縦割り行政

店を閉めて帰る午前一時頃、石狩街道をバリバリ、バリバリと世の中で一二を争う醜悪な音を響かせて数台のバイクが北上してくる。今年はじめてみる暴走族だ。パトカーもサイレン鳴らして追尾してくる。もう少しで北24条通りにさしかかる。僕の目の前には組み抗争を警戒する覆面パトーカーが24時間待機している。サイレン鳴らして車を一寸だけ動かせば簡単に逮捕できるのに微動だにしない。
「あなたたちは交通課でしょう。うちらは丸暴だから課が違うのね。だいたい鰯の稚魚みたいなチンピラ捕まえたってポイント低いでしょう。うちらは300キロの黒マグロを狙っているからそちらはそちらで・・・・・どうしてもというならうちの課長に話しとおしてね。あらあ・・・逃げられちゃった」と言うことだと思う。会社員だった頃を思い出す。
上司によく言われた。僕は経理課であったが「人事課に借りを作るなよ」大体同じ事だと思う。
その日はdsとbのduo、なおかつ半分はインプロ。普通のリスナーには厳しい条件かもしれない。何時もいらっしゃる常連の方も病欠でライブが始まった時はお客さんはいなかった。途中から外国の方が来た。ライブであること、料金の事を説明すると、ネットで調べて聴きにきたという。熱心に聴いてくれた。S太さんのドラムを聴いたことがないタイプだと面白がってくれた。もともとロシア生まれで留学でイギリスに行き今はロンドン近郊のバーミンガムに住んでいるということだった。僕はS太さんが入っている山下洋輔Gのヨーロッパライブのレコードを出してS太さんの経歴を説明した。当時洋輔さんがヨーロッパのお客さんの印象を言っていた。「ジャンルの壁を取り払って楽しんでくれる」と。
きてくれたピョートルさんもそういう人なのかも知れない。「今日が最後ではないよ・・・・・まだ来るよ」といってくれた。
感性の縦割り行政はない方が色々楽しめる。

通勤途中に見える風景

通勤途中に見える風景
自宅から店まで高々15分ぐらいだが毎日通ると色々な事に気づく。
①近所にアスレチッククラブがあって二階がトレーニング室になっている。夕方ごろには電気が煌々とついており窓越しにルームランナーで走っている人が見える。僕には鶏舎のブロイラーに見えてしまう。駐車場はいつも満車で車で来てルームランナーで走って車で帰るのって何か変。
②途中にもう1軒アスレチッククラブがある。大体2軒あるのがおかしい。こちらは24時間営業で僕が帰る朝3時、4時に走っている人が見えた。最近は窓にはシートが張られて中は直接は見えないがその時間は飲むか寝るかの方が健康にいいと思うがどうでしょうか。会員の人に聞いたのだがシャーワールームには防犯ベルが有って10時以降は必ず身につけてくださいとのことでした。何か変
③暴力団組事務所もある。例の抗争事件の煽りで2週間ほど前から覆面パトカーが24時間張り付いている。パトカーが一車線占拠しているのでいつも渋滞している。玄関前にはナンバープレートのない車が1台停まっていて
この車を動かそうものなら道交法違反でしょっぴくつもりだなと考えていた。ある人に聞いたのだがあれは警察が対立する組織がダンプで突入するのを防ぐためにおいたものだ。それを聞いてから前を通るのはやめている。そういえば若い衆が外でタバコを吸っているのを最近見かけない。組事務所が禁煙と言うのもご時勢なのかもしれないが何か変。

三月の思い出

I remember aprilやApril in parisなど4月の曲は多いが三月の曲はあまり無い。「サンタがMarchにやってきた」くらいだ。三月は日陰者だ。店の周年記念が三月なので年度変わりが3月と言う感覚になってしまう。会社員だったときも2月決算、3月から新年度だった。ついでに僕も三月生まれなので「ようし・・・。今年も生き延びてやる」と気持ちを新たにする。周年記念ライブや学生の卒業ライブが続くので三月はあっという間に終わる。月
の半分はゴミステーショのカラスを蹴散らして帰る時間になった。今年の目玉企画は大石学trioに鈴木央紹のtsをのせることであった。こういう企画がひらめいてしまうともう我慢ができなくなる。去年の6月から根回しをはじめやっと実現した。サウンドは僕が想像していた方向性であったが質の高さが素人の期待をはるかに超えるものであった。この詳しいライブレポートは牛さんの文章を読んでいただくとして、僕が嬉しかったのは演奏者からも楽しいセッションだったといわれた事であった。学生の卒業ライブの方は人数も多いし親しい学生も多かったので徹底的に付き合うつもりで臨んだ。最後のFちゃんの家飲みにも参戦し一人、二人と落ちていく中で最後の三人まで残り入賞を果たした。その学生たちももう4月からは働いているのだ。今度会うときは立派な社会人だ。たっぷりふんだくってやるから覚悟して来い!特にF本、いも美にも原価があることを実感したか

エイプリルフールの特ダネ

エイプリルフールの特ダネ
山田丈造東京進出という4月1日道新の夕刊の記事をご覧なった方も多いと思う。勿論嘘ではない。前日丈造から記者さんから連絡が行くので適切なコメントをしてほしいとの依頼があった。「初めてた会った時は見るからにチャライ印象でした」とは言わなかった。誕生祝やら、お土産やらもらっているのでその分はちゃんと褒めておいた。取材時間は15分くらいであったと思うが、記事になったのは「寂しくなるが大きな舞台で頑張ったほしい」の一行であった。そういうことも言ったがある部分が削除されると「街頭の声」と一緒で通りいっぺんに成ってしまう。
こちらの方が嘘に近い。
三月初旬山田丈造壮行ライブをやった。その時丈造は「僕は東京に行きますが、lazyと吉田直をよろしくお願いします」と言ってくれた。僕は選挙に出る新人候補のようにお客さんに深々と頭をたれた。いつからそんな立派なセリフが言えるようになったんだ。この野郎と内心おもいながら・・・・・・。
丈造がプロになる決心をしたのはlazyでのあるライブであったと聞いた。そういう場を提供できた事が嬉しかった。

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
 今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
 ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
 今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
 先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)

メビウスの鳥

2月2日蜂谷真紀(voice,p)ユーグ・バンサン(cello)小山彰太(ds)
完全インプロの2ステージと言うとしり込みする人が多いかもしれない。だがそのプリミティブなサウンドは音楽がまだ形式を獲得する前の祝祭的な喜びに満ち溢れている。蜂谷のvoiceは世界をそしてあらゆる時代を自由に駆け巡る。その言葉は聴いたことのないどこかの言語に聞こえる。小山も言っていたが山下洋輔trio時代の坂田明が開発したハナモゲラ語とも違う。メロディーに合った音韻が瞬間的に選ばれている。まだ言語が生まれる前の音が意味を持つ瞬間を再現しているのかもしれない。ユーグのエレクトリックチェロはクラシック、ロック、民族音楽のあらゆる要素をもって蜂谷のvoiceを捕まえようとする。その捕り物を小山のドラムが祝福する。
お客さんは少なかったが僕が心づくしの事をすると打ち上げで蜂谷がお返しをしたいということで弾き語りでI’ll
Be seeing youを歌っくれた。お洒落な店で歌姫的なことは全く経験がないということであったが凡百な歌い手が足元にも及ばない歌唱力であった。ユーグもユーモアセンスのあるフランス人でトム・コーラを聴いてから音楽観が変わったと言う。ジミ・ヘンみたいな瞬間があったというと喜んでいた。東京での蜂谷のレギュラーグループは松島、類家の2tp,珠也のドラム、ベースは失念したが面白そうな組み合わせだ。だが呼ぶまでは僕も根性はない。東京まで聴きに言った方が安上がりだ。今回のライブで2回日になるが小山から蜂谷を紹介されたときどういう人と聞いた。
「明るい,気違いかな」が答えで、実際その通りであった。ユーグにはお前の発音はなかなかいいとポメラニアン。
「また会おう」と約束をした。それまでにはジャン・ギャバンの物まねをできるようにするぞ!

ライブ短評

1月20日、21日松島啓之quartet
松島啓之(tp)南山雅樹(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
松島は伝統に根ざした一流のインプロバィザーであることには間違いない。米木と珠也をバックにどこまで違う領域まで行ってくれるかが聴き所だ。松島のプレイは何時にもましてキレがあってスピード感がある。そういう気持ちにさせる米木と珠也はほんとうにすごい。世界有数のリズムセクションだと思っている。はっきりいって曲はもう関係ないので省略。当日隣の席に小山彰太さんがいて珠也の凄さを生で解説してくれる。「珠也のレガートはスティクとシンバルが同時になっている。すごいな」禅問答に近いが解かる人には解かるのであろうな・・・・・。拍手したときに右手が鳴っているか左手が鳴っているかは僕にはわからない。

1月26日室内梨央g
梨央は社会人のボーカルだが音程もよくないしリズムもよくない。声量もない。ボーカルにとってヘレン・ケラーのような三重苦を背負っているが妙に印象に残る。祇園精舎の鐘の声ではないが何か儚いのだ。秋の終わりに一鳴して一生を終えるマツムシのようだ。どうか進化などしないでそのまま歌ってください。お客さんで「もっとアクションをつけて体で表現して・・・」みたいなことをおっしゃっている人もいたが辞めた方がいい。ブスの厚化粧になる。

1月27日奥野義典quartet
奥野義典(as)板谷大(p)柳昌也(b)舘山健二(ds)
前回同様全曲ミンガスの曲になった。もう、カルビいりませんと言う位油っこい選曲。4人とも札幌の名だたる職業音楽家、水も漏らさぬ演奏だった。だがふとミンガスの曲をミンガスサウンドでないもので聴きたいと思わせる何かがあった。

1月30日
中島弘恵(p)大久保太郎(b)
この日の選曲はタンゴとjazzが半々くらいだった。弘恵のピアノは切れがいいのでタンゴに向いているとは前から思っていた。タンゴのを表現するのにも色々な手法があるのであろうが、僕はピアソラの様にjazz的は手法があるものにより惹かれるので曲の再現だけで終わられるとちょっと拍子抜けになるときがある。

