守谷美由紀(as)須川崇志(b)本田珠也(ds)
今回のライブは「SECOND COUNTRY」発表に伴う北海道ツアーの最終直前でのもので、このアルバム・タイトルにもなっている曲は本田竹曠さんの“浄土”に収録されている。
本田珠也は継続的に幾つかのバンドに関わって演奏活動を行っているが、このトリオには本音中の本音を注いでいるように思われる。ライナー・ノーツの概要として、一つにはこれからの世代が様々な取組みを行っていることに対し、その多くを必ずしも好意的には見ておらず、むしろ、只管汗を掻きもっと腰の座ったものを見出していくべきだと喝破していること、いま一つは借り物ではない自らの精神的風土たる“和ジャズ”の体現である。ツアー用の広告に大きく書かれている『破壊と叙情』とは、このことを指しているのだろう。1回目はアルバムからの曲がズラリ。1曲目は「ハーベスト・ムーン」、この曲は収穫のメルクマールである中秋の刈入期を素材にしている。量より収穫の質を主張する守谷のオリジナル。2曲目も守谷の「M’sジレンマ」、張り詰めた「ギクシャク感」を味わっては?とこの曲は訴えている。なお、Mとは守谷のMではないらしい。3曲目も守谷のバラード「むかしむかし」。郷里の淡い原風景に色彩を付けていく須川の控えめなサポートが素晴らしい、その地には緩やかな川が流れているに違いない。4曲目は珠也の手による「キー・マン」。彼はこのトリオのために書き下ろしたのではないだろうか、三者のバランスが見事だ。2回目の最初はA・ペッパーの「レッド・カー」。苦境の人生を送ったペッパーは晩年、厳然たる演奏を残しているが、守谷のペッパー観を垣間見せるタイトな演奏だ。2曲目のアルバム・タイトル「SECOND COUNTRY」と3曲目の「宮古高校校歌」は一つの連続性において聴くべきだ。とかくソロに関心が向きがちな珠也の演奏だが、ここでのバッキングは壮絶。竹曠さんのDOUN TO EARTH精神が息づく。“和ジャズ”を極めることがインターナショナルな次元に道を付けるのだ。4曲目は、LBと珠也と臼庭のバミューダ・トライアングルから「アンチ・カリプソ」に点火。危険な選曲とヤバイ演奏の同時爆発に目が眩んでしまった。追加曲はゴスペルのスローな「ディープ・リバー」から超高速「オルフェのサンバ」へと快心の流れで終了した。付記しておくが、須川には耳慣れない展開が随所にありいつも新しい印象を受けている。また、神経が埋め込まれているようなアルコも出色だ。リードの守屋だが、彼女の演奏をおよそ1年前に聴いている。アルトが席巻する今日ではあるが、表現の奥行において守屋は一頭地を抜いたレベルにあると思う。今後も伸びしろに叙情の音を託して欲しいと願う。
珠也はピアノレス・カルテットの「TAMAXILLE/タマザイル」というバンドを率いている。それに因んでこのピアノレス・トリオの方は「珠冴える」とさせてもらった。
なお、翌日は札幌で堅実に活躍している田中朋子さんと岡本さんがトリオと合流したSpecial-QuintetのLive。朋子さんのオリジナルを交えた演奏曲は「アローン・トゥギャザー」「アイ・ミーン・ユー」「ヴェガ」「道草」「ジャックと豆の木」「アイル・キープ・ラビング・ユー」「祝!」「レディース・ブルース」。詳細は割愛させていただくが、朋子さんも岡本さんもそしてトリオも完全燃焼の様相を呈していた。熱気の渦に包まれていたフルハウスの会場も至高のひと時に酔いしれていたことを報告しておきたい。
(M・Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2018.6.1 “あにやん“ はからんや
清水末寿(ts)田中朋子(p)瀬尾高志(b)小山彰太(ds)
正直にいうと、清水末寿という名も“あにやん”と親しみを込めて呼ばれていることも知らなかった。聴く機会の少ないテナーサックスのライブということが、興味の全てであった。初めて拝見したその姿はかなりの年齢と思われ、よって今日は手堅くスタンダード中心の円熟ライブになるのだろと予想していた。1曲目はS・リバースの割と知られた「ベアトリス」であったが、その太く勢いのある音が先の予想を早くもぐらつかせ始めた。2曲目はD・マレイの「カレ・エストラ」。明るく軽快なメロディーを明るく重量感のある演奏に仕上げていた。3曲目は朋子さんの「潮流」。この曲はGroovyレーベルの世界遺産「サクララン」に収められている。ライブで聴くのは相当久し振りで感慨深い。なお、“あにやん”はこの曲名を「恐竜」に聴き間違いしていたそうな。4曲目は「よさこい節」。“あにやん”は東京を離れ長く広島を拠点に活躍されているとのことだが、出身は高知なのだそうだ。その「よさこい節」、前半はこの民謡の正調からスタートするが、途中から“あにやん”のアイデンテーが曲に襲い掛かり、土佐の酒呑み衆の果てしないバトルへと変貌していく。それを待ち構えていたショータさんが和太鼓の地鳴りのごとく大宴会を揺さぶり続けていったのだった。このアイディアに最敬礼。2回目の最初は朋子さんの「ジャックと豆の木」。タイイングの合わせづらい難所がこの曲の魅力である。頭の僅かなズレも何のその、“あにやん”はソロに入ると事も無げに吹きまくったのだった。2曲目はベース井野さんのO・コールマンが書きそうな「ディー・ディー」。演奏もフリーな感じだが“あにやん”は懐が深い。この人は至る処で経験値を加算していったことが窺える。ライブのまとめはブルース2曲、R・カークの「レディース・ブルース」とエルヴィンの「E・Jブルース」。ブルースはその形式のシンンプルさ故に危険でもある。隣席の年配男性が呟く。「こんなブルースをやってみたいものだ」。そう言わせるぐらい濃厚なブルースであった。アンコールは名物ショータさんのハモニカ付き「ファースト・ソング」。相変わらず全力投球の瀬尾の力演と珍しく鍵盤ハモニカを駆使して彩を添えた朋子さんのことを付け加えておく。
思いもかけぬ素晴らしいテナーを聴かせていただいた。楽器を志した時の意気込みが今なお維持されている人だと思った。予想が覆った時に“あにはからんや”という言い回しがある。“あにやん”に敬意を込めて今回の標題とした。
(M・Flanagan)
2018.5.11 北島PTA
北島佳乃子(p) 若井俊也(b)山田玲(ds)
昨秋このトリオを初めて聴いて手応えを感じていた。北島の予想を大きく上回る力強さ、山田のはち切れんばかりのプレイ、若井の抜かりないサポートによって上々のパフォーマンスになっていたことを付け加えておく。それでは二度目のライブに行ってくるとしよう。
1曲目の北島作「ブラッキー・スナッピー」は中々ご機嫌な曲だ。ブレーキーのメッセンジャーズから管を抜けば多分こんな演奏になるだろうと思わせるファンキーな快演。2曲目の「フー・ケアーズ」(ガーシュイン)をここではテンポを上げて演奏したので曲の雰囲気を変えてしまう仕立てとなった。3曲目の「オンリー・トラスト・ユア・ハート」はベニー・カーターの上品な曲だ。こういう曲に歌の人は手を出したくなるんだろうな。4曲目はバラード「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、この場にいなかった人にも聴かせてやりたい。1st最後はアップテンポの「ユアーズ・イズ・マイ・ハート・アローン」、若井と山田の緊張をほぐす掛けあいに会場は頬を緩ませた。2ndの1曲目はガレスピー「ティン・ティン・デオ」前半の熱を冷めさせない良好な保温状態の滑り出し。2曲目はT・ジョーンズの「レディー・ラック」。LBライブではこの曲を結構耳にするので東京の人気曲なのだろうか。3曲目はB・ハリスがその人に捧げた「ナシメント」では本家ハリスとはまた一味違ったぬくもりのある演奏となっていた。次の4曲目は北島の「ネイティブ・プレイス」。これは遠い故郷に思いを馳せながら書いたのかと思いきや、故郷にいながら故郷を綴ったものだという。このジョージア・オン・マイ・マインドの福岡版は旋律も演奏も心に響くものだった。最後はパーカーの「ムース・ザ・ムーチェ」をベースとしていると思われるが、モンクやら何やらが入れ代わり立ち代わり出て来るので勝手に「バップまぜまぜ」と命名した。言わずもがなのお祭り気分。アンコールは打って変わってピアノが音の気配りを追求した「ノー・グレーター・ラブ」だった。が、ドラムスの煽りで白熱のインタープレイに突入した後、名残惜しそうにテーマに戻っていったのだった。
冒頭のとおりこのトリオを聴くのは二度目となる。“北島PTA”とはもちろん保護者と教員の集まり、ではなく“北島Piano・Trio・Again”のことだ。90年代だったと思うが“ジャズ維新”という動きがあった。ひとまず今回の北島PTAを“快演隊”とでも言っておこう。
(M・Flanagan)
2018.4.27 超絶技巧DUO
魚坂明未(p) 楠井五月(b)
最近のBROGにおいて、宣伝文句の難しさが吐露されている。この二人には“超絶技巧DUO”と銘打ったものの、どう受け取られるのか躊躇の感をぬぐえない様子が伝えられている。そうではあっても、“これが最後のLIVE!”と言いながら、その後も延々と活動している騙しよりも正直で良いのではないか。本論に戻して、今回も“LB・プレゼンツ・今後を担う若手シリーズ”の一環として招聘されたDUOである。ピアノの魚返については、昨秋『. Push(ドット・プシュ)』で初演を果たしていたが、その時は機を逸したので筆者には初聴きである。ベースの楠井については菊池太光(p)とのDUOで二度聴いているが、この時も超絶技巧の隅から隅まで突き付けられた格好であった。さて、この両者は普段Ds.の石若駿が入ったトリオで活動していて、DUOはLBが初というのも値打ちものである。選曲はスタンダードおよび隠れスタンダードそしてオリジナルという構成である。初期のスタンダーズに名演が残されている「イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー」、このDUOではバップ感が抑えられたD・ガレスピーの「アイ・ウェイテド・フォー・ユー」、魚返のアルバムから「スティープ・スロープ」という中々の佳曲、いいタイミングで豪快にブルースする「ウォーキン」、続いて魚返の曲で「そばに離れて」という現実的には不可能な所作の題名ではあるが演奏に捩じれた感じはない逸品。次も彼の出来立てでタイトル待ちの曲。彼の曲には優れて端正さを感ずるが、その素材に演奏家として手を加えていくプロセスを楽しんでいるかのようなのである。次はミュージカルから「ストーミー・ウェザー」、荒れた天気に巻き込まれたというよりは窓から外を眺めながら物思いに耽っているような演奏。これもミュージカルからマイルスやロリンズで有名な「飾りのついた四輪馬車」で心が和んでしまいました。品のある歌もの「ブラックベリー・ウィンター」を情感たっぷりに挟んで、最後は魚返作の「エンブレイシング・ラダー」で、直訳は“梯子を抱きしめて”という瓦職人の姿しか思い浮かばないような不思議なタイトルだが、演奏の方はというと一切ハシゴを外すことのない両者のまさに“超絶技巧DUO”という宣伝文句に相応しく全開する凄まじい一級品。50年前にキースとペデルセンがDUOをしていたらこんな感じになったかも。アンコールはドット・プシュに魚返が提供した「パート・ワン」、心地よく寄り添ってくる旋律の曲を終わりに持ってきて鮮やか。
魚返は既に高い完成域に位置していると思われ、改めて聴いて見たいと思わせるに十分な逸材と受け止めた。一方の雄、楠井を言い表すのは難しい。フィギアスケートにはトリプル・ルッソとか素人の動体視力では回転数が分からないなりに、着地が決まって湧きかえることがある。楠井の演奏もそうした感じがする。ところで、今節、直前まで魚返をオガエリと読むことを知らなかった。何れにせよ、我が国若手ピアノの筆頭出世魚としてLBの生けすにかくまって置きたいところだ。
(M・Flanagan)
2018.4.13 13周年 Vol.3 ハクエイ・キム 楽団ひとり
長かった今年の13周年記念の最後は、根強いファンを持つピアノのハクエイ・キムだ。彼は4度目の出演になるだろうか?直近では昨年の秋にトリオ編成の“トライソニーク”でそのスケールの大きさに度肝を抜かれたところが記憶に新しい。今回は彼の新作『レゾナンス』リリース全国ツアーの後半に位置しており、十分練られた状態で彼のオリジナリティーに耳を傾けることができる筈だ。では、そろそろソロ・ライブのレポートをしよう。
1曲目はインプロヴィゼーション、音を探りながら少しずつ輪郭があからさまになる様子はキースを彷彿させるものだが、いつの間にか「ボディー&ソウル」にリレーする。LPレコード片面一杯々々の長尺演奏。3曲目はオリジナルの「コーヒー・カップ」、音数の多い部分ではカップからコーヒーがこぼれた。次からシンセサイザーが駆使されていくが、アナログ使用のほうが面白いとコメントされたものの素人には理解不能、曲名は分からないがプラネタリウムを音に変換したようなサウンドが繰り広げられて行く。1st.最後の曲はデトロイト・ジャズ・フェスに前述の“トライソニーク”で出演した時に、モーター・シティーと呼ばれるこの街の今を曲にした「ザ・ストリーツ・オブ・デトロイト」、終盤のハード・ワークは凄い! 2nd.の1曲目はオーストラリアの国民的な曲とされる「ワルツィング・マルチダ」。聴いたことがあるのに思い出せない曲は沢山あるが、この曲は聴いたことがなくても聴いたことがあるように思わせてくれる。2曲目、3曲目はスタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」、「ムーン・リバー」と続くが、特に、後者はシンセ効果がハマっていて“ティファニーの朝食”は宇宙の彼方。4曲目はアコースティックとシンセで両攻めのプログレ系「合奏(ザ・コンサート)」。こういうサウンドには根っから血が騒ぐと見える、誰もいなければ一日中こんな演奏をしているに違いない。最後の曲はアコースティックのみの「テイク・ファイブ」で、曲名を聞くと咄嗟にP・デズモンドの音色を思い出す面々も多いだろうが、ハクエイ・バージョンは今まで聴いたことがない。序盤では低音部と中・高音部が一騎打ちして強い緊張感が生み出され、中盤からは左右の手が目まぐるしく鍵盤を高速滑走しスリル満点。将にハクエイ的イマジネーションを尽くした超絶プレイで、他に類例をみない特異な演奏と言ってよいだろう。どよめきが湧き、それが収まらない中アンコールは「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」、シンセが重量音を発するオルガンのように絡む荘厳な演奏で締め括られた。聴衆は普段にはない貴重な音楽体験をしたのではないかと思われる。
ハクエイによれば、シンセは良き相棒だそうである。アコースティクとシンセを使えば、先の曲にもあったとおり複数楽器による“合奏(ザ・コンサート)”になる。しかし、それはハクエイのみの“楽団ひとり”としか言いようがないのである。なお、本文は遠く彼の地で“ひとり”勉学に励む完全無欠の岡本ショータ君に捧ぐ。
(M・Flanagan)
2018.4.6-7 13周年Vol.3 LOUDスリーRockにしみいるLUNAの声
LUNA (Vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
“一年に一度LUNAにRockを歌ってもらう日本中ここだけの企画”も3回目になる。これまでを振り返ると、個人的には1980年以降のモノは殆ど知らないが、そんなハンディは不滅のRockが蹴散らしてしまったというところである。Rock史に残る名曲の祭典に引き込まれるのには明確な理由がある。筆者がそれらを始めて聴いた時は、クラプトンもジミー・ペイジもまだ20代で、あの日のあの音と部分的に覚えているあの歌詞は脳裏に刷り込まれていて、老朽化の著しい我がハード・ディスクから消え去らないからである。無理矢理な線引きではあるが、JAZZが演奏主義であるとすれば、ROCKはオリジナル主義であると言える。従って、ROCKではトラディショナル・ソング等を除いて殆どそのバンドの自作曲しかやらない。そうではあるが、バンドが解散しても誰彼問わず長らく歌われ演奏され、そして聴き継がれていく不滅の名曲がある。それら名曲の同窓会が外ならぬこの企画である。
