「今年もあっという間でしたね・・・」、かつて聞き流していた会社トークが、今頃になって身に染みる。レイジー・ライブで誰と誰の編成だったのかが明快に思い出せないことがよくある。しかも今年のことだったかどうかさえ怪しくなる始末だ。こういう時は、レイジーはマルチ実験の場だからシャーないと決め込むことで窮地を逃れている。そんな曖昧meではあるが、先を進めよう、まずは<上半期>から。年始のことはよく覚えている。タツル・里菜DUOで暖かみのあるスタートを切った。冬季は行動が鈍りがちになるが、2月に入ると田中菜緒子が若井俊也と柳沼を従えて一仕事をこなし、この流れで噂のギター平田晃一を聴くことができた。正統派の旗手だ。3月の記憶は田中朋子sextetで、朋子さんのallオリジナルにシミジミした。そして久し振りにフルート&ベースのDUO、アンタのバラードに好感。4月に突入、いよいよ粉骨砕身20周年の体当たり企画が実現した。一人づつならいざ知らず、このメンバーを札幌に集結させるだけで至難のことだったと思われる。そこから新たな物語が綴られていく。第1章は壺阪健登トリオ(楠井・珠也)、第2章はクライマックスとなる鈴木央紹参加のカルテットである。珠也は高を括ったように「ヤツとは、1,2回しか演ってなくてよォ」と反り返って言っていたのだが、演奏が始まるやいなや尋常ならざる異例のパフォーマンスとなってしまった。これは数あるレイジー・ライブのなかで最高峰に位置するものと確信する。珍しく央紹による調性にソッポを向いたような演奏が聴けたのは貴重。本人曰く「なんちゃってフリー」なのだそうである。壺阪のオリジナルが主体であったが、”Never Let Me Go”のようなスタンダードは全員の理解度の深さが結合されていて一言には置き換えられない。そして書かれざる終章は札幌から持ち去られた。珠也の男気によって東京で”レイジー・バード・リユニオン”なるユニットとなって20周年特別企画が継続されたのである。この突出した決断にはちょっと目頭が熱くなる。Jazz東京道五三次に新たな宿場ひと次が札幌レイジーから追加されたのだ。記憶に刻んでおこう。マズイ、これ以上この話を引っ張ると4月で今年が終わり兼ねない。暦をミシン目に沿って引き裂いて5月。前の月にエキサイトし過ぎてバッテリーが底をつき、暫く充電の日々が続いたようである。その傍ら、米木さん支援を呼びかけていたのは、説明不要の繋がり故であろう。中旬になると、.Pushトリオそして松島が一枚かむ。腕利きの中堅と大物の中で、若き富樫の才気溢れるプレイに頷かされた。毎年6月は件の米木さんと大石のDUOだが、今年は大石のSolo。学生客が多く予定曲を幾つか差し替えたり、緊急講座を開いたりの何時にない展開で賑わいをみせていたのだった。
時は<下半期>を告げる。7月になると入魂一徹のプログラムに出会う。まずは魚返明未と井上銘、ノンストップの40分に及ぶ一幕に「アンタらここまで演やるか」と唖然。この密度の濃いDUOに舌を巻き、飲み過ぎて舌がもつれた。一夜明けて竹村一哲グループ。このグループはレイジーに来演を重ねるとともに、最早、完熟期を迎えている。引き締まった出色のパフォーマンスが連続する。中でも一哲作の「トゥワイライト」は魚返が長めのイントロを引っ張り、そのあと銘がガツーンと入ってくる瞬間があり堪らない。アルバム「KAGEROU」でも採り上げられているが、インパクトの強さではこのライブに分がありそうだ。8月、央紹が来演できなくなり、本山トリオ(三嶋大輝、橋本現輝)となったが、本山のリーダー・シップの下、バックが文字通り”輝いて”いたな。9月は渡辺翔太のトリオ(俊也・海斗)から。ビッグな発展途上ドラマー海斗のプレイをしかと確認した。翔太はいつも素晴らしい、もち俊也も。次いでLUNA北海道ツアーの一環での一席、古舘・町田の2ギターによるトリオだ。どうやらツアーの中でも選曲その他、ここだけのSpecialメニューだったようである。月の〆は山田丈造4(武藤勇樹、古木佳祐、高橋直樹)、丈造を筆頭に皆んなレベル高いわ。残暑ともお別れの10月。例年は初夏のアルト・ヴォイス松原絵里がひょっこり秋口に現れ、どっしり風格を置いていった。少しズームを引かせて頂きたい。レイジーと縁の深いMarkがコロナ期のブランクを挟んで5年振りにカナダから来てくれた。たまたまライブだった鹿川3の北垣(b)や里菜4の菅原(tb)らと旧交を温め、彼も満足して帰国したに違いない。それから久し振りの按田・斎藤のクラジャ・ブレンド、ここには普段のライブと異質の緊張感がある。二人の演奏力だけでも楽しめると言っておこう。やれやれ霜月だ。この辺りになると昨日の熱気がすぐそこにある。加藤友彦トリオ(高橋陸・柳沼)がきっちりお膳立てをしてから、我らが松島の参入となった。最早その名聞いただけで音が聴こてくる。お題なしに”松島”と聞くだけでレイジーに座布団2枚。師走の「ライブ・ショーは歌謡」だ。古舘・夏美が昭和を誘い出して、まんまと別ものにリメイク。JAZZも決して油断してはならぬ。書き漏らしを悔いつつこうして振り返ると、おぼろな記憶を超えて忘れられぬLIVEが沢山あった2024だったと感ずるのである。あっちょっと待て、これからサンタ目掛けて池田篤ほかホット連がやって来る。Lazybird Watcherの皆さんに呼び掛けておきたい。締め括りのbirdsを数え落としては、今年は終わらないよ。何はともあれ二十歳になった今年のレイジーは青春してたな。