お導き

甘利大臣が辞職した日、店は久々の通常営業だった。八時過ぎ一人のお客さんが来店した。今月は9割がライブになってしまったのでライブ目当てのお客さんかと思い「今日はライブない日ですがかまいませんか」とことわった。「ええ構いません」といい席に着く前に奥のスピーカの方に歩いていった。時々いるオーディオマニアでスピーカーの機種でも見に行ったのだと思った。壁に貼ってある臼庭の写真を見て「同級生なんです」という。
ええ!とおもった。まあゆっくり話しましょうといって臼庭のライブ音源をかけた。Sさんは期限付きの札幌出張で今春には札幌を離れる。家もlazyのご近所で何度となく前を通っていたらしい。久しぶりで臼庭のライブを見に行こうと思って調べているうちに臼庭が亡くなっている事を知った。いろいろ調べていくうちにlazyにたどりついたということだ。ご幼少の臼庭の話を聴けるかと思い牛さんに連絡すると来るという。そうこうしている内に10年ぶりで札幌に帰ってきた常連キャノンボールも来て臼庭の話で盛り上がる。僕らが知っている豪快だが繊細で真面目だがひょうきんな人柄は中学のときからだという。仲間内では小松政夫に似ているといわれていたらし。そういえば昔ディズニーランドで小松政夫に会ったということで嬉しそうに2ショットの写真を送ってきたことがあった。その写真も披露した。その時は小松政夫もディズニーランドに行くんだと軽い衝撃を覚えたことを思い出した。高校時代にも何かのコンテストで最優秀賞をもらったらしい。音楽仲間内でも図抜けた存在であった。このことは時々忘れがちであるが今音楽の一線で活躍している人は皆ご幼少の頃から図抜けた存在であるものだ。だが臼庭にはそう感じさせない人柄の何かがある。山野big bandコンテストで最優秀ソロイストをとったことがあると聴いた時も思わず「嘘だろう」といってしまった。池田篤がとったのは知っているし当然とるだろうなと思う。臼庭がlazyでよく聴かせてくれたご当地引用フレーズは山野のコンテスト向きではないからだ。本田珠也も言っていたが「そういう事やるのはここだけでなないのか」と・・・・・・・・・。昨年臼庭のメモリアルコンサートで珠也のMC「天才、臼庭潤」と言うせりふが気になっている。臼庭の音を聴きながらこういう時臼庭ならこういう駄洒落いうだろうというなと実際名作ができたのだが一晩経つと全く覚えていないのは残念だ。
Sさんも言っていたが「遇然の巡り会わせというのはそんなにそんなにはないです。自分は二回目です」と言っておられた。Sさんが休みで、店がライブなしの通常営業、常連二人が来れる日に臼庭が引き合わせてくれたのだと思う。こういうことがあるから暇な店でもやめられない。今日は何かいいことがあるかもしれない。占いを見たら金運がいい。そういえば予約が一人入っている。
庶民の金銭感覚とはそういうものです。甘利さん。

反省の弁

反省の弁
一月も終わろうとしているのにこんなせりふも恥ずかしいのだが「あけましておめでとうございます」おお、恥ずかし。今年は年賀状も出さず、HP上の年始の挨拶もできずに終わってしまった。年末にかけて原因不明の水漏れ事故に悩まされレコードを避難させたり、溢れる水をかき出す日々でありました。カウンターにバケツを置いてライブをこなしたこともあった。解決したのが大晦日のことであり何とか正月は寂しいながらも雑煮を食べ、水難事故以外の初夢を見ることができた。そんなことにかまけているうち通信関係のトラブルでまたHPが更新できなくなり一部のお客さんからはとうとうlazyも終わったらしいという噂も流れた。ご安心ください。こちとらjazz界のゾンビなので死ぬことはありません。舞い戻ってくるぜ。ゾンビがくるりと輪を描いた。
閑話休題
トンビで思い出したのだが村上春樹の「ダンス、ダンス、ダンス、」でイルカホテルの窓から外を眺めていると鳶が飛んでいる描写があった。英語版ではただbird、フランス版では鳶を意味するmilanになっていた。ということはアメリカでは鳶は一般的な鳥ではなくフランスでは一般的だということになる。それとmilanはイタリアのミラノのスペルでもある。鳶と関係あるのだろうかという疑問もわくがこういうことを調べると時間がどんどんなくなる。知っている人がいたら教えてください。
本題に戻る。
昨年も親しいミュージシャンが何人かなくなり、その代償ではないがめったに合えない友人と常連の人も交えて再会を果たせた。長くやっていることへのご褒美なのだと思う。
今年もやりたい音楽をやれる環境を整えそれを聴きたい人に、あるいはまだ聴いたことのない人に届ける触媒為らんと努力したいと思っている。多少体力も落ちて、髪も白くなってきたがまだまだ誰かのため何かをする気概だけは残っている。ご指導、ご鞭撻、ご贈収賄よろしくお願いいたします。

2015.11.13 Eri the greatest 大野エリ(vo)若井優也(p)

2015.11.13 Eri the greatest
大野エリ(vo)若井優也(p)
  Live at Lazybirdでのエリさんは、毎回キャリアの集大成のような実力を見せつけてきたが、今回は極め付けというか、期待以上の期待を更に飛び越した感じだ。彼女のトータルな力量が余すことなく伝わってくる。壮麗なヴォイスが会場を呑みこんでいく。その流れに浸るだけで、他はいらない。ジュリーではないが、時の過行くままにこの身を任せてしまった。“前回も良かったけど今回はもっと良かった”というライブ後の感想は、満足の度合いを端的に示すバロメータである。それは前回の評価を低めるものではなく、今回ますます手応えを感じたということであり、ライブはいつもそうあって欲しい。その日その日ライブに足を運ぶお客さんは、何らかの狙い目を付けてやって来るので、それぞれに満足を持ち帰りたいのだ。
エリさんは中盤ぐらいまで会場が盛り上がっていないように思っていたらしいが、威圧感すら漂うような歌唱に一同聴き惚れていたというのが真実だ。そして呪縛が解けていく後半は大盛り上がりになって行ったのだった。この日は若井とのデュオだが、ニュー・リリースの“How my heart sings”には、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムスのアル・フォスターというレジェンドが加わっている。その中から「アイム・オールド・ファッションド」、「コンファメーション」それにアルバム・タイトルから「ハウ・マイ・ハート・シングス」がピック・アップされていた。このほか「ジャスト・イン・タイム」、「ブルー・イン・グリーン」、「ワン・ノート・サンバ」、「イン・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」などエリすぐりの全15曲。ときめきを運ぶその声は今も耳に残る。随分前になるが、モハメド・アリの伝記的映画に付けられた題名は、“アリ・ザ・グレーテスト”だったが、来場者ひとり一人の“How my heart sings”に対応するのは“Eri the greatest ”だ。
(M・Flanagan)
 

2015.10.16-17 リスペクト・イン・ジャズ

池田篤(as、ss)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds)
いま池田は尊い活動を行っている。共演歴が長く、また、多くの影響を受けてきた辛島文雄さんの闘病生活を支援するため、2013~2014でのピット・イン・ライブを1枚にまとめたCDを自主制作し、この購入を広く呼びかけている。既に1000枚を突破せんとし、更にオーダーが増えているという。筆者も手に入れたが素晴らし演奏が詰め込まれている。詳細は池田篤のウェブサイトで確認のうえ是非とも協力して頂きたい。標題は池田に敬意を表し、ジャズ批評家の油井正一氏による昔のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」から拝借した。
 さて、池田は3月に続き今年2度目の登場になる。前回はバンマス・ジャックに巻き込まれながらも堂々と人質を務め、懐の深さを見せつけたのが記憶に新しい。今回はメンバー構成から言って、事件と事故の両面ともその可能性がなく、安心特約付きライブだ。ここで池田聴き歴をまとめると、何でもできる池田の時代から池田にしかできない池田の時代になったという感慨に尽きる。近年の楽しみは二つあるが、一つはバラードでの胸中から滲んでくる音、もう一つはあたかも後ろにオーケストラがいるかのような圧倒的なドライブ感だ。
演奏曲を羅列してみよう。モブレーの佳曲「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、不思議な天才ショーターの「ユナイテッド」、池田が影響を受けたというC・マクファーソンの「ナイト・アイズ」、同じくJ・マクリーンの「マイナー・マーチ」、歴史的名演を持つ「ラバー・マン」、ショーターの友人が書いたという「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しいという意味らしい)、黒い情念マルの「ソウル・アイズ」、選曲される王者モンクの「ティンクル・ティンクル」、池田のみが演奏を許されている「フレイム・オブ・ピース」、3月にリクエストしたのが奏功したか分からないがスリル満点の「インプレッションズ」、怪しさ漂うバラード「ダーン・ザット・ドリーム」、最早我らのナツメロ「パッション・ダンス」、辛島さんに捧げた直訳風タイトル「スパイシー・アイランド」は未開が覆うモンスターな島の物語だ。最後はブルース、イントロで池田は「ドナ・リー」やら「ホット・ハウス」やら「コンファメーション」やらを散りばめた長尺ソロで場内制圧、その終息と同時にルーズなテーマに突入。このくだけた極楽とともに幕がおりた。また、バック陣の奮闘ぶりも好ましく、彼ら多量の発汗によって立派な“ほっちゃれ”になっていたようだ。
 余話一つ。LBには付属施設としてジャズ幼稚舎という家柄を問わないバンドがある。諸事情から札幌を離れた連中が心の故郷と慕うLBに時折顔を出す。この二日の間、カナダからマークが3年ぶりにサプライズ来場、首都圏からサックス主任S名とスランプ対策係長H瀬、その他行方不明中の人物も姿を現していたようだ。そこに数名の固定メンバーが出迎えていた。いい光景ではないか。
(M・Flanagan)

2015.9.25 スズキの四人駆動

2015.9.25 スズキの四人駆動
鈴木央紹(ts)南山雅樹(p)北垣響(b)竹村一哲(ds)
昨年の鈴木のレギュラー・カルテットによるライブは、非の打ちどころのない見事なものだったが、その完成度の高さに少し割り切れなさを覚えたとレポートした。それは、多くのファンの思いを代表するものではないが、何でもできてしまうが故に計算済みに聞こえることに対しての印象からだ。そうした昨年のことを思い起こしながら、今回のイレギュラー・カルテットを聴いた。相当楽しめたというのが率直な感想だ。勿論、その立役者は鈴木である。湯水のごとく湧き出るその創造性に、いつしかS・ゲッツを思い浮かべていた。彼の圧倒的タレントは我が国のレベルの高さを立証するものである。加えてリズム・セクションも気心知れた連中で固められており、自らの持ち分をぶつけて鈴木と向き合う姿勢は非常に好感が持てるものであった。本日ここに、スズキの四人駆動が足回り抜群なことを晴れ晴れと認識した次第である。レギュラーとイレギュラー問題については、別の機会に回すことにするとして、当分の間、余計なことは言わない方が得策と判断した。演奏曲は「チチ」、「アイム・オンリー・スマイリング」、「タイム・フォー・ラブ」、「エンブレイサブル・ユー」、「パブリシティー」、「フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」など。なお、鈴木は来年3月のLB11周年記念ライブに大物の一角として出演を果たすそうである。天災は忘れたころに、天才は忘れる前にやって来る。
(M・Flanagan)

清水くるみ(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)

