史の綾であろう。安藤大尉は鈴木貫太郎にとどめを刺さなかった。刺せなかったのかもしれない。鈴木貫太郎は一命を取り留め戦後首相迄上り詰める。この話に感動したH.ハンコックがカンタロープ・アイランドを作ったという話は眉唾物である。安藤は愛妻家である。処刑される一日前に書いた奥さんへの手紙も残っている。安藤の数々の遺品が残っている。と言うより残したと言ってよい。それは奥さん息子さんが残さなければと考えたからだ。佐川さんは書きものに残した後に遺品を残すことに奔走したそうである。一部は国立図書館、一部は鈴木貫太郎記念に所蔵されている。これも歴史の織り成す技である。安藤大尉は決起の1週間前でも慎重派であった。だが部下が一番多い自分が参加しなければ必ずや失敗するであろうと言う思いで参加を決意する。同志が次々投降する中結果的に最後まで抵抗することになった。よくある話であるがここにも安藤の人柄が現れる。話はダカーポで頭に戻る。同窓会名簿から削除されたのは国賊扱いになったからであろう。佐川さんの尽力で今は名前が復活している。
2.26事件を題材にした映画に「動乱」がある。高倉健と吉永小百合が夫婦役で出演している。ところが高倉健の役柄が思い出せない。調べてみると仮名になっている。佐川さんの話を聞いた後では安藤大尉だろうと確信する。実在の人物として描かれているものも多数いる中で何故か・・・。ここからはシャーロック吉田の推測である。吉永小百合演ずる妻は元々娼婦という設定で高倉健が身請けして救い出すという設定になっている。安藤大尉の親族に配慮し仮名にしたのではと考えている
田中朋子SEXTET 『VEGA』
昨年、田中朋子さんのレコーディング計画が持ち上げっているのを耳にした時、何か安堵のようなものを感じたのを思い出す。この感慨は前作『SAKURARAN』からかなりの年数が経過していたということよりも、残すべきを残しておいて欲しいという思いが繋がったことによるものだ。収録されているのは、全て朋子さんのオリジナルである。取って置きの曲が順番待ちしているだろうから、厳選するのは一苦労だったと想像する。いよいよ本作『VEGA』を聴いてみた。ホットでスリリングな演奏もあるのだが、それですらも、しみじみ感が押し寄せて来た。思い返すと、朋子さんを初めて聴いてから30年を優に超えてしまっている。こういう経過から様々な演奏光景が去来してしまい、感傷を上手く制止できなくなってしまった。くじけずに更に何度か聴き進めていくと、これは彼女のこれまでの楽曲の集大成であるという思いが募ってきた。田中朋子さんの自作スタンダード集と言い換えてもよい。筆者は更地を見て何が建っていたのか思い出せない程度の少量メモリーしか持ち合わせていないが、朋子さんの曲はおいそれと忘れられるものではない。少し個人的な思いに引きずられてしまっている。しかし本文のミッションは、飽くまでリリース記念に寄せたものの筈だ。従って本作について語らなければならない。略説してみよう。先ずは管2人を入れた意欲的なsextet編成であることが注目される。奥野はアルト・フルート・バリトンの3管を駆使していて、菅原のトロンボーンとうねりながら調和していくところは聴き応えがあり、この編成のワイドな展開に十分貢献している。重鎮岡本さんはこの日に懸ける意気込みが並々ならぬようで、時折アウトしてはセーフをもぎ取る執念のプレイを披露している。気鋭の斎藤はベイシストとして抜群のバランス感覚があり、ここでもクオリティーの高さを如何なく発揮していて頼もしい。そして今や要人となっている一哲の臨機応変な対応がサウンドを一段二段底上げしていっているといった具合である。これはライブを収録(@COO)したものなので、会場の雰囲気やメンバーがすぐそこで互角に渡り合っている生々しい様子が伝わってくる。動に静にこの記念すべき一枚には余分な演出など見当たらないない。それは真実に近づこうとする朋子さんの一念の強さによるものに違いない。本作を何と称したらよいか。候補多数のところ独断で「納得盤」としておきたい。朋子さん、まだまだやってよ。
(M・Flanagan)
master’s comment notice
牛さんの紹介文がそろった。試聴可能となるのは3月初旬の予定である。トピック欄でも紹介しているが地方発送も承っている。HPライブ予約欄から申込みいただきたい¥3000
農産物は何故高い その2
前回農協を介した米の流通形態が変化したと書いた。一部事実であるが需給バランスを崩す量ではなく、減反政策による慢性的な米不足が価格高騰の主な理由であるとの説の方が信ぴょう性が有る。ここで訂正しておきたい。
クリストファー・ノーランの映画で「インターステラ」という作品が有る。環境破壊による食糧不足に直面した人類が生活できる惑星を求め宇宙を彷徨うと言う内容である。相対性理論が駆使された時空間が主題で年を取った家族との交信と再会のシーンは胸が熱くなる。この映画アメリカ中西部が砂嵐に襲われるシーンから始まる。退役パイロットである主人公はトウキビ農家を営んでいる。トウキビが劣悪な環境であっても栽培できる食物と言う事である。地平線まで広がる畑をIT管理された無人トラクターが耕作している。ある意味では今のアメリカの農業形態に似ている。その化学肥料をたっぷり吸いこんだコーンが現在日本にコメの消費量と同等の量が輸入されている。それは国産鶏、豚の飼料に使われている。
これはまだ国産肉と言えるのか。屠畜されるときの鶏、豚のOH my GODという嘆きのセリフが聴こえてくる。食の自給を蔑ろにしたときその関連産業も疲弊し取り返しがつかなくなる。食物加工、飼料、肥料、種苗・・・海外製品頼っているならば所謂有事が勃発した場合ミサイルにやられる前に餓死する。
農産物は何故高い
毎日スーパーに行く。一円でも安いところを回るだけの体力と時間はないので近くのスーパーと八百屋だけは特売の日は外さないように通っている。僕が行く時間帯には特売品めがけてダッシュするおばちやんはもういない。大雑把な感覚であるがレタス2.5倍、白菜、キャベツ2.2倍、米1.8倍、ポテトチップは価格は同じものもあるが袋の大きさが明らかに小さい。昨年の夏米不足が騒がれたとき出遅れて米を買いそびれてしまった。サトウの米パックで凌いでいたがそれも店頭から姿を消した。パンは食べた気がしないので餅、うどん、蕎麦のローテーションで凌いでいた。新米が出回れば品薄は解消されると政府の発表があったがそうはならなかった。猛暑による不作、インバウンドによる需要の増加が原因とされた。確かに一要因であるが影響は少ない。政府は備蓄米を放出しなかった。高騰を沈静化できないと踏んだからである。米価高騰の予測をした業者が流通に新規参入し従来の農協を介しての流通形態は壊れつつあったのだ。米の消費量は60年代の約半分で700万トン台である。政府の減反政策とコメ離れキャンペーンによる。アメリカの圧力に屈する形でオレンジやら、牛肉やらを買わされるキャンペーンがあったことを思い出した。農産物の輸入を促すための関税引き下げにより色々な食品の消費量は増えたが主食の王者、米が控えているため思うように進まなかった。そこで文化的伝統と食の安全保障を切り売りする形で減反政策に邁進していった。米からの転作をしても海外からの安い穀物が入ってきて日本の農業は一気に衰えていった。日本の農業は補助金漬けだ・・・という説があるが間違っている。たとえばフランスだ。個別保証制度と買い取り制度で100%政府の資金で運営されている。食は安全保障の一環と考えられており、余れば輸出すればよいのである。農業従事者は高齢化しており技術の伝承さえ難しくなっている。我々はオスプレイとミサイルを食べて生きているわけではない。
