<前半戦>
今年の序盤は記録的大雪との戦に敗れ、腰が制御不能の危険な関係の状態になって、丸1カ月くらい聴き逃しのブランクを作ってしまった。確か年始は楠井のトリオで好スタート切ったかに思われたが、まさに腰砕けとなったのが悔やまれる。自分の実生活LIVEはほどほどにする。その後、2月の中頃から復調し、何とか松島のLIVE(ts岡、ds原が参加の5tet)に間に合ったので、この時のことはよく覚えている。松島の突き抜ける演奏は湿布よりマインドの復活に効き目があったと実感したものだ。引き続き原は残り古典派LaCordaと共演した際に、演奏の外でショパン(Chpin)をチョピン、バッハ(Bach)をバッチとくすぐっていたのが年末の現時点では懐かしい。原はプレイも喋りも痛快。次に地元札幌の青年?将校本山が奇しくも2.26にソロ・アルバム「As it is」のリリース記念LIVEを挙行、このアルバムをもとに入魂のSoloを聴かせてくれた。因みに本山は札幌ジャズ酒場放浪記なる配信活動を斎藤里奈とともに実行し、ライブ環境の側面支援に努めたことを付記しておく。3月にはLBの血行改善に欠くことのできぬ重要構成員の鈴木央紹が登場(ds西村)、例によって聴き流しを許さぬ重厚然とした演奏を残していった。一気に融雪が進む。そして4月には17周年記念。久し振りの本田珠也企画だ。ピアノはOwl-Wing-Record を主宰し、貴重な音楽記録を後世に残さんと精力を注ぐ荒武、ベースは巨匠米木によるトリオとtb後藤篤が加わったカルテットのセッティング。リーダーは荒武が務めたように思うが、これだけの個性が揃うとムダ口を叩いている場合ではないとういうLIVEの見本。5月は壺阪健人トリオ(b三嶋、ds西村)。外見的には壺阪と他の2人は家柄が違うなと口が滑りそうになるが、人は見た目で判断してはならないという普遍的な教えに立ち返らねばならない。演奏が始まると繊細かつ大胆に後ろと巻きつき合う壺阪をジックリ聴くことができた。年の折り返しとなる6月、この月恒例の大石なのだが、交通トラブルで1日のみとなった。共演者の米木はエレベで望んだのだが、ウッドでのDUOとは異なる空気間感を確認できた。(いずれCD録音するらしい)。蛇足だが、何やらこの頃から「コロナ禍の中、お越し頂きまして・・・」という型通りのMCがなくなっていったように思う。今のB・ディランなら「時代は変わる」ではなく「時代を変える」と言うかどうか。
<後半戦>
7月になると九州を拠点に活動するピアノの奥村和彦(b安藤昇、ds伊藤宏樹)がおよそ10年振りに来演、前回と同様に不動の力強さだった。なお、同行したVo.西田千穂は個性豊かな歌唱を披露した。カラだと思っていた財布に何枚か入っていた時のような思わぬ嬉しさ。国土の狭い日本の裾野の広さを感じたものである。この月の中頃に山田玲率いるKijime Collectiveに番が回ってきた。この連中の勢いは誰にも止められない。初聴きのtp広瀬、ts高橋の2管圧巻、充足感。帰り間際にCDとTシャツの押し売り被害に遇ってしまった。アキラは中々の商売人だ。数日後に鈴木央紹の長期戦、この日に合わせてワクチン摂取の日をズラして大正解だ。筆者が板前ならこんな切れ味の包丁を手放すまいよ。月末に本山と按田(fl)を聴いてみた。持ち替えではなくフルート1本ということに興味を持ったからなのだが、何やら心が清められた、知らんけど。8月は盆のド真ん中にカニBAND。予定の8人が一人増え二人増えそして11人。あまりの賑わいに地獄の釜の蓋がガタガタswingしてたな。加勢で参加し、カウンター内につけた丈造のソロは短かったが惚れ惚れさせるものがあった。月の終わりに加藤友彦トリオがやって来た。トリオの翌日から何と松島と鈴木が加わる。切り札二枚が投入されると盛り上がり系の演奏の熱気は破格レベルに達した。折角新調したLBクーラーが効いていなかったような気がした。それを気遣うかのような「Skylark」は心に沁みた。この両雄はダブル王手を掛けて譲らず、そのまま9月に突入して行ったのだった。そして時は10月、1年をマラソンに例えれば35キロを過ぎて一番キツイ頃合だ。