2015.9.18-19  Cool-me or heat-me 

 くるみさんは、多様な音楽経歴の持ち主だが、札幌おいてその名はZEKのピアニストというに尽きる。ZEKはツェッペリンの曲のみ演奏するバンドだが、ロック・スピリトをジャズ変換させる猛烈なエネルギーによって、特異な魅力を獲得していることはご存知のとおりだ。今回は“珠抜き”につき、ZEKにはないsomething elseを期待している。そこで気になるドラマーだが、ドラムがなければ絶滅危惧種と言われている伊藤が起用されたことは興味深い。また、あらかじめ情報としては、スタンダード及びその周辺曲が採り上げられるとのことだった。オープニングは「ハンプス・ブルース」、これは“Hampton Hews trio”に収録されている曲で、私事で恐縮だがジャケット写真を待ち受け画面に拝借しているので意外なところで納得。「プレリュード・トゥ・ア・キス」のあと、くるみさんが、決意表明のように予定していなかった「サーチ・フォー・ピース」(リアル・マッコイ)を演奏すると宣言。我が国がルール放棄したこの日に対する1個人としての抗議が込められていた。ファラオ・サンダースの「プリンス・オブ・ピース」も同じ思いが意識化されていたのだろう。それにしてもピアノが飛び切り鳴っている。「タンジ゙ェリン」、「ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」、「ノーバディー・ノウズ・ザ・トラブル・アイブ・シーン」、「酒とバラの日々」、「ラッシュ・ライフ」。旋律をたじろがせるかのように鳴り響いている。どういう訳か最後の方で“月”に因んだ曲を演奏すると前置きがあり、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、この曲は軽妙で洒落た演奏しか聴いたことがなかったが、くるみさんのは天体的衝突のようなハード・ジャズだった。続いて、菜のは~なばたけぇに、曲名「おぼろ月夜」を思い出すのに苦労した。そしてR・カークの「レイディーズ・ブルース」を以て二日間に幕。
やたらに鳴るくるみさんの音が気になっていたので、感覚解説の達人米木さんにZEKの時とは違った力強さを感ずる旨を伝えたところ、“くるみさん気持ち良くやってるね”、巨匠らしいまとめだ。ある時は大人心に冷静さを授け、またある時は熱くダイナミックな演奏が提供された。Cool-me or heat-me。快心の演奏に触れた清々しさ、清水くるみさんを改めて認識するのにZEKKOUのライブだった。一つ加える。入魂の演奏をした伊藤に心から拍手を贈りたい。
(M・Flanagan)

2015.9.4 裏切られた共通曲

LUNA(Vo)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
 ある作家が新作の執筆中に、今書いた1行が過去の自作か他者の作品と全く同じなのではないかという不安に駆られ、それを調べ続けるという途方もない消耗戦の話を読んだことがある。ただ、創作活動とは違ってライブ・レポートにはその種の強迫観念を伴うことはない。
LUNAは6年連続の来演だ。筆者は皆勤を継続中であるが、それは初回に強い思い出があるからだ。当時、名古屋在住であったLUNAについて全く知らなかったし、札幌での知名度もかなり低かったと思われ、必然的に入りが悪く客は筆者のみだった。これはむしろ不幸中の幸いで、細大漏らさずLUNAを聴くことができた。そして最後には、定位置である店のコーナー付近にてLBマスターと並んでスタンディング・オベーションをしたのだった。このことについては、過去のレポートでも書いたように思うが、“ある作家”ではない筆者は何ら気にしない。
さて、LUNAのライブの良さの一因はその選曲にある。毎回の共通曲と新しい(つまりLAZYでは初めて歌う)曲が程よくブレンドされている。前者には愛着が後者には意表を突くことが備わっている。それもこれも彼女の傑出した歌唱力あってのことだ。
1ステは、「サマー・タイム」「ヒア・ザット・レイニー・デイ」「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」「ホワット・アー・ユー・ドゥイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ」「バイバイ・ブラックバード」など名曲中の名曲がズラリ。4曲目に「夜空のかけら」という少し浮遊感のあるオリジナルが割って入っていた。2ステは、身近にも聴く機会のある「死んだ男の残したものは」。世の中の殺伐感が意識されていたようで、歌詞をメロディーに乗せないで一瞬朗読するようなところが印象的。拍手の中から自作の「ペシャワール」へ。He dig the well~という歌詞さながら、年を追って深く掘り下げられている。人気曲の「ファースト・ソング」には彰太さんのハモニカが寄り添う。スイング感のある「オータム・リーブス」を経て着いたところが「朝日のあたる家」。このトラッドは日本語で歌われたが、日本語だと浅川マキ風のやさぐれ感が出るので不思議だ。いよいよ最後の曲。少年期のころに流行した音楽は、記憶の中にひっそりと留められているものだが、ある年齢に達すると“あの時代”の鮮度が甦ってきたりする。この日出会ったのは、ボブ・ディラン~ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」だった。隣のご婦人は筆者と年齢が誤差範囲内、心の踊る音が聞こえるような気がした。もうアンコールを残すのみ。LUNAレイジー・バード史の共通曲として手堅く予想したのは「エブリシング・マスト・チェンジ」。これには裏切られ「ナチュラル」だった。だがこの諸行無常の結末に不服はない。
(M・Flanagan)

2015.8.7-8 臼庭 潤メモリアル・ライブ(jazz-roots)

本田珠也(ds)峰 厚介(ts)米木康志(b)吉澤はじめ(p)

筆者は臼庭のバンド「jazz-roots」がプリントされたTシャツを着用していたが、その由来を珠也が言うには「臼庭がリスペクトしていた貞夫さん、峰さん、おやじ(本田竹曠さん)など自身の音楽的ルーツに思いを込めてバンド名に託した」とのことであった。かつて臼庭本人が音楽を複雑化することを好まないと語っており、察するとその真意は音楽をシンプルにさせながら、そこにエモーションを注ぎ込むのが自分なのだ、臼庭が恩師のjazz-rootsから得た結論だったのだろう。今年もそんな臼庭を熟知しているミュージッシャンが結集した。不動のバイタル・レジェンドの峰さん、地層ごと揺さぶる米木、バッキングで歌い続けている吉澤、そしてルーツの同質性で臼庭と一致するパワー無尽蔵な珠也、臼庭が慌ててケースからサックスを取り出す姿が浮かんだ。曲の選定に当たっては、珠也が実に数カ月も前から候補曲をレイジーに打診する配慮が働いていた。そして幾つかが採用されている。その演奏曲は、

「アイブ・トールド・エブリ・リトル・スター」(ロリンズ)、「エア・コンディション」(パーカー)、「ソング・オブ・ジェット」(ジョビン)、「ひまわり」(マンシーニ)、「アンチ・カリプソ」(R・プリンス)、「* スキップ・ウォーク」、「* サスペシアス・シャドウ」、「* メッセージ」、「サムシング・フォー・JUN」~「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」(ロリンズ)で、*を付したのが若き日の臼庭のオリジナルだ。

そして、メモリアル・ライブを一層特別にしたのは、吉澤がこの日のために書き下ろした「サムシング・フォー・JUN」だ。臼庭の音楽性が凝縮されたこの曲、ダウン・トゥ・アースで臼庭ライクな演奏が繰り広げられたのだった。このことだけでも吉澤には心から謝意を贈りたい。8月の札幌、久かたの暑さのどけき夏の日は、臼庭から一言引っ張り出した。“峰さん、何か俺に似てきたんじゃない”。禁じられた一言だった。

レイジー・バードにはミュージシャンが背にするする壁に臼庭の2枚の写真が貼られている。それはどの客の視覚にも収まる位置にあり、ここに来る回数だけ彼に会うことができる。今年も臼庭人脈の最高峰たちの手により、最も近い位置で彼との再会を果たすことができた。本田珠也は、演奏以外にも微笑ましい臼庭エピソードを紹介して会場を和ませてくれたが、二日間とも冒頭で「天才サックス奏者、臼庭潤のために演奏する」と宣言した。そして、このカルテットは珠也の自然発火に調和して完全試合をやってのけた。来場したすべての“私”は、このひと時を臼庭ととともに分かち合うことができたと確信する。

(この稿、いつの日にか続く)(M・Flanagan)

2015.8.4 虹の彼方にサンディノ貴方

米木康志(b)奥野義典(as.fl)田中朋子(p) 竹村一哲(ds)
これは米木康志セッションと銘打たれたライブ二日間のうち初日の物語である。演奏曲は、「イースト・オブ・ザ・サン・ウェスト・オブ・ザ・ムーン」、「サンディノ」、「ベガ」、「ミッドウェイ」、「ザ・ブラック・アンド・クレイジー・ブルース」、「ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル」(米木訳:彼らは、何ていいんだろうと言ってる)、「アブリー・ビューティー」、「ラテン・ジェネティクス」、「マイ・ファニー・バレンタイン」。事件は2曲目「サンディノ」の終了と同時に起きた。米木さん曰く「この曲を初めて演奏したけど、これは盗作です。」と断言したのだ。若き日の自身がキャバレー仕事をしていた時に、ダンス・タイムに演奏したラテンの曲と瓜二つだと言い、途中からその頃を思い出しながら演奏したというのだ。さらに「チャーリー・ヘイデンもやりますねぇ」と駄目押し。それを聞いていた奥野が「何かがっかり」と呟いたような気がする。“虹の彼方にサンディノ貴方”、つまり貴方の仕事は盗人だったとうい事件の顛末にて一件落着。ところで若い人には不明点があると思われるので少し解説すると、“虹の彼方にサンディノ貴方”のオリジナルは“虹の彼方に3時のあなた”という駄洒落であります。『3時のあなた』とは1970年ころのワイドショウの名前。オリジナルの方の評価は、虹の針を3時につなげる心地よい時間の流れと言葉としての耳ざわりの良さが格別であるというもの、最高位に君臨しております。なお、事件は別として立派なライブでした。
(M・Flanagan)

威風堂々・時々普通

2015.7.25 
中本マリ(Vo)米木康志(b)加納新吾(p)
ご存知のとおりマリさんは長らくギターの太田雄二とのデュオによる活動を続けてきた。太田の卓越した技量がボーカルを支えきる見事なデュオだった。今回はオーソドックスなボーカル・トリオ編成で帰って来た。早速、納得のピアノとベースが後ろのライブをなぞってみよう。ミュージカルのバラードから「リトル・ガール・ブルー」、お馴染みの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」でたっぷりスイング。ブルース・フィーリング溢れる「ユー・ドゥ・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」から「ジョージア・オン・マイ・マインド」へと畳みかける。かつて恋仲・今はただの友「ジャスト・フレンズ」、行方不明になった夫との刹那的再会が忘れられない名画「ひまわり」はソフィア・ローレンの目のように恐ろしい。マリさんのデビューアルバムから「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ」、大人だから独占できる「エンブレイサブル・ユー」、エネルギッシュに「オールド・デビル・ムーン」、コルトレーン風じゃなくこの曲はこうなのよと言わんばかりの「マイ・フェイバリット・シングス」、しっとりと「ガール・トーク」、オリジナル2曲を挟んで、盛り上がり宣言の「ラブ・フォー・セイル」、アンコールは「ミスティー」で高級リンスのような潤いだ。もう少し分け入ってみる。手堅い後ろをキャンバスに仕立てにして自家製の絵を仕上げていくマリさんがいる。先人たちが通った道を自分の歩み方で踏み固めて来たのだという確信が伝わってくる。マリさんに感ずるのはこうした確信の強さだが、これは表に出ることはない。表にはボーカリスト中本マリがいるだけだ。マリさんは、やりたいことだけをやる。それが極上のエンターテインメントとして完成してしまうのは、マリさんの築き上げた実力そのもので、まさに威風堂々だ。
折角なので、ピアニスト加納について少し解説すると、本拠地は大阪で、その演奏を耳にしたマリさんが速攻チャージを仕掛けたという新進気鋭だ。彼は音色も人となりも端正で全国的大阪のイメージとは異なる。追々、あちこちでその名を目にするかもしれない。このライブの頃、東京は折からの猛暑、朝晩の北海道は快適な避暑の圏外にあり、マリさんは小さい風邪をひいたらしい。ステージを離れるとごく普通の人だ。
(M・Flanagan)