HP事情
最初のHPは注文住宅のに似て外観的にも素晴らしいものであったがドメイン料の支払いが遅れて一瞬にして消滅してしまった。電気料金と同じで支払えば再開すると思っていた。あさはかの夜は更け行く・・♫であった。とりあえずライブ情報だけは載せなくてはと現在の外観になった。その後色々なコーナーを増設し九龍城の様な迷宮になってしまったが今回少し整理して多少アクセスがしやすくなったはずである。色々な統計情報が取れるようになったのは前回述べたとおりである。ライブ情報へのアクセス数が一番多いのであるが日々日々60~80件で推移している。月末翌月のライブ情報をアップするのであるがその時がアクセス数が増える。最初東京のミュージシャンのスケジュールだけを載せて反応を見るのであるがその時の予約状況で大体の入りが予測できる。ここでついでに宣伝しておくが3月1日、2日松原慎之介4まだまだ余裕のよっちゃんです。早めのパブロンではなく予約をお願いします。まず問題であるがライブ情報にはそこそこのアクセス数があるが実際足を運んでくれるお客さんは少ない。勿論フリーのお客さんもいるしインバウンドのお客さんもいるが基本的には演者についているお客さんが来てくれる構図である。アクセス回数の多い方には札幌在住ではない方も多数いる。出演者によっては東京、九州からも来てくれる。アクセス数の多いコンテンツは央紹について書いた2件の文章でどちらも100人以上の方が読んでくれている。央紹のリファラーからアクセスしている方もいらっしゃる。実は書いていてこの仕組みが良く分かっていない。いかにもという固いタイトルの政治、社会問題ネタは敬遠される傾向・リーが有るので最新の物は「三匹の子豚」と命名したら出足は良いようである。ライブレポートは1/25のclassic duoが70人を超えた。これで新しいフアンが増えると嬉しい。統計情報が取れるようになってまだ20日ほどであるが1年ほど前に書いた「2・26事件の首謀者の素顔」という文章が50人ほどのアクセスが有る。誰かが拡散してくれたのかもしれない。国会答弁とドキュメント番組と以前に見た映画を絡めた文章で書いておかなければ忘れてしまいそうな内容であった。
3匹の子豚
昨年12月、ジャニーズ性加害問題当事者の会のメンバー田中純弥氏、飯田恭平氏がアメリカネバダ州で調停の手続きをした。アメリカ研修旅行中にも性加害問題が起きたことにもよるが日本での調停が当事者とジャニーズ事務所を継承したスマイルアップ社の間に温度差があることによる。2023年9月2日の会見で東山紀之社長は被害者に寄り添う・・・誠心誠意応対する・・・と言ったセリフを連発していたのを思い出す。東山は当事者の会メンバーとも一度は面会したことが有る。その席で具合的な補償の話になると同席した弁護士がその窓口は被害者救済委員会であることを告げ取り合わなかった。役所で良くあるたらい回しに似ている。その担当うちの課ではないんですよね。2番窓口に行ってください・・・と言う事である。そして2回目の調停の話し合いの直前調停申し立てを取り下げた。アメリカでの調停を申し出た直後の事である。逆に算定した金額以上の債務が存在しない事の確認を求めて被害者を提訴したのである。スマイルアップは誠心誠意と言いながら世間で話題にならないように水面下で事務的にかつ安価で補償問題を取り繕っていたのだが突然本性を表した。加害者が被害者を訴えたのである。窮鼠猫を嚙む・・・ではない。おばあさんの身なりをしていた狼が突然子豚に襲い掛かったのだ。二人はジャーニー喜多川にそしてスマイルアップに深く傷つけられる事になる。
田中朋子NEW CD「VEGA」release!
田中朋子の新作がリリースされた。まだ内容については精査していないが販売部長を仰せつかったのでここにお披露目をするものである。内容についてはライブレポーターの牛さんに試聴コーナーはIT担当バイトK家に近々依頼する。lazyでのレコ発ライブは4月11日に決定している。地方の方にも郵送いたします。HPのライブ予約欄から申込みいただきたい。¥3000
央紹のお別れ会
2月12日。今日は央紹のお別れ会が東京で執り行われている。央紹の最後のレギュラーグループのベーシストである俊也から誘いの連絡があった。事情があって参加できないので札幌から思いを募らせている。先週北大jazz研OBのE良のライブがあった。聴いたことがあるセットリストだなあと思っていた。E良はMCで語りだした。央紹の愛奏曲であったのだ。E良は央紹に傾倒し色々アドバイスをもらっていた。コロナ禍真っ盛りの時期無理くりセッションを開催し打上で3人で感染覚悟でジンギスカンを食べに行きlazyに戻り自粛警察のチクリに怯えながらいも美を飲み続けた思い出話をE良はした。E良も僕もこみあげてくるものがあった。その日演者も含め6人が央紹と共演したことがあるお客さんであった。央紹には鉄壁のレギュラーグループで来てもらうこともあったが僕の企画で東京の若手、札幌のミュージシャン、社会人、学生ともセッションを重ねてもらった。多分述べ共演者は一番多いのではないかと思う。それは音楽性、クオリティ、人柄どれをとっても安心してお願いできるからだ。亡くなったと知ってからひと月以上たっているが心に穴が開いたような感覚に囚われている。僕もそこそこの年なので色々な死にも直面しているが央紹がいなくなって自分がやってきた事、やりたかった事が炙り出しの様に浮き上がってきた。ライブバーという職業はミュージシャン呼んでお客さん呼んで酒飲ませて楽しんでもらってお金を頂きその一部をピンハネし演者に支払い、またミュージシャン呼んで・・・・という無限に続く資本の増殖の循環コードと規定される。だが僕はこの場を演者とお客さんと店の者のとの共有地と思って続けている。資本効率は極めて悪い。央紹はそんなことも知ったうえで僕の申し出を全部受けてくれていたのだと思う。一回の例外を除き・・・・。今年の周年記念の打ち合わせをしていた。20周年の様に壺阪、楠井、珠也で2日間やりたいと伝えた。央紹はこのメンバーでは1日でも吹き切る体力的自信がありません・・・と連絡があった。その四日後央紹は亡くなった。
日米関係の行方