吸水ポイントで真っ先に手を伸ばしたのが(Jazzの)LUNAだ。珍しくも今年はこれが初登場。2日間1曲も被らせずに全うし、女の意地が淀みなしに伝わって来た。これはb若井俊也とp田中奈緒子による初トリオで組まれたものだったが、若井は最早多言を要しないとして、特筆すべきは田中の歌バンの上手さだ。LUNAがいつかまたこのトリオで演りたいと漏らしたのも頷ける。いよいよ晩秋にはようやく池田篤に出番が回ってきた。この時は本山がリーダーとなってb楠井、ds原という垂涎の編成。出演回数では米木に二馬身ぐらい差を付けられているとは云え、池田は堂々の単独2位に付けている。近頃は振興勢力の追い上げがあるとはいえ。池田はLB年譜の要所を占めてきた誉高きプレイヤーであることに揺るぎはない。思い入れが先行してしまったが、一つだけ言うと本山の愛奏曲「Fingers In The Wind」の池田はこの曲に新たな命を吹き込んだといっていい。強く印象に残る。11月は珠也4daysと.Pushの駅伝形式で、タスキ渡しを魚返が担うという 豪華リレーとなった。魚返は間違いなく重要な位置にいる。そして最終12月。大口・米木DUO。ここに見えるのは築かれてきた壁の高さであり、怠りなく手入れされた庭園の佇まいだ。息つく間もなくLUNAの百変化ショー、特命任務を完遂するアビリティーに喝采するしかないな。締めくくりは郷土の至宝竹村一哲が率いるBAND(井上銘g、魚返明未p、三島大輝b)。都合3度目になるが、これを聴かずに年を越すことは出来ない。メンバー同士がその場で驚き合うような圧倒的パフォーマンスだ。同世代の密集した能力が創り出す絶大なる成果を観てしまった。このLIVEを聴いて日が浅いせいもあるが、一哲BANDを聴けただけでも2022年は良い年だったと思えるほどのインパクトだった。
ところで私たちは「何色が好きですか」とは言うけれど「色は好きですか」とは問わない。しかし、「どんな音楽が好きですか」も「音楽は好きですか」も成り立つように思う。筆者は「生演奏が好きです」とだけ言っておこうと思う。何はともあれ、今年も様々な編成のLIVEに恵まれ、語り継ぐべきLIVEにも出逢えた。2003年もまたそういう「生演奏」に巡り逢えることを願って止まない。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2022.12.15-16 LUNA のMagicai Mistely Tour
これは世界中の歌をさすらう異色の無国籍シンガーLUNAを追った2日間のドキュメントである。初日の1ステはブラジルもの、2ステは昭和歌謡という誰にも理解できないカップリング。2日目は大西洋を行ったり来たりの英米Unpluged Rock。いま私たちがいるのは、「サンパウロ郡北の酒場24番地第6区」という架空の地なのだ。
12.15 ブラジル&昭和歌謡 LUNA(Vo)古舘賢治(g、Vo)板橋夏美(tb)
外は寒いが中は温暖だ。ブラジルものは音をほのぼのと包む雰囲気という先入観が付き纏う。しかし、歌詞のあらましを聞くと男女の出会いとスレ違いをテーマとする内容が多いようだ。あの国から惚れっぽい情操を取っ払うと、文化が成り立たないのかも知れない。それはそうと、ポルトガル語は皆目分からないのだが、筆者はVocalを楽器として聴いているので気にしていない。かつて洋楽が勢いよく入って来た時代に歌詞は分からなくても、これいいなぁと思ったことが原点になっているのだと思う。意味の分からない異言語の歌を受け入れられるのは、音楽が超文化圏的に世界流通する希なる特殊性を内在させているとしか言いようがない。筆者の中ではインストもVocalも殆ど同じと言ってよく、ただ刺激のされ方が違うだけなのである。その違いの秘密は単純に肉声と特定できる。そして今回も楽器としてのVocalを大いに楽しませて頂いた。例えば、1曲目の「Cigarra」という曲で、ブラジルではセミが“シシシッシッシ・・・”という擬音になるそうだが、我が国では“ミィーン・ミィーン”である。この違いを一本道に繋いでいるのが楽器としてのVocalなのかも知れないと思うのだ。