(M.Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2024.11.後期 ライブ三様
短期間で三つの放熱ライブ、冷めないうちに箸をつけておこう。
11.22 加藤友彦トリオ 加藤友彦(p)高橋陸(b)柳沼佑育(ds)
あれは3年前、喝采に至る経緯を思い出す。「トリオで思いつく最高のメンバーを連れてこい」、レイジーが三嶋(b)に出した宿題の答えが加藤と柳沼だったのである。一方、陸はおよそ10年振りだという。今や名の通った三人であるが、柳沼に至っては雨後のタケノコ状態で来演していて、支持率の勢い侮れないほどになっている。今回は現段階での彼らをファクト・チェックしようという態勢で聴いた。加藤には小気味のよいプレイをするという印象を持ってきた。ド派手なことに打って出ないが、それが趣味の良い演奏を可能にしているように思う。一聴マイペースに終始しているようで、進むにつれて如何に彼が多彩なスパイスの持ち主であるに気づかされる。珍しくエルモ・ホープの曲が採り上げられたので、家でホープのレコードを引っ張り出してみた。加藤は幾分か影響を受けているのかも。ベースの陸は多分初聴きになる(と思う)。従ってこのベースを最も注視した。彼はディテイルに拘泥されるようなタイプではなく、大きなノリに集中力を注ぎ込んでいるという見方を筆者はした。何でもヘイデンがお気に入りらしい。今日のところは深み追求の同盟員と判定しておこう。柳沼は相変わらずいいところで効果的なパンチを決め、トータルにしなやかだ。ツボを押さえるに長けたこのドラマーは、我らが近所のフィリー・ジョーなのである。なお、ファクト・チェックは道半ばにつき先延ばし。演奏曲は「Martha’s Prize」、「The Dolphin」、「雨上がり(陸オリジナル)」、「All Too Soon」、「In Walked Bud」、「Heren’s Song」、「Bellarosa」、「Black And Tan Fantasy」、「The Ballad Of The Sad Young Men」、「Cheek To Cheek」、「Too Late Now」。
11.24 松島啓之カルテット 松島啓之(tp)加藤友彦(p)高橋陸(b)柳沼佑育(ds)
毎年この時期の寒さを押し戻してくれるのが松島だ。彼が繰り出す躍動感がそうさせるのである。トランペットはジャズの歴史を彩どって来た花形楽器だが、この楽器はリズム隊のようなライブの常備薬と異なり、個人的には聴くことが意外に少ない。その意味からも松島には有難みを感じている。いつもの通りオープニングから突き刺し、そのまま急走していくところがたまらまい。かくしてジャズ・メッセンジャー松島に私たちは一息で「殺られる」のだ。アップテンポの曲には、ハード・バップの香り漂うが、ひたすら根性で押し切るようなものとは異なる良質な熱気がある。こうなると、浮かぬ気分のピープルをも上機嫌にさせてしまうに違いない。選曲の流れの中で飛び飛びに繰り入れられるバラードがはどうだろう。私たちにはラブ・ソングをモチーフとすることの多いバラードを深刻に聴かねばならないと思い込む一面がある。松島の懐深い心技は、そのそうした頑さを解きほぐす趣にこと欠かない。”さすがの松っちゃん”だ。演奏曲は「Just Because」、「Miles Ahead」、「Short Spring」、「Darn That Dream」、「Just At The Moment」、「East Thirty-second」、「Eluma(陸オリジナル)」、「Alone Together」、「Skylark」、「Chimes」、「All The Things You Are」。この日は日曜日、場内は”サンデイ・ナイト・フィーバー”に湧いたが、松島が帰京したいま、案の定寒気が強まってきた。
11.25里菜4±のクインテット
松島啓之(tp)菅原昇司(tb)本山禎朗(p)斎藤里菜(b)柳沼佑育(ds)