石破総理が首脳会談を終えて帰国した。国会会期中の厳しい日程の中での強行軍である。イントロで曲の雰囲気が予想できるようにこの日程の意味合いが想像できる。「私貴方についていきます」と言う事である。以前石破総理は日米地位協定にも言及していた。ところが刀を完全に収めてしまった。国内での支持基盤が脆弱なので米国に後押ししてもらう安倍、岸田のコピーバンドになってしまった。どうせ人気のない内閣である。ここで米国追随の外交方針を転換させ名を遺すチャンスでもあったのである。会談は和やかな雰囲気で進んだと大手メディアは報じている。石破総理はトランプ大統領に歯が浮くような御世辞を連発している。それに対しトランプは安倍元総理の名前を出すなど石破総理とは距離を感じさせる言動が目立った。と言うより完全に見下している。お土産は金の兜であった。選挙に勝利して慢心しているトランプに「勝って兜の緒を締めよ」というメッセージが込められているとしたら面白いのであるがそこまでのユーモアセンスは無いと思う。兜の下には151兆円の米国への直接投資という本当のお土産が隠されていた。貿易赤字の解消ためアメリカ製品をもっと買え・・・という。改善されなければ関税を上げるのかという質問にはっきりと「yes」と答える。それに対し日本も対抗し関税を上げるのかのか・・・との質問に石破総理は「仮定の質問にはお答えできない・・・というのが国会での答弁だ」と答え笑を誘ったが国会を軽視してる。今回は軍事費増強依頼の直接的な話は出てこなかったが安心はできない。NATO諸国にはGDP5%迄拠出の要求を出し始めている。軍事費は目に見えるミサイルや戦闘機だけではない。宇宙で敵基地監視衛星軍保有で日米一体化が進んでいるのだ。
日米首脳会議のお土産
今日2月6日石破総理は首脳会談の為米国に旅立った。トランプ大統領は議会の承認のいらない大統領令に嬉々としてサインをし終わった。議会を襲撃した犯罪人を恩赦し返す刀でグーグルを屈服させグーグルマップのメキシコ湾をアメリカ湾に変更させた。メキシコとカナダには25%の関税をかけると脅し他の政策でポイントを稼ごうとしている。中国にも10%の追加関税をかけるとした。どれも爆弾発言であるが原爆級の発言があった。ガザ地区をアメリカ所有とし再開発をすると言うのである。パレスチナ人は隣国に移住を迫られる。何の権利があってそういう発言ができるのか全く理解できない。例えば日本に「日本はアメリカ所有とし沖縄にミサイルを配備する」と言ったら日本国民はどう思うだろうか。・・・・あれ待てよ。もうなっている。そういえば日本にはまだ何も注文をつけてこない。怪しい。そこに石破総理が先手を打って乗り込む。お土産は何であるのか・・・。安倍総理は武器の爆買いを約束し軍事費をGDP2%まで増大させた。軍事費に国債を当てることは戦時中に財政危機を招いたことから禁じられている。だが自民党政権は潜水艦艦船の建造に「建設国債」を当てていることが赤旗のスクープで分かった。2025年予算案を含めると2兆円を超える。これがお土産であるのか・・・。トランプは犬好きではないのでプーチンの様に秋田犬ではすまないワン。
選挙アイドル
千代田区長選に佐藤かおりなる人物が立候補し市民派の浜田かおりを抑え次点となった。
佐藤かおりは「政治家女子48党」を経てN国にも所属し2023年千代田区長選に出場するも惨敗した。この頃からyou tubeを初め2024年の衆院選では無所属で出馬し善戦を見せた。その動画再生回数は100万回を超える。今回の区長選でも聴衆はそう多くはないが熱い声援を送るものも多くいた。皆佐藤かおりの支援者と言うよりはフアンと言ったほうが良い。千代田区民は殆どおらず全国から集まってきている。会計知識を持っておりその政策も突拍子もないものではない。千代田区を経済特区に・・・と言った減税策を柱にしており何時からかかけた眼鏡をアピールし「減税眼鏡」と呼ばれている。主張も師匠の立花孝志のように誹謗中傷するのではなく減税をアピールすると虐められるといった自分をか弱い被害者に仕立てる陰謀論のドレスを纏っており禿親父には絶大の人気を誇っている。演説後の握手もAKB48の握手会のように流れ作業的なものではなく見つめ合い1分近く励まし合うのだ。人気者なので個人的なSPがついておりその人物は斎藤元彦兵庫県知事のSPと同一人物である。地下水脈で繋がっているのかもしれない。立花孝志のように当選するために立候補しているのではないと露骨には発言しないが格安な宣伝媒体として選挙を利用している。次回の都議会選にも出馬するはずである。そしてその後の参院選にも・・・・その頃には絶大な知名度を背景に当選する可能性が有ると分析するジャーナリストがいる。SNSは情報の無法地帯である。我々自身が見極める知識を身に着けることが身を守る方法でもある。禿親父達よ・・・握手よりアクションを。
HPの手直し
ホームページに色々な不都合が出てきているのでそれを直しつつ新しい項目や機能を追加している。自分でも努力をしてみるのだがジュラ紀生まれの能力には限界がある。IT担当アルバイトKに業務委託をするのである。作業を肩越しに見ているだけでも作業手順がうっすらと分かりビル・ゲイツに一歩近づいたと感ずるのである。表示されなかった目次を整理しアクセスできるコンテンツの数を増やした。音源を聴けるようにもした。これでライブレポート、ライブスケジュールに音付きで紹介できるようになった。統計情報も分かるようになった。どれくらいの人がHPにアクセスしてくれているかは気になるところが其れとは別にコロナ禍の辛い時や米木康志への応援カンパを募った時知らない方からの振り込みが有った。ブログを読んでくれている方だ。他のSNSではライブ情報は発信していないのでライブスケジュールが命綱になっている。統計情報が取れるようになって約1週間である。ライブスケジュールへのアクセス数は日々約80件である。その半数がついでにブログやらライブレポートなどのコンテンツを読んでいてくれているようだ。人気コンテンツも判るようになった。中居正広関係物が上位を占めている。最近載せた物が上位に来ると言った至極当然の結果で芸能ネタが人気と言う事ではないと思う。よくアクセスしてくれる方の地域情報は興味深い。一位は上士幌町の方だ。僕もそうだが通信機器に位置情報を登録していない方も多いのだがベスト10に札幌の方が4人、東京の方が2人入っている。国別アクセス数というのもある。世界戦略が必要な業種ではないが一応見ておく。間違ってアクセスしたのかもしれないが3%位のアクセス数が有る。カナダが2人。1人はバンクーバー在住になっているので間違いなくマークである。Hi! Mark thanks for browsing HP .アメリカ2人、ドイツ1人・・バウアーさんかな・・・。韓国1人、アラブ首長国連邦1人。最近中国人のお客さんも多いがここには入っていない。HPにアクセスしただけでこれくらいの事は分かってしまう。マイナンバー保険証の恐ろしさを再認識した。全然関係のない結びになってしまった。
2025.1.25 Classic Duo 按田佳央理(flu.)亀岡三典(g)
既にその才気実証済みの按田(通り名:あんちゃん)と、その名も演奏も初めての亀岡とのデュオ。クラッシック・ギターを生で聴くのは2度目である。一度目はキタラホールの後方席だったので、至近距離というのは心をくすぐる。至ってシンプルな動機で足を運んだ。