HP消失

HP消失
サイバー攻撃に会いHPが炎上したことにしておけば多少体裁を保てるのかもしれないが、全くの凡ミス、野球で言えばアウトカウントを間違って易々1点取られてしまう国鉄時代のスワローズの様な体たらくであった。サーバー会社から期限切れの連絡が来ていたような気もするが、酔いながら迷惑メールを削除していたときに消してしまったのかもしれない。電話、電気、ガスが止まったときのように支払えばすぐ復活するものと思っていた。これが全くのゼロからのスタートになろうとは思わなかった。やっと新社屋を建てたものの来訪者がいない。ライブ情報が行き渡らない。今まで書き溜めた文章の一部も無くなってしまった。旧作をフオルダーの中で探しながら復活させている。これがまた私生活と一緒で何でもダンボールにつめて押入れにいれておく方式なのでどこに入っているのかよくわからない。ライブレポート、ブログ、ショートストーリーは一部復活しましたのでご覧下さい。
これを期に今までできなかったことも取り入れようと思っている。
アクセスの方よろしく御願いします。

我ら永遠の津村和彦

2015.7.16-18  我ら永遠の津村和彦
7月17日と18日の2日間、津村和彦、米木康志、本田珠也のトリオでライブが行われる予定であったが、その願い叶わず一月前に津村は帰らぬ人となってしまった。闘病明けから少しずつ演奏活動を軌道に乗せていたことを聞いていたので、あまりに突然の訃報だった。津村の復帰後のプレイは渾身の極みだったらしく、既に彼は最終メッセージを発する覚悟の中にいたのかも知れない。一流ミュージシャンの天国流出が後を絶たない中、ここ札幌では、津村がLBに残した数々の名演に報いる思いを込めて、米木・珠也に地元ミュージシャンを加えた追悼ライブが行われたのだった。
2015.7.16 田中朋子(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.17 佐々木伸彦(g)本山禎朗(p) 米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.18 田中朋子(p)山田丈造(tp)米木康志(b)本田珠也(ds)
3日間のうち、初日と最終日に田中が起用されているが、理由は明白だ。レイジーバードのライブ史上“伝説”とまで言われているクインテット(津村、田中、臼庭、米木、セシル)の一員として彼女は究極の演奏を行っていたからだ。そうした経過があるため、筆者としても田中は今回のライブには不可欠だった。田中がこの日のために曲を厳選したことは容易に想像できる。紹介すると自作曲から「デイ・ドリーム」「カレイドスコープ」「ベガ」という当地ではスタンダードの地位を確立している曲。そして安息を意味する「レクイエム」、ピアノがテーマを奏でた途端、笑顔の津村が脳裏を駆け巡った。切なさがピークに達すると津村に誘われて自分が笑顔を催してしまった。田中は更に津村と縁の深い曲を採り上げていく。「アローン・トゥギャザー」「サークル」そして「ベラクルーズ」。津村が演奏しながらジャンプする姿の残影、目の前で繰り広げられている演奏、その素晴らしさは残酷ですらある。この追悼は明らかに早すぎるのだ。3日目にはボーカリストでもある津村夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人は万感の思いを込め2曲披露して下さった。歌が行き着くある地点に届いていた歌唱だと思った。最後は津村、米木、珠也のトリオが定番とする愛奏曲で締めくくられた。
ライブ中は相当しょんぼりしていたので、客観的な聴き方を一切できなかった。それで良いのだと思っている。何故なら、この3日間は。津村を偲ぶという私たち個々の胸中に収めておくべきことだけが課されていたのだから。我ら永遠の津村和彦、ありがとう。
(M・Flanagan)

ダイキリvol2

ピアニスト
一時過ぎに店を出た。小雨模様にもかかわらずまだ通りには人は溢れかえっている。今日はついていた。少なからずのチップをもらった。あの初老の社会人の人は誰だったのだろうか。チップをもらうことは時々あるが、だいたいピアニストをホステスと勘違いをしている成金趣味の偽社長といった人たちで「姉ちゃん、演奏終わったら焼肉食べに行こうや」などと誘われる。この業界に付き物の話なので対処もだいぶうまくなってきた。最初は「何言ってんだ、この禿親父」と思って笑顔一つ作れなかった。今は何とか近々どこそこでライブがありますので来てくださいくらいのことは言えるようになってきた。そうだ今日はちよっとだけ贅沢しよう。サラによってちょっとだけ飲んでいこう。各種の風俗の客引きが最後の稼ぎ時とばかり酔客を捕まえようとしている。この中に何人の人が音楽を真剣に聴いてくれるのだろうと思うと時々悲しくなるときがある。
サラのドアを開けた。案の定誰もいなかった。
「珍しいね、こんな時間に」と言ってマスターは焼酎のボトルを探し始めた。
「焼酎は後で飲むので,ダイキリ作れる」
「李乃、それはコルトレーンにmy favorite thingを吹けるかと聞いているようなものだぞ」
マスターは手際よくとはいいがたいがちゃんとシェイカーを振っているのを始めて見た。
「どうぞ、お疲れさま」
一口飲んだ、あれピアノバーで飲んだのとあまり差が無いと思った。
「マスター以外に美味しいよ」
「李乃、以外には余計だよ。その場合には三通りのケースが考えられるな、俺の腕が一流か、お宅のバーテンダーが二流か、お客さんの味覚が三流かだな」
「相変わらず口が悪いのね」
「でもどうしたんだい、カクテルなんか飲んだりして」
「今日お客さんにご馳走してもらったんだけど、曲名を知りたいと言って呼ばれたお客さんに・・・・でもスタンダードではなくて母が時々弾いていた曲。そういえばあの曲母の遺品整理していたときに出てきたカセットテープにも入っていたよ。ピアノは母親だと思う。いいサックスだったよ」
「ああ、あの曲ここでも時々やる曲だね」
「そのお客さん勘違いだと言っていたんだけど、何か隠している感じだったなー。あまり音楽についてしゃべりたがらなかったけれど詳しいぞオーラが出てたよ。有線の音楽に合わせてとるリズムが素人さんではない感じがした」

会社員
比呂美の娘が弾く比呂美の曲は美しかった。ピアノバーなのでテンポは落としてバラードにしていたがrainbow danceだ。40年近く前、比呂美と演奏した曲だ。私がテナーでテーマを取った。。そしてもう比呂美はいない。どこまで時計の針を戻していいのかわからず頭の中が混乱している。

ピアニスト
「マスター、今日つけも払っていくよ」と言って一万円をカウンターに叩きつけた。
「もってけ、泥棒」
「李乃、後でも良いんだぜ」
「大丈夫、今日たんまりご祝儀もらったから」
「ああ、そうじゃー7000円のおつり、もってけ税務署」

6月の年末調整

この月の前半は多く戻ってきたのに、ある日を境にいっぺんに持って行かれた。
2015.6.5 松島啓之 4
松島啓之(tp)南山雅樹(p)北垣響(b)横山和明(ds)
 松島は、輝けるバップ・スピリットを現代に注入する。そうかと思えば、ルパンJAZZに参加するなどレンジの広い活躍を続けている。彼は好感度高く受け入れられているが、その秘訣は鮮度溢れる実直な音と偉ぶらない人柄にあると言われている。一方、横山は出演回数こそ多くはないが、何といっても臼庭のLBライブ・レコーディングで存在感を決定づけた。彼はそこらで見かける水溜ですら細かい飛沫を付けながら太平洋に描き変えることができる異才の持ち主で、その大きなノリを生み出す固有の回路は脅威といえる。二人の楽しみ方を白鳳の相撲に例えてみると、スキのない盤石の取り口でその醍醐味に頷くことが一つ、結局勝つのだが白鳳の心技体が普段と違うバランスにはまってワクワクするのがもう一つ。松島の王道と横山の不思議道を言い当てるのには少々無理があるとして、いつもより攻撃的な北垣と自分に冷静な南山のコントラストも面白ろく、このライブは幾つかの角度から楽しむことができた。
演奏曲は、「ア・ロット・オブ・リビング・トゥ・ドゥ」(C・ストロウズ)「トレジャー」(松島)「スイート・パンプキンン」(B・ミッチェル)「エンブレイサブル・ユー」「ザ・キッカー」(J・ヘンダーソン)「テイク・ユア・ピック」(H・モブレー)「ブルース・ライク・ア・リスク」(松島)「レディー・ラック」(T・ジョーンズ)「ピース」「オーニソロジー」「ジャスト・フレンズ」など。
2015.6.12 鈴木央紹 4
鈴木央紹(ts、ss)若井優也(p)佐藤“ハチ”恭彦(b)原 大力(ds)
 1曲目に「バット・ビューティフル」。多くのライブで最初の曲はミディアムかそれ以上のテンポの曲が本日の腕慣らしとして採用されているように思う。鈴木のカデンツァから淀みなくバラード展開に持っていく流れは成熟したレギュラー・グループならではだ。振り返ると前回このグループを聴いてから2年くらい経つだろうか。時折客演している鈴木と若井のエイリアン2人とは異なり原には久し振り感が湧く。その原ワールドは相変わらず健在で、ドラムスが可能とする極限の繊細音が潮の満干のように変化しながら全体を包んでいく。たまらず我々ファンは北国のよろこび組と化してしまうのだ。演奏曲は、「ウイズ・ア・ソウル・イン・マイ・ハート」「ローラ」「ベリー・アーリー」「エローデル」「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」など。アンコールの「モナ・リザ」は実に感動的だった。
このグループは誰もが思うとおり非常に完成度が高い。全く余計な心配だが、これを超えたら演奏側はやることが無くなり、聴く側は関心が薄れてしまう恐れがある。成熟し過ぎると無垢の領域が葬られそうになる。彼らの稀有なる個性は際どい地平に立たされつつあるのかも知れない。杞憂であって欲しいものだ。余計な心配の後は余計なひと言。鈴木のライブには結構足を運んできたが、来るのをためらう時がある。一群の固定客を“常連さん”と言うが、鈴木の日には大勢の“女連さん”がやって来てギュウギュウ詰めになるからだ。俗に“アマゾネス・どっと混む”と言われる現象だが、高齢者に酸欠は少々こたえる。
2015.6.16 津村和彦逝く
 レイジーバードに数々の名演を残してきた津村和彦が亡くなった。丁度、松島4と鈴木4のレポートを書き終える頃にそのことを知った。この7月に米木・珠也とのトリオでライブが行われる予定になっていて、そのことを随分前から楽しみにしていたので心の遣り場がない。知らせを受けた日の夜に自室で津村を聴いた。津村の唸り声とフレーズがシンクロしている。鍋から溢れるように涙がでた。伝え聞くところによると、亡くなる直前、米木さんが“札幌に行こう”と抱きしめながら勇気づけたという。今は只々ご冥福をお祈りする。
(M・Flanagan)