管のアンサンブルは実に気持ちがよい。ところ狭しとフロントの二人が牽引していくのだが、このスリルと寛ぎはこっちの気分を幅広にさせてくれる。上等な小部屋も良いが、こうした広間に通されるのも悪かろう筈がない。管の重奏はぶ厚く、ライブならではの直接体感が聴き手を揺すりつける。演奏全般を通じて感じていたことがある。札幌にいれば何時でも地元陣は聴けるなどと呑気な構えをしていてはいけない。とりわけこの日は、理想的なリアル本山を目撃した。ここら辺りを不用意に聴き逃すと”魅惑の松島day”に帰結してしまう。私見では本山の中で五指に入る出来栄えだ(あとの四本は伏せておく)。また、硬軟と緩急の覇者でならす菅原も、専ら熱さの側に身を寄せっ放なしだったのではないか。そして仕切りの大役を果たした斎藤は、集中と燃焼によって全身に湯煙が立ち込めていた。筆者の中では、彼女への淡い注目が手応えのある納得に切り替わったようだ。演奏曲は「Remember Rockefeller At Africa」、「My One &Only Love」、「Ease It」、「Ceora」、「I Got Rhythm」、「It Could Happen To You」ほか、名曲メイカーのH・シルバ、B・ストレイホン、B・ゴルソンの曲が並んだ。後日、眠りのうとうとの中に「2管’S Dream」が割り込んできた。真偽半々のハーフ・ドリカムってヤツだな。
標題はたまたま思い出した江戸期の学者「頼山陽」にこじつけた。
(M.Flanagan)
2024.9.27 山田丈造Quartet
山田丈造(tp、fl)武藤勇樹(p)古木佳祐(b)高橋直樹(ds)
ここんとこ考えさせられるワードは”若手”だ。「生のいい」という言われ方もするし、LBのライブを通じて彼等らの熱気を存分に体感しても来た。ジャズ史に話を振ってみると、名演と評価されている作品の相当数が、”若手”時代のものであることが容易に窺える。”若手”とは人の生涯で言えば、序盤から中盤に届くかどうかを指すが、名盤はそこから生み出されている。するとライブで目の前にいるこの世代を呑気に眺めている訳にはいかんなという思いが迫ってくる。彼らが自らをどう考えているかは預かり知らぬが、筆者は彼らが第一次黄金期の状況下にいると見なしているのである。今年もそれに対応するライブに巡り遇っているが、この山田丈造Quartetを聴いていて、その思いが益々強まっている。何と言っても各自が持ち味を引き出し合いながら、全体をバランスさせていく様子には冷めている余地がない。そして抜いた感じのひと下りが絶妙にコントロールされていて成熟を感じさせる。どの世界でも声を大きくしたからといって必ずしも相手に伝わるものではないのだ。ふぅ~う、もはや”若手”以外の適切なワードを見つけなければならないな。Thanks丈造、Thanksメンバー!。演奏曲は、「I Concentrate On You」(C Porter),「Scissors」(Takezo)、「Upper Manhattan Medical Group」(B Strayhorn)、「Glad To Be Unhappy」(R rogers)、「Funky Boy」(Takezo)、「Night Mist Blues」(A Jamal)、「Sail Away」(T Harrell)、「Little Girl Blue」(R Rogers)、「 Wail」(B Powell)、「That Old Feeling」(S Fain)。今回は丈造を始め古木、直樹について触れることも考えたが、多言を排してじっくり噛みしめて置きたい心境にある。何故なら”若手”について「今夜は再考」の日にしておきたいからである。
このライブで初めて聴いたのはピアノの武藤 だった。 演奏中に彼のバック・グラウンドや影響を与えたミュージシャンを想像したが、そのオリジナリティーについては逃さず捉えさせて頂いた。東京のシーンでのピアノはニュージャージー州のような激戦区だと思うが、途切れることなく活躍することを願って止まない。
(M・Flanagan)
2024.9.20 LUNA&Twin Guitars
LUNA(Vo)古舘賢治(g)町田拓哉(g)
この編成はLB3度目になる。ギター陣はこれまで同様エレアコとエレガット。振り返って選曲を思い出すと所謂ジャズのナンバーを多少控えめにしていて、昭和枯れすすき世代にとっては心のどこかに眠る曲を掘り出して披露していた。今回も基本的にその路線を踏襲していたといってよい。本ライブは題して『エモ・キュン』、つまりエモーション&胸キュンなのだそうである。LUNAにとって’70年の前後10年くらいに流行った懐かしの名曲や埋もれた曲の発掘はお手の物になっている。それは彼女が日常的に遺跡発掘の現場に関与しているのことからも納得がいく(こじつけに過ぎluna)。まぁ細くはないその腕によりをかけた、ジャジーかつポップなお手並みを十分拝聴することができたといえば、この本格青春グラフィティーの趣向をひと括りで言い当てることになるだろう。