さてさて、レイジーは徹底して真摯にジャズ・ライブを発信するアジトだと思ってきた。従って、ここんところのクラッシック・プロジェクトは、幾ぶん気まぐれかなと勘ぐっていたのだ。ところが数度聴いた成り行きで、何やら本気度が見え隠れし始めたのである。想像でしかないが、ジャズに対する仮借のない視線が、この乱心の中心部にあると思うのだ。改めてジャズを考える切っ掛けとして仕組んでいるのではないかと言い換えてもよい。それはそうと個人的にクラッシックを全く聴かなかった訳ではないが、ひいき目に見てもそれは貧弱なものと認めておかねばならない。その程度の筆者ではあるが、クラシカル音楽のライブを目の当たりにすると、興味深いこともある。演奏家が曲の生まれた背景に注意を怠らない姿勢が明快に確かめられるのもその一つである。今回も二人のMCのやり取りからそれを窺うことができる。一概には言えないが、コード進行をもとに各自の調和意識任せ?のジャズ演奏は本質的に出たとこ勝負の性格があるので、いつも成功と失敗が枕を並べているように思う。両者の違いを優劣を超えた違いとして認めておけばよいのだと思う。クラッシックを聴いている時はそこに浸っているのだが、聴き終わるとジャズの浸り方との違いを 考えたりする。それでニンマリしているのが筆者の聴き方だ。これでは正統派のリスナー仲間には入れて貰えそうにないが、邪道 of my smileで支障なしだ。これ以上音楽の聴き方について四の五の言うことはよそう。
ライブの進行概要は、プッチーニの楽曲に始まり、「タイスの瞑想曲」、「ブラジル風バッハ」など本格もので聴く側をピン止めして序盤を制したあと、たちまち一路南米はブラジルに直行する。ボサノバやスイング感のあるショーロのビートが決め所を作っていく。やがてアルゼンチンのピアソラに移動してひと盛りあがり。何でもピアソラは、ダンスの伴奏サウンドだったタンゴを自立した音楽として確立しようとする野心を持っていたそだ。ふむ、勉強になるな。全編を通すと、純シリアスなものもあれば、少し娯楽性を混ぜ込んだものまで十分練って来たという感じだ。アンコールはベートベンの「悲愴」だ。これは二人のプライドなのかファン・サービスなのか判然としないが、演奏会の着地に相応しく一糸乱れぬ終了間際の追加点といったところだ。
その昔、ラジオの深夜放送で”カメ&アンコー”なる人気パーソナリティーDuoがいた。”亀&按”これは使えるなと思ったが、それでは演奏に向き合う真剣みが足りなく反省しきりだ。この日ライブに来る前のそわそわ時間に、クラッシック・ギターの物悲しい音色が聴きどころの映画ディア・ハンターに使われた「カヴァティーナ 」が演奏されるのを予感していた。だが見事に外れた。その代わりゴースト・ニューヨークの幻、「あんちゃんド・メロディー」をタップリ聴けたことで良しとしようかな。
(M・Flanagan)
フジテレビ記者会見の印象
第一次情報で判断しなくてはと思い記者会見を聞いていた。3時間くらい経った位で寝落ちしてしまった。目が覚めた時まだ続いていた。結局10時間半続いた。皮肉なことにフジテレビは13%の高視聴率を叩き出した。とにかく長い。気になる質問の部分を切り取りで聞いてみたが段々焦点がボケてくる。ここで問題にすべき事は①性加害問題が起きた事にフジテレビ職員プロデューサーAは関与していなかったのか。②事件が起きた際アナウンサーAから相談を受けたにも拘らず揉み消し中居の番組を存続させたのは何故か。③女子アナ接待文化を定着させたと言われるフジサンケイグループ相談役日枝氏が会見に出席していない理由。等である。個別の問題を検証するのは別の機会に譲る事にするが何か違和感を感じる記者会見なのである。質問の一番手、二番手に指名された記者は二人とも元朝日新聞記者で現在はフリーのジャーナリストで舌鋒が鋭い人で知られている。僕が声だけでも分かる人物なので司会者が顔を知らないはずがない。500人ほどいる記者中でこの指名はたまたまだとは思えない。場面が紛糾することを考慮の上での指名と考えると納得できる。途中あまり重要でない質問をし自分の意見を長々と開陳する記者がいる。カラオケスナックでマイクを離さず下手な歌を歌い続ける親父に似ている。そんな場面をずっと見続けると同じ答えを繰り返すひな壇上の重役たちにも同情が若干集まる。フジテレビ側も記者側もどっちもどっちだなあ・・・・それにしても長いなあ…と言う事になる。大波をかわす危機管理の方法と聞く。そうするとフジテレビが守りたいものは何かと言う事が浮かび上がってくる。日枝氏、及び日枝氏が確立した体制そのものである。この場に及んで労働組合員数が急増している。テレビ局職員は労働者意識は極めて低い。それが会社の危機に直面し住宅ローンの心配をしはじめてと言う事であろう。労働組合を弱体化させたのも初期の日枝氏の功績である。フジテレビが残したいものはいわば国体の維持である。先の戦争で敗戦が濃厚となった時軍上層部が固執したのは国体の維持であった事と相似形である。
震災の記憶
1月17日で阪神淡路大震災から30年目を迎えた。この頃の事は全く個人的なことで記憶が鮮明である。まだ会社員であった。震災の2日前季節外れの人事異動で東京経理財務本部に転勤を命じられた。寝耳に水の話である。その頃ある不正にかかわる事案を内密に調べていた。この人事異動はそれ以上深入りするな・・・というメッセージに思えた。会社員たるものどこに飛ばされようが覚悟はできているが余りに・ロドリゲスな異動であったので辞表を提出した。だが上司預かりにされ2,3日休んでよく考えるように諭された。その頃は会社には内緒でGroovyには関わっていた。そこに御用組合の幹部が僕の動向を探りに来ていた。会社にはばれていることが分かった。自宅には色々な関係者から「辞めるのは何時でもできる」とか「店次長の顔を立てろ」とか電話が鳴りやまなかった。そんな中神戸の変わり果てた街並みをぼんやり眺めていた。廃墟の中で燻り続ける煙、ひしゃげた高速道路、そこから宙づりになっている車、グループの稼ぎ頭である神戸店の映像も映し出された。壁がはげ落ちている。その頃会社は経営が悪化しており神戸店の損害はそれに拍車をかけることになるのだろうなと考えていた。実際その時の人事異動は再建策と言おうか撤収策を策定する部門が人手不足と言う事での方策であった。結局周りに逆らえず何日か後東京に旅立つこととなった。被災地では6千余人も方が亡くなられているのに落ち着くまで赴任は延期されるのでは考える利己的な自分を想い出すのである。長いイントロになった。あの震災が契機となりボランティア活動の在り方が問われだし政府の復興支援の在り方も顕在化していった。避難所のダンボールの仕切りで雑魚寝は最早風物詩となっており何ら改善されていない。能登半島地震から早一年、避難所の雑魚寝状況は30年たっても全く同じ光景である。一部の観光地は復興をアピールしているが一歩田舎に入れば水道さえ復旧しておらず潰れた家屋は放置されたままである。政府の考え方が見えてくる。田舎に行政サービスを提供するのは無理です。コスパが悪いです。・・皆さん都会に移り住んでください。国家は会社か。何処かのアホ総理が「美しい日本」とか言っていたがどこが美しい。地震に関しては全国民が明日は我が身である。
中居正広とトランプ
中居正広のスキャンダルに関わっているうちに世の中大きく変わりつつある。阪神淡路大震災から30年を迎えトランプが大統領に就任し通常国会が始まり日銀は政策金利を0.5%に引き上げるとした。通常国会が始まった1月24日大手新聞の一面は中居正広芸能界引退の記事であった。これは流石にまずい。中居正広のフアンクラブ会報なら問題はないが大手新聞が劣化している証拠でもある。
井上陽水「傘がない」
都会では自殺する人が増えている。・・・・だけど問題は今日の雨、傘がない