さて、Rockの名曲はアタマだけですぐわかる曲が多く、今回選曲されたツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ステアウェイ・トゥ・ヘブン」、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「ホンキー・トンク・ウイメン」、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」などはその最たるものであり、襲いかかって来るその瞬間が堪らない魅力でもある。今回のLIVEで一番喝采を浴びたのは「プラウド・メアリー」、ということで意見が一致するだろう。最初の1コーラスをスロー・テンポで流した後、一気に倍テンに突入し、リズムセクションのヴィヴィッドで息の合ったバック・コーラスに乗ってシャウトしまくるLUNAは圧倒的、しかもその容貌が“怪女in熟女”のティナ・ターナー風だったことによって鮮明な記憶として残り続けそうだ。他には「メルセデス・ベンツ」(これはLUNAの素晴らしいVocal-solo)、「ムーブ・オーバー」、「リトル・ウイング」、「ファイアー」、「レディー・マーマレイド」、「リデンプション・ソング」、更に誰かのブルース曲やインストでBeatlesの曲等、趣向満載の2日間であった。3回目ともなると以前にまして4者のバランスが良く学習効果も申し分なし。不発弾なしの竹村一哲、選曲ごとにベースを使い分ける念の入れようの秋田、勢い余って1弦がプツンの碓井、まるでジャズシンガーのようなLUNA、わぉ!札幌は時ならぬ春の寒波に見舞われていたが、この程度のものはLUNA+Loud3による桁違いの熱気の相手ではない。
効き目のないサプリは何錠飲んでも若返らないが、LB製薬のLUNAコーワは一夜にして身心を若き日に引き戻してくれる。そうした心境を見透かすように最後の最後にボブ・ディランの名曲「Forever young」でLiveの幕が下ろされた。我々普通人は10年後にこう思っているに違いない。青春とは言わないまでも“せめて10年戻ってやり直したい”と。人生は大体こんなもんである。そこで筆者は会心の決意をしてみせよう。10年後は“10年前のようにRockのLUNAを聴いてやる!”。何だか、これ嘘っぽいナ。
(M・Flanagan)
2018.3.16 13周年Vol.2 田中奈緒子trio
田中奈緒子(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
何やら外が騒がしい。我が国において“jazz”は“改ざん音楽”と訳さなければならないようである。お互い裏で成り立つ闇社会だから笑えない。都合悪くなるとメンバーに責任転嫁するバンマスもいそうだから青ざめる。まぁ、カルロス・序文はこのくらいにしておこう。
さあ、13周年Vol.2は、LBの密使若井の推薦するピアニスト田中の初登場である。これまでの若井の人選経緯からただ者ではないに違いない。早速、流れの沿って進めてみよう。1曲目は「ス・ワンダフル」、かなり凝ったアレンジで、一聴、原曲と結びつかないユニークなものである。2曲目はドナルド・ブラウンなる人の「ワルツ・フォー・モンク」というモンクを想起させないモンクに捧げられた面白い曲。この2曲までの印象速報としては、小気味いいいが少し小ぢんまりしている感じで、この後や如何に?の思いを持つ。すると俄かに田中も13周年の雰囲気に慣れてきた風である。3曲目、スタンダードの「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」当たりから思い切りが良くなってきた。4曲目のオリジナル「アプリシエイション」になると若井が狙っている渾然一体のインタープレイが展開され、若井と気っ風のよい西村に乗っかって田中の持ち味もはっきり捕まえられてきた。5曲目はアップ・テンポの「ニュー・ヨーク・アティテュード」というK・バロンの曲である。敬愛する演奏家の曲に彼女のスピード感がよく似合っていた。2nd.の最初はシダー・ウォルトンの「ハインド・サイト」という曲だった。彼女によればこの曲はN・Yではスタンダードのように演奏されているらしい。印象としてはバップ後期のスリルとエレガンスがカップリングされたような曲だ。面白いのは次の「プレリュード・トゥ・ア・キス」、聴き馴染んだテンポより相当速く、この前奏曲に対応できる接吻はイタリア映画に出て来る開放的な庶民の男女だけだろう。3曲目のD・ピアソンの「イズ・ザット・ソー?」の段階になると田中の資質全開になって来ているのが分かる。次は4曲目あたりの指定席であるバラード、「ボディー&ソウル」だったが端正にまとめられていた。一度バラード中心のライブを聴いて見たいものだ。多分、田中が今日やりたかった曲を最後にぶっつけてきたのだろう、オリジナルの「ミュータント・タートルズ」、これはアップ・テンポの曲。演奏家が楽しめているかどうかを聴き手は結構正確に見ている。田中と若井・西村、生き生きした演奏とは華と根の部分が絶妙に繋がっていなければならない。それによって総力をあげた演奏になるのだ。アンコールは「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」で余すとこなく終了。一夜聴いた結果として、田中の全貌とは言わないまでもその才気の片鱗は十分伝わってきた。田中は客の反応をしっかり心に納めて東京に向かったはずである。
因みに江戸の後期に起こったのはシーボルト事件だが、この13周年においては田中菜緒子の“She Vol.2事件”ということにしておく。
(M・Flanagan)
13周年ライブ 酔いに負けた当方見聞録
2018.3.2 石井彰(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
この季節は鬼門だ。13周年の幕開けは数年に1度の暴風雪、空の欠航と陸の運休の連鎖となってしまった。石井・米木両氏は函館で足止めを喰いながらも、ブリザードと戦いながら車で8時間かけて13周年の金曜日に札幌着と相なったとのことである。
それではではライブへ。1曲目は「ユー・アー・マイ・エブリシング」、この曲は管による押しで艶が出るイメージが強く残っているが、ピアノが主導すると俄然品が強調されるように生まれ変わっていた。2曲目の「ワルツ・ステップ」は富樫雅彦さんの曲で初めて聴いた。実に可愛らしい感じで、富樫さんてこんな曲を書くのかと意外に思った。3曲目はジョビンの「ワンス・アイ・ラブド」、魔術師の曲をしなやかに仕上げ、心が温められる。4曲目は「アイ・ラブ・ユー」、本田さんにこの曲を収録した同名のアルバムがあるが、両者のニュアンスの違いが楽しめてニンマリ。1st.は旅の疲れを全く感じさせない流石の演奏。2nd.は石井という個性がいよいよ全開の様相を呈していく。1曲目の「黒いオルフェ」は誰もやったことのないスローな演奏で曲のニュアンスが完全に作り変えられていた。2曲目は場面転換を図るようなミディアムテンポの「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォア」、そして3曲目は「ブルー・イン・グリーン」、グリーンに潜むブルーの怪しい謎が忍び寄って来る。“これは名演だ”と思わず声を出してしまった。次の最終曲は、メロディーが哀感を帯びていることと音から哀愁が滲んでくることは全く違うことを知らしめてくれた。曲はヘイデンの「ラ・パッショナーラ」。アンコールは「イフ・ユー・クッド・シー・ミ・ナウ」、抜いた感じだか隙間が見当たらない。“遅くならいくらでも遅く弾ける”。これは石井の言葉である。
2018.3.3 池田篤(as)石井彰(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
今回の天候異変に巻き込まれた池田が1日遅れで合流したカルテット。池田は以前も2daysが1dayに切り替わったことがあるが、倍の濃度で喝采を博したのを思い出す。
演奏曲を列挙する。H・モブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、池田が辛島さんに捧げた「ヒズ・ウェイ・オブ・ライフ」、C・ヘイデンの「エレン・デイビッド」、スタンダード「アイ・ラブ・ユー」、石井の「スリーピング・ボーイズ」、池田自身を穏やかに投影したバラード「フレイム・オブ・ピース」、スタンダード「アイ・リメンバー・エイプリル」、アンコールは「アイ・キャン・ノット・ゲット・スターテッド」。池田は体調があまり良くないと伝えられていたが、一ことで言うと演奏はどれもが素晴らしいということに尽きる。いつも音楽者としての主語で演奏し続ける稀有の鬼才に心が揺さぶられる思いがした。
2018.3.5 田中朋子(p)岡本広(g) 米木康志(b)
13年というより、遥か前から交流のある田中と岡本、そこに土台の米木が加わるSUM約200才のトリオだ。開演前に、記念行事に敬意を表してスタンダード中心に選曲すると聞いていたので珠玉の名曲集を楽しむこととした。晴れて選ばれたのは「アローン・トゥギャザー」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「ヴェガ」、「ケアフル」、「コルコバード」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ウィッチ・クラフト」そして「ローンズ」。札幌の宝石こと田中のピアノは体力的絶頂期のようによく鳴り輝きを放っていたように思うが、これは決して気のせいではない。そして忘れ物の常習犯岡本は、ギタリスト魂だけは忘れていないことを見事に証明。ドラムレスなので米木のナマ音がズドンズドン、もの凄いベースが聴けた。
冒頭に記したとおり冬の猛威に絡まれる旅を経て、13周年Vol.1は盛況裏に進行し終了した。後世の人々はこの苦難の果てを北方見聞録と言うのだろう。最近は若手の台頭に触れることが多くなっていたが、やはりアニバーサリー企画は順当に経験豊富な本格路線が奏功したと思う。本当は当方いろいろ見聞したことを忠実に記録しようと意気込んでいたが、飲み過ぎて忘却に足を取られてしまった。札幌在住者にとっても冬は危険だ。
(M・Flanagan)
2018.2.16 松島 With Rising -Sons
松島啓之(tp)本山禎朗(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
数年前までなら、トランペットの雄、松島に若手が胸を借りる位の受け止め方になっていたろう。それ自体間違いではないとしても、昨今のLiveのトレンドから推し量ると躍進する次世代の主役たちとの共演と捉える方が当を得ている。今やベテランに差し掛かっている松島も二十代の時点で際立つ完成度の作品をリリースしており、それを思うとこの世代によって日本Jazzの屋台骨の組み直し準備が着々と進められているという感慨を持つ。やや硬直化していた私的磁石の方向先を彼ら若い連中がそれを矯正しようとしてくれている。一応、これくらいのことを確認しながら、松島カルテットに耳を傾けるとする。1曲目は松島作「ジャスト・ビコーズ」という曲、重量感のある演奏だったが、松島は音色だけで説き伏せてしまい、我々の耳を大いに喜ばせてくれる。次の「マイルス・アヘッド」はすう~っと心に入って来て気持ち良くなるウォームな演奏。次もマイルスがやっていた「イン・ユア・オウン・スウィー・ト・ウェイ」、出来ればミュートでやって欲しかったなぁというのは少々我が儘か。次は「マイ・アイディアル」、この曲はかつてよく聴いたK・ドーハムの演奏を思い浮かべながら、あの時のように楽しませて貰った。1ステ最後は「イッツ・ユー・オア・ノーワン」、親しみ易いアップ・テンポのメロディ-を楽しんでいる4人の一体感が心地よく、結束していく共同体の仕上がり具合が伝わってきた。
2ステは松島の「ブルース・ライク・ディス」で開始、中休みで一呼吸付いた後のこの音色で再び至福。2曲目の「スリーピング・ダンサー・スリープ・オン」はJ・メッセンジャーズに在籍していた時のW・ショーターの曲で、初めて聴いたが耳慣れて聴こえたのは曲も演奏も一級品だったからだろう。3曲目はサド・ジョーンズの賑やかな「レディー・ラック」、若井と西村を大きくフィーチャーされた演奏となった。この両者は定期的に共演しており、息の合い具合は上々、ソロも聴き応え十分だ。ここでバラードの「エンブレイサブル・ユー」、この控えめな味わいは陰の名演と言えるものだ。最終曲は一転、一時代を制圧した「ビ・バップ」、迸る音から汗が噴き出してくる快演、この場にガレスピーがいたら腰を振って踊り出しそう。アンコールは華やかな演奏空簡にゆっくり幕を下ろす「ライク・サムエワン・イン・ラブ」にて余韻を残す。
最後に一言。若井はプレイの柔軟さに加え懐が随分深くなっていると感じた。西村のアクセントの付け方は個性的、それにしてもこの男は活きがよく、こうでなければならない。本山は東京勢と凌ぎを削って来ただけあって、全曲に亘っての的確なサポートに加えノリがよく十分聴き応えあるものであった。Rising-Sun Of Rising-Sons。
(M・Flanagan)
2018.2.10 欠航、災い転じて福となす
荒武裕一郎(p)山田丈造(tp)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
標題が語るとおり東京からの予約便が欠航となった。このため、荒武と三嶋は別便への切り替えを余儀なくされ、開演には間に合わないというハプニングに見舞われた。これは移動に憑きもののリスクなので仕様がない。そこで編み出されたのが、デュオ、謎の余興、カルテット演奏のユニークな三部構成である。第1部はトランペットとドラムスのデュオである。周知のとおり山田と竹村は発芽を早くした若者だが、今やこれからのジャズ・シーンを牽引する実力者へと成長を遂げている。昨今のレポートで折々に触れているが、若手ミュージシャンの著しい台頭ぶりには目を見張るものがある。その意味で両者のデュオが実現にいたったことは、幸運な拾い物と捉えるべきなのだ。演奏曲は「ロータス・ブロッサム」、「ウェル・ユー・ニードント」、「リフレクションズ」。彼らの演奏には勢いを持続したまま、着実に表現の幅を広げている頼もしさが溢れていた。瑞々しいマグマのうごめきだ。つなぎの第2部はLBマスターとインテリジェンスはあるが機転の効かないO君との親子漫談がジャズ・クイズ形式で進行。微笑ましくも二人のアドリブ・レベルの違いが露呈し、逆に笑えた一幕であった。なお、突発性の奇問を制した勝者にはライブ招待権が付与された。さて、開演前から荒武と三嶋の移動状況が、いま三陸上空(らしい)、新千歳着、札幌駅着といったようにタイムリーにアナウンスされたが、ついに店のドアが開いたときは、待に待った割れんばかりの拍手が出迎えたのだった。どよめきが収まらぬうちに第3部が始まる。1曲目「ビューティフル・ラブ」、2曲目「トリステ」。これだけで初聴きとなる荒武の傑出した才量に圧倒された。3曲目は彼が敬愛してやまない本田竹廣さんの「シー・ロード」、本田さんのアーシーでダイナミックな精神の延長上を疾走した。4曲目は岩手県を訪れた時にそこに流れる“閉伊(へい)川”をモチーフとした同名のタイトル曲で、これはベースとのデュオで演奏された。曲想からゆったり流れている川の情景を説いてきかせる逸品。最後は「夕焼け」というオリジナル。曲名から和のフレーバーなものかと思いきや、ラテン系のエネルギシュかつノリノリの曲で、カリブ海のサンセットは欠航禍にトドメを刺す大熱演であった。アンコールはピアノソロで、これも本田さんの「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」。この情熱の上をリリカルさが漂う演奏によって、荒武は限られた時間の中で伝えようとしたことを伝え切ったのだ。
この店には東京からのミュージシャンが頻繁にやって来る。今日も東京にはまだ見ぬ素晴らしいミュージシャンがいるものだとつくづく思い知らされた。東京は23区ではなく、そろそろ音楽的区画変更によりここを離れの24区目としてもいいんじぁないか。変則の一夜を貴重なものに導いていった4人の熱意を感じながらそう思った。災い転じて福となす。まだまだこれは序章である。本田イズムの透徹した継承者荒武は必ずや全貌を引っさげて再び登場するに違いないのだ。
(M・Flanagan)
2018.1.20 見失われた二十指
楠井五月(b)菊地太光(p)