他の曲は「fotografia」「falando de amor」「bridges」「samurai」「ponta de areia」。そして2次会は北の24番地、昭和歌謡へと突入して行く。好いた惚れたのブラジルから恨みつらみを心情の核とする世界へ転換だ。多くの場合、この世界は情緒の汲み上げ手腕によって出来不出来が決定される。それもそうだが、定めある歌唱時間を重苦しさだけで埋め尽くしてはいけない。曲順的にjazzならバラードのタイミングに昭和歌謡では肩の凝らないものをハメ込む軽重相殺の工夫が必要とされる。北の酒場でもそれは実践された。では曲順。まず「天城越え」。普通、お通しは軽めの一品なのだが、これは背筋が凍る恐ろしいサービスだ。お口直しにポップな「ルビーの指輪」、北国もの2連発「雪国」「北酒場」。松田聖子の「瑠璃色の地球」(初めて聴きました)。M&Bの「ダンシング・オールナイト」、バイオリニストの高嶋ちさ子がこの曲を歌いすぎて喉をツブしたと言っていたので要注意だ。そして最後は隆盛を極めた北方漁業への郷愁「石狩挽歌」。あっという間の長旅だった。
12.16 Unpluged Rock
LUNA(vo)町田拓哉(g、Vo)古舘賢治(g、Vo)
会場は第6区に移った。このトリオ、3度目の取り合わせだから正直に言おう。完成度がますます高まっている。ギターの腕達者ぶりは周知のとおり出色なのだが、最大のセールス・ポイントはハモリ。いま述べた完成度ウップはこのハモリのことを言っている。3者の息が測ったように揃っていて耳が全く疲れないのだ。ところで、筆者がRockを聴いていたのは若い時なので、そのラインに乗ってないと聴く機会の無かった曲になる。Rockの場合、大半がオリジナルを演るので、バンドと曲は一体的なものだった。B・ディランが「枯葉」をカバーすようなことは後々の潮流だ。従って個人の記憶としてRockはバンドと曲がセットになっている。この3人Unplugedにバトンを渡したLoud Three&LUNAの演奏の時から、Rockの遺産を今日の現役プレイヤーが扱うとどうなるのだろうかという思いがあった。実際、聴いてみると面倒なことはなく、ストレートに懐かしさが蘇って来たのだった。これはクリームやツェッペリンがリアル・タイムだった者の宿命だ。この日のUnplugedは騒音防止条例に引っか掛かることのないアコースティックを基調としているが、前任バンドと受け止め方は何ら変わりない。そしてRockの名曲にはそのバンドが消滅しても生き残っていく生命力があると思わされるのである。過去のリアル・タイムの宿命であったものが、時を移した現在のリアル・タイムの特典に切り替わったのだと思う。多分、この3人は”懐かしさ頼みで聴いてもらっては困るよ”と言っているのだろう。そこまで言うのなら、次回は新たなハモリ曲を出して来る覚悟ができているのだろう。演奏曲は「Jumpin’ Jack Flash」「Sunshine Of Your Love」「Will You Still Love Me Tomorrow」「Angie」「Dust In The Window」「Down By The River」「Nowhere Man」「Who’s Loving You」「The Long &Winding Road」「Forever Young」「Honkey Tonk Woman」「Hotel California」「Blowin’ In The Wind」。
無事に世界のカム・トゥ・トラベルが終わった。盛りだくさんで決めの1行が浮かばない。遮二無二締めるとしよう。モンキーズの「恋の終列車(Last Train To ClarksVille)」を歌うカサンドラ・ウイルソンンには意表を突かれたが、LUNAはその上をいったかも。
(M.Flanagan)
2022.12.10 極上の男たちのDUO
大口純一郎(p)米木康志(b)