僕は中居正広個人のスキャンダルには興味はないが隠されている部分に興味が有るので追っかけていた。だが国会初日は石破総理の所信表明演説が有るので面白くはないが聞いていた。自分の生活に関係が有るからだ。キャベツが高いのもインバウンドで一部の業界が儲かるのも給料が上がらないのもここでこっそり決められている政策に関係しているからだ。この日の政策金利利上げもトランプが出すであろう経済政策に先手を打つ形で発表されている。トランプの就任式は華やかであった。今まで爺臭いバイデンを見て来ていたから余計元気さが目立つ。トランプもに二期目である。野に下っている時安倍総理と同様権力の掌握の仕方を学んできている。侮ってはいけない。米マスコミの対応も以前とは明らかに違う。就任式のひな壇にはイーロン・マスク他IT企業の大金持ちが肩を並べている。トランプの閣僚に採用する大事な基準は「忠誠心」だと宣言している。最早民主主義と呼べるものではない。日本で言えば豊臣秀吉、織田信長の世界である。
「殿、中国からの輸入が増えていますが如何様に計らいまいょうか」
「関税を上げい」
「はは。仰せの通りに」
関税を上げると国内の物価が上がる。それを輸入する日本の物価も上がる。可処分所得が減る。ライブハウスに行く回数が減る。マスターの機嫌が悪くなる。演奏後の酒の振る舞いが渋くなる。風が吹けば桶屋が儲かるという落語は庶民の循環コードの理解の仕方である。ミュージシャンはビートでもコードでも「大きく捉えよ」という話はよくする。だが世の中の事を大きくとらえることはしない人間が多すぎる。
スピン・ドクター
スピンドクターという用語が有る。政党や候補者の世評を変えるためのスポークスマンを意味し問題の本質をずらす言動にも使われる。フジテレビの港浩一社長の記者会見もどきは最悪であった。内容については「・・・点と線その4」と重複するので省略するが会見後大手スポンサーが撤退し始め当初は中居が出演している番組だけであったがそのドミノ現象はフジテレビそのものに波及し22日現在70社以上に及ぶ。株価も1000円以上下げており大手株主の投資ファンドが怒りを露わにしている。心あるフジテレビの社員も肩身の狭い思いをしている。さもありなんと素人でも思う。だがここに疑問を呈するジャーナリストもいる。フリージャーナリストの神保哲夫氏である。神保氏は日本初の独立系メディアを立ち上げた人であり小池百合子の学歴詐称問題の告発やジャニーズ岡本カウアンさんの記者会見を海外メディア向けに開催した人物で信用に足る人物と考えている。神保氏曰く。フジテレビの企業理念が地の落ちている可能性もあるが曲がりなりにも報道機関ももつメディアがこういう状況を引き起こすであろう糞会見をするのであろうか。港浩一社長はスピンドクターでフジテレビにはここまで深手を負ってでも守りたいものがあるはずである。それは何かを考えると見え方が少し違う。性加害を受けた女子アナXは最初から切り捨てる予定であった。Xから相談を受けたアナウサー部長は最初から実名で制作トップのA氏には伝えていないとし蜥蜴の尻尾きりは自分の所までと頑張った。A氏は飛び越し社長が出てきた。おおとりの北島三郎を装っているが「とり」が最後の「砦」にはならない。親会社のフジメディアホールディングスの役員は兼任している港氏以外誰も出てきてはいない。
中居正広スキャンダルの点と線 その4
中居正広スキャンダルに関し何も説明しないフジテレビに業を煮やした大手株主の投資ファンドが第三者委員会の設置を強く要望した。それに渋々呼応する形で記者会見を行った。それがとんだ食わせ物であった。フリージャーナリストは完全に排除され質問できる会社も限られていた。テレビ会社の会見なのに動画配信は禁じられ音声もない。冴えない表情の社長の港浩一の静止画像が何度も映し出された。ずらっと並んだ取締役の背景には巨大な富士山の画がある。最早朝鮮国営放送である。中居正広を使い続けた経緯も制作のトップであるA氏の関与の有無も全く説明されなかった。我々が知りたいのは中居と女子アナがどうなったかではない。この記者会見もどきの後余りの酷さに日本生命を初め大手の会社がスポンサーから手を引き始めた。フジテレビは自分の息のかかった弁護士を中心とする第三者委員会を設置しようと画策中であるが論外である。通常国会が始まる。安倍政権時代偏った政治報道をした場合停波もあり得ると高市総務大臣は発言した。国民の周波数を格安に使っている放送局である。体質改善されない限り停波を視野に国会で審議してもらいたい
付記
世の中色々な問題が起きている。この事件が世間をひっくり返す内容ではないが曲の途中で止めるのは信義に悖るので暫く追っかけようとは思う。ただアルゴリズムの関係でネットで女子アナと検索していると現地中継で強風にスカートめくられた女子アナの動画がお勧めで出てくる。僕の趣味ではありません。たぶん・・・・
Johnny・Hodges & Wild Bill Davis『Joe’s Blues』
名盤・迷盤・想い出盤
もう20数年前のことになるのだが、Lazyの前身Groovyで確か「Back To Back」がかかった時に、マスターと『ホッジス、いいですねぇ』と言葉を交わしたことを思い出したのである。ジョニー・ホッジスは、エリントン楽団の花形プレイヤーとして高名であるとともに、ビッグ・バンド以外の仕事も程よく残している。だが知名度の割りに殆んど巷のJazz談義に出てこない。これは例えば、新譜情報を提供するという重要な役割を担ってきた音楽ジャーナリズムが、その一方で手っ取り早く読者の気を引きそうな特集を常態化するという持病を手当しなかったことと無縁では無いように思われる。しかしジャーナリズムの定番路線がマンネリを来していたとしても、一定の支持を得ていたとすれば、ホッジスにとっては風向きはよくない。そうではあっても、細々と「コーヒー1杯のジャズ」に身を寄せてきたファン達は、おそらく”自分だけ名盤”を持っていて、それが筆者にとってホッジスものだったりする。彼を聴いていると、何の身構えなしに「これがジャズだよなぁ」と呟いてしまうような世界に導かれる。
どれにするか迷った挙句の本選定盤についてはどうであろうか。ここにはスイング感や歌心が溢れていて、とり分け彼の艶やかな音色とブルース・フィーリングには思わず引き込まれる。そこにビル・デイビス(org)やグラント・グリーン(g)らが、ジワジワとグルーブを上塗りしていく。特別着飾ることはしていないのだが、彼らの普段着はたちまちアーシーで上等な見映えに化けてしまう。時代に惑わされないジャズの原風景を眺めている気分だ。この原風景を決して古臭い眺めと言ってはならないのだ。ホッジスは新時代に打って出る野心家の作品群の中に埋もれてしまい兼ねないと思われがちだろう。仮にそうだとしても、彼が容易には手に入れられないジャズの光源を堅持した偉人であることを疑うことはできない。
ひとつマイナーな蛇足を付け加える。昨年、頭の中が音楽バラエティー状態の柳沼(ds)と話していたとき、「どんな人が好きですか」と問われ、「ホッジスなんかがいいねぇ」と応じてしまったことも本盤を採り上げた動機になっている。
(JAZZ放談員)
立花孝志と斎藤元彦の犬笛