演奏曲は、「All Or Nothing At All」(Standard),「First Song」(C・Haden)、「Tow For The Road」(H・Manchini)、「End Of The World」(Skeeter・Davis)、「Good By My Love」(アン・ルイス)、「朝日のあたる家」(T・Animals他)、「Almaz」(Randy・Crawford)、「 時よ」(吉田美奈子)、「Memories Of Tomorrow」(k・Jarrette)、[Everything Must Change」(名唱多数)、このほかジェイムス・テイラーやトム・ウェイツといった大物シンガー・ソングライターものや、初めて耳にする金延幸子さんという人の「青い魚」が沁みる。そしてダメ押しで行きついた先は「Hotel California」、この過剰サービスには例のイントロ段階で場内あちこちに小さい笑いが起こっていた。
この日は大衆食堂の献立表を眺めているような感じだ。人気のメニューが居並ぶ中、いま時は売れ筋とは無縁になっいても楽曲の味は何ら劣るものではないと主張しているような一夜だったのだ。
(M・Flanagan)
2024.9.6 渡辺翔太トリオ
渡辺翔太(p)若井俊也(b)中村海斗(ds)
レイジー3度目の来演となる渡辺翔太、前2回のライブを通じて実に個性的なプレイヤーだという印象を持っていた。”個性”とは個人が容易に集団化しない自立性ぐらいの意味合いだとして、渡辺の演奏はそこにピタッと嵌まるものがあった。謂わば「誰か的」な感じがしなかったのだ。加えて彼は作曲の才に秀でていて、本節もオリジナルたっぷりの選曲で固めてきた。とかくオリジナルだと余ほどのことが無い限り、その”旋律”よりも専ら”演奏”だけに気を取られてしまうが、彼の場合はその両者が絶妙にバランスしているので、初対面だがお馴染みさんといった中々有り得ぬ満足感を得ることができる。おこがましくも筆者の評定としては、局面々々の切れ味は言わずもがなとして、徐々に奥へ向かって畳みかけながら淀みなくクライマックスに持ち込んでいくところが最大の聴きどころといったところだ。その聴きどころをひっくり返してみると繊細なバラードプレイが待ち構えていて、両面からの聴きどころが相成り立っている。これを勝手に”翔太マジック”と名付けてているのだが、知らず知らず私たちは渡辺翔太が思い描いている世界に誘い出されてしまう。それを以てマジックの種明かしとしよう。オリジナル以外では唯一C・チャップリンの「Smile」が採り上げられた。この演奏は彼のアレンジによって私たちがよく知る”ほんのり・しみじみ”した曲想とは全く別ものに仕上がっている。彼の何枚目かのCDに収録されているので興味ある向きは聴いてみることをお薦めする。円熟期の翔太マジックにまんまと引っ掛かるのは気分爽快だ。加えて今回は中村海斗が同行してきたこともこのライブに魅かれる大きな要因であった。彼の叩き出す重量感もさることながら、血沸きあがるような奔放さが何とも頼もしい。それが初めて聴いてみての率直な印書だ。何か起こしそうな要注目のドラマーである。幾度も触れてきたことだが、レイジーでは若井俊也が推奨する「東京の生きのいい若手を聴く企画」が何年にも亘り継続されてきた。その初期のころに来た連中は今や分厚い中堅層をなして活躍している。海斗を聴いていて「生きのいい若手」が後を絶つことなく 排出されているのを実感したのは筆者だけではないはずだ。演奏曲は「マンチャー」「Day Dream」、「つれづれ」、「Our Lady」、「Pure Lucks Bears In The House」、「歩く」、「Smile」、「 要」、「Sad Times Before Peace」、[Lullaby」。
今までのところ渡辺翔太を生で聴く機会は多くはなかったが、彼の”個性と発展”から目を離さないようにしていたいものだ。
(M・Flanagan)
beautiful live 7/19,7/20
2024.7.19 魚返明未・井上銘DUO
言うまでもなく、この両者は翌日に控える竹村一哲グループのメンバーである。このグループの過去数度に亘るLBライブから受けたインパクトは、今日のジャズ最前線からの一突きといってよい。この日は何度も来演して多くのお得意様を抱えている魚返ともっと聴きたいランキングのトップを張る花形ギタリスト井上のDUOで、アルバムもリリースしているこの二人、そうそう生聴き出来そうにもないので真剣に聴き耳を立て続けた。曲は夫々のオリジナル(*魚返、**井上)で構成されており、曲順に沿いながら、虚実お構いなしに掻いつまんで振り返りたい。