一般論として人は年を重ねるとともに話がクドくなる。寄る年波に従って謙虚に自分を過小評価すれば良いものを、それとは逆に虚勢を張るように作用する傾向が強まる。かく申し上げるのは、少しばかりクドい話をさせて頂くからだ。筆者が育った時代はパソコンやネットはおろか電卓すらなかった。そうした時代あるいはそれ以前に制作された音楽作品が不朽の名盤を輩出してきたのは何故なのか。現代の技術進歩と音楽的成果は無関係なのか。面倒話になってきたが、すぐ終わるのでご容赦を。前置きとして、技術は一方的に進歩し必ず便利になるが、人の精神はこのことと歩調を共にすることはないと言っておこう。最新の機器を使いこなしていても、泣き笑いその他の精神反応を起こしてしまう理由は太古から何ら変わっていない。すると人の精神営為には何が残されているのかという問題に行き着く。このことを今回のLIVEと関連付けてみると、人の精神営為に残されているのは、殆ど磨くとか掘り下げるということの他に余地がないのだと考えてよいかも知れないと思うのだ。私たちはよく「緩み無き演奏」という言い方を耳にするが、それは聴き流しを許さない演奏のことを言っている。このDUOの演奏に当てハメて言うと、安全装置を外して演奏に向き合っているから、聴き手はいつ何が起こるか分かりかねて、聴き流すことを許してくれはしない。それは修辞を凝らしながら本質論一本に打って出る冷静な論客の語り口のようでもある。ここにはムキ出しの過激さのようなものがないことによって、逆に荘厳さが引き出されているようにみえる。説得力のある演奏とはこういうことであると思わされるのだ。前述した磨くこと掘り下げることを両者と第4コーナーを併走する気分で代弁させていただく。こう言っているようだ。「目差すはゴールじゃなくて通過点だよ」、どうやら止まったままでいることがないらしいのだ。演奏曲は「Minor Choral」「(W・ショータの古い曲)」「Let’s Call This」「I Should Care」「Moments Notice」「Ugly Beauty」「Mr . Sims」「Sopa de Aio」「Don’t Explain」「Ode to J.S. Buch」「I Love You Porgy」。
このDUOは“極道の妻(おんな)たち”の岩下志麻的な任侠セリフの凄みとは趣を異にする。しかし、突きつけてくる隠れた切迫感の凄みは“極上の男たち”による至高の振る舞いであると確信する。このたび私どもにおいて、駄洒落精神は磨かれもせず掘り下げられもせず、財津一郎的に「悲し〜ぃ」。
(M.Flanagan)
2.22.11.25 .PUSH Quartet
曽我部泰紀(ts)魚返明未(p)富樫マコト(b)西村匠平(ds)
これはレギュラーバンドである。統率が取れていることと予定調和的であることは全く別のことである。私たちはLIVEにスタジオ盤からの逸脱を期待して止まない興味本位な聴衆といってよい。想定外は大歓迎なのである。リーダーの西村はそこを見逃していない。彼が叩き出す高揚感はその証明といえるだろう。LB初登場からそれは変わっていない。バンマスへの献辞はここまでとして、まずは地元出身で若干二十才の富樫が気になる。頷かされるのは指がよく動くというなことではなく、持っているGroove感だ。ここには何ものにも代え難いヤバさがあり、筆者を含めより多くの監視員をつけたい逸材だ。次は曽我部、.Pushのソツないイメージを覆すゴリゴリ感で押してくる。なんでもLB(つまり全国)の巨星S・央紹氏の後輩筋に当たるらしいが、同一楽器につき面識を持つ機会に恵まれていないそうだ。巨星が聴いたらどう思うか分からないが、肝の据わった頼もしさは確かなものだ。大阪の中の大阪たる河内出身の暴れっぷりを当面は今の延長で見て置きたいリード奏者である。そして前ノリした魚返は遠慮会釈を肯定的に振り払い、リリシズムとエクスプロージョンが全開だ。この若き上昇集団は聴いて兎に角気持ちがよい。こういう連中がいるから隠居はお預けにされっちまうのよ。演奏曲は「Catch&Release」「Vernal Days」「Body&Soul」「Hiball Party」「Wanna Be」「Darn That Dream」「Town Work」「朝焼け5時散歩」など。(「Hiball Party」の魚返、恐るべし)。
この週は大変結構なHard Daynightsでした。(M・.Flanagan