竹内英明元兵庫県議が亡くなった。自殺のようである。この方は斎藤元彦兵庫知事の告発文書問題を追及する100条委員会の主力メンバーであった。ネット上の誹謗中傷がすさまじく家族にも危険が及ぶとの理由で知事選が終わった翌日退職した。その投稿者はアカウントから立花孝志と斎藤元彦の信奉者であることが分かっている。立花は竹内氏が亡くなった後も「逮捕されるのが怖くて自ら命を絶った」などと全くのデマを拡散し続けた。流石に見かねた村井紀之県警本部長が取り調べの事実もそう言った方針も全くないとの記者会見を行った。慌てた立花は「間違いでした。訂正してお詫びします」と謝罪をした振りをした。先の神戸知事選時の県民局長不倫問題のデマと同じ構図である。立花は選挙時の公職選挙法違反疑惑で事情聴衆を受けた身である。神戸県警の動きが早ければ防げた事件であったかもしれない。斎藤知事は元部下の死を受けて弔意を表したがいつもの能面のような表情で全く心が籠っていない。斎藤知事はこれまでも記者から誹謗中傷はやめてくださいと何故言わないのかと何度も詰め寄られたが第三者委員会の調査を待って・・・とはぐらかし続けた。その事実が信者に犬笛を吹く行為と言われる所以である。その第三者委員会も昨年の5月から設立される様子はない。斎藤知事も公職選挙法違反の疑いで兵庫県警と神戸地検に告発状が提出され受理されているのである。司法の動きも遅きに失している。既に3人の自殺者が出ている案件なのである。
中居正広スキャンダルの点と線 その3
中居正広の性加害疑惑問題は中居個人の問題だけではなくフジテレビの会社ぐるみの問題に発展しそうな様相を呈してきた。もう忘れかけているが松本人志性加害問題があった。場所は六本木のハイアットリージェンシーホテルである。そこには松本の他に3人の男性がいた。会が始まった直後一人の芸能人が女性と姿を消したとの表現があった。問題は松本であるのでその芸能人は問題にされなかった。その人物が中居正広であることが判明した。中居から実害を受けた元フジテレビ職員Xさん以外の告発も発表された。中居の接待の為の飲み会、その場所が同じホテル、ハイアットリージェンシーであって会場のスイートルームに行くとフジテレビのADが飲み物食べ物の準備をしていたと言う事だ。ここの1泊30万の宿泊費は誰が払ったのか・・・・。松本人志と中居正広の事件が同じ構図に見えてきている。二人は仲も良くフジテレビで二枚看板の番組にも出演していた。松本が裁判を取り下げた経緯には新たに燻りだした中居正広の名前が表沙汰にならない配慮がされたとの解説が有る。吉本興業とジャニーズ事務所がフジテレビの地下水脈で繋がっている。
続く
中居正広スキャンダルの点と線 その2
各有名大学には「ミスコン」なるイベントが有った。東大教官が実行委員の学生にこんなイベント必要かと問いただした。「アナウンサーの登竜門になっているのでなくせないのです」というのが答えであった。中井が被害者に払った和解金は9000万である。破格の金額である。因みに維新の岸和田市長の支払った金額は500万である。いったい中井は被害者に何をして何を口止めしているのかと妄想が頭を擡げてくるのである。中井はそれに答えることなく一通の詫状を発表した。それが又顰蹙をかっている。問題個所は二か所ある。「和解が成立しているので芸能活動を続けていくのに何ら支障がない」と完全に居直っている。もう一か所はフジテレビの関与を暗に否定する内容になっている点である。これはフジテレビが発表した声明文に呼応している。中井とフジテレビで守るべき最終ラインを決めたと言う事である。これを機にだんまりを決めていた各放送局が報道をしはじめた。自分の家に飛び火しないようにとの護送船団方式による「やってますよ」感を演出している。前回も書いたがテレビ局による女子アナによるスポンサー接待は常態化している。より良いスポンサーを見つけることが収益の根幹をなしているからだ。正月番組で爆笑問題の太田がフジテレビを糾弾する様な発言をし一部では賞賛を博している。だがこの行為は結果的に笑いによってフジテレビの責任を曖昧にすることになっている。太田はもちろんそこまで計算しての行動であり悪ガキが好きな女の子のスカートめくって気を引くのと同質である。太田はトークショウで安倍総理に迫る映像を何回も見たことが有る。これも太田の芸風であって桜を見る会にちゃっかり参加しているのを忘れてはいけない。
続く
中居正広スキャンダルの点と線 その1
中居正広がフジテレビ女子アナと性加害問題を起こし和解金9千万円支払ったとの一報を聴いた時の感想は「あ~あ」である。誤解されることを承知で言うが僕は「女子アナ」に偏見が有る。この女子アナブームを作ったのはNHKである。永六輔が「テレビファソラシド」というバラエティ番組で女性アナウンサーをアシスタントに据えアナウンサー業で有能だけではなく個性的であるという面をひっぱりだそうとした事に端を発する。この当時のNHKのアナウンサーは皆有能であった。ここにフジテレビが目を付けた。NHKの人気者の頼近美津子アナを引き抜いた。彼女は鹿内オーナーに見染められ結婚してしまう。シンデレラストーリーまっしぐらである。男と女の恋の行方にいちゃもんをつける気はないがその後のフジテレビは美人女子大生をアナウンサーとして採用し続けている。一部の女子アナ好きの偏屈親父の為でもあるがスポンサー企業の客寄せパンダの任を負わされての採用である。フジテレビはそういう会社である。採用試験を受けに来る美人女子大生は原稿をすらすら読めなくともそういう事実は知っての上で受けに来ていると思っている。
続く
こども食堂の功罪
石破総理がインドネシアを訪れた際に給食無償化の援助をすると約束した。一流国になるための投資だと謳っている。二重の意味で笑い種である。かろうじてG7の末席を汚すD♭7の様な存在でGDPが世界二位の地位を占めていた時代の勢いなどないにも関わらず外交舞台では大物感をひけらかす。国の在り方がそんな程であるので下々の者にもその病理が伝播し吉本興業やジャニーズ事務所のアホ馬鹿芸人が天下を取ったとの錯覚で性加害事件を引き起こしている。日本全国には1万か所以上の子ども食堂が有る。有志で運営されている。主に貧困が原因で満足に食事を取れない子供たちが大勢いるのである。それは親の自己責任ではない。そういう産業構造に仕向けた政府の責任である。他国の給食無償化に手を貸すより自国の給食無償化を実現するのが喫緊の課題と考える。こういう話をすると必ず財源が無いという議論になる。だが防衛費の増額の時はそういう議論はすっ飛ばされる。イージスアシュアを載せるたらい船の様な空母と未亡人作製機と異名を取るオスプレイ何機かで給食費くらい充当できるはずである。さらに言えば裏金の原資となった政党助成金、内閣官房機密費だって上手く化粧をしているが元は税金であることを忘れてはいけない。正月子ども食堂を賞賛しその存在を知らしめる広告機構のコマーシャルが頻繁に流れた。それによって提供できる数より多くの人間が訪れた所も有ったと聞く。本末転倒である。「胸いっぱいの愛」より前に「腹いっぱいの飯」である。
付記
Jazz界にも大人の為の子ども食堂を運営していた人物がいる。ニカ男爵夫人である。だがバードだけはその恩恵に浴さなかった。違う人物が面倒見ていたことはあまり知られていない。その人物はJ.