このDUOが初登場したのは昨年の秋だった。かつてゲイリー・バートンが4本のマレットを自在に操って世に出た時、“テクニックのお化け”と称されていたが、この両者もお化け族に分類されるかも知れない。さて、今日はどうか。前回と同様に理屈抜きに浮き浮きするものであった。“浮き”だけに、LB釣堀店は糸を垂らせば忽ちスイングにヒット、大賑わいの様相だ。しかし、これでは客に全部持っていかれる。警戒心が働く中、処どころバラードを放してある仕掛けであった。演奏の様子から、多分この二人は決め事を最小限に止めている。それでいて、両者の息はスリリングにピッタリ、こうなりゃ気分はバウンスの連続だ。それでは、いくつかショート解説をしながら演奏曲を紹介する。ベーシスト:サム・ジョーンズの「ブルース・フォー・エイモス」を皮切りに、高速の「ジャスト・フレンズ」、ここで一旦場を鎮めるように「ブラック・オルフェ」、「ユー・アー・マイ・ハーツ・ディライト」、「ポルカ・ドッツ&ムーン・ビームス」、これもサム・ジョーンズの「セブン・マインズ」、オリジナル譜面の1か所1音を変えるだけで違うものが創り出されるとコメントのあった「オール・ザ・シングス・ユー・アー」は実験的ではあるが得体のしれぬ実験音楽ではない。いいタイミングでの正調「ライク・サムワン・イン・ラブ」、辛島文雄さんの「クワイアット・モーメント」からいつの間にか「ナイト&デイ」に切り替わっていく進行はこのLiveでハイライトをなす長尺演奏、そのモノトーンな雰囲気から色彩を誘いだしたのが「オーバー・ザ・レインボウ」だった。一転して最後はC・ブラウンの演奏で有名な「ダフード」で、どう見積もっても一発免停だ。割れんばかりの喝采が続く中、ブルースに始まったLiveのアンコールは「ブルース」に終わった。バブル崩壊後の我が国は“失われた20年”と云われた。このLiveは崩壊の対極にあるが、余りのスピードに動体視力が付いて行けず“見失われた二十指”と名付けてみた。この日の“腹立たない日記”には「ここ数年、若い世代の今やれることを目一杯やろうという勢いが凄まじい。この清々しさにはシニア世代の者も心うたれる。」と書かれてあった。(邪悪なものどもに対する怒りのソロ・インプロビゼーションに浸りたい向きはブログ本編“腹立ち日記”をご覧あれ。)
終演後、楠井が使用していたベースはジャズ研の青年から借用しとものだと知った。来場していたその青年は「このベースがこんなに鳴ることは二度とないと思います」と呟いていた。現実は残酷だが、彼は幸せな思いをしていたに違いない。
(M・Flanagan)
2018.1.4 ジャズ・モンスター新春ライブ
峰厚介(ts)中島弘恵(p)
昨年、両者は東京にてDUOを中心に顔合わせを果している。その模様については知る由もないが、今日、その一端は確かめられそうだ。恐れ多くも峰さんは何びとも頭を高くできない先の大将軍であるが、幸いにも我々は、過去に幾つかのコンボで峰さんのLBライブを体験している。DUOは確か初めてのように思うが、この形式が創り上げる演奏には一滴の音も漏らしたくないと思わせる緊張感によって、多数の軍勢何するものぞの魔力が潜んでいる。今回のライブは、聴く機会が余りないテナーであること、演奏家が峰さんであること、そしてDUOであることの3点セットで満たされており、LBの初売りはサイズ違いが紛れ込んでいない福袋である。
その峰さん袋から取りい出したる品々、何とも衰え知らずの伸びやかな「レッツ・クール・ワン」、菊地雅章さんとのDUOでもやっていた艶と枯れを往来する峰さん作の「アイ・リメンバー・ゴコー」、冬の寒さが融けっちまうぞ「サマー・ナイト」、今日の中島を象徴する「The・next・step」、この油断ならぬ“ほのぼのさ”は峰さんにしか成し得ないバラードの「アフター・ザ・チェック・アウト」、等々が演奏された。我思うにこれはジャズ・モンスターの業績展示会のようなライブだ。頷きっぱなしのさ中にそれは起こった。目頭を除き全身が凍った。「ひまわり」だ。演奏が段々と映画のサウンド・トラックになり画面には峰さんに師事した臼庭潤の演奏姿や笑い顔が次々と走り去っていった。少し取り乱した瞬間だが恥じらいはない。LBマスターも同じような感慨を持ったらしい。目撃者によると、脱帽したはずみで思わず地肌をさらけ出したそうな。
ここで共演の中島について触れておく。中島は奔放さを持ち味とする演奏家である。奔放さゆえの自然な成り行きで、彼女には一定の型を欲する側より拒否する側により強い力が作用していたように思う。だが、近ごろはそうした力関係に意地を張らずにThe・next・stepを見出し始めているのではないか。飛び飛びにではあるが、それなりの年月に亘って彼女の演奏を聴いてきたが、ここのところ微妙な変化を感じている。例えばソロ活動が多いピアノ奏者は、共演者がいても往々に弾き過ぎになる傾向に陥りがちだが、このライブでは彼女流の奔放さを失うことなく抑制と強調が程よくバランスされている印象を受けた。この抑制は新芽の気品かもしれない。その背景には、昨年来の峰さんとの共演という一大事があり、そのことが刺激的に経験値を跳ね上げていることは想像に難くない。これからも彼女の特異な個性を注視していきたいものだ。
いま初笑い取りの制限時間が迫り焦りを感じている。で、筆者未加入は「中島後援会」、ススキノのThe・next・stopは「中島公園かい?」。年始に免じて駄作に神のご加護を。
(M・Flanagan)
2017.12.15 イクタス:Jazzの道はヘビー
本田珠也(ds)佐藤浩市(p)須川崇(b)
〔イクタス〕というのはバンド名でカーラ・ブレイの曲名から拝借したという。このバンドは、そのカーラやP・ブレイ、菊地雅章さんの築いてきたものの中に、そしてその延長上に新たな音楽を見出すことを指標としているようである。それを考えただけでやや身構えてしまう。カーラといえば、「ローンズ」や「アイダ・ルピノ」といったメロディーの輪郭が明瞭な曲が群を抜いて有名であるが、凡人には容易に呑み込めないものが多数ある。P・ブレイも「Mr.Joy」のような名曲が思い出されるが、言うなれば無機質なものが主体でJazzの“ごきげん感”とは距離を置いている。「今日は余り知られていないものをやる」というMCのもと演奏が開始された。聴き進むにつれ、菊地雅章さんがG・ピーコックとP・モチアンとで結成していた“テザート・ムーン”の世界のように聴こえた。そのT・ムーンは難解というより妥協のない音楽をやる集団である。スタンダードを演奏してもその異様な掘り下げ方は他に類例をみないものだった。この〔イクタス〕も方向性において同質な印象を受ける。この日演奏したスタンダード「イット・ネバー・エンタード・マインド」と「アイ・シュッド・ケア」にそれを見て採れるし、大半を占めたカーラの曲においても同様である。本田珠也はおよそ25年前コード楽器の制約を排して自由を獲得するため臼庭・米木とトリオを組み、以後もフリーほか様々なコンセプトで自己表現の場を拡大してきた。そして今日においても複数のバンドで野心的な取り組みを行っており、その内容の厳しさに関わらず確実に成果を収めて来ている。いま本田珠也は先人たちの遺産を最良の形で後の世代に引き継ごうとしている。その支柱となるのが、日本人としてこれまでにない “和Jazz”の確立を標榜することである。本田珠也は今を走り抜くことによって日本のJazzシーンの中に自叙伝を書き始めている節があり、極限を怖がらない彼の闘争心はいつも“jazzの道はヘビー”と云わざるを得ないものだ。演奏曲は上述のスタンダードほかカーラの「アンド・ナウ・ザ・クイーン」、「マジカル」、「バッテリー」、「サッド・ソング」、「イクタス」、ピアノ佐藤の「ヘブン」と「無題」、オーネットの「ホエン・ザ・ブルース・リーブ?」。
P・ブレイはかつてこんなことを言っていた。「成功の秘訣は失敗の熟知にある。失敗を目指した方が早い。」この発言の核心は試行錯誤のイマジネーションである。そこを捕まえ損ねると失敗は失敗に終わるんだろうな。(にが笑)
(追)今年のライブ・レポートは、前回で終了する予定のところ、このトリオを聴いて頭のカタヨリが矯正されたのか、敢えてダメ押しの一手を差した次第なり。
(M・Flanagan)
2017年 レイジー・バード・ウォッチング
師走の定番は今年の十大ニュースである。このランキング路線に乗らず、のらりくらりと2017を振り返ってみよう。第一四半期では何といっても12周年ライブだろう。ピアニストとして異能の持ち主キム・ハクエイと天才肌の鈴木央紹との共演が叶った。ぶっつけ本番での完成度がレベルの高さを窺わせていた。才人は違う。この後が問題だ。飲み会のお開きの頃に新しい奴がやって来て悪夢の飲み直し。このパターンを仕組んだのが、そう春の嵐ことLUNA&Loud3だ。ロックの狂喜乱舞、輝かしき歌毒が全身に回ってしまった。余談になるがモリ・カケ並みの手口で姑息にリクエストしていた輩がいたと聞く。「サンシャイン・ラブ」「ホンキー・トンク・ウイメン」「フォーエバー・ヤング」。この裏取引は重罪、証拠書類の処分と逃げの一手は許されない。ところで3月は学生、社会人ともに異動時期でイベント満載だ。LBもご多分に漏れずこの“地獄の季節”に首まで浸かっていたらしい。それがため4月は虚脱感に襲われ、ブルー一色になるのだそうだ。そんな中でも3月と4月をひと跨ぎした若井俊也の本格トリオは、ひと時の濃縮清涼剤の役割を果していたのではないだろうか。磨けば磨いただけ発光する上昇の3人。連休明けにはダウントゥ・アースの本田珠也カルテットが登場。このガチンコな快感、聴かなきゃ損々。「宮古高校校歌」が頭に焼き付く。5月の終わりにLB財団の交流事業でカナダに長期派中のマークが一時帰国、つかのま旧交を温めたのは心休まるものだった。話を戻して、珠也は6月にZEK!のCDリリース・ツアーの一環で再登場。アアアー・アアッ!ド迫力の2日間。そして6月恒例の大石、ZEK!を脱北した米木さんとのDUOだ。筆者のこだわりだがDUOは面白い。7月に入ると我らが池田篤。ソリ身で吹きまくるアッちゃんは“凄い”の一言だ。例年8月のところ一月前倒しとなった臼庭メモリアル・ライブ。今年はトロンボーンの後藤とギターの和泉が参集。欠いてはならぬ「アンチ・カリプソ」ほかJazz-rootsの曲多数が演奏された。初めて聴いた後藤の音は太く分厚くデカかった。今年は臼庭の7回忌になる。もうそんなになるか、という思いだ。実は7回忌に合わせ臼庭の母上が譜面集をCD付きで1冊にまとめられ、それを札幌で縁のある人に進呈して頂いた。ここには母上のご苦労と臼庭の思い出がギッシリ詰まっている筈だ。高値で横流しするつもりはないが、もったい無くて筆者は未だ包みを開封していないのだ。8月には、纐纈雅代が初登場。モンク漂う独創的な演奏だ。このアルトは注目しておいた方がいい。9月に入ると再びLUNA登場。南米もの一色の歌唱に菅原のトロンボーンが抜群の効き目。月末にはチコさんだ。およそ30年振りという加藤崇之とのDUO、加藤のバッキングにプロの恐ろしさを見た。そしてチコさんの「Eighty Naked Soul」、CDのタイトルどおり永遠にソウルの塊。10月は、キム・ハクエイのレギュラートリオ。プログレ特有の高等テクニックと創り出される雰囲気はこのバンドでしか体験できないものだ。いよいよ年末に向かう。11月は若井俊也のトリオ、春先とは異なるメンバーだったが、本道が誇る一哲や丈造と同世代の若者集団が着実に台頭して来ていることを突き付けられた。そうはさせじと月末には鈴木央紹のツワモノ・カルテット。久しぶりの原大力の気持ち良さに目がウルル。ギターの荻原は正真正銘の逸材だ。そして最終月。先ごろレポートした大口・米木珠玉のDUO。聴き逃していたら今年最大の悔いになっていただろう。最後に一つ付け加えたい。この秋口のことである。巷で言われている“岡本さん、あわや事件”だ。岡本さんのライブではなくライフに関わる一大事が起きたのだ。いまご本人は不死鳥のごとく現存している。そして、今日(14日)本田珠也と対決する。その勇姿を観に行かぬ訳にはいかぬ。では、一握りの読者の皆さん、よいお年を。
(M・Flanagan)
2017年12月 二者卓越 & ボイス・ビー・アンビシャス
2017年12月 二者卓越 & ボイス・ビー・アンビシャス
2017.12.7 DUO 大口純一郎(p)米木康志(b)
小ぢんまりした老舗レストランにしかない重みと格調、大口さんの魅力である。数年前にこのDUOを聴いたことを生々しく覚えている。それは東日本大震災のあと、東京から東北各地を経てツアーの締めくくりが札幌だった時のことだ。この国が極度に張りつめていたことと演奏の関係は問わないにしても、筆者が聴いたピアノ・ベースDUOの生演奏でその後を含めてこれほど記憶に残ったものは珍しい。それゆえ開演前から気分が高ぶるのだ。最初の曲はエバンスの「タイム・リメンバード」だったが、大口さんの大胆な音使いは会心の切れ味で、後ろに回わった時のデコレーション・マジックに我々はハッとさせられる。待ちわびていたことが惜しげもなく進行していく快感に浸るしかない。曲名は分からないが、米木さんの長尺ベースから始まる曲があった。大口さんはその間うつむき加減に聴き入っていた。素人の目にはどう入るか探っているのだと見えた。だが、「米木のベース・ソロを聴いていて、子供の時に見た風景を思い出していたんだよ」。この後刻談にはいささか驚かされた。“病みつきになる”という言い方がある。それは聴き続ける年数に勝って記憶に刻まれた深さを尺度にした方が正しい時もあるように思う。大口さんは筆者にとってそういう演奏家だ。その他の演奏曲は、「イスパファン」、「ウェル・ユー・ニードント」、「アローン・トゥゲザー」、「ニュー・ムーン」、「ハイ・フライ」、「イマジン」など。何度も背筋がゾクゾクした。
2017.12.8 DUO&LUNA 大口純一郎(p)米木康志(b)&LUNA(vo)
近年のLUNAはジャンルを超えた幅広い歌唱を提供し、LB芸能事務所の花形に躍り出た格好だ。しかし、スター街道にも不運が待ち構える。昨年の12月、LUNAは米木さんと共演するはずのところが、悪天候によりその願望は未遂となってしまったのだ。今回は自称リベンジ・シンガーの願いが叶うとともに、大口さんと初共演するという1等前後賞付きの大口ボーナスGetだ。ここのところ黄金のロックとボサノバの谷間に沈んでいた観のあるジャズ本流であるが、我が国の最高峰が後ろということで、スタンダード中心の選曲になった。聴きなれた曲であっても、気が入り気持ちよく歌っているかどうかで、聴き手への伝わり方に歴然と差がついてしまうが、今般、結果は言うまでもなく、心底晴れやかな歌いぶりであった。
運よく選曲されたのは「マイ・フェイバリット・シングス」、「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「アイ・ウイシュ・ユー・ラブ」、「ヒアズ・トゥ・ライフ」、「ハンド・イン・ハンド」、「マイ・ブルー・ヘブン」、「ストリート・ライフ」、「マイ・フーリシュ・ハート」、「ハウ・インセンシティヴ」、「リメンバー」、「降っても晴れても」、義務曲「諸行無常」など。この日は奇しくも真珠湾アタックの日だ。始まる前は不吉な予感に襲われていたが、3DAYSの中日で勝ち越しが決まった。LUNA1日限りの熱唱にスタンディング・オベーション。
2017.12.9 DUO&高野 大口純一郎(p)米木康志(b)高野雅絵(vo)
歌の生命線は自然な形で自己投影できているかどうかだと思う。いわゆる“書き譜”演奏のような歌はのど自慢の一種に過ぎず人の心を動かすことができないというのが、筆者のシンプルな基準である。前置きはさておき、数カ月前に高野を聴いた時、仕込みのダシが自家製になって来たという印象を受けていた。今回は、その印象の延長線上でやり切れるか?開演直後は伴奏美の極致のような後ろの音にやや上気している嫌いもあったが、最早、勝負に出る決断をするしかない。俄かに自分の軌道をモノにして行く様子は、ライブにスリリングな華を添えるものであった。LBマスターから“よいしょ禁止令”が出されていたが、この日はそれを跳ね除ける高野のベスト・パフォーマンスだったと言える。馴染みの曲が見事に生まれ変わっていたが、それらは「ソー・メニー・スターズ」、「塀の上で」、「カム・トゥギャザー」、「6月の雨;チルチルとミチルは」、「泣いて笑って」、「スパルタカス愛のテーマ」、「ジンジ」、「死んだ男の残したものは」、何とも壮絶な「both・side・now」、「ハレルヤ」、「ブリジス」で、他には何も残さなかった。
さてさて、大口・米木3DAYSで三種混合を摂取した結果、格段に生命力がついた気分になった。二人の巨匠には卓越を卓越する次元の演奏を聴かせて頂いた。そしてそこに敢然と挑んだシンガーよ、ボイス・ビー・アンビシャス!