2022.11.22 魚返明未Qurtet
魚返明未(p)秋田祐二(b)本田珠也(ds) feat.林栄一(as)
魚返は翌日からの出演予定であったが、この日が最終日の珠也に呼びつけられて前ノリの格好になったということだ。珠也の気合のほどが窺われる。その気合にリーダー魚返がどう応ずるかが注目される。魚返には不思議な演奏家のイメージが付き纏っていて、どことなく異端を好んでいるようであるが、未だ解けていない謎が潜んでいるのを感じている。このメンバーだと優れた絵描き達の落書き合戦になる可能性が強い。そこで魚返は癖のある画商の目にとまるようなオリジナルを持ち込んでバンマス然とした対抗策を練ったのではないかと思う。秋田によると魚返の曲で多少の混乱もあったらしい。だが聴く側には全く分からない。なんだか誤解と理解の見境がつかなくなる。それもこれもJAZZなんだろう。小難しいことは差し控えるとして「今日は来て“本当に”良かった」ということは力を込めて伝えて置きたい。仕掛け人の珠也はやや荒っぽい喋りは別として、誰をも裏切ることのない誠意を注ぎ込んで我らを異空間にTripさせてくれたのだった。演奏曲は「Four In One」「Alcohol Jell(魚返)」「You Don’t Know What Love Is」「Bird&Dizz」「タイトル未定(魚返)」「Mary Hartman」「Tattatta」「I Mean You」。
2022.11.20 創作料理「カニタマ」
秋田祐二(b)本田珠也(ds)菅原昇司(tb)南山正樹(p)三浦広樹(g) feat.林栄一(as)
本田珠也は鈴木良雄さんのThe Blendのメンバーとして道東から札幌までのツアーを終え、本来ならそのまま帰京するはずのところ、もうひと暴れして行くという申し入れを受けて、このLIVEが成立したとのことである。事前の告知ではカニ・バンドwith本田珠也であったが、開演直前に急遽「カニタマBAND」とアナウンスされ、そこそこ「笑い」を取っていた。それはさて置き、これだけ名前が並ぶと誰に焦点を合わせるか人泣かせである。ひと「笑い」も取ったことだし、対極の必須科目である「泣き」について考えてみることとしよう。かつて美空ひばりは「悲しい酒」を歌っているときに止めどなく涙が滲んでくると言っていたが、彼女の歌唱力から納得させられたものだ。演歌でもRockでも「泣き」を売りにしていることが結構あり、謂わば「泣き」を商品化しているのだが、そうしたことと本物の「泣き」は容易には判別しにくい。けれどもそこには確実に違いがあると感ずる。例えば年がら年じゅう怒りまくっているようなミンガスを聴いていると、堪らなくなる瞬間に引きずり込まれたりする。こういう時は素直に「泣き」を受け入れていいのだと思う。そこでだ、今日のSpecial Guest林さんに同様の思いが重なってしまう。荒々しくも極めて鋭利なアイスピックのようで、林さんの音からは余計なものが紛れ込む余地のないPureさを感ずるのだ。Pureさの本質は透けて見えるところにはないので決して騙さてはいけない。何につけ流されやすい我々ごときであっても、気がつくと叫びを囁きとして聴いてしまっていることがあり、それを大切にしたいものだ。今日は林さんの日にしよう。涙腺が決壊する場を提供して頂いたのだから。おっとっと、「カニタマ」の味つけについて言いそびれるところだった。リピーターは語る。相変わらず「濃い目だな」。演奏曲は「Monkey Business」「Lonely Woman」「皇帝」「Penny Saved」「Ladie’s Blues」「North East」「回想」「Mary Hartman」など。
2022.10.21-22 本山禎朗4「溢れ出そうな涙」
池田篤(as()本山禎朗(P)楠井五月(b)原大力(ds)