ブラウンバンドにも在籍していた「飯を・パーカー」である。
トランプとイーロン・マスクにご用心
トランプとイーロン・マスクがやりたい放題である。トランプはメキシコ湾をアメリカ湾に改名を・・・と主張しパナマ運河は金出したのだから頂戴とおねだりしデンマークにはグリーンランドを売れと脅しをかけた。断られると関税を引き上げると予告した。カナダを米国の51番目の州に・・・と侮辱した。トルドー首相が「そんなことにはならない」と反論するとイーロン・マスクが「ガール、あんたはもうカナダの知事ではないし何を言っても意味がない」と一国の総理を侮辱した。ドイツの首相ショルツも替えろと主権侵害の発言をし極右政党ワイデル党首に急接近している。旧ツイッターもオーナーの思想に近いものが選ばれるアルゴリズムが働きファクトチェックが機能しない無法地帯になりつつある。イーロン・マスクは将来の大統領候補でもある。莫大な資産をバックにSNS上の世論を操作することもできる。日本政府はこの二人とどう付き合っていくつもりなのか。展望を聞かせてほしい
ソウルの春
つい最近韓国で戒厳令が発令されたがクーデターは失敗し民主主義はかろうじて守られた。同じ構図の事件が1979年12月12日に発生した。朴正煕大統領の暗殺に端を発した軍事クーデターである。その反乱軍と鎮圧軍の9時間の攻防を描いた映画である。軍部の熾烈な権力闘争を描いている点では終戦の日を題材にした岡本喜八監督の「日本で一番長い日」と同様の匂いを感じた。タイトルとは裏腹にこの事件の後に訪れる全斗煥、盧泰愚による軍事独裁の長い冬の前奏曲となっている。全編緊張感が張り詰めたまま進行する。史実として結末は知っているのだが「そいつに騙されるな」と叫びたくなる瞬間が多々ある。こんな陰鬱な映画誰が見るのかと他人事ながら心配していたが韓国人の4人にⅠ人が見る大ヒット作となった。その国民意識が今回のクーデターの際立ち上がった市民を押し上げていると感じた。全斗煥を演じたフアン・ジョンミンの迫力が凄い。国民は強いものを支持したがる。現在のポピュリズムにも繋がる危ない傾向である。映画にいちいち教訓を求める必要はないが軍部に権力を与えては絶対ダメである。軍隊は最終的に国民は守らない。沖縄戦を思い出せばわかる。日本でも色々な有事が囁かれ軍事費増大の根拠にされている。餌によっては可愛い子犬が凶暴なハイエナに変質する事もある。
追悼 鈴木央紹その2
央紹は僕の提案する企画はすべて快く受けてくれた。それは社会人や学生とのセッションだったりした。その試みが結実していくのを感じた時があった。今回そんな思いに駆られるメールをもらったのでここに紹介し央紹の追悼に替えたい。
以下 原文まま
マスター、ご無沙汰しています。
明けましておめでとうございますという暇もなく、悲しい知らせでした。
央紹さんのことはレイジーバードで知って、何度も演奏を聴くことができました。また、卒業ライブでご一緒させて頂いたことは大切な思い出になっています。そのことのお礼も改めて言いたくてメールしました。
あの卒業ライブのあと央紹さんからリードを厚くしてマウスピースを深く咥えるようにアドバイス頂いて、実践したところ自分の音が太くなり、人からも褒めて貰えるようになり、そのことをとても感謝しています。自分の演奏が大きく変わったターニングポイントでした。
央紹さんは、一見寡黙で怖そうだったんですが、お話するととても温かい人でした。札幌を離れたあとも顔を覚えていて下さって、吹いてるか?と気にかけてくれました。
央紹さんはいつ聴いても高いレベルを維持されていましたが、僕にとって一番は2022年9月3日の松島さん、加藤さん、三嶋さん、柳沼さんとのクインテットでした。Have you met 〜でのソロは凄すぎて会場で笑いが起きていたのを良く覚えています。凄い演奏を聴くと人は笑うんですね。20周年ライブが最後となったこと、聴きに行けなかったのが悔やまれます。
取り留めもない内容でしたが、央紹さんのことを誰かに話したくて、やはりマスターだと思ってメールしました。出会いの場をありがとうございます。
マスターはお付き合いも長く濃く、さぞかし気落ちされている事とお察しします。ご自愛ください。レイジーに伺った際は思い出話ができるといいですね。
H.D
追悼 鈴木央紹
央紹が亡くなった。年末に今度来てもらう相談をしていたので松島から訃報の電話をもらったときには頭の中が真っ白になった。お互いに「きついね」と言ったきり次の言葉が出てこなかった。最後に演奏を聴けたのはlazy20周年記念の時だった。壮絶な演奏であった。その後も1,2日ならいけるけどどうしましょうかと相談されたこともあった。健康状態の事は詳しく聞いていたので点滴外して飛行機で来てもらうことには抵抗があった。演奏も人柄も最高であった。語りたいことは山ほどあるが言葉が空回りして出てこない。冥福を祈りつつ合掌してこの回を終えたい。
2025年仕事始め
めでたしと言うも一人の
雑煮かな
groovy時代から正月は1月2日から店を開けている。帰省で帰ってくる元常連が立ち寄ってくれる可能性が有るからだ。実際盆と正月にしか会えないお客さんがいた。lazy では音だし初めと銘打ってどこよりも早いライブとセッションで幕を開けている。演者は毎年M山である。ミュージシャンも三箇日くらいは食っちゃ寝食っちゃ寝の堕落した庶民生活を送りたいとの事でやりたがる者があまりいない。セッションにすると正月の馬鹿テレビ番組に飽き足らない人間が何人かは来てくれる。初日誰も来てくれないとおみくじで凶を引いたようで流石にめげる。どれくらいめげるかと言えば響がべろべろに酔っぱらい宴会の鍋をひっくり返し床が白菜の湖のようになった時くらいだ。これは最凶である。今年は珍しいお客さんが来てくれた。僕が客でGroovyに通っていた頃の最後の学生バイトMちゃんである。約40年前の話である。前回はお嬢さんが北大生になったと言う事で様子見に来て二人で寄ってくれた。3,4年前の事かと思ったらもう8年前だという。アインシュタインを出すまでもないが時間は一律には流れていない。お互いに覚えている当時の常連は多くはない。だが僕が企画して提供したライブは覚えているという。どうやら岡本さんと池田芳夫さんのライブらしい。その時の映像は残っている。当時の取材班Sさんが撮ったものだ。SさんはMちゃんの写真も取ってくれたようで家にスナップ写真が何枚かあって誰が取ってくれた物かずっと気になっていたという。今回すっきりしたと帰って行った。血縁でもなく地縁でもなく店縁と呼ぶ様な関係性がまだ残っているのを感じた初日であった。
2024年 世界の片隅で真実を叫ぶ
2024年 世界の片隅で真実を叫ぶ