(M・Flanagan)
2017.11.24-25 ソフィスティケイテッド・レイジー
鈴木央紹(ts)荻原亮(g)佐藤ハチ(b)原大力(ds)
札幌では中々テナーを聴く機会がなく、毎年訪れる鈴木を楽しみにしてきた。今回はピアノとギターが入れ替わったカルテットなので、これまでとの違いが浮き彫りになって欲しいと願う。文脈を転調するが、上手い演奏家が上手く吹く(弾く)ことに耳を奪われてしまうことは、誰しも身に覚えのあることである。初めて聴いた時の鈴木は筆者にとってそういう上手さの演奏家だったように思う。ある時からその印象が変わって来たのだ。上手さに押し出されまいとして、程々に目を閉じて聴いていると糸口らしきが現れる。上手さの後ろ側にあるものに触れることができ始めるのだ。いつのまにか鈴木は明らかに重要な演奏家になっていたのである。調を戻すと、例によってこのライブでも鈴木は難しそうなことを苦も無げにやってのけるのだが、聴き逃してはいけないところが多すぎる贅沢テナーを満喫し、改めて鈴木の存在感とジャズにおけるテナーの重要性を感じた。「ゲッツのように吹けるなら一人残らずゲッツのように吹こうとするだろう」という主旨のことを発したのはあのコルトレーンだが、鈴木はゲッツの至近距離に位置する一人といってよい。ここで言うゲッツとは想像の連鎖のことである。初お目見えの荻原は鈴木同様に淀みのなさが際立つプレイヤーだった。こじつけると、ジム・ホールのまろやかさとパット・マルティーノのスピード感がブレンドされていると云ったところか。このフロント陣2人に加え、いたずらに冒険をおかさずに堅実さをキープするベースと硬軟にわたりハウ・カムフォータブルなドラムスの守備陣2人。この調和は近年最上位のものだろう。
演奏曲は「ザ・モア・アイ・シー・ユー」、「貴方と夜と音楽と」、「I’ve grown accustomed to her face」(直訳では“彼女の顔が馴染んで来た”ぐらいだが、鈴木は“〇〇も見ていりゃ3日で慣れる”と不規則解説して、原から女性を敵に回すなよ!とたしなめられる一幕も)、「アイ・シュッド・ケア」、「ウィッチ・クラフト」、「レイト・ラメント(p・デスモンド)」、「グルービン・ハイ」、「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」、「ハウ・デープ・イズ・ジ・オーシャン」、「マイノリティー」(G・グライス)、「ジス・オータム」、「マイルストーンズ」、「ユニット・セブン」(S・ジョーンズ)、「ターン・アウト・ザ・スターズ」(エバンス)、「デューク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラブ」、「モナリザ」等々で、N・キング・コールものや名曲、隠れ名曲が満載となっていた。
このカルテットは選曲その他、トータルに大人向けの感じがする。その典雅な含み益に目を付けたムーディーズは、なまけ鳥を“Sophisticated-lazy”に格上げした。
(M・Flanagan)
2017.11.10 ドキュメント24
若井俊也(b)北島佳乃子(p)山田玲(ds)
最近、何度か若手のライブを聴いたが、彼らならではの溌剌としたプレイには、掛値なしの好感を持つことが多い。今回は聞くところによると、店側の意向により若井を介して東京の生きのいい連中に白羽の矢が立ったらしい。楽器編成は世に溢れる典型的なピアノ・トリオなので、若手ポイントだけでは、聴き手を攻略できないのだと思いながら開演だ。1曲目(北島の曲)の入りのところで早速意表を突かれてしまった。彼女の外見から美麗な演奏をするものと想像していたが、いきなりロイクなのだ。これは気分の良い驚きで、最初の1コーラスに絡んだ音がライブの最後まで頭から離れなかった。もう一つの驚きは山田のケレン味を排したアグレッシブなプレイだ。見た目はあどけなさの残るワンパク風だが、殻を割って出たくてしょうが無いといったドラミングはストレートに伝わって来る。後ろでこれだけやられると、機嫌を損ねる格上?もいるのではないかと勘繰りたくもなる。言い伝えどおり人は見かけで判断しては決してならぬ。この三人は個々の共演歴は別としてトリオは初演ということらしいが、彼らの演奏現場には「安全第一」の看板がぶら下がっておらず、この目には新しく迫り来る足音がはっきり見えて来た。若者というだけでは何らアドバンテージにならないと割り切っていた筆者にとって、来るべきジャズ・シーンという視点が弱かったことは、少し反省しなければならないと思うのだ。結果的にこのライブは、北区国営放送局が様々に行きかう筆者の思いを追ったドキュメント24になってしまった。きつい凌ぎ合いで真っ向勝負している彼らの今後に期待を膨らませつつ演奏曲を紹介する。「ブラッキー・スナッピー」(冒頭に触れた北島作品)、「ハルシネーション」、「フォー・マイ・レイディー」、「アイム・オール・スマイルズ」、「アイ・リメンバー・エイプリル」、「ジス・ワンズ・フォー・バド」、「エスターテ」、「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、「ジ・エンド・オブ・ラブ・アフェアーズ」、「ネイティブ・プレイス」、「ゼアズ・ノー・グレーター・ラブ」。バップ系も上々。
バン・マスには、作曲:宮川泰、作詞:安井かずみの歌謡ポップスを贈っておこう。『あなたに笑いかけたら/そよ風がかえってくる/だから一人でもさみしくない/若いってすばらしい』
(M・Flanagan)
2017.10.13 Transoniqe
ハクエイ・キム(p)杉本智和(eb)大槻”KALTA”英宣(ds)
これまでハクエイ・キムのトリオを数回聴いた。卓越した演奏力以上に強く感じたのは、旋律感覚が独特であり、米国音楽的な趣きから離反していくようなエキゾチズムであった。今回はレギュラー・トリオということで、更にその核心部分が見えて来るものと期待が膨らんでいた。なお、ベースとドラムスは初めて、つまりこのトリオ自体が初聴きである。
冒頭は、これまでに聴いたことがある「コールド・エンジン」と「ホワイト・フォレスト」だった。札幌育ちのハクエイには記憶の原風景に冬があるのは疑いなく、曲名はその冬を想起させるが曲想は異国情緒漂うものである。2曲聴いて過去の演奏と変わっているように聴こえたのは杉本の不思議なベースによるものと思われる。この後、杉本のベースは予想以上にフィーチャーされていった。1stの最後に採り上げられた曲は組曲風の長尺演奏で、聴き応え十分であった。気になってハクエイ本人にこの曲名を訊ねたところ「メソポタミア」と答えてくれた。間髪入れず店主が「何をユーフラテス」と応じ、かなり好評を博していた。それでホントに「イインダス?」。話を戻すが、この曲のストーリーを当てずっぽうに解説すると、未開のゆったりした時間帯が終焉を迎え、それと引き換えに新世界である文明が勃興してしまう、すると人々が慌ただしくなると共に止むことなく争いが起こりはじめ、ついに文明は気を失ってしまった、という筋書きに違いないのだ。まぁ音楽を楽しむためには、こういういい加減な推量も許されるだろう。
後半に入ると、シンセやイフェクターが多用された。ここからは予想どおり宇宙的広がりをもって進撃することになるのである。特筆すべきは、ここに発生する浮遊感は“ふわふわ”してはおらず、むしろ重層的に空間を支配している感じがした。三者の対等のぶつかり合から産み出されるエネルギーによってブ厚さが形成されているのだろう。勿論、ピアノが軸となっているのだが、ベースの効果音を伴うグルーブと攻撃力が際立つドラムスが押し寄せてきて、混然一体となったバトルが繰り広げられた展開は圧巻だった。とりわけシビレたのはこの展開が、ジャズとプログレッシブ・ロックを融合させたようなサウンドになっていたことだ。ここでバップの名曲なんぞやったら構想が台無しになっていたことだろう(「ドナ・リー」なら結構面白かったりするかも知れないが)。是非は別として、このトリオにはキャバレー仕事の経験があるベテランたちの放つ独特の臭気はない。面倒な話は脇に置いて付け加えておくべきは、三者の音量バランスが非常に良くレギュラー・バンドならではのクオリティーの高さを見せつけられたことである。
ところでプログレッシブ・ロックとは、筆者の世代で40年以上も前に一世を風靡した音楽分野である。その中で屈指の名バンドと言われたELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキーボード奏者キース・エマーソンにハクエイは影響を受けたらしいのだ。筆者もそれを感じながら今回のELP(いい・Live・Performance)のレポートを終わる。なお、バンド名“Transoniqe”とは何でも“音速に近い”という意味らしい。これじゃ誰も追い着けないわな。
(M・Flanagan)
2017.9.30 チコ本田 ソウル・フィールズ・フォエバー
チコ本田(vo)加藤崇之(g)
「何を歌ってもソウル。」これは万人の声を代表した加藤のチコさん評である。その加藤によれば、30年ぶりのDUOとのことで幾分そわそわ感が窺われた。この“ブランク永い”をギター1本によってどう太刀打ちするのか、興味津々ななかで1stがスタートした。1曲目の「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」を聴いていて思い出したことがある。ロックバンド=ザ・フーのリーダーP・タウンゼントが言っていたセリフだ。「俺たちは音を絞り出しているんだ!」。この感覚は次のバラード「バット・ビューティフル」や続く「ホワット・ア・ディファレレンス・ア・デイ・メイド(縁は異なもの)」、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、「サムタイムス・アイム・ハピー」を聴いていても全く変わらなかったし、最後まで残っていた。このセット最後はその昔、珠也に歌って欲しいとねだられたという「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」、微笑ましいなぁ。2nd最初は、加藤が不用意に漏らした“フリーも結構やってるよ“の一言に引っ込みがつかなくなって、ギターのインプロビ゙ゼーション2曲、オマケが最初に付いているのも妙なハプニングだ。DUOに戻って、ファンキーの最高峰「マーシー・オン・ミー」、季節を導く「オータム・リーブス」。次は「トゥインキー・リー」という曲で日本のグループ・サウンズが歌っていた。どういう訳か50年ぶりくらいに聴いたのに直ぐ思い出した。この時、筆者はいかに記憶力のムダ遣いをして来たかが分かった。その次も個人的に懐かしい「ユー・アー・ソ・ビューティフル」、チコさんの静かなる激唱にジョー・コッカーも目を覚ましたことだろう。まとめ段階に入りスタンダード連発、「サニー」から「バット・ノット・フォー・ミー」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」、「ユードゥ・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」へと流れて行った。アンコールは「ワイルド・イズ・ザ・ウインド」、この歌の主と思われるN・シモンとチコさんは似ていないが共通点があるような気がする。チコさんの歌唱に「ぐう」の音も出ず忘れるところだった。加藤はどうだったのか?このギタリストの創造力と適応力と技術力は、抜群の切れ味で「ちょき」の音が出ていたのだった(スベった)。真顔を取り戻して俗っぽく断言すると、このライブはチャージの2倍以上楽しめたということなる。
ところで、チコさんのソウルとは何なのだろうか。黒人の声質や音楽のジャンルとは関係ない。歌心に秘められる深層部の伝わり方が、他のどのシンガーとも違っているところに何かありそうだ。もう少し突き詰めてみたい誘惑に駆られてしまう。収穫を得るためには英知より感性を持ってチコさんのソウル・フィールズに行ってみる必要があるだろう。では、フォエバーをイメージし、格調高く方丈記のイントロをもってエンディングとしたい。”行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず“
(M・Flanagan)
2017.9.8 LUNAのあきない
LUNA (Vo) with 菅原昇二(tb)南山雅樹(p)竹村一哲(ds)
レイジー・バードと曖昧な専属契約を結んでいるLUNA9年目の定期公演である。彼女はこれまで、ジャズからロックまで野心的なライブを提供してきたが、今日は早々に出し物が南米中心と宣言してスタートした。
筆者は南米音楽に明るくなく、超有名曲以外は殆ど知らない。知っている曲を予定どおり楽しんで帰るというのはライブの大切な要素であるが、ミュージシャンが何を伝えようとし、聴衆には何が伝わって来るのかという尺度において楽しむことにライブ本来の醍醐味を見出そうではないか。緊張感と緩んだ感じと自分自身が上手く繋がれば、来て良かったということになるだろう。けれどもそこには個人的な難関が横たわっていた。ボーカルである。気に懸けてきたのは表現力に関する問題ではなく外国の言語の問題である。ボーカル人は、曲を紹介する下りから歌詞をよくよく読解する大変な基礎作業を行っているものと推測できるが、筆者は歌詞を意味としてよりも楽器的肉声として受け入れることにより、どのような言語の歌詞にも抵抗感がなくなっていった。これには、一つヒントになることがあった。米国生まれの香港系中国人でカンフー映画の英雄=ブルース・リーがあるインタビューでこんなことを言っていた。“あなたのアイデンティティーは米国人かそれとも中国人か”という問いかけに対し、“私はhuman beingでありたい”と答えていた。このことと言語問題を短絡的に結ぶことはできないが、気分のうえでは世界中の言語や風土の壁を低くすることができたようなのだ。今回の南米は英語より更に馴染みのないポルトガル語やスペイン語であるが、LUNAの情感たっぷりな歌唱によって、何度か胸に刺さりつつ一気に聴き進むことができたのだった。それでは、多くの知らない曲を紹介する。蝉のささやきという意味の「オ・ソープロ・ダ・シガーハ」、ブラジルの枯葉こと「フォーリャス・セカス」、9月だからという理由で採り上げられた「セプテンバー・ソング」、余りにも暗すぎる「オホーツク・ブルー」、軍事政権下のブラジル政府と庶民を比喩した「酔っ払いと綱渡り芸人」、一転して前向きな「ザッツ・オール」、その身を海に投じた女流詩人を歌ったフォルクローレ「アルフォンシーナと海」、切々と歌い上げる「ダニー・ボーイ」、ショーターのネイティブ・ダンサーでも聴かれるナシメントの「砂の岬」など、アンコールはLUNAの1丁目1番地「諸行無常」。まぁ、最近品数の多いLUNAの商いと聴衆の飽きないがシンクロしていたとでも纏めておこう。
ここで臨時ニュースが一つ。年末にLUNAと大物との共演が計画されているという噂を耳にした。JアラートはLUNAの新たな飛び道具を検知中。
(M・Flanagan)
2017.8.18 纐纈に入らずんばモンクを得ず
纐纈雅代(as)米木康志(b)竹村一哲(ds)
纐纈を聴くのは初めてである。音楽において第一印象は結構重要だ。記憶に残る入り口になり得るからである。今日では女性の管奏者が珍しくはなくなったが、そういう潮流に属する評判の一人という以上には予備知識がなかったため、演奏が始まると音色と作り方がオーネット・コールマン風で意外だった。同時にこれが彼女を特徴づけているのだろうと察した。このトリオは、オーネットの名高い“ゴールデン・サークル”と編成が同じなため不思議な偶然を感じてもいた。今どきオーネットがどれくらい聴かれているのか全く想像がつかないので、だれ?それ?と言う人のために、我流解説をすると“中心に向かって逸脱するクリエイター”、といったところである。また、別の面でこのライブを特徴づけたのは、さながらモンク特集の様相を呈していたことである。漏れ聞いたところによると、纐纈は最近になって天の啓示があったらしくモンクが舞い降りて来たのだそうだ。ライブでのモンク曲は定番のようなものだが、「レッツ・コール・ジス」、「スキッピー」、「テオ」、「ハッケンサック」、「ジャッキーイング」、「アグリー・ビューティー」、「クリスクロス」、ここまで盛られるのは異例だと言える。オーネットの「ディー・ディー」は別扱いとして、脇役に回った感のある「ラバー・マン」、「ソフィティケイテッド・レイディー」そしてアンコールの「セント・トーマス」ではあるが主役を脅かす出来栄えになっていた。今の纐纈を理解するためにはオーネット通りとモンク通りの交差点付近に立っている必要があるのだろうが、若干その手前で聴いてしまったのが悔やまれる。従って、筆者はこのライブから最大級の満足を得たとは思わないが、際立つ個性によって纐纈の記憶化には成功したと感じている。これが彼女の経歴その他を全く知らない者としての第一印象である。標題はモンクなしには纐纈を語れないということと、危険を冒さなれば巨人モンクの魂を手に入れられないという意味を込めたジャスト・ア・ジ語呂合わせだ。
折角なので。前日のライブについて一言寄せたい。メンバーは田中朋子(p)岡本広(g)米木康志(b)竹村一哲(ds)だ。数あるLBライブの頂点に君臨する伝説のクインテット(臼庭、C・モンロー、津村、米木、田中)については何度か触れてきた。前の三人はもう生で聴くことができない。そのクインテットが演奏した「ベラクルーズ」を田中は選び、追悼のオリジナル曲「レクイエム」を演奏した。伝説のクインテットによる不朽の名演は今なお生き続けている。目頭が熱なった。
(M・Flanagan)
2017.7.28-29 臼庭 潤メモリアル・ライブ
後藤篤(tb)和泉聡志(g)本山禎朗(p)秋田祐二(b)田森正行(ds)
回を重ねて来た臼庭潤メモリアル・ライブは、毎年、臼庭と縁のあるミュージシャンによって彼の愛奏曲やオリジナル曲が演奏されてきた。今回は、臼庭の到達点の一つであるjazz-rootsに関わった和泉と後藤が加わっている。臼庭はこのjazz-rootsに行き着くまでに長らく“jazzとは”“黒人音楽とは”そして“それを演奏する自分とは”と自問し続け、その帰結としてこのグループを率いることになった。正直に言うと、筆者は臼庭がLBで繰り広げた比較的スタンダードな選曲を交えたライブの支持者ではあっても、jazz-rootsについてはそれほど熱心ではなかった。そこで、今年のメモリアル・ライブに先立って、アルバム化されている「Jazz-Roots」と「Jazz-Roots Live!」の2枚を聴いて見ることにした。準備するのは、我々が勝手に思い込んでいるオーソドックスなジャズなるものを意識の中から取り除くことだけだった。すると、クルセイダーズ・ライクなサウンドが賑やかな一方で、演奏は例の臼庭らしい臼庭が“うっ素晴らしい”のだ(恥笑)。筆者はJazz-Rootsを大分誤解していたかもしれないと思った。臼庭は常々「楽しくやることだよ」と言って自己説明していたが、A・ヒッチコックの言葉“映画とは退屈な部分を取り除いた人生である”に近づけて言うと、臼庭の「楽しく」には音楽の退屈に対する徹底した異議申し立てが含まれていたのではないかと思えてならなくなった。臼庭自身、聴衆に対しては彼の「楽しい」一面を示すことを以て良しとしていたに違いないとしてもである。
ライブの話に切り替えよう。今回は泉と後藤が参戦しているので、当然ながらJazz-Rootsのサウンドが意識されたものであった。後藤のトロンボーンは、予想外にぶっとい音で小細工無用の大らかに突き抜ける歌いっぷりは聴き応え十分、初めて聴いたがいい値札がつきそうだ。臼庭はよく「難しいことやる必要ないよ」と言っていたが、後藤は「臼庭さん難しいことやるんですよ」と言っていたのが面白い(又は「尾も白い」)裏話だ。20才くらいの時に臼庭から声がかかったという現在30代後半の和泉は、LBでその実力は証明済みだが、咄嗟に選択されるソロ・フレーズの緊張感、効果音やバッキング、カッティングのタイミングと切れ味は抜群で気持ち良いぐらいサウンドを豊にしていた。人呼んで8系のスペシャリスト田森は本人も認めるように嬉々として演奏しており、彼の本領が如何なく発揮されていたのだった。最近、多様なビートをモノにしている本山の気後れしない奮闘ぶりも大変好ましい。そして、晩年の臼庭と共演した盟友秋田だが、この日のグルーブ感は神(又は「カニ」)がかり的で、これは間違いなく臼庭メモリアルが引き出したものと断言しておく。