ある風景を映像として楽曲化した揺ら揺らする「*きこえない波」、井上による不動の名曲「**The Lost Queen」、几帳面に畳んでも取り出すといつも絡まってしまうイヤフォン・コードの不思議を捉えた「*Dancing Ear Bats」、視えない向こう側を美的にイメージする「**丘の彼方」、ほのぼのlikeな「**Slumber」、さすが魚返の曲と思わせる「*Herbie Westerman」、次の2曲は通しで40分に及ばんとする「*Cycling Road」~「*Embracable Ladder」、これは本日のハイ・ライトをなす壮大な熱演で見事だった。このほか魚返作のタイトル未定の2曲が披露された。アンコールは清新な曲想の”風の組曲”から「*Part1」。ここに鬼才同士の一騎打ちが終演した。DUOにしては少々異例の長時間にであったが、それは終始緩みのないものであった。ため息交じりにジャズ研のギター担当に一言感想を求めてみた。「こめかみに来ましたよ」、急所を一撃、いや二劇三撃されたのだろう。どっこい筆者も負けず劣らずDUOの丁々ハッシッシにオツムが揺れる幻覚症状に追い込まれてしまったのだった。
2024.7.20 竹村一哲Group
井上銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
今回はGroupの第2作「KAGEROU」のリリースに伴う発売先行ライブとなっている。ここ4、5年内に一哲以外のメンバーもかなりの頻度で聴く機会に恵まれてきた。彼らの活躍ぶりは今や我が国のジャズ・シーンをあまねく牽引するに至っているという評価に行きつく。それと共にこのオール・主役Groupの纏まりも年々強固になっていて、息の合っていることが手に取るように分かる。脱線話になるが、とかく私たちは石鹸のアワ多ければ多いほど、より効き目が働いているだろうという先入観を持つものだ。しかし彼らが採り上げる多くのオリジナル曲は、その演奏力ゆえに余分なアワが払拭されており、オリジナル曲に対する妙な距離感を持つことなく聴き続けることができる。つまり冗長さのない実質のみの骨太さを感ずるのだ。このアルバムは全国に名高い芸森スタジオで録音となっており、それは本作にかける意気込みの強さの表れでもあるだろう。聴き比べると予想通り完成度のアルバムに対し拡張度のライブということになるが、どちらも充実感に溢れていることは共通している。プロだから当然とはいえ、このライブでは手抜かりのようなものが皆無と言ってよく、従って安心してスリリングな演奏の中に入り込めることができたのだ。Sold Outに納得する。
演奏曲は「MOZU」、アルバム・タイトルの「KAGEROU」、「陰のみぞ知る」、「Towilight」、「洞窟」、「The Memory of the Sepia」、「いきり」、「Snow Falls」、「Fall Of The Wall」、アンコールは、かつて一哲と共演を重ねた板谷大の「No」。
月並みだが、彼らの総合力の高さがストレートに伝わってきたというのが率直な感想だ。それはGroupを主導する一哲が、既に一ドラマーとしてのタレントを超え始めていることと深く関係しているのだろう。LBは日々多様な音楽を提供していて、夫々聴きどころに富んだものである。様々なフィールドを包摂しながらも、LBのポリシーとして中央付近に位置しているのは、紛れもなく今回のような王道を行く生演奏なのではではないか。両日ともスタンダード曲はなかったが、”Beautiful Live” それが筆者の目に映った店の景色 だ。
(M・Flanagan)
2024.6.28-29 大石 学 DUO & SOLO
ご承知の事情により6月の恒例企画は米木さん抜きに切り替えられ、大石・NAMIのDUOおよび大石のSOLOとなった。NAMIさんは何度か聴いているが、濃すぎず薄すすぎずの中間領域で活躍されているという印象をもっている。ライブで特段ヴォーカルを追い続けるような熱心さを持ち合わせては来なかったが、相手が大石となると別だ。大石はシンガーと自身を夫々自立させつつ、絶妙のコラボレーションを演出する。流麗に寄り添いながら、時折ドキッとするフレーズを注ぎ込む瞬間があり、それと同時にNAMIさんの表情から心が腕まくりし始めていることが見て取れた。こういう咄嗟の相互反応は我々をグイグイ引き付けていく。演奏は淀みなく進行するのだが、1ステ、2ステとも途中で大石のソロが各2曲挿入され、ライブ全体のメリハリに効果的な作用をしていたと思う。歌と歌バンに喝采だ。演奏曲は「Raindrops Keep Fallin’ On My Head」、「Under Paris Sky」、「Tow For The Road」、「生きていれば(solo)」、「安らかな志(solo)」、「One Note Samba」、「Corcovado」、「Devil May Care」、「My Favorite Things」、「So In Love」、「I Concentrate On You」、「Rainy Days And Mondays」、「上を向いて歩こう(solo)」、「ひまわり(solo)」、「I Let A Song Go Out Of My Heart」、「見上げてごらん夜の星を」、「New York State Of Mind」、「Caravan」。SOLOの日は前日の演奏曲から幾つかをピックアップしながら、「E More Me(≒いも美)」、「花曇りのち雨」、「I Fall In Love Too Easily」、「Alone Together」、「What A Wonderful World」などが選曲されていた。もっと聴きたかったが、それは来年の復活ライブを待つとしよう。