2024年が歴史的に語られれる時が来たならばこの年は政治的、社会的に大きな転換点になったと語られるはずである。ヨーロッパでは既成政党の枠組みでは収まらない政治体制が選ばれその動きはアメリカ大統領選挙でトランプの勝利という政党より貧富の差を重視する動きとして結審していった。日本でもいくつかの選挙で驚く様な結果が出た。SNSを駆使すると選挙結果に圧倒的な差が出ることが証明された。当落を金で買える事が分かってしまった。これは果たして民主主義なのか。民主主義は効率の悪い制度である。こちらを立てればあちらが立たず・・・。そこを何とか折り合いつけて進める制度である。会社のようにトップダウンで効率的に動かせば必ず落ちこぼれが出る。今の日本を見るとそういう階層は見放される。能登の復興状況を見ると象徴的にそれが分かる。だがそういう中で我々は生きていかなければならない。驚くような物価高・・・酒がジワジワ上がり雀の涙の様な収益を圧迫する。野菜が売れっ子のジャーニーズタレントのようにひな壇でふんずり返っている。店ではあまり所帯じみた話は出てこないが家計は圧迫していることは確かだ。それが何となく客足が遠のく原因にもなっている筈だ。中心街の店舗はインバウンドで賑わっているらしいがマクロ的には日本が衰退している証でもあるので手放しでは喜べない。lazyにも海外のお客さんは多少来るがメインはプログラムを見て取捨選択をしてきてくれるお客さんである。今年20年目を迎えた。一応節目の年であったが無限に続く時間の一通過点である。あのlazy企画が出来なくなった時は店を閉めるときと腹を括っている。人に寿命が有るように店にもそれが有る。長年連れ添っているとそれが分かるようになる。世界から始まって店の事で終わるのはいかにも竜頭蛇尾的な総括に思えるかもしれない。だが自分にとっては同列である。政治は生活である。
付記
小説「世界の中心で愛を叫ぶ」が出版されたときは何と大仰なタイトルと感じ暫く手に取ることはなかった。「せかちゅうー」というよりは「自己ちゅう」なイメージを振り払えなかった。小説のヒロインは「白血病」で亡くなるが「世界の片隅で真実を叫ぶ」の作者は「金欠病」と戦っている。
2024 Live For 歳末 Sale
12.19 布施音人TRIO 布施音人(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
ここ10年くらい若手を聴くのは殆んどレイジーのライブを通じてのことになっている。おまけに彼らの作品セールスには殆ど貢献していない。せいぜい30年位までの作品群において区切りをつけているからだと思われる。従って新譜に気を引かれることは余りなくなっている。けれども生演奏は、事情が違っている。目の前で繰り広げられる直接性にアルバムとは異質ものがある。それを証明する唯一の場がライブだ。そのライブ空間において、特に初めて聴く若手に感じ入ってしまうことがが少くない。今回の布施も初めてだが、最初はやや内省的に聴こえていたが、あながちそうでもなくお馴染みのスタンダードをとって見ても、適度なエモーションと随所に耳にしたことのないような音使いがあり、曲に新たな一命を吹き込んでいる印象を受けた。こういう時の気分の飛距離は予想以上に伸びているのだろう。端的に言って布施は可能性の塊だ。何でも来年の3月に管を交えてやって来るとのことだ。極道の妻たちにフレーズを借りれば「あんたら覚悟しぃやぁ」といったところか。演奏曲は「Isorated*」、「Tow For The Road」、「Country」、「Sado*」、「I’m All Smiles」、「East Thirty-second」、「White Lycoris*」、「I Love You」、「Guess I’ll Hung My Tears Out To Dry」、「Ladies In Mercedes」、「Beyond The Solstice*」。*は布施のオリジナル。
12.20-21 池田篤Quartet 池田篤(as)布施音人(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
雪ある時の池田は危険だ。何度も転倒し怪我も負っている。最近は危機管理が徹底されていると見えて、事なきを得ているようだ。それはさて置き、最新作の「Taste Of Tears」はスタンダードのコード・チェンジに、別メロを乗っけるという構想で仕上げたという。これをコントラファクトというらしい。このライブでも数曲演奏されたが、同作のトリックに気を取られるとが散るので、ひたすら池田を聴くという態度に徹した。それは身を尽くすように疾走する池田の魅力に浸りたいためである。そして「やっぱり池田だよな」と相好を崩す。その魅力の一方で、ある時を境にしてバラードの池田を聴きたくなっている自分に気が付いていた。そんな折に心のリクエスト曲「Flame Of Peace」が演奏された。こういう時は軽い動揺を伴いながら、この演奏だけでも来た甲斐があったっと思わせる。少しづつ淀みを漂白していく演奏がそこにはあった。この1曲をして全体をまで拡張させしめることはできないが、そう思わせるものがあったとだけ言わせて頂く。なお、布施の父親は若き池田と知り合う親友だとのことで、これは人の縁に隠されたほのぼの話だ。あとの二人にも触れておく。レイジーと若井・西村の関係は、地銀と地元企業のようなもだ。今後とも双方の推進planが嚙み合い、円満に音富(コレ当て字)が達成されるよう願う。まぁ本節は”胸に飛び込む池の音 ”に尽きる。
演奏曲は「Green Dolphin Street」、「Typsy 」、「Nearness Of You」、「End Of Summer Is Just A Little Bit Sad」、「Roller Coaster」、「Flame Of Peace」、「Tangerin」、「Body&Soul」、「Take The Coltrane」、「All The Things You Are」、「On The Trail」、「Jitterbug Walz」、「Never Let Me Go」、「Star Eyes」,「Every time We Say Good by」、「Yes Or No」、「For A Little Peace」など。
今年の大詰めを、この2編成のプレイヤー達が至って締り良いものにして行った。通常のダブル・プレーとは2つのアウトを指すが、このLive For歳末Saleは、それが2つのセーフでもあり得ることを知らしめてくれた。ウソが下手と言われている筆者が言うのだから信じて欲しいな。
(M.Flanagan)