追悼

ギターリストの津村和彦が亡くなった。七月に米木、本田珠也との日本最高のギタートリオで来てもらう予定だった。
深いけれども重くなく、爽快であるけれども軽くないギターだった。
初めて津村を生で聴いたのは25年ほど前になるが故古沢良治朗バンドであった。ギターが三人いる編成であとの二人はギンギンに弾いていたが津村はバッキングに徹していた。そのカッテイングのすばらしさに眩暈がした。
すぐ米木に電話した。
「すばらしいギターリスト聴いたよ」
「俺ときどき、DUOでやっているよ」
すぐ二人で来てもらった。それが付き合いの始まりであった。
45年ほどjazzを聴き続けているが飽きたときが二度ほどある。それを救ってくれたのが一度目がジョージ・アダムスのライブで、二度目が津村だった。具体的に言えば津村の弾くベラ・クルーズであった。
津村の歌に感動し、音楽に感動できる自分を再発見した。
lazyで数々の楽しいライブ聴いてきたがやはり印象に残っているのが2010年8月9日の伝説のライブだ。
臼庭潤、津村和彦、田中朋子,米木康志、セシル・モンロー
もう三人もこの世にいない事実に愕然とする。昨日7月の津村トリオのプレゼンターになるはずであった牛さんとこの録音を聴き続けた。二人ともいい年をして半べそであった。
津村、ありがとう、愛してるよ。
臼庭とセシルによろしく言ってくれ
僕の世界で一番好きなギターリストは永久欠番になるかもしれない。

嘘みたいな本当の話

「嘘みたいな」本当に起こった話を高橋源一郎と内田樹が選者となって応募総数1500通の中から選りすぐった話をまとめた本がある。これはポール・オースターのnational story projectの日本版の企画だ。ポール・オースターの方にも面白い話は載っているが長い話が多いので「嘘みたいな本当の話」ほうから何話か紹介したい。
出戻りベッド
自分の知り合いは、彼女と別れる時にベッドを彼女にあげたそうです。それから一年後新しい彼女できて、その新しい彼女の部屋に行ったら、前の彼女にあげたはずのベッドがあった。「どうしたの、このベッド」ときいたら、「寿退社した先輩にもらった」。
当人は「彼女は変わったが、ベッドだけは変わらなかった・・・・・」と言っていました
解説
これが本当の回転ベッド

モガといわれた女
近所においしい洋食屋ができたと言い出したので「店の名は」と聞くと「オペン」と答えた。場所が近くなので言ってみると店の名は全く違っていた。ばあさんは「open]の札を店の看板だと思っていた。
解説
groovy時代「グルーピー」様という領収書がたくさんあった。

男は辛抱、女は美貌
二十年ほど前に銭湯にいたばあさんは客の刺青者が短い小指で鼻をほじっているとすっぽりこゆびが入って見えるからか「汚いね!そんな奥まで小指突っ込むんじゃないよ」と叱り刺青者が仲間の分まで買ってやろうと「コーヒー牛乳これだけちょうだい」と言って片手(パー)を出したら、コーヒー牛乳4本とヤクルト1本出しました。
解説
似たジャンルで思い出した話がある。
僕が大学生のときだ。夏休みの時、銭函の北晴合板という工場で深夜のバイトをしたことがある。大型の乾燥機のベルトに木を乗せていく単純作業だ。だが注意を怠るとローラーに手をはさまれる危険もある仕事だ。
主任と呼ばれる人がいた。作業の注意点など説明してくれた。最後に「学生さん注意しないとこうなるよ」と言って左手を見せてくれた。小指と薬指の半分が無かった。
僕がびびったの見て笑いながら「冗談だよ。俺はこうなってから、ここにお世話になっている」
その主任とは休憩時間に時々話をするようになった。
「学生さん、すすきので揉め事に巻き込まれたら『北海の龍』という名を出してみな」と言われた。
幸いその名を出すことも無くここまでやってこれた。

暗証番号
友人が銀行の窓口業務をしていた頃の話。
ある老人がキャシュカードを作りにやってきた。書類をおおかた書いて最後に暗証番号を書く段になって老人は尋ねた。
「これは暗号のようなものですか」
友人は一寸違和感を覚えたが答えた
「ええ、お客様だけがわかる暗号のようなものです。この四つの枠内に書いてください」
老人はしばらく考えた末に言った。
「生まれた年でもよろしいですか」
「ええ、結構です」
枠内に力強く「イノシシ」と書かれていた
暗証番号は訂正が聞かないのではじめからもう一度書き直しになった。

これも最近僕が経験したことなのだが、深夜西28丁目まで行く用事があって北大通りで流しのタクシーを拾った。
帰り二時間ほどしてからまた流しのタクシーを捕まえた。
「北24条でいいですか」と聞かれた。先ほどの運転手さんだった。
僕はこの経験はもう一度だけある。
中学生のとき夜中に高熱を出して18丁目にある救急病院にタクシーで行ったことがある。母親が捕まえてきたタクシーだ。点滴などの処置をしてもらって少しだけ楽になった。帰りも勿論タクシーだ。たまたま手を上げたタクシーは同じ運転手さんだった。この話を母親にしたら50年前のことなのに覚えていた。まだ呆けていないので安心した。

ダイキリ

案内されたカウンター席からは窓越しに夜景が広がっているのが見えた。先ほどから降り出した雨の水滴が窓ガスを滴り落ちてそこにネオンと照明が乱反射して人工的な色彩をかもし出していた。背後からはピアノの音が聞こえてくる。as time as go byだ。センチな恋愛映画カサブランカの中で重要なな役割を持たされた二流企業の係長のような曲だ。
「何になさいますか」
「ダイキリを」
あまり酒にこだわるほうではない。ダイキリもヘミングウエイが愛飲していたと何かの本で知って馬鹿の一つ覚えで頼んでいるに過ぎない。ただ柑橘系の酸味と癖のないラムの組み合わせはキューバの昼下がりに飲むにはもってこいなのだろうとは想像がつく。そしてたぶんこの時間帯から飲むカクテルでもないのだろうとも思った。
時計は11時をちょっと回ったところだ。仕事で宴席をひとつこなしやっと開放されたところだ。
ホテルのバーのいいところは余計な話しをしなくてもいいことだ。出身地を聞かれることないし「巨人勝ちましたよ」と知りたくもない情報を押し売りされることもない。そのために安くはない料金を払っているのだ。
店内には三組の客がいるだけで一人の客は私だけであった。皆一様に小声で話すだけの思慮は持ち合わせているようだ。そして一曲終わるたびに反射的に軽く拍手を送っている。それが返って空虚に店内に反響して音楽を虚しくしていた。グラスが空になるのを見計らってバーテンダーがオーダーを取りに来た。
「よろしければ何かお作りしますか」
「同じものを」
「かしこまりました」
バーテンが小気味よく振るシェイカーの音が一瞬ピアノとシンクロした。
「よろしければ、リクエストも承りますが」
「いえ、音楽はあまり詳しくありませんので」と断った。
今日の商談はまずまずであった。札幌へ進出する足がかりになる可能性は大きい。
バックには淡々とではあるが卑しくはない音色でスタンダード曲が流れている。完全には無視できないその端正さゆえに返って思考を妨げるのだ。
二杯目のダイキリが空になろうという時、その曲が流れてきた。
その曲はスタンダードではない。知っている人間は限られる。私の知人が作曲した曲だからだ。
振り返ってピアノのほうを見たが、一段低い所に置かれていて大きく開かれた蓋が邪魔をしてピアニストは見えなかった。
「演奏が終わったら、ピアニストの方に一杯ご馳走したいのですが呼んでいただくことは可能ですか」とバーテンダーに尋ねた。
「かしこまりました」と答えてまたグラスを丁寧に拭きはじめた。
ピアニストはそれから2曲弾き終わってこちらにやってきた。20代後半と思われる女性であった。黒いニットのアンサンブルに黒のタイトスカート、同色のショートブーツを履いている。髪はきりっとポニーテールに縛り上げシンプルな銀のネックレスをしていた。ほっそりとした体つきではあるが目元には意志の強さを感じさせるものがあった。
「お疲れ様でした。少しお話をさせてもらっても良いですか。何か飲まれますか」
「ありがとうございます、それでは同じものを」
「ダイキリですが、かまわないですか」
「はい」と答えて隣の席に腰を下ろした。
二人分のダイキリを頼んで話を切り出した。
「最後から三曲目の曲、mistyの前の曲ですが、聴いた様な気もするのですが思い出せなくて」
「あの曲ですか、私も知らないのです。と言うよりタイトルが決まっていなかったのかもしれません。母がよく弾いていたものですから」
タバコを取り出し火をつけようとした。三度目を失敗したとき横から細い腕が伸びてきた。
「ありがとう、お母様のお名前を訊いてもいいですか」
「高橋比呂美といいますが、お知り合いですか」
「いいえ、そういう方は知りません。曲も勘違いだったかもしれません。お母様は今でもその曲を弾いているのでしょうか」
「母は昨年なくなりました。癌であっという間でした」
「立ち入ったことをお聞きしました。そろそろ失礼します」
精算を済ましピアニストにチップをと言って少し多めの現金を置いて足早に店を出た。
外はまだ小雨が降っていたが傘はささなかった。タクシーのクラクションが喧騒の中にこだました。

「比呂美、音楽はアマチュアでもできるよ。せっかく俺は外資の一流企業に就職できたんだ。ついてきてくれよ。
「私いけるところまでやってみたいの」
「君の能力ではたどり着くところは近くのコンビにだよ」
比呂美は踵を返すと雨の中をすたすたと逆方向に歩き始めた。
私は呆然と後姿を見送ることしかできなかった。
単なる青春時代によくある口論だと思っていた。その数日後短い手紙が届いた。
それから比呂美に会ったことはない。

ビールvol2

コートに降り積もった粉雪を払ってドアを開けるとまたペンギンがいた。僕はまだペンギンの顔を見分けられないが、ペンギンは人の顔を識別できるらしくあちらから話しかけて来た。
「いつぞやアイス・バーでお会いした方ですかな」
「やはりあなたでしたか」
アイスバーで会ったのが半年前になる。
今は雪祭りの時期で中心街は中国人、韓国人、数人のフインランド人で溢れかえっている。この店はそういう観光産業の恩恵は受けることなくポール・ブレイのソロピアノのように静謐に営業している。
「よろしかったら、隣に座りませんか」
僕は隣に腰掛けた。
「マスター、とりあえずではなくて・・・スーパードライ」
「一寸待ってください、よろしければサントリーモルツを飲んでいただけないですか」
「ですが、ここにはアサヒしかないはずですが」
「今日は、キャンペーンで置いてもらっているのです。なおかつ百円安いのです」
「そうですか。それでは、モルツを下さい」
「そうこなくては」
「今日はお仕事ですか」
「そうです、この時期は北海道地区を重点的に営業しております。北海道地区は営業三課が担当しておりまして私も営業三課係長補佐特命主任という肩書きで活動しております。ここのお店もアサヒしか置いていないのは知っていました。その牙城を切り崩すのが私の使命なのです」
ペンギンの語りがまた熱くなってきた。皮膚から湯気が出ている。おしぼりを使って顔をぬぐっている。お店でだされるおしぼりは手以外拭いてはマナー違反と言うのが常識だがそれがペンギンにも通用するかは微妙なので黙っていた。
ペンギンは話を続けた。
「私はモルツを飲みながら、お客さんにモルツを勧める。すると次に来るお客さんもペンギンと人間が楽しそうにモルツを飲んでいたとすると一缶ぐらい飲んでみようかなと言う気になるのではないですか。それとこれは大事なことですがお店にとっては原価がかからないということなのです。何しろこれはキャンペーンなのですから。サントリーは大きな会社ですからそれぐらいの予算はあるのです。第三課にも営業経費はあるみたいですが、『君はそこまで知らなくていい』と部長に言われました。残念です。私は係長補佐特命主任の名に恥じない職責を果たしたいのですが」