大石の2daysは会場を大いに湧かせて終了した。湧かせた理由は三つ考えられる。一つは何と言っても全くスキのない演奏によってである。二つは初日に二度不規則発言をしたことである。それは女性客が大半を占める中「今日は若い人がいらっしゃっていない…」(事実と推定されるが、会場大いにどよめく)、三つはNAMIさんが発した”かつて大石さんはよく正装で演奏していましたよね”とのコールに対し、Tシャツ大石のレスポンスは「ちゃんとした所ではちゃんとしたものを着る…」(LBとの長年の付き合いに照らし、会場大いにざわつく)。口を開く大石は、その社交辞令なき演奏と真逆なのである。なお、二日目はジャズ研メンバーになりたての学生さん達が多数詰めかけていて、終演後に大石による緊急講座が行われた。彼らは思わぬボーナス・トラックに等しく目を輝かせていたのだった。最後に米木さんのことに触れておきたい。年内はほぼ療養に専念と見込まれていたが、新着情報によると最寄りのライブ・ハウスでセッションに参加するまでに回復しているそうである。それを聞いて遠くから胸を撫で下ろしている。くれぐれも無理のない範囲で復帰の途を進まれんことを願うところである。
(M・Flanagan)
付記
この日の演奏を聴いていて二つの記憶が蘇ってきた。中本マリさんがlazyで「ひまわり」を歌ったときのことだ。臼庭潤もよくこの曲を演奏していた。この日マリさんはバックを務めていたセシル・モンローが亡くなったことを知らないでいた。臼庭がセシルとここで演奏した時20年ぶりと言っていた。思わず涙が込み上げてきた。「見上げてごらん夜の星を」は森山威夫バンドで井上俊彦が演奏している。1994年のアルバムである。このアルバムが発売されたときいつもクールに吹き切る井上に得も言われぬ暖かさを感じ思わず井上に感動したと電話した事を思い出した。二人とももうこの世にはいない。
2024.4.4 ~ 20周年記念LIVEの快楽演
Lazybird 20周年の記念を前に思いだしたことがあった。一つは名演の数々を差し置いて開業前の内装を拝見したときのことだった。その時点では前のテナントの名残があり、現在あるカウンターや椅子・テーブルは未だなく、壁が斜めになっている箇所(現在のドラム・セットのあたり)を見て、何がどう設置されるのだろうかと気を巡らせていたこと。二つ目は、晴れて工事が終了して暫くの後、同時営業していた隣接ビルのGROOVYを閉じてLAZY一本に統合するに際し、ボランティア数名で命のレコード・CDを一斉に移し替えすることになるのだが、作業段取のリハに真面目さを欠く人物がいて、本ちゃんで所定箇所に配置されず大顰蹙となる顛末があったことだ。1年を20回転させた歳月は、それを笑える想い出に変容させている。番外エピソードに時の流れを感じながら本論に入いろう。記念LIVEは初日から一人増え、二人増えと厚みを加えながら、来つつ去りつつの終盤は札幌の中核連合との手合わせとなっていった。これは1年のブッキングを短期間に凝縮したものと言えるものだ。因みに東京でも実現できない編成がLAZYで起こってしまうのだとミュージシャンが口を揃える。つまり今回も異例が規則になっていたのだった。
4.4 壺阪健登(p)楠井五月(b)本田珠也(ds)、4.5 プラス鈴木央紹
両日ともに壺阪仕切りだ。このメンバーの中だと彼は新世代に属する。普通の実社会なら若手に対し「お前にはまだ早い」的な空気が支配的であろうが、音楽では相互にインスパイアしていく度合いがその価値を決定づける。まずはキーマン壺阪がどう持って行くのか楽しみだ。予め選曲の構成をお知らせすると、壺阪のオリジナルとスタンダードなどが半々となっていた。オリジナル曲の核心は自作であるという事実よりも、独創性の「有無」によって真価が決定されるだろう。とすれば、壺阪の曲は「有」の側にあるだろう。それをプレイとどうリンクさせるのかが、普段にない編成での彼に課せられたミッションだ。筆者は壺阪が来た時はほぼ聴いてきた。その延長線上に今日もあるのだが、彼の躍動感が作りだす”うねり”に巻き込まれて、じっとしてはいられない状態を再体験できたことは報告しておきたい。他の人は壺阪をどう感じているのだろうか。