毎年この時期に北大と商大のjazz研1年生の発表会を開催している。事の発端は10数年前に遡る。当時の北大の部長とよもやま話をしていた。学祭が終わると燃え尽きた症候群なのか次の具体的目標を見失うからなのか一年生が辞めることが多いと聞いた。セッションは毎週あるが具体的な出番は12月までない。それで一年生が持ちこたえられる1st位の長さのライブをやることを目標にしたらどうだろうと言う事になった。それが夏休みのこの時期に他大も巻き込んでの定期戦という現在の形に定着していった。毎年一人二人傑出した人材がいるものだが今年は見当たらなかった。逆に拙い演奏をしている子の方が気になる。明らかにjazzという何が入っているか分からない闇鍋を食べらされているように見受けられるからだ。どうか辞めないで続けて欲しいと願いながら聴いていた。サークルの在り方については部外者は外から見守る以外手立てはないが大きく分けて二種類の運営手法があると考える。ライオンが子供を谷に落として這い上がってくるものだけを育てる手法。高度成長期の日本の様な護送船団方式である。その間を針が揺れ動くのであるが幹部部員の考えが微妙に反映されている。現在はと言うとゆとり教育的護送船団方式であると考える。この方式の難点は伝統として受け継いできたものが希薄になる事である。個人の演奏能力、理解度或いはバンドとしてのクオリティに口だすことは殆どない。だが演奏以前の人としてのマナーにかける学生が数人いたのには正直言って腹が立った。そういえば運営にも一言も口を出さずとも立て板に水を流すように進行し心たおやかに聴いていた年もあったことを想い出した。亡くなった鈴木央紹がよく言っていた。「松島さんと出演する会場は大体満席ですが若い層がいない時は危機感を感じます」日本は少子化が進んでいる。その中でジャズに興味を持ってくれる人間が少しでも増えることを願わずにはいられない。養殖した鮭の稚魚を放流する水産試験場の職員の気持ちでライブを聴いていた。このうち何匹が川を遡上して戻ってきてくれるのだろうか・・・。その川がレイジーリバーでなくとも構わない。だがその鮭が大根と土鍋を背負ってレイジーリバーを遡上してくれたとしたらこれ以上嬉しいことはない。