選曲はもちろん臼庭に因んだものだ。「アンチ・カリプソ」はLBでのレコーディングCD「LIVE AT LAZYBIRD」にも収められている。元々はE・ジョーンズの余り目立たないアルバムにある曲で、エルビン以外では臼庭がこの曲を普及させた立役者という説もある。モンクの「ベムシャ・スイング」と本田さんの「スーパー・サファリ」を臼庭が選曲した記憶はないが、他曲の中で天才的に引用していたのは鮮明に覚えている。田中朋子さん作の追悼曲「レクイエム」は、やり場のない時に聴くと泣けてしまう決定版。それからヒッチコックの“知り過ぎていた男”から「ケセラセラ」、イタリア映画の同名主題曲「ひまわり」が提供された。いよいよ臼庭の座右の曲S・ロリンズの「ペニー・セイブド」とクルセイダースの「ハード・タイムス」で大きなひと山が作られた後、様々な音楽を吸収していた臼庭の引き出しからブラジルものの「ベラクルース」、「ナナ」がふた山目となって、我々は臼庭山脈を視野に捉えることができたのだ。両日ともアンコールは臼庭の作品でJazz-Rootsのエッセンスが凝縮した「アーバン・ナイツ(Urban・knights)」で締めくくられた。時折、筆者の脳裏から飛び出した臼庭はこのメンバーの中央付近で「楽しそうに」サックスを吹いていた。
かつて臼庭とLBマスターと筆者は、果てしない駄洒落トライアード・ラリーを繰り広げたが、あの日のギャグ・ルーツは未だに根腐れを起こしていない。(続く)
(M・Flanagan)
2017.7.7 池田「いる」の証明
池田篤(as)壼坂健登(p)若井俊也(b)伊藤宏樹(ds)
冒頭から脱線してみよう。最近、金銭の授受が「あったか・なかったか」という政治ネタで『悪魔の証明』なる言葉を耳にすることがあるのではないだろうか。これは「ない」ことを証明する難関の話だ。それを拝借すると、我が国に世界的なアルト・プレイヤーが「いない」ことを証明しようとすると、全国のアルト・プレイヤーをつぶさに聴いて回らねばならず、証明は不可能になってしまう。一方、世界的アルト・プレイヤーが「いる」ことを証明するのは余りに容易だ。池田を連れてくれば証明を果たしたことになるからだ。ひと月ほど前に池田の25年くらい前の演奏を聴いてみたが、そこには既に確立された池田が「いた」。従って時を遡っても「いない」ことを証明する必要はなく、全国行脚の難を逃れることができた。
それはさて置き、池田はレポートしづらい演奏家の一人である。ソロからビッグバンドまで広範な活動を行き来していて、特に、五十代になってからは圧巻のパフォーマンスを繰り広げていると言い切ってしまうと、それから先に進めそうになくなるからだ。つまり、池田クラスになると凄さレベルの再確認という聴き方で静止してしまいそうになるのだが、池田自身には静止せざる時の無常さが襲い掛かっていた。前回(昨年12月)と今回のライブの間に、あの辛島文雄さんが生涯を閉じたのだ。このライブにおいて池田は、辛島さんに捧げるオリジナル数曲を演奏した。Jazz人生賛歌「イッツ・ウェイ・オブ・ライフ」、亡くなる10日前が最後の共演になったという追憶の「ラスト・セット」。池田のコメントがなければ、含みを持たない1曲ずつという聴き方になったかも知れない。だが、いや応なく捧げられた1曲ずつとして聴くことになった。生前に辛島さんから“難曲なので演るなら自分のバンドで演ってくれ”と言われたらしい「スパイシ-・アイランド」は渾身のレクイエムとして我々の耳に焼き付けておくべき演奏であった。ライブが甚だ深刻な雰囲気だったように思われるだろうが、これは筆者の“印象操作”であって、実際は今日のジャズ・シーンの最前線を走りゆく『池田「いる」の証明』ライブだったのだ。計画中のLB殿堂入りミュージシャンに池田を外すわけにはいくまい。
メンバーのことに少し触れてみよう。初めて聴くピアノの壼坂は、若干22歳の若者とのことであるが、相当弾きこんでいる腕前である。しかし、それよりも、バンドの中にピアノを乗せていく役割意識を楽しんでいる様子が伝わって来たのが嬉しく、可能性を秘めた逸材。ベースの若井はLBで大関の地位にスピード出世したことは周知のとおりであるが、回を重ねるごとに“大関の名に恥じぬ”演奏が頼もしい。地元24区選出の伊藤はこのメンバーに熱くならない訳には行かない。ある曲でドラムソロが収まらなくなる一幕があり、演奏展開に暗雲が立ち込めた時、池田がそっと絡み始めてこの両者による繋ぎの流れに持ち込まれたのはハプニングではあったが、これも“ライブだけの特権”だ。
冒頭の『悪魔の証明』に戻るが、LBに悪魔が「いる」か「いないか」を問われれば、「いる」派の圧勝に違いない。一体誰のことだろうか?自分のことかもと慌てる人物を安心させるために、それはJAZZという人格を持った音楽であると纏めておこう。
(M・Flanagan)
2017.6.23-24 なるぴあの~ 大石染みる初夏の夜に・・・
2017.6.23-24 なるぴあの~ 大石染みる初夏の夜に・・・
大石 学(p) 米木康志(b)
この二人は継続的に共演を重ねているので、傑出した緊密感と安定感が維持されていることは周知のことだ。欲張りな我々は更にプラス・アルファをねだりに来た。2年前はトリオだったが、今回はデュオに凝縮されている。ここには良否で片付けられない際どい一線が引かれている。ドラムスが入るとサウンドの広がりを得ることができる一方、神の見えざる手にかかってピアノとベースの自由度に制限が掛けられてしまうのだ。だからこの2日間のチケットは、ひとまずデュオという自由席を取ったことになる。
何度か聴いていて思う。大石はどういうピアニストに思われているのだろうか?と。この問いは、抒情的とか耽美的とかという意味合いとは別に、彼が誰にも似ていない独自のピアニズムを持ち合わせていると感ずるところから出て来ている。オリジナル曲についても同様で“これが大石の世界”と、彼の感性を伝える曲想で貫かれていて揺るぎない。答えは分からないが、元々ブルース・ソウルその他色々やっていて、そのノリを一旦中和させるために後追いでクラッシックを取り入れる勝負に出たという特異なプロセスが少なからず今日の基礎をなしていると想像できる。だが、こんなことを考えなくても、ライブはそれ自体として楽しめるのであり、十分楽しむことが出来たのだった。多くの曲は、静謐なピアノのイントロから始まるが、一旦ベースが絡み始めるともう止めようがない。例によってピアノの音は抜群の切れ味で、仕掛け満載のフレーズが湧き出してきて退屈している暇はない。片や米木さんはZEKのツアーを東京で終え、連日の仕事の最後に本田竹廣さんを偲ぶライブ(峰厚介、板橋文夫、本田珠也、守屋美由貴)に参加、その翌日がLB2Daysという過密日程のただ中にいたそうであるが、太く新鮮な生音に疲労感など全くない。そればかりか、阿吽の呼吸だけで済まそうとしない演奏姿勢に驚異を感ずる。これは米木さんに一線級からのオファーが絶えない理由でもある。軽口をたたけば、ベースがなければ試合にならないのは野球ばかりではないということだ。結局、我々は大石・米木デュオという最高の自由席に座ることが出来たが、普段味わえないものを味わったという意味で、料理人が足を運ぶ料理屋に招かれたような最高に贅沢な気分になったのだった。演奏曲は、「ワルツ」、「ウイズ」、「ラウンド・ミッドナイト」、「雨音」、「ワンダー・ワールド」、「エブリシング・アイ・ラブ」、「ボニー・ブルー」、「アリス・イン・ワンダーランド」、「アイ・ソート・アバウト・ユー」、「アイム・ユアーズ」、「アット・レスト」、「E・S(エリック・サティ)」、「クワイアット・ラバーズ」、「インディアン・サマー」、「ヨペク&アマシア」、「空」、「シリウス」、「アローン・トゥゲザー」など、そして2日目のアンコールは何度聴いても感動を呼ぶ大石の名曲「ピース」で締めくくられた。
多くのライブハウスにとってピアノは必需楽器になっている。ここLBにおいても同様である。この1台には何人ものピアノ奏者がその響きを残してきた。随分前のことになるが、大石のライブ終了後に、「このピアノがこんなに鳴るとは思わなかった」旨を本人に伝えたところ、「もっと鳴らせるよ」という言葉が返って来た。この時の会話を思い出しながら、古典に全く素養のない筆者の思いつきによる大石の枕詞が「なるぴあの~」だ。深み欠く~!!
(M・Flanagan)
2017.6.9 毎度の“私記・即・絶句”
清水くるみ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
ZEKのライブは4度目くらいになるだろうか?過去のレポート(私記)はHPブレーク・ダウン事件により今は確かめようがない。しかし、ZEKを“絶句”と置き換えるのは世間で多用されていて照れくさいが、毎度の演奏クオリティーに免じて見逃してもらおう。ZEKは、もちろん再現バンドである筈はなく、完全に自立した演奏集団として活動しているが、このあたりの経緯に興味があれば、結成10年を機にリリースされたCD『ZEK !』のメンバーによる解説を一読することをお勧めする。『何故、ツェッペリンなのか?』という国民的疑問にも解が示されている。
今回の2Days、残念ながらショパンの事情で初日しか聴くことができなかった。しかし、この一夜に限っても特徴的だったのは、三人の中で唯一人、生ツェッペリンを観ているにも拘らず、その時の演奏を記憶に留めていない米木さんが以前と比較して大きくフィーチャーされていたことだ。3年くらい前からエレベがしっくり来るようになったという米木さんのベースは、言うなれば“構えの大きさ”が際立っており、並外れたグルーブを仕組んでいたと言ってよい。くるみさんからは横揺れ動作と共に奔放さが引き出され、珠也が高笑いの肉声を発っする。こういう時の心理状態がどのようなものか個別に確認してみたくなるわい(笑)。ZEKの聴きどころは、演奏曲によって異なるが大まかに言って最初は探り合いが続くので調和より緊張感の方が優先され、そして何時しか三者の待ち合わせ場所が定まる、後は各自が一体的にメートルを上げながら絶頂過程に突入して行くところである。これを受け入れた瞬間こそ、我ら会場がZEKを共有した瞬間である。聴き応えのあるJAZZとはそういうものだ。演奏曲は、「フレンズ」、「ユー・シュック・ミー」、「フール・イン・ザ・レイン」、「ホワット・イズ・アンド・ホット・シュッド・ネバー・ビー」、「オーバー・ザヒル・アンド・ファー・アウエイ」、「カシミール」、「イミグラント・ソング」、「ロックン・ロール」。特に最後の3曲の一気の流れには、熱狂的に震えた。
かねがね、本レポートの読者はせいぜい10人くらいと想定しているので、行儀悪いが周辺余話を記しておきたい。それは、2年ぶりにバンクーバーから来札したにも関わらず旅程の都合でZEKを聴き逃したMARKの不運、そしてLBに縁のあるG郎、S名、H瀬ら永遠に微妙な「フレンズ」と再会できた幸運である。
(M・Flanagan)
2017.5.12-13 JAZZ緩みなきもの
本田珠也(ds)守谷美由貴(as)須川崇志(b)石田衛(p)
本田珠也はわが国屈指の多忙なMusicianである。その彼はLBの年間計画に欠かせない演奏家として毎年ブッキングされており、それだけも讃辞に値すると思っている。例年は重鎮との共演を堪能させて貰っているが、今回は世代を下げた気鋭の布陣であることが興味をそそる。と、知った風なことを言ったものの、筆者はこのバンドについて詳しくない。ネットで予備情報を仕入れる手もあるが、即席の手掛かりは返って邪魔な縛りになるので、情報過疎の方がいいと決め込んでいる。そんな訳で、この度、守谷と須川を初めて聴く。それは、ちょっとした異変の始まりでもあった。守屋は華奢な(失礼)感じの外見とは裏腹に、数曲提供された自身の曲想は骨太である。演奏もそれに同調するかのように奔放で思い切りの良さがあり、バラードでの歌わせ方も自らのものだ。ここで筆者の予断でもある今どき流行りの女流サックスという思い込みは崩壊、気付くのが遅れれば人類の半分を敵に回すところであった。外見に限れば須川もやっと外泊許可を得た入院患者のような細身であるが、音の芯は屈することの無い硬質さがあり、又、技巧の超絶さも兼ね備えていて、ジャズ本流のみならず実験的音楽も消化済といった聴きどころ満載のベーシストだ。ピアノの石田は一度聴いて辣腕ぶりが耳に残っているが、今回も華麗に引き締まったソロに加え、スキのない絶妙のバッキンングは聴き逃すべからずであった。こうした個性の群れを率いているのが珠也である。群れと言っても、彼は野生の動物集団のリーダーと違って、強権的に仕切ることをしない。本田珠也の音楽は、約束事を最小限に留めながら、その場で最大限の音楽創りを決行するところに真髄がある。この音楽には、標準拍子であろうが変拍子であろうがあまり関係ない。父・竹廣氏が残したメッセージ、「地に響くように!」=DOWN・TO・EARTHがあるのみなのだ。今回、珠也のドラムソロから感じたことを付け加えたい。それは、音が音から脱出して生き物のように動いていた、ということである。
演奏曲は、「ハーベスト・ムーン*」、守屋のイニシャルと思われる「M’s ジレンマ*」、「リップリング」(竹廣氏)、「タック・ボックス*」、「クール・アイズ」(竹廣氏)、「ノー・モア・ブルース」(ACJ)、「ワンス・アッポンナ・タイム*」、「スフィンクス」(O・コールマン)、「ブルー・プラン」(峰さん)、「ラブ・アンド・マリッジ」(j・v・ヒューゼン)、「ディープ・リバー」(ゴスペル)、「レッド・カーペット」(A・ペッパー)、「ファースト・アウェイ*」、かつて臼庭と死ぬほど練習したという「ソング・オブ・ザ・ジェット」(ACJ)、珠也の祖父が作曲し、感動極まる演奏となった「宮古高校校歌」など。(*印は守屋のオリジナル)
5月ライブ・スケジュールに、『本田珠也の一番やりたいグループ、“一切の緩みなし”』とコメントが付されていたことと、2日とも演奏されたのはオーネット・コールマンの曲だったことを足して2で割った結果、標題を「JAZZ緩みなきもの」とさせて頂いた。
札幌で一番キレイな店(珠也の弁)で再び、DOWN・TO・EARTHを聴く日が楽しみだ。
(M・Flanagan)
2017.3.31-4.1 Another Standards
若井俊也(b)赤坂拓也(p)西村匠平(ds)
LBの直近blogは「四月は残酷な月だ」というTSエリオットの詩集「荒地」の引用から書き始められている。4月とは3月のリバウンドが襲う放心の月という主旨である。偶然にも今回のライブは3月と4月をまたぐ日程となっていた。若井に限るとここ数年来聴く機会に恵まれており、その可能性に強く惹かれているが、赤坂と西村そしてこのトリオは初めてだ。
何の予備情報もなく聴き始めることになった。最初は確かC・ポーターの曲だったと思うが、瞬時に感じたのはバランスの良さだ。これは彼らが等しく昭和の終期に誕生しているという同世代的共鳴によるものではない。三者対等のインタープレイを追求する意識が明確に内在化されているからだ。聞くところによると、彼らは必ず後日反省会を行っているという。ピアノ・トリオの自己検証を重要な音楽活動としているのだ。語れば理屈っぽくなるが、そうした真摯な姿勢がサウンドに転化されていることが確かめられる。彼らは腕の立つ連中であるが、引き出しの多様さに依拠せず、むしろ感性の赴くままに演奏する方向に進むことを狙っているのではないかと思う。そこにしか無いグルーブ感を筆者は受け取ることができた。演奏曲は、「サマー・ナイト」「ハウ・マイ・ハート・シングス」「ローンズ」「コルコバード」「エブリシング・マスト・チェンジ」「アイ・ミーン・ユー」「ベリー・アーリー」「リトル・サンフラワー」「オレンジ・ワズ・ザ・カラー・オブ・ハー・ドレス」「ジス・ワンズ・フォー・バド」「フォーカス・セカス」など。ピアノが唸り声を出さないという意味で、“Another Standards”と云っておく。
結局、“残酷さ”は後退し、ご機嫌な“I remember April”をゲット。4月1日、嘘はない。
(M・Flanagan)
あああ
2017.3.10-11 LUNA 特許申請のラウドな行方
2017.3.10-11 LUNA 特許申請のラウドな行方
LUNA (Vo)with 一哲Loud3竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
2016年7月、店主自ら業界の掟破りなROCK・LIVEを企てたところ、これが思わぬ反響を巻き起こしたのだった。この現象は潜在的にロック・ファンの多さを物語るものではあるが、実際はローカル・ニュースでLUNAのロック乱入事件として話題を集めたことによる。そしてこの一件が、世間の好奇心を誘うとともに特許申請という前代未聞の展開につながって行くのだ。今回のライブ2日間は、『ジャズの店』レイジーバード開店12周年記念のファイナルであり、なお且つ、特許申請の第2次審査と位置づけられている。
では、2夜まとめて審査会場へ、いざ。長いギター・ソロから静かにベースが絡み、“いったい何やるんだ?とその時、“ガ・ガ・ガ・ガッ”に対し“ウォー” 名曲中の名曲「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、初めて聴いたブロンディーのメロディアスな「マリア」、これを待っていたのだ「ホンキー・トンク・ウイメン」(2日目はtp山田丈造が飛び入り)、ジャニスのブッちぎり3連発「ムーブ・オーバー」、「クライ・ベイビー」、「メルセデス・ベンツ」、ZEP「ホール・ロッタ・ラブ」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンもの「リトル・ウィング」、「ファイアー」、B・ディランの枯れゆく人生エレジー「フォエバー・ヤング」、そこからヤング・ジェネレーションへの劇的な再生を賭けた「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、この辺でLUNAはエネルギーの大量消費に耐えられず充電バラードを挿入、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)と「オープン・アームス」(ジャーニー)。そしてダブル天国の1曲目はLUNAの師範級リコーダ゙入り「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、2曲目は「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」、日本語の良さが際立つ「イッツ・ノット・ア・スポットライト」、「朝日のあたる家」、もう2、3曲あったかも知れない。特許申請に対する審査基準は(1)ミュジシャンの暴発度、(2)客席の騒乱度、僅か二つのラウ度である。(1)については前回を上回るものであったとの認識で一致。(2)については信頼筋ではないが、“イェー回数”100回超が過半数割れしたとの報告が寄せられている。審査員からはこの克服が指摘されたそうだが、願わくば筆者の喉のガラガラを行間から聞きとって欲しい。なお、選曲に当たって、一部のファンが密かに事前にリクエストするといったインサイダー取引が横行したらしいので、ROCK的透明性を強く求める声もあったようである。
今回のライブには、我らが臼庭潤の幼馴染みである岩本氏が横浜から駆けつけておられた。2日にわたって場内の火に油を注いだのは、“どんぐりの竹輪パン”を爆食いした彼の功績によるところ大であることを付け加えておきたい。この9月LUNAは副業のジャズで道内ツアーを行うらしい。そんなことよりROCK最終審査のラウドな日を早く決めてくれぇぃ!