ペンギンはモルツを一口飲んで一呼吸おいた。
「明日、旭川に行きます。旭山動物園のペンギンの行進とタイアップのキャンペーンがあるのです。子供たちにモルツ缶を配るのです。お酒は二十歳からということは知っています。でもその子供たちが10年後、15年後あの時ペンギンさんがくれたビールだと思い出してくれてらどんなに嬉しいでしょう。」
ペンギンはこのキャンペーンを成功裡に導かなくてはならないことを何度も強調した。失敗すると沖縄地区担当にまわされるらしい。
「あそこは、暑いですし、基地もあり危険です」
と言ってビールを飲み干した。

泡盛2

ここに来るのは十年ぶりかな。そうそうあの岩陰でやどかり探したんだっけ。穏やかな海だね。水平線まで比重の違うリキュールを静かに注いだように青の層が分かれている。思い切り深呼吸をした。空の浮かんでいるクロワッサンのような雲を吸い込んでやろうと思った。これが娑婆の空気か・・・・こんなこと女の子が言ったらおかしいかな?
私は羊田メイ。24歳
そうそう、色と紺のボーダーの水着を着てイルカの浮き輪に乗って引っ張ってもらっているのが私。
バーからプールを見ている人がいるでしょう。あの人が私のパパ。
ついつい昔に癖で手を振ってしまうのだけれどこっちの私は見えないんだ。
そう、もう私は死んでいるから。
誰かが思いだしてくれたら年に数回こっちに来ていい事になっているんだ。
バーの方に行ってみよぅと。パパまだ私の方を見ているね。もっと色々あったのにこんなこと思い出しているんだ。
人影が無いプールを見続けているパパに片足の無い女性が「どうかしました」と聞いた。
「いえ、一寸思い出したことがあって」
私も飲んで良いかな。615号室の部屋付けにしておくね。一杯ぐらい多くついていたってわからないよね。
泡盛のソーダ割りか。やっぱり土地のもの飲まないとね。一緒に来た新ちゃんとマー君元気かな。あまりあっちには出る機会が無くて。んーんー。何も怒っていないよ。少しずつ忘れてもらわないと駄目なんだって。
パパと呼んでいるけど実の親子ではないよ。家出同然で出てきた私を拾って使ってくれたと言う感じかな。あのお姉さんは片足が無かったけれど、パパも女の子を小さいとき無くしているので心のジグソーが一個足りなかったの。その、ジグソーの形に私が似ていたのかな・・・
もう行かないと・・・・・・。
本当は駄目なんだけど私が来た証拠残していくね。

テーブルのグラスを倒した。
「すいません」すぐにモップを持ったバーテンダーがやってきた。
テーブルと床を拭いたバーテンダーが「お客様のお品ですか」と床に落ちていたパーラメントのタバコをテーブルのに上に置いた。私はもう一度目を凝らしてプールを見たが、プールサイドにぶつかるかすかな波音だけしか聞こえなかった。

おいしい、ウサギ

ペットのウサギが死んだとそのブログに書いてあった。可愛がっていたペットが死ぬと悲しい。正直あまり近しくない人が亡くなるより悲しい。僕も鳥を飼っていたのでよくわかる。でもそれを差し引いても一寸可笑しかった。そのギターリストのブログを読むのは初めてであった。スケジュールをチェックするのに初めてHPに入った。トップページが南の島の水上コテージだ。全くイメージに合わないのですが・・・・・・・。僕はそのギターリストS木と二度石垣島に行ったことがある。その写真は石垣島ではないが亜熱帯地方のどこかの島だ。ということはあの旅行は僕が思ってたよりもSも楽しんでいたのかもしれない。そしてはじめて読むブログが「ウサギは死んだ」であったのだ。それは「ママが死んだ。太陽のせいだ」ではじまるカミュの異邦人並みに不条理であった。
S木とは長い付き合いだがペットを買っているという話など一度も訊いた事がない。それもウサギですよ。うさぎ・・・。おまけに水上コテージのあとですよ。僕でなくともS木を知っている人間はクスッとなるでしょう。ペットを飼っている人間はある程度の付き合いになればペットの話を一度や二度必ずするものだ。もし僕がウサギを飼っていたら絶対黙ってはおけない。まして女性のお客さんが来ようものなら「俺ウサギ飼っているんだよ。名前・・・ももちゃん。ももちゃんて呼ぶと、折れていた耳をぴんとたてて話し聴いてくれるんだ。かわいいよ」なんて話すに決まっている。「マスターって動物にもやさしいんだー・・・」ということになり好感度が上がるのが目に見えている。
それなのにS木は江戸時代の隠れキリシタンのように隠し通した。本人もちょっと恥ずかしかったのかもしれない。犬、猫おまけしてインコなら言ったのかも知れない。たとえば「トランペッターーは誰好き」と言う話題だったとする。
まず、マイルス、ガレスピー、皆うなずく。C・ブラウンも。そうそう、ハバードも忘れたらだめだよね。と言う流れになる。そこで誰かがクラーク・テリーをあげたら空気は微妙になる。ペット界におけるウサギの存在はクラークテリーに似てると言ったらウサギファンは怒るのだろうか。
このペット話をしているときにピアノのM山もいた。小さい頃「いもり」を飼っていたと言う。これは隠していてもいい。先のトランペッター話でいうとダスコ・ゴイコビッチが好きと言うレベルだからだ。あまり本人になつかなかったらしい。イモリのことは詳しくないが手乗りイモリとかお手をするイモリは訊いたことがないから本人の責任ではないと思う。
その時僕はウサギを飼っている東京の一流ミュージシャンを思い出した。
大石学だ。みんな「へえー」と感心した。
「ウサギ、大石、かの山ー・・・・・」と歌ったらS木が睨んだ。
偶然は続くものでこんな話をしていたら翌日幼稚園東京支部のS名からメールが来た。
「今日、大石さんのライブ聴きに行きます」ということだった。
ウサギを飼っていないかきいてほしかったがよろしく伝えてとだけお願いした。

私の考えそこねたジャズ

2015.5.29 
加藤崇之(g) 佐々木信彦(g) 
 鬼才加藤と好調佐々木の2年ぶりのコラボだ。我々人間の世界には理屈では説明できぬ相性の良し悪しというものがある。初めて二人のDUOを聴いた時に佐々木にとってこの実力者は相性がいいと感じた。加藤の弁を借りれば“縁とは無理に動かなくても出会うものは出会う”と言うことだ。この二人、音のマイルド感を鉛筆に例えると加藤がB、佐々木がHなので、これが両者の掛けあいに濃淡のニュアンスを加える趣となっていた。
演奏曲は「サウダージ」「インナ・センチメンタル・ムード」「ボディー&ソウル」「星影のステラ」「ダーン・ザット・ドリーム」などのスタンダードとオリジナル曲の組み合わせとなっていた。後者は加藤の原体験が旋律へと駆り立てたもので、興味深く聴かせていただいた。「泣いて笑って」は失った女性との偶然の再会とひと時の会話、それが忘れ難たき人生の一瞬になってしまったこと。「歩こうよ」は活気を失いゆく商店街への応援歌、これはシリアス過ぎて筆者には商店街を直視した現実に聴こえるものだった。名曲「皇帝」は、プライドを捨てているように見せてプライドをまとう人々の大真面目と滑稽を大らかに歌い上げる裸の王様の物語だ。演奏が終わってから、この物語は加藤の音楽観と密接な関係があるように思った。例えば、その力量ゆえに的を外すことはないがそれ自体が歯車の狂いはじめになり得ること、演奏への情念がいつの間にかステイタスを得るための野心に変質してしまうこと、これらは割れない瀬戸物のように頑丈だが不自然な裸の王様に過ぎないのではないのか。加藤は人々が翻弄されるあり方に見切りをつけ、演奏において真実のみを採り出すことに賭けているのだ。筆者は考えることを目的にジャズを聴いている訳ではないが、加藤のように天才度が高い演奏家について突き詰めて考えると“嘘みたいな本当の怖い話”になりそうなので、思考のアップデイトは中止とする。ただ、聴いていて確認できたことは、加藤のフィルタを通すと、難しいこともこの日のライブのように心温まる音楽会として十分楽しめるものになるということだ。
ところで、いつも大真面目の側にいるギタリスト佐々木に普段とは違う雰囲気が漂っていた。人生の弦を張り替えたようなこの感じ、何かいいことアローン・トゥギャザー?
(M・Flanagan)

泡盛

僕はうとうとし読んでいた本を落としその音で我に帰った。プールの向こうには水平線まで完璧な水色の海が広がり静かに波を運んできていた。北国生まれなのでこの海の色をなんと呼んで良いかわからなかった。完璧な水色。そうとしか言いようがなかった。プールサイドには甲羅干しをしている客が何人かいるだけであった。先ほどから水面をたたく規則正しいビートが聞こえていた。美しいクロールのフォームであった。その女性は泳ぐのをやめゴーグルをとった。知った顔であった。昨日オプションのマングローブツアーでバスの席が隣り合わせだった女性だった。彼女はいったんプールサイドに腰かけ呼吸を整えているかのようだった。それからプールから上がりこちらにケンケンでやってくる。花柄のワンピースで肌は程よく焼けていた。そして左足の膝から下がなかった。
僕は本に目を戻した。ビーチベッドは僕の隣であった。
「あのーちょっとお話しても良いですか」と彼女が話しかけてきた。
「ええ構いませんが」
「読んでいらっしゃる本はカーソン・マッカラーズの『心は悲しき狩人』ではありませんか」
「ええそうですが」
彼女はごそごそとビーチバックの中を探し一冊の本を取り出した。ペンギンブックの『the heart is a lonely hunter』であった。これが村上春樹の「1984」であったりしたらさほど珍しいことではなかったかもしれない。彼女は下半身に大判のバスタオルをかけた。「周りの人に気を使わせるので・・・・」と独り言のように言った。
「ずいぶん年季の入った洋書ですね」
「そうなんです。学生時代の教科書ですから」
この小説の中身をごくごく簡単に言うと口がきけない主人公のところに色々な人が悩みを話しにやってくる。口がきけないのでずっと話を聞き続けてくれる。だが誰も主人公の話を聞いてくれない。なぜなら彼は口がきけないからだ。彼の名前は象徴的だ。口がきけないのにSinger。要はリゾートホテルのプールサイドで読むような小説ではないと言うことだ。そしてこの小説を何度も読む人がいるとしたら「聞く」事の大事さを知っているような気がした。
僕は運命論者ではないが縁は大事にする。「よかったら。食事前に軽くバーで飲みませんか。」とさそった。