奇しくも横に座っていた旦那さんが「初めて聴いたけど、藤井聡太のようだ」と語りかけてきた。超賛辞と受け止めるしかないだろう。演奏時間が押してしまうことは想定内だったが、”二十一世紀旗手”にバラードがもう一曲欲しかったと次回に向けておねだりしておく。他のメンバーについて触れておこう。楠井を初めて聴いたのは数年前にピアノとのDUOでやって来たときだった。その超絶技巧に細い目が丸くなった。だが超絶過ぎて、歌っている部分が上手く捉えられなかった思いがある。その後聴く機会を重ねにつれ見晴らしが良くなってきたのに気づく。それは単なる耳慣れによるものではないことを言っておきたい。今に始まったことではないが、アルコを入れるタイミングと音色にはハッとさせられたな。続いて本田珠也、先ごろホーム・ページに掲載された「わが青春の10枚」を読んでいると、彼が如何に多様な音楽に接し、課題に向き合ってきたのかが秘話を通じて伝わってきた。とかく気丈さ一点張りと思われがちな彼の演奏家像は、時として歩を休めながら随分思案してきたことが分かる。珠也が発する強さと繊細さはA面とB面の関係のように一つの作品になっているのだろう。彼の持論とする和ジャズの実現に立ち向かう姿は、目の前の感動劇そのものに映る。何故か分からないが「新しいことをやるには、習い覚えたことを忘れてしまうことだ」と含みのある発言をしていた洋輔さんを思い浮かべていた。いつもながら8系の音出しにブルっとした。彼は記念事業に欠かせない。珠也の来年今頃のスケジュール調整を急いで欲しいものだ。そして最後に駆けつけてきた鈴木央紹。意表を突かれたのは、これまで耳にしたことのないアブストラクトに爆走する演奏があった。本人は「なんちゃってフリー」と言っていたが、きっちりコントロールされていたのは流石だ。それはさておき、彼の演奏を聴きながら思っていることがある。彼の信条は曲を作った人に恥じない演奏を心がけるということだ。この自己約束こそ彼の演奏の深みと通底している。絶えずそれを実践し続けていることに真の実力というものを感じる。上っ面と無縁の地平は一体どこまで続くのだろう。気になって終演後、本人に確認したところ今年LAZYでのブッキングはないと言っていた。残念なことだ。では演奏曲をお知らせする。4/4「Stella By Star Light」、「Isolation」、「暮らすよろこび」、「Smoke Gets In Your Eyes」、「子どもの木」、「Quiet Moment」、「It’s Easy To Remember」、「Bye-Ya」、「Four In One」、「Little Girl Blue」など,4/5「Time After Time」、「Never Let Me Go」「酒とバラの日々」など。
神妙な面持ちで大区切りのライブを振り返ってきたが、ようやく頭がほぐれて来た。これだけのメンバーが結集するとレイジーの敷居が高くなる。実際の話、油断のあまり入り口で躓いてしまったが、幸いマスターよろしくケガなく良かったわい。それはさて置き、4/7の里奈3+珠也+鈴木と4/9の鹿川3+鈴木を聴いて筆者のお勤めは終了した。なお、重責を担った壺阪が7月末に小曽根真氏の企画によるピアノの競演が決定しているので(@キタラ大!ホール)、熱心なファンと中途半端に多忙な人は是非ともキタラで壺阪の雄姿を御覧あれ。もう一つ、数日前に鈴木は今年のブッキング未定と言っていたのだが、最終日に8月の再登場があることが判明した。こちらの方は多忙を極めていても、目標を外すことのないよう覚悟のほどを。LAZY20周年、誰しも同じだけ年齢が嵩むことになる。この度のような快楽演に巡り合うと、人生Warm馬齢を重ねていてもムダなことばかりではないと思うのだ。
(M・Flanagan)
2024.3.14 田中朋子Original Night
田中朋子(key)奥野義義(as、bs、fl)岡本広(g)斎藤里菜(b)竹村一哲(ds)
この夜は標題のとおり、田中朋子さんの作品集である。オリジナル作品のみの演奏と告げられて、我が意を得たりと思わせることは、そうそう多くはない。私たちはオリジナル作品について、熟す前の果物が出荷されているような印象を持つことがあることに薄々気づいているからだ。朋子さんの曲はその難を逃れていると常々感じており、筆者のみならずここに異論をはさむ余地はないと察する。ここ数年前から朋子さんは鍵盤ハーモニカを常備していて、アコースティックとは異なる味わいを付加している。曲にもよるが、フェリーニがいたら「私の映画に使わせて貰えないか」と申し入れがありそうな情緒豊かな音色が気を引く。毎度のことだが、朋子さんの演奏を聴いていると頭の中に過去の映像が映し出されてくる。ご本人の語りにもあったが、いくつかの曲において彼女がここレイジーで共演した今は亡き臼庭、津村、セシルの想い出深い演奏光景が滲み出てくる。