(M・Flanagan)
2017.3.2 12周年キム・ハクエイ北海道トリオ
キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
ここ10年ほどは、雑誌はもとよりCDも滅多に購入していない。例外的にライブだけは楽もうと言ったところなので、時折、ミュージシャンが行商的に持ち込んだCDを弾みで買うことがある程度だ。こうした事情もあってキム・ハクエイの音を初めて聴いたのは、筆者の情報源であるLBライブにおいてであり、昨年2月のことだった。その印象は“不思議な新鮮さ”だったのを思い出す。それは、これまで聴いたことのない音があったという意味合いである。これにくすぐられると再び聴いてみようかという気になってしまうのが善良なる悪い癖である。この日の演奏曲(*印はハクエイ作品)は、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「*コールド・エンジン」、「オールサ・ザ・シングス・ユー・アー」、「ブルー・イン・グリーン~ソーラー」、「*ニュー・タウン」、「*デレイド・ソリューション」、「*ホワイト・フォレスト」など。ハクエイのオリジナルに特徴的なのは独自のエキゾチズムが横溢していることだ。“不思議な新鮮さ”と先述したのはこのことを指している。不遇の鬼才レニー・トリスターノを思わせる地を這うような長いフレーズも神秘性を漂わす効果を高めている。かつて未知との遭遇という映画があったが、そのJAZZ版を欲している人には個性豊かなキム・ハクエイがお薦めだ。12周年の初日を終えて、彼のピアノをより多くの人に聴いて貰うためにも、この先もライブの機会があることを願う。因みに、北海道トリオとは三人とも北海道育ちという事実に基づいている。
2017.3.3 12周年鈴木央紹With北海道トリオ
鈴木央紹(ts)キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
2日目は大物が一枚加わったカルテット編成。その鈴木は11周年にも客演しているほかLBでは(ということは我が国の音楽シーンでは)上席Musicianに君臨している。例によって鈴木は平然と演奏している。この光景に騙されないためには、目を閉じて聴く必要がある。すると素通りできない難所が連続していることが分かってくる。これが世にいう鈴木の高度進行というヤツだ。余談になるが、ピアノのハンク・ジョーンズが頭の中に譜面2千曲ぐらいが入っていると言っていたが、鈴木は歌謡曲を含めると1万曲くらいは知っているとあっさり風に豪語していた。真偽の程はともかく、殆ど耳がデータ・ベース化していて、本当かも知れないと思わせるところがこの人物の恐ろしいところだ。鈴木とハクエイは共演歴があるらしいので、互いの演奏の筋は読めていると思われるが、実際聴いてみると過去の延長というよりは現時点の真向う勝負となっており、ライブ=正に生きた音楽の醍醐味を感ずる。演奏曲は、前日演奏したハクエイのオリジナルから数曲ピック・アップ、唯一曲名が紹介された懐かしいC・ロイドの「フォレスト・フラワー」、イントロから長いアドリブが繰り広げられ最後にテーマが顔を覗かせる「アイ・ディドゥント・ノー・ホワット・タイム・イット・ワズ」、極上のバーラード「アイ・ソート・アバウト・ユー」、一番の聴きどころとなった鈴木の演奏力が全開する最終曲(曲名を思い出せない!)等々。そしてアンコールはLBで「いも美も心も」と翻訳されている名曲「Body&Soul」。
今年の記念ライブでLBは「12」を単位の基礎とする鉛筆のように一区切りをつけた。芯の先がますます尖鋭になっていくことを期待して止まない。
(M・Flanagan)
2016.12.23-24 LUNA Christmas-Live
LUNA(vo)小山彰太(ds)、23日田中朋子(p)、24日南山雅樹(p)
この日札幌は半世紀ぶりとなる大雪に見舞われ交通網は大混乱となってしまった。主役二人が来られないとすると、ピアノとドラムスのDUOか奇襲攻撃用トラ・トラ・トラ部隊導入で繕うかの何れかしかない。不安気に会場口にたどり着くと、本日のライブ案内に“欠航により米木参加出来ず”の張り紙。LUNAだけが着いているとしたらは妙なことだ。彼女はこの2日間のために来ると聞いていたが、数日前から周辺で小遣い稼ぎしていたのではないか?しかし、この容疑はあっという間に晴れていった。前日のうちに陸路列車を乗り継いで、鍵の効き目も不確かな函館は場末の宿で一泊、やっとの思いで札幌入りしたとのことだ。歌を聴く前から聞くも涙の物語があったのだ。苦節8年、レイジーバードのファースト・レディーに躍り出るや、今年4度目のライブに賭けた女の情念こそLUNAから枕もとに差し出された贈り物であった。筆者はこの贈り物を“マルコポーロの紅茶”と呼んでみたくなった。理由は分からない。
年の瀬模様を散りばめた今回の選曲は「アメイジング・グレイス~マイ・フェイバリット・シングス」、「ラブ・フォー・セイル」、「ルビー・マイ・ディア」、「リメンバー」(注:寒い冬に元彼とバッタリ、今夜どう?に躊躇する心理を描いたオリジナル・サスペンス)、「ブルー・クリスマス」、「ハンド・イン・ハンド」、「ユウー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」、「アビス」、「トゥ・フォー・ザ・ロード」、「ア・チャイルド・イズ・ボーン」、「アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト」、「ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ」、「ヒアズ・トゥ・ライフ」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「ブリジス」、「淋しい女」、「ハレルヤ」「(カッチーニの)アヴェ・マリア」、「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」。そして、両日とも「諸行無常」の響きあり。曲数が多いこともあって個々に触れる力量がない。いまや、「LUNAのライブはいつも楽しい」が定着している。強引にまとめると、熱い歌と熱い客、“水割りの氷がいつもより早く溶けるのだの法則”が的中したライブだった。今回はあわやホワイトアウト・クリスマスになりかけたところだったが、LUNA奮闘記によって、無事、今年の暮を済ますライブとなった。暮れ済ますライブ、Christmas-Live。Wow!
たまにはレイジーバードの宣伝をしよう、3月10日頃LUNA再上陸が決定。何でも「大暴れスプリング・ライブ」という噂だ。「Live for sale」、仮予約殺到、残りわずか20数席。
(M・Flanagan)
2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」
2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」
池田篤(sax)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
一旦雪が解けたとはいえ冷気に震える札幌。ところが、僅かドア1枚を隔てた池田2Daysの空間は、灯油ストーブですら嗚咽する熱気を提供してくれたのだった。池田は年2回のペースで来演しているが、近年は毎回が全盛期の様相を呈している。周知のとおり、その突出した技量から若くして我が国のジャズ・シーンに登場した池田だが、今や天賦の才を絶やすことなく、そして人間池田篤としての音楽に到達していると言ってよい。演奏家の最難関とされる“自分の音を出せること”、その領域に踏み込んだ者は、最早、新たに付け加えるものを必要としていないのだろう。演奏しているその姿から、長年かけて引き寄せた“まだ見ぬ音”との格闘のドラマを眺め返しながら、現在を出し切っているように感ずるのだ。
相当前のことになるが、池田がリー・コニッツを好んでいることを直接聞いたことがある。
今回のMCでそれは思っていた以上のことだと知った。池田がNYにいたころ(多分‘90年頃と推測する)、住まいが近く道ですれ違うこともあったらしいが、鬼才に中々声を掛けるに至らなかったという。大きく時を経て2年ほど前、東京で対話する機会に恵まれたそうだ。その終わりに記念写真を申し入れたところ、“今日は疲れている”とのことで惜しくも実現しなかったらしい。そのコニッツに“It’s you.”という曲があり、彼からそう言われたと仮定して作った曲が「Is it me?」だそうである。出だしから完全にコニッツ風の曲想に笑みがこぼれるが、演奏は“音追求の鬼“と言われるコニッツ然としたものであった。
池田は、毎年、琉球最南端の島に家族旅行するとのことだ。今年持ち帰った愛称“まきちゃん”という貝に捧げた「巻き貝」という曲、ほのぼのしつつも音の芯が見え隠れする。そして池田の最重要曲「フレイム・オブ・ピース」、毎回演奏してくれるので冷静に比較したいが、いつも今回が一番感動的という結果になる。熟して止まないということだろう。両日とも闘病中の辛島さんの回復を願う「スパイシー・アイランド」が演奏された。心の師への思いが乗り移った異様な完成度が胸を打つ。最後の最後に長尺のアルト独奏があり「インプレッションズ」に突入した。コルトレーンのファンには申し訳ないが、池田の演奏の方が筆者のフェイバリットだ。共演者について書き添えると、別ルートで合流したベースの若井は伝統の上に新しい個性を乗っけていて、相変わらず可能性満点だ。地元選出の2人も力を引き出されて全力で格闘している様は立派なものであった。その他の演奏曲は、「デルージ」、「ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」、「セントラル・パーク・ウエスト」、「Yes or No」、「フォーリャス・セーカス」など。当然の帰結で締めておこう。一択問題「Is it me?」のアンサーは、勿論“It’s you.池田篤”だ。
かつてススキノにあったライブ・ハウスでリー・コニッツのライブを聴いたことがある。その時、幸運にも筆者はツーショットを得ることができた。今も大切な一枚だが、流石にそれを池田には伝えられなかった。
(M・Flanagan)
2016.10.6-7 大口純一郎ミッション・インビジブル
大口純一郎(p)米木康志(b)本田珠也(b)
今回のライブは、大口の最新アルバム・リリース全国ツアーの最後にあたるので、トリオも客も気合十分という好条件だ。そんな中で初めっからちょっとした驚きに出くわした。プロが三者ドンピシャのタイミングで入るというのは普通のことの筈だが、1曲目、W・ショーターの作品「サミット」での入りの瞬間、ドンピシャのタイミングにもレベルの違いがあることに気付づかされたのだ。“ああ、こう言うことなんだ”と呟いていた。これは正規軍トリオの力量を余すことなく見せつけるものであって、この一瞬が2日間を支配していたと言って過言ではなかった。その後は、安心してスリルの連続に乗っかればよかったのである。市井の人間関係は時とともに質的緩慢の日々に埋もれるものだが、このトリオは劣化の逆側で勝負していることが直に伝わってくる。
演奏曲は「インビテーション」、「アイ・ウントゥ・トーク・アバウト・ユー」、「ゼア・ウイル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」、「タイム・リメンバードゥ」、「レッツ・コール・ジス」、「イマジン(イメージ)」、「ニンニクのスープ」(大口)、「ミスター・シングス」、「ラメント」、「モーメント・ノーティス」、「ニュー・ムーン」(大口)、「ベリー・スペシアル」(エリントン)、「マイルス・アヘッド」、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「ラウンド・ミッドナイト」など。
“インビジブル(Invisible)“とは大口トリオの新作アルバムである。そこには、『見えざる世界(Invisible)との対話。美しい「暗号」に満ちたジャズの新たな道標ここにあり・・・』と評者によって書き添えられているが、筆者にとっても、この“インビジブル(Invisible)“とは音という振動を耳から心に届ける使命(ミッション)を託された使節団の演奏を意味する。化粧の上手さで見える世界を渡り歩く夫人を”美人ぶる“と云うが、これとは大違いである。兎にも角にも、わが国最高峰のライブであったことは疑いようがない。
大口トリオの前後に触れておく。前の日(10/5)は、田中朋子スペシアル・カルテット(田中、岡本、米木、本田)のライブが催された。演奏曲は「ベイジャ・フロー」、「ジャックと豆の木」、「デイ・ドリーム」、「ハッケン・サック」、「ウイッチ・クラフト」、「ヴェガ」、「カレイドスコープ」、「レクイエム」。とりわけ、岡本の停電何するものぞのスリリングな演奏が印象的だった。最終目(10/8)は、大口・米木に高野雅絵によるボーカル・トリオのライブ。曲は「スパルタカス愛のテーマ」、「ジンジ」、「ルビー・マイ・ディア」、「死んだ男の残したものは」、「泣いて笑って」、「ソ・メニー・スターズ」、「マイ・ハート・ビロングス・ダディ」、「カム・トゥギャザー」、「ピース」、「ブリッジス」、「スマイル」。完璧なバックにシンガー自身も酔いしれ、盆と正月の合体のように緊張と満足に包まれていたようであった。密度濃い4日間に疲れと秋の寒さはどこへやら。
(M・Flanagan)
2016.8.19 チコ本田 ソングス・トゥ・ソウル
チコ本田(vo)和泉聡(G)高瀬順(p)米木康志(b)
レイジー・バードの乱心からか、ここのところボーカルが席巻している。このシリーズの要所々々は押さえて来た積りだが、本日お招きしたチコさんのライブは長年延び延びになっていた経緯もあり、気は早いが今回を以て早くも年内のボーカル締めくくりとなりそうだ。重鎮チコさん故にこちらも重度の構えが必要になる。その上“適当に聴き流すんじゃねぇぞ!”、日本一多忙なドラマーの声が聞こえてきそうで増々圧が高まる。
全体的にロック系やブルース系が採り上げられている曲の布陣であったが、どれもがチコさんの圧倒的パフォーマンスに釘付けにされるものであった。中でもCCR(クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル)の「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」、G線上のアリアを素材にしたプロコル・ハルムの「青い影」、J・ザビヌルの「マーシー・オン・ミー(マーシー・マーシー・マーシー)」はチコさんの今日を余すことなく伝えるものといってよいものだ。古めの曲が引き出す郷愁すら出る幕を失っていた。そして、急きょ予定にない選曲となったのが「Purple rain」。「パープル・レイン~パープル・レイン・・・」の連呼は異様に胸に突き刺さり、プリンセス・チコさんのこの瞬間は私達の永遠になると確信する。このほかスタンダードの「フールズ・ラッシュ・イン」、ベッシー・スミスで有名な「ノーバディ・ノウズ・ホエン・ユア・ダウン・アンド・アウト」、まばゆい「サニー」、“浅川マキ”バージョンの「イッツ・ナット・ア・スポットライト」、シャンソン歌手ジルベール・ベコーの「レット・イット・ビー・ミー」、ゴスペルの「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」、本田竹広さん晩年の作品で小室等氏が詞をつけた「Save・our・soul」。アンコールはてんやわんやに「ブン・ブン・ブン」。筆者はこの感動に言葉は追い付けないと諦めた。言い逃れのために、サイドメンに関して逸話を添える。ピアノの高瀬はチコさんとの共演で初めてジャズの世界に足を踏み入れたということだ。因みに小学生の2年間ほど札幌に在住していたとのこと。ギターの和泉、イフェクターを駆使して大技・小技を縦横無尽に繰り広げたが、絶えず歌っているのには参った。因みに彼はあの臼庭潤が率いたJAZZ-ROOTSのメンバーで、その時はまだ二十歳くらいの頃だったという。米木さんによれば、元々チコさんとの共演が縁で本田さんと出会ったということである。“みんな逆だと思ってるんだよね”と突け加えて頂いた。因みに長年米木さんと仕事を続けている我が国のトップ・ボーカリストで7月にLBでライブを行ったあの人が、チコさんの歌には感動を禁じ得ないと漏らしていたらしいのだ。
永遠の1曲をテーマにした「ソング・トゥ・ソウル」というTV番組がある。ハートに秘められた声帯から滲み出すチコさんの歌は時に嗚咽のようであり時に優しい。今日出会った全ての曲を『ソングス・トゥ・ソウル』と言わせていただく。
(M・Flanagan)
2016.9.2 帰って来たからうれしいわ
LUNA(vo)菅原昇司(tb)板谷大(p)柳真也(b)
今年のLUNAは3月、7月と北上しながら、その後関東地方と東海地方あたりで無断外泊を繰り返していたらしく、音信が怪しくなったところではあったが、このたび3度目の帰宅を果たしたことはうれしい限りだ。本日は編成に管が入っているのが里帰りの土産だ。
順を追って曲を紹介する。B・エバンスの「ベリー・アーリー」、難曲を端正にそして熱く語りかけられて冒頭からしびれる薬を呑まされた感じだ。エリントン・ナンバーから2曲。多分、喪失感が主題と思われる「チェルシー・ブリッジ」、スキャットのみで陰影を出し切った。失恋の痛手で出歩く気にもなれない心境を歌った「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア」。異常気象がもたらす春らしくない春、夏らしくない夏、私の季節感をどうしてくれるのよとぶちまけるLUNA作「アイ・ドント・ノー・ホワット・トゥ・ドゥ」。地球が平であると信ずる某○○団体への皮肉「ディア・フラット・アーサー」。日本語はEarthを“地球”と云うので、既に地が平であることを否定しており、中々の人が命名したのだろう。成就しえぬ恋人たち、B・ストレイホンの「スター・クロストゥ・ラバーズ」、ざわめきが沈没する瞬間が訪れた。残酷と享楽と失望が混ざったような武満徹の「他人の顔(ワルツ)」、はかない大正ロマンを彷彿させる旋律。歌詞を色使いする魔術師ユーミンの「挽歌」、ビビッドな雰囲気に転換が図られた。これだけのファン囲まれてもLUNAの自意識はオーネット作「ロンリー・ウーマン」なのだろうか。LUNA手による「コントレイル(ひこうき雲)」、Tbのバルブの伸びと共に雲の糸が加速をつけて彼方に引きずられて行くところが聴きどころだ。生活感のない年齢の恋愛は一時的に最強だが、過ぎさりし日に思いを馳せるのは空しく響くというような内容の歌、曲名が不明につき勝手に名付けてみた。「青春の灰とダイヤモンド」。クルト・ワイル「ロスト・イン・ザ・スターズ」、人は淡い希望と無慈悲な失望に翻弄されるしかないのだろうか。惨禍からの復興を願う「ペシャワール」、一部の人々の中でスタンダードへの道を歩み始めている。今回も涙腺をピンポイント攻撃されてしまった。厳かにアルコで始まる「サイレンス」、ヘイデンは幾つか録音を残しているが、管が入るとリベレーション・ミュージック・オーケストラ風になることが分かる。そのヘイデンとH・ジョーンズによる名作「スピリチュアル」から標題曲、最終曲にしてライブのハイライトをなす大熱唱だ。又しても胸を打つ攻撃を受ける羽目になってしまった。万雷の拍手の中、これなしには外泊どころか帰宅も認める訳にはいかない。そうです「諸行無常」、胸をど突かれる度合いは今回も“not change ”だ。筆者は歌の解説に自信がないので核心を相当外していると思うが、それにしても歌詞というのは希望と逆向きの内容が非常に多い。傷を手当てするプロセスが人生だと言わんばかりだが、歌詞はその人生の趣きを掴み切ることを宿命としている。それゆえに心の世界と対峙するシンガーも歳月とともに深みを加える宿命を負うのだろう。面倒な話はやめた。LUNA!You’d be so nice to come back home to.