「そうですね、着替えてきますので30分後に・・・」手際よく義足をつけバスローブをはおり宿泊棟に歩いていった。プールサイドにこつこつと言う音が響いた。
シャワーを浴びドット柄のアロハにベージュの棉パン、素足にスリッポンを履いた。
彼女は時間どうりにやってきた。白のvネックのサマーセーターに黒のジョーゼットのパンツを穿いている。言われなければ片足半分ない事などわからないほど動作が優雅であった。
「何、飲みますか」と聞いた
「せっかくの石垣島ですから土地の泡盛を飲みましょう」と彼女は答えた。
たっぷりのレモンを絞って炭酸で割ってもらった。バーの窓はすべて空け放たれており海からの風がかすかに潮の香りを運んできていた。
僕は完璧なクロールができて、左足の半分がなくてプールサイドで『the heart is a lonely hunter』を原書で読む女性がどういう話題を話してくれるのか楽しみであった。
「暑い所では、塩なめながらきついお酒飲みますよね。テキーラみたいに・・・・・泡盛もそういう飲み方するようですね。地元の方は・・・でもこの時間帯は潮の香りを嗅ぎながら割って飲むのが良いかもしれませんね」と彼女が口を開いた。
「チャーチルのドライマティーニの飲み方の話で似たような話ありましたよね」
「ベルモットのにおいを嗅ぎながらジンをストレートで飲むのが究極のドライマティーニだと言う話ですか。それってうなぎ屋の排煙筒の下でご飯を食べるのと似ていますよね」彼女は自分で言って笑った。僕も笑った。出だしは悪くはない。彼女の声には何か人を落ち着かせるものがあった。
「綺麗なクロールのフオームでしたね」
「私中学生まで水泳習っていましたから。泳ぐとまだ左足のキックの感覚を思い出します」
「辛い話をさせてはいませんか」
「私が辛くなるときは私が存在していないかのように振舞われるときです。私がプールから出るときあなたは目をそらして本を読む振りをしました。読んでいる本があの本でなければ私は声をかけないで立ち去ったと思います。
私の水着姿いけてると思うのになあ・・・・・」
「正直、いけてると思いましたよ。でもあなたはなぜそんなに前向きで生きられるのですか」
「16歳で足をなくすと言うのは辛いことです。でも今の私はそのときの自分に会いに行って話しができるのです。そりゃ辛いよね・・・・わかるよ。あなたが私なのだから。17年後完璧なクロールで泳げる自分がいるし、たまたま同じ本を読んでいる人が隣にいてお酒の誘ってくれてSingerさんのように辛抱強く私の話を聞いてくれる。それって素敵じゃないって励ますの。それが一度できると何かあるたび未来の私が出てきて何年後もそんなに悪くないと教えてくれるの」
「いい話ですね」
「もし私に彼氏ができるとしますよね。私はお姫様抱っこしてとせがむの。私重いと聞くの。そんなことないよと言うでしょうね」
「たぶん」
「脚があったらもっと重いわよと言うの。微笑んで頷いてくれたらその人と一緒にやっていける気がするのです」
「その人なら大丈夫かもしれませんね」
プールを見ると娘を乗せたイルカの浮き輪を引っ張る10年前の自分がいた。

カレーライスの偶然

朝起きると無性にカレーが食べたくなった。たぶん今年に入って一度も食べていない。芋と人参はあるがカレー用の肉はない。スーパーに行けばいいのだがそれほどまめではない。今食べたいのはカレールーであって肉ではないと言い聞かせ芋の皮をむき始めた。料理をしているときにラジオは欠かせない。「あまちゃん」の作曲で有名になった大友良英の番組に「カレーライスの歌」でデビューした遠藤賢二が偶然でていた。45周年らしい。僕もこの頃フォークソングをやっていたがこの頃デビューした吉田拓郎、高田渉、加川良そして、遠藤賢二も好きではなかった。だから「カレーライスの歌」を歌ったことはない。もともと本家本元のボブ・ディランが当時は好きでなかったのでその影響を強く受けている人は苦手であった。まだ自分の言葉で歌いたい何かはなかったのでアメリカのフオークを真似ているだけで十分だった。遠藤賢二は「昔のロックグループなんかさ英語がいいか日本語がいいかなんかって不毛な議論してさ。日本語のほうが言いに決まっているジャン。英語の発音気にして歌って何が伝わるの」という。半分はあっていると思う。この日の選曲は四人囃子やヒカシューなど、遠藤本人の曲はかからなかったが今は下手なjazzより好きな自信がある。
カレーも少量作ればいいのだが面倒なのでどうしても何皿分かを作ってしまう。何日かかけてやっと平らげて母の日、一応カネーションなぞ持って実家に行ったらプーンとスパイスの香りがしてくる。カレーだ。
「しばらく作っていなかったから」
僕は朝も食べたがおいしいねと言ってお代わりをした。
「そうかい、いっぱい作ったから帰り持っていきな」と言われた。
もう手が黄土色です。

3days

ゴールデンウイーク恒例となりつつあるT造の3daysのライブが終わった。今年でもう三年目になる。初日は本人の弁ではもう少しで脂が乗る中堅の先輩たちとスターンダード中心に疾風のごとく、二日目は頭の悪いマブダチと8ビートとフアンク系をのりのりに、最終日は札幌の大御所とオリジナルも交えてシリアスにといったところだろうか。初日のMCの「もう少しで脂が乗る」発言には笑ったが最終日の大御所連には『脂が出きった」とは未だ言えないらしい。今年のコンセプトはワンホーンで吹ききると言うことであったが、どのセットでもそれが出ていて気持ちがよかった。三日間トランペットでリーダーでバンドを引っ張ると言うのはさぞかし疲れるのだろうと思うが、
体力的は意味合いだけではなくて気も使うという。せっかくやるからにはお客さんもたくさん来てほしいと言うことで集客にも気を使ってくれていた。演奏する側と場を提供する側が共生していることが再確認できてうれしかった。数年前は楽器はそれなりにうまいがチャライ若者と言った感が否めなかったが、I哲といい、T造といい
大御所に教えてもらうべきことはまだまだあるが確実に成長していてそれを時系列的に見続けていられるのは幸せなことだ。最終日は例によって居酒屋で軽く打ちあがる。
店があって僕がまだ生きていたら来年もやることを確認して3daysの棺桶の蓋を閉めた。
なんまいだ、なんまいだ。
『お愛想お願いします、いくらですか」
『・・・千295円です」
『千円札でなんまいだ」

旦那芸

内田樹の文章に『旦那芸について』と言うのが在った。内田樹はもともと仏文学者で、もと大学教授でもあり自分で合気道の道場も運営している文武両道の方だ。趣味で能を習っている。その能の立場を旦那芸といっている。
自分がそもそもどういう技能を習っていて自分はこの芸能の「地図」のどのあたりに位置しているか、構えて言えば芸能史に於ける己の歴史的役割はなにかと言うことがわかってきたあたりという。こういう自己認知のしかたを「マッピング」と呼び自分自身を含む風景を上空から見下ろしてみるという事である。そうやってみてわかったことがある。それは自分がしているのは「旦那芸」だということらしい。
一人のまともな玄人を育てるためにはその数十倍の『半玄人」が必要でそれは必ずしも弱肉強食ということではない。「自分はその専門家にはなれなかったが、その知識や技芸がどれほど習得に困難でありどれほどの価値があるものかを身をもって知っている人々」が集団的に存在していることが一人の専門家を生かしその専門知を深め、広め、次世代につなげるために不可欠だと言うことだ。
これは僕が普段jazz業界に感じていることと一致する。
『旦那」は『裾野』として芸に関与する人のことである。年に数回」演奏するときの僕はまさに『旦那芸」である。
僕はjazz聴いてる歴は45年、jazzの店もやっている。風貌もラリー・カールトンやマイケル・ブレッカーに似ていないこともない。そうするとさぞかし楽器もうまいのだろうと思われがちだ。ほんとうに困ったことだ。
誰しも10周年にlazyで演奏してもらった演奏家のレベルにはなれない。全員が玄人である必要はない。すばらしい芸を見たときには感服する余裕は持ちたい。
締めの言葉はそのまま引用させてもらう。
私たちの社会は「身の程を知る」という徳目が評価されなくなって久しい。「身のほどを知る」というのは自分が帰属する集団の中で自分が果たす役割を自得するすることである。「身の程を知る人間」は己の存在の意味や重要性を、個人としての達成によってではなく自分が属する集団が成し遂げたことを通じて考慮する。
それができるのが「大人」である。
私たちは「大人」になる仕方を「旦那芸」を研鑽することによって学ぶことができる。
僕もそう思う。
性別に関係なくそういう「半玄人」を店で増やしたいと思って早10年。まだ道遠し。

communication breakdown

思わずツェペリンの曲を思い出してしまった。
その日はライブで定時を10分ほど過ぎた時にはお客さんはいなかった。僕は演奏を始めてもらうようにお願いした。その時「お客はいないが、俺のために演奏してくれ」と冗談交じりで言った。あらかじめ言っておくが会話はすべて英語でされている。演奏は始まったが明らかにリハーサルモードだ。
演奏が終わったとき『僕はライブが聴きたかったのであって、リハは聴きたくないと言った」ここから会話の雲行きが怪しくなった。まず僕の思い込みがある。演奏家と言うのは三度も飯より演奏が好きな人種でライブバーに来て真剣に音を出さないで帰ったらさぞ辛かろうと考えてしまう。
『自分は店の人間ではあるが、リスナーの一人である、真剣に聴いているつもりだ。演奏がぬるいのではないか」
『お前は自分の家にいるのか、お前は客ではない。私はお客がいないところで吹いたことはない。私は昼も働いて疲れている。何でお前のために演奏しなくてはならないのか。お前は利己的だ」話がここまで行くと誤解を解くのは難しい。ましてや遠慮のない英語だ。こちらは防戦一方になった。
僕はその人間のことを悪く言っているわけでも、自分の意見に同意してほしいわけでもない。
意思疎通は難しい。暗澹たる気持ちになってしまった。