この度の初日は某役所がらみの興行ということで、飲み物の提供なしという異例の反社会的仕様のLiveなのであった。筆者にとってLiveとアルコールは、伝票と証憑のような出納原則的な一致の関係にあるので、それを反故にされるとロリンズ抜きのサキソフォン・コロッサスを聴いているような感じなのである。しかしここは大人として如何なる環境変化にも順応しよう。今回は本山仕切りのWith江戸の剣豪という身震いを誘う編成である。周知のように本山は安定的にクオリティーの高い作品を発表しており、押しも押されもせぬ札幌拠点の中核ミュージシャンとなっている。この世の中では若い時に方便として、周囲から期待のホープと言われ続け、そしてそのまま終っていく者がいるのは珍しいことではない。これにはかく言う筆者も心を乱してしまうが、こうしたホープ症の域内に本山の姿は何処を探しても見当たらない。そんな彼に転がり込んだのが今回のセットである。選曲は本山の愛奏曲が中心を占めるが、レジェンド級の池田と原に鬼才楠井が絡む包囲網によって、それらの曲がどう捌かれていくのか興味津々である。人は物思いに耽けながら全力疾走することはできない。本山!無心で疾走してくれと呟いていた。では、本山はどんな曲を厳選したのか。「Witch Craft」「We See」「Butch&Butch」「Pensativa」、「Blessing」「Fingers In The Wind」「Brilliant Darkness」「Misty」「Amsterdam After Dark」「Who Cares」「Just Enough」「Serenity」「Out Of Nowher」「Midnight Mood」「In A Sentimental Mood」などである。その中で印象深かった演奏曲の一つとして「Fingers In The Wind」を取り出してみよう。池田が静かにゝゝに本曲の輪郭を提示しながら、少しづつ内からこみ上げる情念を積み重ねていくのである。この曲はバラードなのだが、その枠組みを超えて解体と構築をシンクロさせていく圧倒的な創造性がここにあり、聴く者の心を打たずにはおかない。この曲の作者R・カークのアルバムを借りて言うならば「溢れ出る涙」を堪えなければならなかった。一つの物語が優れた脚本家の手にかかると物語の作者を追い越してしまうのだと思うのである。たまたま筆者の座っている位置からはカウンター・テーブルの隅に並ぶ池田の意欲作「Free Bird」が視覚に入っていた。鳥が自在に中空に飛び立つということは重力に対抗する力を有していることと言えるのだが、池田も同様に気迫を宙に舞わせているのを感じた。そのことに気づくためには、原と楠井そして本山のサポートという条件を必要としたのだと思う。
最近、「聞く力」を「馬耳東風」の意に書き換えてしまった政治家さんもおられるようだが、こういう粒揃いのLive演奏に浸っていると、つくづく『聴く力』が養われるのだと感じ入った次第である。
(M・Flanagan)
2022.10.6-7 LUNAの回帰現象
LUNA(Vo) 若井俊也(b) 田中菜緒子(p)
「芸のためなら女房も捨てる~」という演歌の一節がある。これに倣うと「Liveのためならジャンルも捨てる~」というのが、LUNAによる局地的な戦略である。このまま行くとシルク・ハットから鳩を出すくらいのことをやってしまうのではないかと恐れている。今のところどれを採っても本流と支流の区別がつかない一級河川の景観を呈していて、興覚めを寄せ付けない。今回は、一念発起、JAZZに徹するというのだ。しかも、二日間、一曲も被ることなくやり抜くと豪語する意気込みようだ。そっちもそうなら、こっちもこう。「一丁聴いてやろうじゃないか!」。演目は後で並べるが、よく知られた曲にオリジナルを交えるという構成だ。標題の”回帰”というのはJAZZ一本でいくという以上の含みを持っている。「失ったものを数えるな、残ったものを数えよ」と謎の名言を発したのは、かのB・グッドマンだが、今回のLiveでLUNAが言うには、古の自分が歌っていたド・スタンダードを現在の思いをこめて数曲取り上げたということだった。それが彼女の中で「残ったもの」なのだろう。このことが”回帰”の本当の意味合いである。成るほど、聴いているとエモーショナルに歌い上げながらも、月日の故に度が過ぎぬよう抑制されている。ここはLUNAボーカルの大きな聴きどころになっていたと言っていい。