(M・Flanagan)
2016.8.19 L列車で行こう
元岡一英(p)橋本信二(g)
絶妙とか流石とかの形容では何か不足しているように感じた。それを補うため帰り道に少し付け加えた。“今聴き終えたのは、何時か出会いたかった演奏なのだ”と。若い時は前向きに受け入れられなかったかも知れないが、今は質素の極みにある贅沢が尊い。
1stの最初はケニー・バロンの「カリプソ」という曲で、久しぶりに聴いたついでに言うと、付き合いは長くなかったがイイ奴と邂逅したような心地よいメロディーが引き立つ演奏になっていた。2曲目は札幌の宝石こと田中朋子さんの愛奏曲「ウイッチ・クラフト」。全曲通じて言えることだが、両者のバランスが非常に良いので余計なことが気にならない。3曲目は「アイ・リメンバー・エイプリル」。このスタンダードは多くがバド・パウエルに代表される高速演奏だが、このDUOはかなりスロー・テンポで扱っており、旋律はそのままでニュアンスは新たに思い出す四月という感じだ。人生は大体がてんてこ舞い続きだが、ひと山越えてからのテンポは自主判断に任ねられるのだろう。4曲目は「ジャスト・ア・クローサー・ウイズ・ジー」、ゴスペルの曲を聴くと数名の黒人女性がバックから繰り出す高音域の伸びが頭に付き纏うが、同様の症状は他の人にもあるのだろうか?5曲目はSax奏者サム・リバースの「ベアトリアス」、大物(マイルス)との共演歴がある割にはファンに恵まれないといった身近にもいるタイプの人だ。やや切ない曲からこのDUOはタイトなスイング感を引き出していた。2ndはモンク臭溢れる「バルー・ボリバー・バルーズ」で開始。妙なタイトルのこの曲は“ブリリアント・コナーズ”に収められている。2曲目は元岡作「アズ・ア・バード」。ちなみにシンガー・ソングライター中島みゆきに「この空を飛べたら」という曲がある。彼女にとって“私と鳥はもはや一致しえない無念”であり、それへの拘りに思える。元岡の場合は“客観的に鳥を眺めている私の自由度”がモチーフになっている印象だ。3曲目はB・ストレイホンの「デイ・ドリーム」、うっとりのあまり眠ってはいけない。4曲目はC・ブラウンの「ダフード」、バップはいつもかりそめの帰巣本能をくすぐる。5曲目は「トゥー・フォー・ザ・ロード」、この哀感が最後を飾るには未練が残る。とその時、拍手の中で面白い光景が訪れた。ギターの橋本がストラップを外して楽器を仕舞いにかかる様子が窺われ、アンコール無しかと思わせる微妙な雰囲気となった。すると立ち上がっていた元岡が小声で読経のように何か歌い始めている。少し間をおいてから橋本がギターを手に戻してバッキングをし始める。やや声量が上がって「ムーン・ライト・イン・バーモント」だと分かる。元岡は心の様子をなぞりながら呟くように歌っている。ボーカルを生業としている歌唱ではないが、不思議な感動を呼ぶ。何が人を揺さぶるのかの謎は深まるばかりだ。感動を定義できず困っている。
我々は喧噪や慌ただしさとは縁切り出来ないが、この演奏を聴いていると少しは出来そうな気になって来る。時間に囚われず、酔っ払いに絡まれず、夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、欲を言えば意匠を凝らした質素な演奏を各駅に1曲のゆったりペースで耳を傾ける贅沢を望む。今日のような予期せぬ財宝探しにはLocal列車で行こう。
(M・Flanagan)
2016.7.29 7月のシング・シング・シング
大野エリ(vo) 石田衛(p)米木康志(b)小山彰太(ds)
7月はシング・シング・シングにつきる。よってメニューの立役者は「ボーカル漬け」である。いずれも糠床が格好よく発酵していて聴き応え十分だった。そしてこの月のライブ循環は大野エリの王道において解決をみた。彼女のそもそものエネルギー源は、ボーカルが別物扱いされることへの不信感を単なる不満に留めることなく、対等な肉声楽器に昇華させようとする自意識の強さだ。それが既に確立されている“私のカタチ”を超えて自らが取りうる可能性を徹底追求しているように感じさせるのだ。言い換えると、彼女に対する最も舌鋒鋭い批評家は彼女自身である。但し、ステージではその苦行難行は見つけることはできない。プロフェッショナルな誇りをもって自らの“楽器”を演奏しているだけなのである。解説を加えすぎるのは宜しくない、今日も素晴らしかったとだけ言っておく。バックのピアニスト石田を初めて聴いて、目立たないところに沢山の仕掛けがあった。“隠し味、自分だけしか、うなずかず”。このつまらない川柳ふうはある評論家の一言をもとに捻った。彼が云うには“作品の良さとは読者が自分にしか分からないだろうと感じさせるものが優れている”。これを信ずるならば、このピアニストはそういう感じをさせてくれていて興味深い。誤解しないでほしいのは、ある曲の途中で石田は一瞬“ラバー・カムバック・トゥ・ミー”のサビを引用したが、それに気付いたかどうかを言っている訳ではなく、自分だけに響いていると思わせるものがあったかどうかを言っているので要注意。それからショータさんのここぞという時の一撃、米木さんの背骨の太さについては付け加えることは何もない。曲は、「ジャスト・イン・タイム」、「リフレクションズ」「コンファメーション」、「マジック・サンバ」、「ブルー・イン・グリーン」、「アイム・オールド・ファッションドゥ」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「リトル・チャイルド・“クリスティーナ”」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」、「カム・アラウンド・ラブ」、「イン・ザ・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」、「アップル追分」、「ブラックバード~バイ・バイ・ブラックバード」、「アイ・ラブ・ユー・マッドリー」などスタンダードを始めベーシストB・ウイリアムスの曲、エリさんの曲で、殆どエリさんのアルバムからピック・アップされていた。
ボーカルを別物扱いにしている人はまだまだ大勢いいると思われる。筆者自身も例外ではなかった。経験則に従えばシング・シング・シングにある程度リッスンを対応させていれば、いつか貴方は歌にとってのグッドマンになることができる。今回のレポートはここからが重要である。ボーカル・ライブの日は女性のお客さんが多い。ジンジャーかウーロンで人生が変わり得ることに期待を込めてレイジー・バードに足を運ぶことをお勧めする。
(M・Flanagan)
2016.7.22-23 クレイジー・バード/愛と平和と音楽の2日間
LUNA with 一哲Loud three LUNA(vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
これはどう考えても憲法違反な企画である。自らをjazzに縛ることを信条としてきたLBマスターだが、若き日に浴びたロックのDNAが暴発、戒律をその手に掛けてしまったのだ。この深刻な成り行きが本当の話になってしまったのは、共犯の申し入れをLUNAが快諾したことによる。ここには音楽と熱狂の関係を問い直すための明確な意図があるのだろう。
いよいよロック・シンガーLUNAの誕生だ。のっけからツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ロイヤル・オルレアン」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンの「ファイアー」、「リトル・ウィング」、ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」。これらのリアルタイム世代としては恥も外聞もあったものではない。ハートに火をつけられ、“イェー”の声が裏返ってもお構いなし。この日だけは行儀の良さにHellow-good-by。次のエアロスミス「ママ・キン」やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのFワード連発「サック・マイ・キス」そして人気曲「バイ・ザ・ウェイ」は、筆者より少しあとの青春の人々のものである。若き日に誰を好んで聴いていたかによってその人にとってのロックはほぼ決定されるように思う。しかし、年齢と時代の出会いは本人には選択できない偶然にすぎず、ビートルズ世代であろうとその後のどの世代であろうとロックと個人の関係に優劣は全くない。ロック的な感受性が繋がっていれば世代という垣根は取り払われてしまう。場内の性別・年齢を問わない一体的興奮がそのよい証拠となっていた。LUNAの言を借りれば、そこにいた一群の女性達を“ロック喜び組”と言うのだそうである。そして再び我が世代がやって来た。3、40年ぶりに聴いたのに咄嗟に思い出すジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」、「ムーブ・オーバー」、更にはツェペリンの古典「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、トドメはディランのやるせない「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」。あぁ、過去と現在が日本語の時制のように節操なく行き来する。ロックのボーカルは単に主要パートと言うより武器に近い。メッセージの発信という役割を担ったLUNAの闘争心に歓喜のうるうるは仕方あるまい。
躊躇なく2日目も聴く。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」、先ごろ伝説になったプリンスへの追悼「パープル・レイン」など前日にない曲に再び泣きが入ってしまった。Loud3はと云うと、碓井がオリジナル・フレーズ多用する我らが望み通りの展開に持ち込み、応戦する一哲渾身のドラムスには久々に鼓膜がヘトヘトとなるも、長老秋田のグルーブ感は抜群の効果をあげていた。何時しかLUNAに潜むナチュラルなロック魂がエクスプロージョン、ついにLoud4へと変貌した。その時“サッポロ・シティー・ジャズ”は視界から消えてしまい、店主の願いどおりドラッグにまみれない「愛と平和と音楽の2日間」Woodstockな夜が終了したのだった。もはや憲法違反は撤回され、新たに第北24条として“Love&peaceに対する音楽的罰則については永久にこれを放棄する”が追加された。放心状態のさ中、筆者に宿る家政婦は見ていた。帰り際とらえた最高のロック・シンガーLUNAの目は、『またやるわよ』。
(M・Flanagan)
2016.7.9 キャノンボール・は誰?
松原衣里(vo)朝川繁樹(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)、スペシャル・ゲスト 畑ひろし(g)
かなり前のことだが、廃刊になった「スウィング・ジャーナル」誌に畑のデビューCDが紹介されていて、入手したところ腕の立つ未知のギタリストがいるものだと思ったことを覚えている。このライブに来た動機は畑を聴くためだ。予想通り、ソロにバッキングに淀みなくスウィングする見事な演奏を披露して頂いた。なお、本日の段階で松原のことは全く知らない。最初の2曲「ステラ・バイ・スターライト」、「オーニソロジー」はインスト演奏だったが所期の目的は達成できそうだと感じていたところで、3曲目から初めて聴く松原が登場した。“つれなくしないで”が邦訳の「ミーン・トゥ・ミー」。いきなり“うぉっ”と思った。太く柔らかい声は天性のものに違いない。1stは「ワン・ノート・サンバ」、「ユードゥ・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「ア・タイム・フォー・ラブ」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」と続いて行くが、この人は徹底的に自分の天性を活かす鍛錬を積んでいるのだろうという印象を持った。2ndもボーカル抜きの「ラブ・フォー・セイル」から始まり、2曲目から再びボーカルが入る。「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、「ウェイブ」で会場の秩序を整え、そのあと壊しにかかる。ど・ブルースの「サムワン・エルス・イズ・ステッピン・イン」を思いっきりシャウト。放蕩男に対する女の怒りが爆発。客が内に潜めているウズウズした感覚を一気に引っ張り出して見せた。一転、次はシンプルなギターのイントロに乗せて「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。誰もが六十になったらルイ・アームストロングのように歌いたいと願っている。この曲はそういう曲だ。そう言えば、わが国のリーディング・ボーカリストの大野エリさんも近作で歌っていたのを思い出す。最後は「アンソロポロジー」で、アタマで同じコード進行の「アイ・ガッタ・リズム」をワンコーラス入れるサービスがあり、ごっつぁんでした。アンコールは賑やかに「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」。
筆者はボーカルに明るくないので、松原がどのような位置にいるのか分からない。敢えて感想を言うならば、ボーカルの新館には実力者がひしめいている、彼女はそこには居ないかもしれないが、別館では間違いなく女王の座を争っているのではないか。イージーな設問に恥じらうが、誰を隠そう松原こそ声も見た目もキャノンボール、圧巻のライブだった。
(M・Flanagan)
2016.6.25 生き返った歌の行方
高野雅絵(vo) 大石 学(p)
『大石はボーカルのバックをさせたら日本最高と信じています』。これはライブ案内に書き添えられていた1行である。今回の企画を知った時、ゾクゾクとザワザワが走った。札幌圏で地道な活動を続ける高野だが、今日の相手は案内書のとおり“日本最高”だからだ。
早速ライブの進行に沿いながら振り返りたい。1st.最初の2曲は大石のソロから開始された。ボーカルが入るまでの前奏として静かな幕開けが演出されていた。高野が加わった1曲目はセルジオ・メンデスの「ソー・メニー・スターズ」、上ずる心を鎮めていて中々の滑り出しだ。次は最近よく採り上げている鈴木慶一の「塀の上で」、これまでの中で最も情感が乗っていたと思う。ブルース・ライクな強音のイントロから“ガッガッガッガッ~”「Come together」だ、これも十分歌い切っていて出色の出来だ。加藤崇之作「泣いて笑って」、この曲で大石はピアノとピアニカの同時二刀流で臨んだ。ピアニカはこの曲名を象徴するかのような悲と喜を漂わせる不思議な音色だった。最後はC・ローパー叛の「タイム・アフター・タイム」、高野は今日の自分に手応えを感じている。親しみやすいポップ曲を気持ちよさそうに歌っていたのだった。2nd.も冒頭2曲は大石のソロから。2曲目はラグタイムとブギーを掛け合わせたような賑やかな演奏で、暗に“さぁやるぞ”と高野に呼びかけていた。高野も大人である。調子に乗ると落とし穴があることを知っていて、大石に振り切られないようにギアを一つ下げて「スパルタカス愛のテーマ」と「ジンジ」というスローで美麗なメロディーの曲を持って来た。これは賢明な選択だった。場が落ち着いてから、ジョー・サンプルの割とポップな「When The World turns blue」、元々インストの曲に後から歌詞が付けられたと紹介された。詞が付けられる必然性が高野の歌で証明されていたように思う。いよいよ峠越えが近づきユーミンの「ひこうき雲」へ、そして雲の流れの先で最終曲の「Bridges」にたどり着いた。この曲を彼女が大事にしていることを承知していたが、ひときわ丁寧な歌いぶりにそれがよく表れていた。大石の豪快なバックに乗せて高野から”A thank for you”の謝意が会場に発せられ、必然的にアンコールは「A song for you」、予想にたがわぬ熱唱で2時間が締め括られた。
筆者は高野の歌をそれなりの回数聴いてきたが、今回は群を抜いて良かったと断言しよう。地元の連中が東京の一流どころと共演するとき、思わぬ能力が引き出されるのを度々見てきた。この思わぬ能力はその後の日常に吸収され易いことも知っている。今回は敢えて大石レポートにしていないが、「日本最高と信じられている」このピアニストはその形容のとおり起伏づくりやその立体感において全編で素晴らしい演奏を繰り広げていた。大石がいたから生き返った歌はこれからどうなるのだろうか。聴衆は豪華客船に乗せて貰い大満足の旅を終えたが、高野の旅は始まったばかりだ。過去は変えられないが未来と自分は変えられるという角度から今後の成り行きを注視して行こうか。
(M・Flanagan)
2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
池田篤(as)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
ことも有ろうに27日、羽田空港で旅客機火災事故が発生した。その煽りで池田は新幹線に切り替えて一夜越しで札幌に着いたため、1日のみのライブとなってしまった。対照的に筆者は、数日前から池田のCDを何枚か聴き直し、24への助走路を通り抜けていたので殊さら残念であった。今回のベース若井俊也については数年前に初めて聴いていたが、周知のとおり今やケイ赤城トリオで本田珠也と共にその構成員として活躍している。いつぞや珠也に「そんなんじゃ、気合入らねぇだろ」と言われたとか言われないとか。前置きはさておき、開演に当たり池田らしく昨日来の不運に触れた後、ここに2日分を込めると公言してくれた。
最初の曲は、W・ショーターの友人の手による「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しい)で、心に残る旋律とそれに相応しい端正な演奏だ。( )書きの心理状態のお客さんがいたなら症状が悪化したかも知れない。2曲目は数日前に出来上がったオリジナル曲で、その演奏の濃さから演奏家が演奏を強く意識して書いた曲だと思わせる。3曲目はC・ブレイのあまり知られていない“永遠の平和”を意味するらしい曲、才媛カーラならではのメロディアスな曲想が相性よく胸に収まる。毎回演奏する「フレイム・オブ・ピース」は池田の代表作の一つとなっており、この曲がまだ無題であった時に沖縄の海を眺めながら作ったと言っていたが、このバラードは最近の憂うべき世情を超越していて心に迫る。2回目は無題の自作曲から始まり、次の「フォーリャス・セーカス」という曲は“枯葉のサンバ”という邦題で、例の“枯葉“と比較することは無意味な南半球でしか生まれそうにない曲。W・ショ-タ-の「ユナイテッド」、これはアクの強い曲なので中々テーマを頭から追っ払えない。バラードを挟みいよいよ佳境を迎えた。アタマからアルトとベースがインプロでスリリングに並奏しはじめ、これが第1の聴きどころとなっていた。次に池田の渦と渦が混ざり合うような壮絶ソロからやがて四重奏になっていくところが第2の聴きどころだろう。その曲名が池田のソロ解決部分で「チェロキー」だと分かる。客の貯まっていたエネルギーが躊躇なく大喝采となって噴き出した。伊藤も本山も最早引き下がることを許されない。そして十分健闘した。彼らも止まない拍手に一役買っていたのだった。池田には素晴らしいソロ・アルバムがあるが、アンコールはそれを想起させるようなソロに始まる「オールド・フォークス」が演奏され、じわ~っと来させてからメンバー紹介を織り交ぜた「ナウズ・ザ・タイム」にて終演した。若井俊也が益々大きくなっていたこともあり、池田の公言どおり2日分が1日に込められた手に汗のライブだった。
冒頭、池田のCDを聴き直したことに触れたが、辛島さん支援のために自主制作した『Karashimaジャズに生きる』は結束感が極められていて一際印象深いアルバムだ。少し横道にそれるが、人は勘違いに気付かないことがある。美空ひばりの「柔」の歌詞には「“おくに”生きてる柔の夢が・・」という一節があって、東京オリンピックの頃の曲ゆえに筆者は競技による国威高揚の文脈から“おくに”を長い間“お国”と思い続けてきた。ところが、最近になって“奥に”であることを知った。ここで勘違いを確信に変換してみたい。『Ikeda奥に生きる』と断言しようではないか。池田を聴いていて我々の脈動が熱く変化するのは、彼の音に血が通っているからだと信じている。いま池田篤は奥の奥で演奏することが許される数少ない演奏家の一人となった。
(涙のM・Flanagan)