一般的な人

橋本治の小説「渦巻き」に次のようなくだりがある。らしい。僕が今読んでいるのは高橋源一郎の『「あの戦争」から「この戦争」』と言う評論でそこからの孫引きで失礼!
<昌子は特徴のない女だった。結婚してからは専業主婦で、結婚前はOLだった。結婚を夢見るOLではなく。仕事に生きがいを見出すOLでもなく結婚と仕事の両立を目指すOLでもなかった。短大を出て就職しいずれ結婚も寿退社をするものと思っていた。未来を疑うでもなく、信じるでもなく、「未来」と言う言葉自体が「社会」にかかるもので、自分とは関係ないもの思っていた。信じるも信じないもなく、明日と言うものは順当にやってくる。 中略・・・・・・・・ しばらく待てば手に入るかどうかは別として、望む物は向こうからやってきた。そんな時代だった。昌子が特徴がない女だとしても、それで咎められるようなことはなかった。>
これを読んだ時、高校時代のある同級生Xを思い出してしまった。時代背景もたぶん僕らが高校生だった頃の様な気がする。Xは掛け値なくいい人間だ。僕が保障する。ただ若い頃は話していてもつまらなかった。NHK的な発言しかしなかったからだ。一般的な人は「考えない」のだ。僕が言っているのではなく、橋本治がそう言っている。けっして「一般的な人」を馬鹿にしているわけではなく、そもそも人間は考えるものなのだろうかと問いかけている。特に小説や映画の中では深遠なことを考えている場面にでくわす。僕も考えている振りをすることがある。だから考えていない人はすぐわかる。同じ匂いがするからだ。僕の今の職業はある程度まで考えても日常生活に齟齬をきたさない。jazzの将来についていくら考えても半分仕事だから問題ない。僕が北洋銀行の審査部課長だったらかなり難しい作業だ。適当にしないとあちら側の世界に行ってしまうからだ。
それで僕も適当に慣れて店でもあまり怒らなくなった。
Xは大学生の娘に「お母さん青春あったの」と訊かれたらしい。娘から見ても特徴のない女性に見えるらしい。
「そうよね・・・・」と口ごもってしまったと言う。
「何でちゃんと在ったって言わなかったんだい。xxxxとxxxしたことだって、いちどだけxxxもしたじゃない。子供三人成人させて孫ができて還暦にしては若々しいよ。普通で何が悪いのといってやれよ」
Xは自分に言い聞かせるように「あった、あった」といいながらにこにこしながら店を後にした。

僕も時々はいい仕事をする。
よいしょっと!

井上淑彦さん逝く

 3月27日にLBマスターから連絡を頂いた。2日前の3月25日にサックスの井上淑彦さんが亡くなられたというのだ。ここLBで井上さんを最後に聴いてから8年くらい経つだろうか。その日、井上さんは奥さんを同伴されていたので記憶の形が特別だ。その奥さんにLBマスターから筆者が井上さんの大ファンであると紹介して頂いたことを思い出す。
 当日のライブはピアノ林正樹とのデュオだった。井上さんは後年こだわり続けた「ウィッチ・タイ・ト」を演奏した。インタバルの時、今はドラムスがあるため滅多に接続されることのないカウンター席で、筆者から「イースト・プランツ」をお願いしたところ、ほほ笑みながら「やるよ」と言ってくれた。頷いた瞬間、井上さんの眼差しは店内の灯りを映していた。終演後、思い余って井上さんとハグした。込み上げて来ることばかりだ。
 今年の1月に井上さんのレギュラーバンド“fuse”のピアニスト田中正信がLBに来た折に「井上さんは夏頃の復帰を目指しているようだ」と言っていたので、筆者から「病が癒えたら、ここでまた井上さんを聴きたい」旨の伝言をお願いした。復活する期待の方に思いが流れていたので、今回の訃報はあまりに突然過ぎた。昨夜、自室にて「イースト・プランツ」を聴きながら井上さんのご冥福を祈った。合掌。
(M・Flanagan)

2015.1.29 幽玄郷DUO

石井 彰(p) 小山彰太(ds)
 日頃から東京のミュージシャンのライブ・スケジュールをチェックしたりしないので、誰と誰とが共演しているかについては良く知らない。唯一のチェック対象であるLBライブ日程のチョイ書きで過去の共演者や在籍したバンドを知ることができる。こうした事情は多くの人にとって当てはまると推察する。今回のピアニストについても演奏歴が不明だった。日野さんを聴くことから遠ざかっていることも理由に挙げてよい。さて、このチョイ書きどおり、大御所のもとで腕を磨いた演奏家が、本当に秀でた個性の持ち主であるのかを2時間後には証明していなければならない、この聴き方は意地悪な楽しみである。
 曲の入り方は、いきなりテーマのものから長尺のイントロのものまで様々だ。イントロを聴きながら、あの曲かこの曲かを想像するのは普通にあることだが、1曲目の「ミステリオーソ」は予想外だった。暗示力のレベルが高いとイントロが自立した曲のように聴こえるためだ。ここのところはアドリブと共にジャズを紐とく肝心なレシピと思う。ピアノは他の楽器と異なり持ち運べないため、同じ1台が多くの奏者に委ねられる。それによって幾通りもの音の個性を楽しむことができる。この日のピアニスト石井は力強さと繊細さを兼ね備えているが、かなり明快な音を基調としているように思う。明快だからと言って軽い訳ではない。その鳴らせ方により、秀でた個性の証明に2時間は全く不要だった。札幌に拠点をおいたために彰汰さんのことには触れづらいので、あるシチュエーションを設定することによって誤魔化したい。ここに建設現場があったとしよう。そこは普通、楽器音とは異なる不規則な大小の解体音や作業員が去った後の埃っぽい静けさがある。順調に進めば新たな構築物が出現する。だが、ステレオタイプの建物は利便性を優先していて面白みがない。彰太さんの音は徹頭徹尾構築に向かいながら、その解体をも辞さない不思議なスイング感がある。どうやらこの人はパンドラムスの箱を開けることに躊躇していないようだ。孤高の想像力にいつも以上の感銘を受け、改めてDUOという構成による聴き応えを感じた。
演奏曲は、札幌ではその選曲により生計の糧になっているヘイデンの作品から「サイレンス」、「ラ・パッショナリア」、雅やかな和の究極「ナラヤマ」、多分ウェスの「BB」、彰太さん「ロスト・スポンティニアス」、オーネット「ブローイング・シャドー」、アンコールは興奮を鎮めにかかる端正な「ユー・アー・マイ・エブリシング」で仕上げ。ふぅ~。
幽玄郷DUOが果たされたという意味で今日は“幽玄実行”だ。ライブとは全く関係のない内輪の話でまとめる。昨年末から1月にかけて、仕事のため東京に離れたLBゆかりの人物が別々に訪れた(H瀬とS名)。この秋には二人つるんでLBに来ると宣言していった。“有言実行”を願うばかりだ。また有害実行のK屋には良心をもって馬齢を開花させてほしい。
(M・Flanagan)

新聞ネタ

県3連覇
化粧品大手のポーラが全国の女性の肌の状況を分析した「日本美肌県グランプリ2014」を発表した。一位は三年連続で島根県で北海道は18位だった。「肌が潤っている」「きめが整っている」などの6部門で評価し4部門で出ベスト3にランク入りした。地域性かなと思い鳥取県を調べたが10位には入っていなかった。よく秋田美人と言うが秋田県は7位だった。秋田美人は色白で・・・・・と言うが色白は日照時間との連動している。そうすると北国はどの件も上位に入っているかと言うとそうではない。2位、高知。3位、愛媛となっている。
何か伝統的な風習で一位になっているのならうれしい。同社は「北海道の乾燥や気温の低さが潤いになどに悪影響を与えたが、紫外線の少なさが肌理のよさにつながった」とみている。
ポーラも化粧品の開発のためにデータ解析をしているのだが、今までの化粧品のキャンペーンを見ていると小麦色の肌がよかったり、透き通るような肌がよかったりでその年の戦略で化粧品を総取替えさせるぐらいのことは考えていると思ったほうがいい。そして化粧品は高い。飲んでいるときに値段を知ろうものなら持っているブランデーグラスをおとすぐらい高い。だがそのことは決して口に出してはいけないし、その化粧品が値段分の効果をもたらさない場合もあるがそれは考えただけで特定秘密保護法に抵触する。
2大学進学なら最高100万円
鹿児島伊佐市定員割れが続く県立大口高校の入学者を確保するため四年制大学に進んだ生徒に奨励金を支給することを決めた。旧帝大、難関私立大は100万、ほかの国公立と私大は30万を配るらしい。教育現場で金で若者を釣るのはやめにしてほしい。担当者は大口高校に注目を集めたいと話しているらしいが注目は集めていると思う。馬鹿な高校として。入学定員120に対し61人しか集まらなかったとしたら、根本的な問題を抱えていると考えるのが常人だ。この春大学に進学したのは36人だったらしいが選ばなければ全員は入れる時代に1000万の費用をかけてあほな大学に入る小賢しい高校生集めて市政を圧迫する愚かしい政策だ。いも美の飲みすぎだ。

株式会社化

新聞の片隅に「国立大の交付金改革成果で配分」との記事があった。教員や学生数に応じて配分されていたものを産学連携の研究成果などを点数化し配分に差をつける方針だ。
もう株式会社と一緒だ。会社の存在理由。「利潤の追求」これ以外にはありえない。良い悪いの問題ではない。会社も利口だ。優秀な人材がほしい。これには情報うを少なくし間口を狭くして相対的に学生数が多くなるようにする。溢れる学生は次を探す。これが人件費を抑える秘訣だ。企業側も再度学生を教育しなおすのは時間も金もかかる。大学時代に費用対効果の意識を持ってもらったほうが助かる。そんな思惑が見え隠れする。
そういえばノーベル賞もやけに特許に結びつく研究が多くなったような気がする。湯川秀樹のように科学の分野から世界を語るような人も出なくなった。
学生時代ある先生がいった言葉を今でも覚えている。「君たちは社会に出たら必ず有用な人間になるように求められる。学生時代は思い切って無駄なことをしなさい」
無駄といってもマージャンとパチンコに明け暮れることではないことはわかった。
僕は急速にJazzと映画に傾倒していった。
実際会社員になって大学で勉強したことがすぐ役に立ったことは何一つない。企業も年功序列、終身雇用が基本にあったので学生を企業色に染める時間的余裕があったのだと思う。「即戦力となる人材を求めている」こういう会社は危ない。どの学生も会社員になることは初めてなので即戦力など無理です。高校野球をやっていた大谷がすぐプロで通用するのとわけが違う。
大学も会社のようになってきたがこの国も会社の様になってきた。トップダウンで何事を決めたがる社長の様な首相が経済成長優先の政策一本で選挙に大勝してしまった。国家が会社のようであって一番困ることはつぶれることである。先進国はどこも成長率は低い。高い国はシエラレオネやアルジェリアなど基盤が整っていない国なのだ。前年はカダフィ大佐率いるリビアが成長率一位だと思った。ではシンガポールなどうなんだというかもしれない。金融と情報産業と観光だけで食べているあの国が一党独裁で自由が制限されていることはあまり知られていない。法人税も安く世界中から一流企業が集まって来る。阿部さんもそういうイメージを持っているのかもしれない。「法人税を下げなければみんな海外に移転して雇用がなくなりますよ」とか「原発を再稼動させなければ電気料金上がりますよ」といって恫喝する。
金がすべてではない。みんなちょっと我慢すれば国がつぶれないで存続するビジョンがあるのではないだろうか

最後に付け足しになるがCity jazzのプロデューサーが公金横領で懲戒免職になった。初年度一緒に仕事をしたがjazzに対する愛情のかけらもない人であった。自治体が文化の隠れ蓑を着て興行を打っている株式会社化の落ち着く先だ。