夏の終わりの風物詩北大&商大jazz研1年生定期戦暑い2日間が終わった。10年ほど前の事になる。当時の北大の部長と話していた。6月の学祭が終わると1年生部員が燃え尽きた症候群で大勢やめてしまうという。一年生の出番は秋の1,2年生ライブまでない。毎週末セッションはあるものの具体的目標がないと積極的に練習しょうと言う気が起こらないのもわかる。その対策路して生まれた企画である。縄抜けを許さない女郎屋の女衒のようであるが元々やめないで続けてねという清い乙女の祈りから始まったものである。一年生だけでバンドを組むと明らかに技量の違うメンバーが一緒にそれもその曲無理でしょう・・・という選曲で望むバンドもあった。やる方も大変だが聞く方も大変である。だが演奏のクオリテイティだけではない熱意のようなものが伝わってきて楽しいのである。出来るだけリハーサルも全部聞いている。音のバランス、何を決めて何を決めないか、終わり方、構成確認、MCなどなど・・・ジャズが抱えている問題の縮図を改めて考えさせらる時間でもある。何より緊張感がひしひしと伝わりこちらも何か落ち着かない。多分先輩たちからライブハウスのマスターは閻魔大王の様な存在だと脅されて来たに違いない。妙に気を使われている気がする。最初は北大、商大の学生だけで構成していたが年度によっては他大の助っ人も必要となる。今年も4人ほど助っ人がいたようだ。この関係がもっと広がれば違う企画が出来るかもしれないとも考えている。二日間で8バンド・・・色々準備もあるので午前中から店に入っている。体調があまりよくないこともあるが真剣に聴いていると流石にちょっと疲れた。御世話役も大変である。出演者の調整から当日のバンド転換の段取りまでやることが満載である。初日重役出勤してきた御世話役に声を荒げてしまった。2日間終わって御世話役の二人が笑顔で「お世話になりました」と帰って行った時にはこみ上げてくるものが有った。たった2日間ではあるが人間が一回り大きくなっているのである。あのスペースに50人近く入っていたのである。学生が帰った後もずっと熱気が籠っていた。グラスを洗いながら高校野球が終わった時の甲子園のグランドキーパーの心境もこういったものだよなーとふと思った。