As time goes by 日記 9月2日 複雑化の教育論

札幌は完璧に秋の気配である。暑かったとはいえ昨年ほどではなくこれから来る冬の事を考えると寧ろ暑かった夏の事が懐かしくなる。別れた彼女が素敵に思える幻覚と同じである。ここ一週間の中で学生と朝まで過ごすことが二度ほどあった。内田樹が「複雑化の教育論」の中で述べている事であるが学生生活は偶然の出会いに満ちている。その中で将来の道が偶然的に決まることが有る。例えばサークル活動である。キャンバスを歩いていたら渡されたチラシを見てジャズ研に入ってプロになってしまったと言う事もある。今の学生はシステマティックに設計されたプログラムをこなしてきたものが受験の勝者になり上のステージである大学でも当局の指針に従うものが優秀な人材と評価され社会に輩出されていく。そしてそういう序列的な社会構造が再生産されていく。当然生活、文化面でもその社会構造の相似形の村社会が生まれる。その共有地がサークルだったりする。話はダカーポしてサークル活動に戻る。ジヤズ研でも同じ年目の繋がりが強く年代で固まる傾向がある。先輩は得た知識を後輩に身をもって示すのが理想と考える。それは音楽用語で語れる物だけではない。音楽用語とデータべース的知識が多いものが声がでかくなる組織は活性化しない。通称学生all starsと云う企画がある。プロと学生がコラボしてもらう企画である。僕の思惑は優秀な学生のプロ登竜門としてしているわけではない。ある力量に達した時に経験した体験を後輩に伝えてもらう事である。後は良質な聴き手として社会に輩出してもらう事である。ドリームハラスメントと言う用語がある。将来の夢を早く設定しその階段を一歩ずつ上がっていく人生がある。いかにも賞賛されそうな生き方であるが一個歯車が狂うとボロボロになるケースがある。身近の学生が心の病になるケースをよく見聞きするようになった。早く設定した夢の反動であることが多い。