その光景はかつては重々しいものであったが、今はスローに宙を横切るという風になっている。こういう思いの去来を通じて、田中朋子さんのプレイにはその演奏容量を超えた記憶が収められていると感じてしまう。喝采を送りつつ、柄にもなく感傷を隠すのに一苦労してしまった。この日はSextetというLB標準からするとやや大き目の編成で、時に華々しく賑わい、時に深いところに向かって偲び行く。何れも重厚な仕上がりと言えるものだ。この日は奥野の本邦LIVE初公開となった貴重なバリトン、時々アナーキーな岡本さんの歌いっぷり、菅原の抜いたフィーリング、一部高齢者の基礎票を着実に固めている里菜夫々の巧みさと調和がここにはあった。一人抜けている。「一哲、いい仕事してるよな」と掛けた帰り際の一声を以てレポートを納めよう。Original Nightの演奏曲は「Blues For Lazy Bird」、「Alkaid」、「Day Dream」、「母の絵」、「Hope」、「道くさ」、「Requiem」、「Life Long Friends」、「Vega」。
終わりに朋子さん今後についてお知らせしておきたい。今年はレコーディングを構想しているらしい。その頼もしき意欲には敬服する。なお、5月にはまたこの編成でLIVEが計画されているので、是非お運びのほどを。
(M・Flanagan)
Psnjab
2024.2.16 田中菜緒子TRIO feat.平田晃一
田中菜緒子(p)平田晃一(g)若井俊也(b)柳沼佑育(ds)
緊急告知があったとおり、曽我部泰樹(ts)が都合により不参加となったことに伴い、噂のギタリスト平田が代役を務めることになった。筆者はあいにく彼を存じ上げなかったが、LBのホーム・ページには「若手NO.1の」と記されていた。信ずるしかない。豪快な曽我部のブロウに諦めを付けたとき、このNO.1からの受けた第1報は洗練だ。まだ20才ちょい超えのこの演奏家から総じて研ぎ澄まされたものを印象付けられた。思うのだが、あっという間に過ぎ去る思春の期の意識は生煮えの熱意をあからさまにしたり、思いの丈を静かにに煮詰めていったり、その中間に身を置いたりタイプは様々だろう。平田は一見静か派にみえて、そこには熱い派を潜在させているようにも思える。こうした混み入った思いに至らせしめたのは、平田が大人然とした演奏をしていたからだ。伝え聴くところに依れば、彼はB・ケッセルほかジャズ・ギターのレジェンドのみならず、ジャンルを問わず幅広く音楽遺産を耳に蓄えてきたそうである。そのことを知り「成るほど」と思った。いま現在の彼が選択しているのは王道中の王道であるが、その彼はエモーションを露出し過ぎない処に立ち位置を定めているように思える。それが大人感の源泉となっているに違いない。今回は平田の持ち味をしっかと確認したが、今後どうなって行くかは興味津々ではある。おっと、筋立てを誤ってしまった。本ライブのリーダは田中菜緒子ではないか。彼女は毎年この時期に顔を出していて、今や馴染みの1人だ。前述のように平田に焦点を合わせててしまったため、入りの文脈が前のめりになったが、それもそのはず今回の彼女は平田を如何に引き立てるかに徹していたように思うのだ。因みにこの前々日にVocalのNAMIさんとの手合わせがあったが、後ろに回っていい仕事をすると感心させられたものだ。彼女の演奏は素人さんのようなMCと全く対照的な玄人さんそのものに他ならないと言い切ろう。演奏曲は概ね著名な曲とオリジナルとの半々の構成だ。「Punjab」、「Mine Mine」、「Monochrome」、「Willow Weep For Me」、「Costello」、「Nobody Else But Me」、「Estate」、「Monk’s Birthday」、「I Remember Smile Again」、「My Ideal」。他のメンバーについてちょこっと触れておく。柳沼は来るごとに番付を上げている。それが証拠に微塵も「俺が俺が」に流れずタイトなサポートを絶やすことがない。いま「渋いドラマーは?」と問われれば、「柳沼」と口を滑らせてしまい兼ねないな。そして心身ともに風格すら漂う若井俊也、彼はサウンドの整体師のような存在だ。如何なる状況にあっても体幹の歪みが見当たらない。こういう土台に乗っかていれば、住み心地が悪かろう筈がない。ついでながら「Costello」は珍しく若井のオリジナルで、そのタイトルは世話になった店の名前だという。早速「もっと世話になっている店があるだろう!」という不服申立ての声も聞かれた(笑)。いずれ何かいい土産を持ってくるものと期待しておこう。それはさておき、このライブをLB常連の魚返明未(p)が音楽担当を務めた映画になぞらえて言えば、田中菜緒子の『白鍵と黒鍵の間』に全員ピタリと嵌まっていた。この印象を田中のお国言葉にすると「気分が上がったばい」となるたいね。
(M・Flanagan)