2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)
LAZYBIRD 11周年記念ライブ 大石学 2・3・4
LAZYBIRD 11周年記念ライブ 大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)
2015.11.13 Eri the greatest 大野エリ(vo)若井優也(p)
2015.11.13 Eri the greatest
大野エリ(vo)若井優也(p)
Live at Lazybirdでのエリさんは、毎回キャリアの集大成のような実力を見せつけてきたが、今回は極め付けというか、期待以上の期待を更に飛び越した感じだ。彼女のトータルな力量が余すことなく伝わってくる。壮麗なヴォイスが会場を呑みこんでいく。その流れに浸るだけで、他はいらない。ジュリーではないが、時の過行くままにこの身を任せてしまった。“前回も良かったけど今回はもっと良かった”というライブ後の感想は、満足の度合いを端的に示すバロメータである。それは前回の評価を低めるものではなく、今回ますます手応えを感じたということであり、ライブはいつもそうあって欲しい。その日その日ライブに足を運ぶお客さんは、何らかの狙い目を付けてやって来るので、それぞれに満足を持ち帰りたいのだ。
エリさんは中盤ぐらいまで会場が盛り上がっていないように思っていたらしいが、威圧感すら漂うような歌唱に一同聴き惚れていたというのが真実だ。そして呪縛が解けていく後半は大盛り上がりになって行ったのだった。この日は若井とのデュオだが、ニュー・リリースの“How my heart sings”には、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムスのアル・フォスターというレジェンドが加わっている。その中から「アイム・オールド・ファッションド」、「コンファメーション」それにアルバム・タイトルから「ハウ・マイ・ハート・シングス」がピック・アップされていた。このほか「ジャスト・イン・タイム」、「ブルー・イン・グリーン」、「ワン・ノート・サンバ」、「イン・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」などエリすぐりの全15曲。ときめきを運ぶその声は今も耳に残る。随分前になるが、モハメド・アリの伝記的映画に付けられた題名は、“アリ・ザ・グレーテスト”だったが、来場者ひとり一人の“How my heart sings”に対応するのは“Eri the greatest ”だ。
(M・Flanagan)
2015.10.16-17 リスペクト・イン・ジャズ
池田篤(as、ss)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds)
いま池田は尊い活動を行っている。共演歴が長く、また、多くの影響を受けてきた辛島文雄さんの闘病生活を支援するため、2013~2014でのピット・イン・ライブを1枚にまとめたCDを自主制作し、この購入を広く呼びかけている。既に1000枚を突破せんとし、更にオーダーが増えているという。筆者も手に入れたが素晴らし演奏が詰め込まれている。詳細は池田篤のウェブサイトで確認のうえ是非とも協力して頂きたい。標題は池田に敬意を表し、ジャズ批評家の油井正一氏による昔のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」から拝借した。
さて、池田は3月に続き今年2度目の登場になる。前回はバンマス・ジャックに巻き込まれながらも堂々と人質を務め、懐の深さを見せつけたのが記憶に新しい。今回はメンバー構成から言って、事件と事故の両面ともその可能性がなく、安心特約付きライブだ。ここで池田聴き歴をまとめると、何でもできる池田の時代から池田にしかできない池田の時代になったという感慨に尽きる。近年の楽しみは二つあるが、一つはバラードでの胸中から滲んでくる音、もう一つはあたかも後ろにオーケストラがいるかのような圧倒的なドライブ感だ。
演奏曲を羅列してみよう。モブレーの佳曲「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、不思議な天才ショーターの「ユナイテッド」、池田が影響を受けたというC・マクファーソンの「ナイト・アイズ」、同じくJ・マクリーンの「マイナー・マーチ」、歴史的名演を持つ「ラバー・マン」、ショーターの友人が書いたという「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しいという意味らしい)、黒い情念マルの「ソウル・アイズ」、選曲される王者モンクの「ティンクル・ティンクル」、池田のみが演奏を許されている「フレイム・オブ・ピース」、3月にリクエストしたのが奏功したか分からないがスリル満点の「インプレッションズ」、怪しさ漂うバラード「ダーン・ザット・ドリーム」、最早我らのナツメロ「パッション・ダンス」、辛島さんに捧げた直訳風タイトル「スパイシー・アイランド」は未開が覆うモンスターな島の物語だ。最後はブルース、イントロで池田は「ドナ・リー」やら「ホット・ハウス」やら「コンファメーション」やらを散りばめた長尺ソロで場内制圧、その終息と同時にルーズなテーマに突入。このくだけた極楽とともに幕がおりた。また、バック陣の奮闘ぶりも好ましく、彼ら多量の発汗によって立派な“ほっちゃれ”になっていたようだ。
余話一つ。LBには付属施設としてジャズ幼稚舎という家柄を問わないバンドがある。諸事情から札幌を離れた連中が心の故郷と慕うLBに時折顔を出す。この二日の間、カナダからマークが3年ぶりにサプライズ来場、首都圏からサックス主任S名とスランプ対策係長H瀬、その他行方不明中の人物も姿を現していたようだ。そこに数名の固定メンバーが出迎えていた。いい光景ではないか。
(M・Flanagan)
2015.9.25 スズキの四人駆動
2015.9.25 スズキの四人駆動
鈴木央紹(ts)南山雅樹(p)北垣響(b)竹村一哲(ds)
昨年の鈴木のレギュラー・カルテットによるライブは、非の打ちどころのない見事なものだったが、その完成度の高さに少し割り切れなさを覚えたとレポートした。それは、多くのファンの思いを代表するものではないが、何でもできてしまうが故に計算済みに聞こえることに対しての印象からだ。そうした昨年のことを思い起こしながら、今回のイレギュラー・カルテットを聴いた。相当楽しめたというのが率直な感想だ。勿論、その立役者は鈴木である。湯水のごとく湧き出るその創造性に、いつしかS・ゲッツを思い浮かべていた。彼の圧倒的タレントは我が国のレベルの高さを立証するものである。加えてリズム・セクションも気心知れた連中で固められており、自らの持ち分をぶつけて鈴木と向き合う姿勢は非常に好感が持てるものであった。本日ここに、スズキの四人駆動が足回り抜群なことを晴れ晴れと認識した次第である。レギュラーとイレギュラー問題については、別の機会に回すことにするとして、当分の間、余計なことは言わない方が得策と判断した。演奏曲は「チチ」、「アイム・オンリー・スマイリング」、「タイム・フォー・ラブ」、「エンブレイサブル・ユー」、「パブリシティー」、「フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」など。なお、鈴木は来年3月のLB11周年記念ライブに大物の一角として出演を果たすそうである。天災は忘れたころに、天才は忘れる前にやって来る。
(M・Flanagan)
清水くるみ(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)
2015.9.18-19 Cool-me or heat-me
くるみさんは、多様な音楽経歴の持ち主だが、札幌おいてその名はZEKのピアニストというに尽きる。ZEKはツェッペリンの曲のみ演奏するバンドだが、ロック・スピリトをジャズ変換させる猛烈なエネルギーによって、特異な魅力を獲得していることはご存知のとおりだ。今回は“珠抜き”につき、ZEKにはないsomething elseを期待している。そこで気になるドラマーだが、ドラムがなければ絶滅危惧種と言われている伊藤が起用されたことは興味深い。また、あらかじめ情報としては、スタンダード及びその周辺曲が採り上げられるとのことだった。オープニングは「ハンプス・ブルース」、これは“Hampton Hews trio”に収録されている曲で、私事で恐縮だがジャケット写真を待ち受け画面に拝借しているので意外なところで納得。「プレリュード・トゥ・ア・キス」のあと、くるみさんが、決意表明のように予定していなかった「サーチ・フォー・ピース」(リアル・マッコイ)を演奏すると宣言。我が国がルール放棄したこの日に対する1個人としての抗議が込められていた。ファラオ・サンダースの「プリンス・オブ・ピース」も同じ思いが意識化されていたのだろう。それにしてもピアノが飛び切り鳴っている。「タンジ゙ェリン」、「ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」、「ノーバディー・ノウズ・ザ・トラブル・アイブ・シーン」、「酒とバラの日々」、「ラッシュ・ライフ」。旋律をたじろがせるかのように鳴り響いている。どういう訳か最後の方で“月”に因んだ曲を演奏すると前置きがあり、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、この曲は軽妙で洒落た演奏しか聴いたことがなかったが、くるみさんのは天体的衝突のようなハード・ジャズだった。続いて、菜のは~なばたけぇに、曲名「おぼろ月夜」を思い出すのに苦労した。そしてR・カークの「レイディーズ・ブルース」を以て二日間に幕。
やたらに鳴るくるみさんの音が気になっていたので、感覚解説の達人米木さんにZEKの時とは違った力強さを感ずる旨を伝えたところ、“くるみさん気持ち良くやってるね”、巨匠らしいまとめだ。ある時は大人心に冷静さを授け、またある時は熱くダイナミックな演奏が提供された。Cool-me or heat-me。快心の演奏に触れた清々しさ、清水くるみさんを改めて認識するのにZEKKOUのライブだった。一つ加える。入魂の演奏をした伊藤に心から拍手を贈りたい。
(M・Flanagan)
2015.9.4 裏切られた共通曲
LUNA(Vo)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
ある作家が新作の執筆中に、今書いた1行が過去の自作か他者の作品と全く同じなのではないかという不安に駆られ、それを調べ続けるという途方もない消耗戦の話を読んだことがある。ただ、創作活動とは違ってライブ・レポートにはその種の強迫観念を伴うことはない。
LUNAは6年連続の来演だ。筆者は皆勤を継続中であるが、それは初回に強い思い出があるからだ。当時、名古屋在住であったLUNAについて全く知らなかったし、札幌での知名度もかなり低かったと思われ、必然的に入りが悪く客は筆者のみだった。これはむしろ不幸中の幸いで、細大漏らさずLUNAを聴くことができた。そして最後には、定位置である店のコーナー付近にてLBマスターと並んでスタンディング・オベーションをしたのだった。このことについては、過去のレポートでも書いたように思うが、“ある作家”ではない筆者は何ら気にしない。
さて、LUNAのライブの良さの一因はその選曲にある。毎回の共通曲と新しい(つまりLAZYでは初めて歌う)曲が程よくブレンドされている。前者には愛着が後者には意表を突くことが備わっている。それもこれも彼女の傑出した歌唱力あってのことだ。
1ステは、「サマー・タイム」「ヒア・ザット・レイニー・デイ」「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」「ホワット・アー・ユー・ドゥイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ」「バイバイ・ブラックバード」など名曲中の名曲がズラリ。4曲目に「夜空のかけら」という少し浮遊感のあるオリジナルが割って入っていた。2ステは、身近にも聴く機会のある「死んだ男の残したものは」。世の中の殺伐感が意識されていたようで、歌詞をメロディーに乗せないで一瞬朗読するようなところが印象的。拍手の中から自作の「ペシャワール」へ。He dig the well~という歌詞さながら、年を追って深く掘り下げられている。人気曲の「ファースト・ソング」には彰太さんのハモニカが寄り添う。スイング感のある「オータム・リーブス」を経て着いたところが「朝日のあたる家」。このトラッドは日本語で歌われたが、日本語だと浅川マキ風のやさぐれ感が出るので不思議だ。いよいよ最後の曲。少年期のころに流行した音楽は、記憶の中にひっそりと留められているものだが、ある年齢に達すると“あの時代”の鮮度が甦ってきたりする。この日出会ったのは、ボブ・ディラン~ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」だった。隣のご婦人は筆者と年齢が誤差範囲内、心の踊る音が聞こえるような気がした。もうアンコールを残すのみ。LUNAレイジー・バード史の共通曲として手堅く予想したのは「エブリシング・マスト・チェンジ」。これには裏切られ「ナチュラル」だった。だがこの諸行無常の結末に不服はない。
(M・Flanagan)
2015.8.7-8 臼庭 潤メモリアル・ライブ(jazz-roots)
本田珠也(ds)峰 厚介(ts)米木康志(b)吉澤はじめ(p)
筆者は臼庭のバンド「jazz-roots」がプリントされたTシャツを着用していたが、その由来を珠也が言うには「臼庭がリスペクトしていた貞夫さん、峰さん、おやじ(本田竹曠さん)など自身の音楽的ルーツに思いを込めてバンド名に託した」とのことであった。かつて臼庭本人が音楽を複雑化することを好まないと語っており、察するとその真意は音楽をシンプルにさせながら、そこにエモーションを注ぎ込むのが自分なのだ、臼庭が恩師のjazz-rootsから得た結論だったのだろう。今年もそんな臼庭を熟知しているミュージッシャンが結集した。不動のバイタル・レジェンドの峰さん、地層ごと揺さぶる米木、バッキングで歌い続けている吉澤、そしてルーツの同質性で臼庭と一致するパワー無尽蔵な珠也、臼庭が慌ててケースからサックスを取り出す姿が浮かんだ。曲の選定に当たっては、珠也が実に数カ月も前から候補曲をレイジーに打診する配慮が働いていた。そして幾つかが採用されている。その演奏曲は、
「アイブ・トールド・エブリ・リトル・スター」(ロリンズ)、「エア・コンディション」(パーカー)、「ソング・オブ・ジェット」(ジョビン)、「ひまわり」(マンシーニ)、「アンチ・カリプソ」(R・プリンス)、「* スキップ・ウォーク」、「* サスペシアス・シャドウ」、「* メッセージ」、「サムシング・フォー・JUN」~「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」(ロリンズ)で、*を付したのが若き日の臼庭のオリジナルだ。
そして、メモリアル・ライブを一層特別にしたのは、吉澤がこの日のために書き下ろした「サムシング・フォー・JUN」だ。臼庭の音楽性が凝縮されたこの曲、ダウン・トゥ・アースで臼庭ライクな演奏が繰り広げられたのだった。このことだけでも吉澤には心から謝意を贈りたい。8月の札幌、久かたの暑さのどけき夏の日は、臼庭から一言引っ張り出した。“峰さん、何か俺に似てきたんじゃない”。禁じられた一言だった。
レイジー・バードにはミュージシャンが背にするする壁に臼庭の2枚の写真が貼られている。それはどの客の視覚にも収まる位置にあり、ここに来る回数だけ彼に会うことができる。今年も臼庭人脈の最高峰たちの手により、最も近い位置で彼との再会を果たすことができた。本田珠也は、演奏以外にも微笑ましい臼庭エピソードを紹介して会場を和ませてくれたが、二日間とも冒頭で「天才サックス奏者、臼庭潤のために演奏する」と宣言した。そして、このカルテットは珠也の自然発火に調和して完全試合をやってのけた。来場したすべての“私”は、このひと時を臼庭ととともに分かち合うことができたと確信する。
(この稿、いつの日にか続く)(M・Flanagan)
2015.8.4 虹の彼方にサンディノ貴方
米木康志(b)奥野義典(as.fl)田中朋子(p) 竹村一哲(ds)
これは米木康志セッションと銘打たれたライブ二日間のうち初日の物語である。演奏曲は、「イースト・オブ・ザ・サン・ウェスト・オブ・ザ・ムーン」、「サンディノ」、「ベガ」、「ミッドウェイ」、「ザ・ブラック・アンド・クレイジー・ブルース」、「ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル」(米木訳:彼らは、何ていいんだろうと言ってる)、「アブリー・ビューティー」、「ラテン・ジェネティクス」、「マイ・ファニー・バレンタイン」。事件は2曲目「サンディノ」の終了と同時に起きた。米木さん曰く「この曲を初めて演奏したけど、これは盗作です。」と断言したのだ。若き日の自身がキャバレー仕事をしていた時に、ダンス・タイムに演奏したラテンの曲と瓜二つだと言い、途中からその頃を思い出しながら演奏したというのだ。さらに「チャーリー・ヘイデンもやりますねぇ」と駄目押し。それを聞いていた奥野が「何かがっかり」と呟いたような気がする。“虹の彼方にサンディノ貴方”、つまり貴方の仕事は盗人だったとうい事件の顛末にて一件落着。ところで若い人には不明点があると思われるので少し解説すると、“虹の彼方にサンディノ貴方”のオリジナルは“虹の彼方に3時のあなた”という駄洒落であります。『3時のあなた』とは1970年ころのワイドショウの名前。オリジナルの方の評価は、虹の針を3時につなげる心地よい時間の流れと言葉としての耳ざわりの良さが格別であるというもの、最高位に君臨しております。なお、事件は別として立派なライブでした。
(M・Flanagan)
威風堂々・時々普通
2015.7.25
中本マリ(Vo)米木康志(b)加納新吾(p)
ご存知のとおりマリさんは長らくギターの太田雄二とのデュオによる活動を続けてきた。太田の卓越した技量がボーカルを支えきる見事なデュオだった。今回はオーソドックスなボーカル・トリオ編成で帰って来た。早速、納得のピアノとベースが後ろのライブをなぞってみよう。ミュージカルのバラードから「リトル・ガール・ブルー」、お馴染みの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」でたっぷりスイング。ブルース・フィーリング溢れる「ユー・ドゥ・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」から「ジョージア・オン・マイ・マインド」へと畳みかける。かつて恋仲・今はただの友「ジャスト・フレンズ」、行方不明になった夫との刹那的再会が忘れられない名画「ひまわり」はソフィア・ローレンの目のように恐ろしい。マリさんのデビューアルバムから「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ」、大人だから独占できる「エンブレイサブル・ユー」、エネルギッシュに「オールド・デビル・ムーン」、コルトレーン風じゃなくこの曲はこうなのよと言わんばかりの「マイ・フェイバリット・シングス」、しっとりと「ガール・トーク」、オリジナル2曲を挟んで、盛り上がり宣言の「ラブ・フォー・セイル」、アンコールは「ミスティー」で高級リンスのような潤いだ。もう少し分け入ってみる。手堅い後ろをキャンバスに仕立てにして自家製の絵を仕上げていくマリさんがいる。先人たちが通った道を自分の歩み方で踏み固めて来たのだという確信が伝わってくる。マリさんに感ずるのはこうした確信の強さだが、これは表に出ることはない。表にはボーカリスト中本マリがいるだけだ。マリさんは、やりたいことだけをやる。それが極上のエンターテインメントとして完成してしまうのは、マリさんの築き上げた実力そのもので、まさに威風堂々だ。
折角なので、ピアニスト加納について少し解説すると、本拠地は大阪で、その演奏を耳にしたマリさんが速攻チャージを仕掛けたという新進気鋭だ。彼は音色も人となりも端正で全国的大阪のイメージとは異なる。追々、あちこちでその名を目にするかもしれない。このライブの頃、東京は折からの猛暑、朝晩の北海道は快適な避暑の圏外にあり、マリさんは小さい風邪をひいたらしい。ステージを離れるとごく普通の人だ。
(M・Flanagan)