唐突だが、たまたま最近、中島みゆきの”糸”という曲を聴いたので、それになぞらえて言うと、”糸”と言えば仕上がりは別としてタテとヨコの関係から編まれるものを想起しがちであるし、非を唱えようとは思わない。ただ一方で、人は”糸”を使えば必ずついて回る”糸くず”と無縁に生を営んでいる訳ではない。このLiveを聴いていて、その”糸くず”をLUNAはどのように胸中に納めているのだろうか、そんな余計な思いに駆られてしまった。少々湿りがちになったところで、演奏曲をズラッと並べる。初日は「Body& Soul」、「I didn’t Know What Time It Was」、「My One &Only Love」、「Save Your Love For Me」、「 My Foolish Heart 」、「All The things You Are」、「残滓」、「Porgy&Bess」、「愛の語らい(Speaking Of Love)」、「Ellen David」、「Good By」、「Chega de Saudade」、「Here’s To Life」、「Autumn Leives」。そして翌日は「The Man I Love」、「It’s Only A Paper Moon」、「Nearness Of You」、「Tow For The Road」、「Lush Life」、「Loads Of Lovely Love」、「Peshawar」、「Se Todos Fosse Iguais A Vose」、「Re: Requiem」、「We Will Meet Again」、「Who Can I Turn To」、「Lawns」、「Fly Me To The Moon」、「Everything Must Change」。歌いも歌ったり、聴くも聴いたりの二夜に渡る「回帰現象」であった。次回登場は師走、ウルトラ・ウーマン吠える、シワッス!
なお、リズム・セクションを務めた若井の厚みと田中の清新なバッキングにより、スキを見つけようにも見つけられないLiveとなったことを報告しておかなければならない。次の日にこの両者によるDUOがあり、PM2:00スタートで白昼・白眉の演奏となっていたことを付け加えておきたい。
(M・Flanagan)
jazz研定期戦
jazz研定期戦
先週の土日北大と小樽商大のjazz研一年生の定期戦を開催した。コロナ禍で3年ぶりの開催になる。10年くらい前からの行事になる。当時の北大の部長と話していた時の事だ。6月の学祭が終わると新入部員が大量に辞めると聞いた。一部の部員は学祭でやりきった感を持ち、一部の部員は次の目標がないので続かないと聞いた。次の行事は12月の定期演奏会で半年先になる。夏の合宿が終わる9月終わりに一年生だけの発表会をやったらと提案してみた。それが何とか継続している形だ。今回の出場バンドは5バンド。商大は一年生部員1名の為2年生がバックアップする方法で1バンドだけだったが先輩の温かいまなざしが感じられた。学祭はお祭りである。ライブハウスで演奏するのとは空気感が違う。一年生は緊張しているのが手に取るようにわかった。演奏中は先輩たちと気難しそうなjazz barの親父が腕組して聴いているのである。心中お察し申し上げます・・・と言ってあげたい。こういう時、僕はノーコメントにしている。まず演奏することを楽しんでほしい。そしてまたライブがやりたくなったら戻ってきてほしいと思っている。願わくば良いリスナーに育ってほしいというのが最終目標だ。昼のライブの為打ち上げはないが店の前で先輩たちから色々なアドバイスを受けているようであった。何曲かはハリケーンに襲われた木造住宅の様に崩壊しかかっていたが生き別れにならない様手をつなぎ合って持ちこたえていたのが微笑ましかった。演奏が終わると犯人探しが始まった。反省はしなければならないが粛清は辞めたほうが良い。この2日間僕は感謝されまくった。「こういう貴重な機会を頂きありがとうございます」とバンドが変わるたびに言われるのである。誰か先輩の入知恵であろうが何度も続くと居心地が悪い。MCは緊張するのであらかじめ考えているようであるが官僚が書いた作文を読み上げる大臣の国会答弁の様にはならなかったので良かったと思っている。学生たちからエネルギーを貰った2日間であった。
