<追悼> Sonny Rollins

 1975年の秋のこと、私にとって初めてのジャズ・コンサートだ。学祭のとき学生会館ホールにやって来たその演奏家こそがソニー・ロリンズだった。これは明らかに長らくジャズを聴き続けることになった起点になっている。ホール中央の前から5列目で聴いた「セント・トーマス」は忘れられない。そのロリンズが、2026年5月25日に他界した。著名人が亡くなったとき、決まって「一つの時代が終わった」というコメントが寄せられるのを目にするが、どうもしっくり来ない。これは一世を風靡した人物の功績が過去完了してしまっている場合に用いられるべきだ。従って朽ちることのないロリンズにそれは当てはまらない。そんなことを思いながら、ジャズの店の真似事のように供養の思いを込めて色々聴き返してみた。まずは名盤と言われているアルバムから開始するのを避けることにした。答えを急がないのが大人の作法である。ロリンズについては多くの論者が語り尽くしていると思われるが、私が思うことを手身近に言わせていただく。とかくシリアス系に偏りがちなジャズにあって、人のあらゆる情緒を音に解放し、大らかにして縦横無尽に吹きまくったのがロリンズなのである。しかもその溢れ出てくるプレイは演出めいたものではなく、資質から押し上げられて来ることによって、誰にも近寄ることができない個性となっている。立て続けに何枚も聴いていて、益々その思いを強くした。若くして名声を手に入れ、そして苦難を経験した巨大な才能は、最後まで自己検証を貫くという存在の仕方をしたに違いない。晩年は活動の縮小を余儀なくされたようだが、この人は第一線を退いた後も時おり隠遁しながらジャズの未来に目を向けていたはずだ。だから「一つの時代が終わった」などとは誰にも言うことができないのである。
 ロリンズとの出会いから50年余り経ってしまったが、ジャズとの”橋”は架かったままになっている。その場所からサキソフォン・コロッサスの冥福を祈りたい。(M・FLANAGAN)