2022.9.2 無条件の降伏と幸福
松島啓之(tp)鈴木央紹(ts)加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
4番バッターの次が4番なのは明らかにルール違反である。ところがLIVEというのは演奏家によるその時限りの営為なので、ルールはメンバーの掌中にある。従って、彼らが一般的社会規範の干渉を受けることはない。そこに率先して巻き込まれれば、私たちも普段の縛りを忘れてステージを見つめることができる。しかも4番以外もソロありバッキングありの機会均等で嘘がない。何とも羨ましいことだ。今回のような若手と経験を積んだ演奏家の組み合わせはごく普通のことであるが、このメンバーなら私たちをどう説き伏せてくれるのだろうかという思いが胸中を往来する。若手陣の聴きどころは枠をハミ出さんばかりに前に向かって突き進む俗受け関係なしの清々しさにあるし、一方の熟練者は若手であった時を水に流すことなく今日に反映させ、過去と現在を同一過程のものとして自身を研磨している。そうした違いが原動力となってバンド総体としてどのように調和するのかに興味が湧くのである。いま目の前で何が起ころうとしているのか。予想に違わぬことと予想をこえることの両方を期待しているのだ。先発する松島の躍動感は身震いさせるに十分であることは予想どおりであったが、この音色には良心が宿っているのではないかと感じたことは予想外であった。盟友の鈴木については、最早どう綴ってよいか分からないので、イメージを掻き立てたままに言うと、例えば、Mt.富士を描けと云われれば、多くの者がほぼ左右対称の典型的アレを描くのだが、彼は上空から俯瞰して如何ようにも描くのである。既定の視点にない処から放たれる演奏に終わりのない物語を感ずる。少し力を抜いて若手について触れよう。今どきの用語を使えば、彼らは一様に「持続可能な発展目標」を地で行っている。3人揃っているのを聴くのは確か3度目になるが、回を追うごとに進化している。出荷されない規格外の野菜には思いがけない味わいがあるのだ。そうでなければ選定厳しいLBの座敷に上げてもらえない筈だ。筆者はブッキングに関与する権利はないが、「また来るよ」と語りかける権利はある。彼らの日々の研鑽と奮闘とが音に滲んでいるのが伝わってくるのである。終演直後にヘトヘトになっていた加藤がふとフロントに向けてこぼした賛辞を以て結びとしたい。「あの人たちバケモノだ」。演奏曲は「Ugetsu」,「Serenity」,「Skylark」,「Craziology」,「Panjab」,「Ceora」,「La Mesha」、「Fun」,「All The Things You Are」。この日の興奮をCD-Rでお届けできるようなので、迷いなくLAZYBIRDのブログでご確認されたい。
先月の8月15日は、「終戦記念日」になっている。ところが世界標準では正式に調印行為のあった9月2日が戦争終結の日とされている。日本国は「無条件降伏の日」を意図的に不採用にしたと思われる。LIVEにはそのようなスリ替えはない。重苦しいことを持ち出してしまったが、このLIVEのあった9月2日を「無条件幸福の日」として調印しておきたい。昨今賑やかな事件簿を引いて今年は最後となる2管に申し上げる。「LIVEには行くが、松島の印鑑と鈴木の壺を買うつもりはないよ。」
なお、前日9月1日はリズム・セクションを務めた加藤友彦トリオのLIVEがあった。バンマスの加藤はリハした曲をやらなかったらしく、三嶋はこのルール違反に苦笑していたが柳沼のアグレッシブなドラミングもあってスリリングな出来栄えになっていた。彼らの白熱ライブもCD-Rの提供があるようなので、演奏曲を紹介しておく。「Simply Bop」,「Boplicity」,「Bolivia」,「This Autumn」,「Alone Together」,「Dolphin」,「Time After Time」,「Just Friends」,「Fogtown Blues 」。
(M・Flanagan)