As time goes by 日記 8月16日 我、宮城に向かいて遥拝す

8月6日広島での平和記念式典が行われた。その後の記者会見は完全な出来レースで予告された質問に高市総理は回答書を見ながら読み上げただけであった。会見は10分ほどで終わり業を煮やしたフリージャーナリストがもう一問問質問させてくださいと挙手をしたが司会者に遮られ、その記者は広島県職員に取り囲まれた。それを横目でにらみながら大手メディアの記者が余計なことするな・・・という表情を浮かべ会場を後にする。劣化したマスメディアを目の当たりにした。総理はその後公務があるということであったが向かった先は歯医者であった。8月9日の長崎での式典の挨拶にも共通することは非核三原則については現在維持されているということを述べるに留まり今後も堅持するという表現は使われなかった。これは年内に予定されている安保三文書の改定で変更もあり得ると暗に述べているに等しい。これが被爆者の家族の気持ちを逆なでしている。
8月15日終戦記念日。敗戦を終戦と言い換えたことにその後の日本の将来のねじ曲がり方の原型があると考える。全国戦没者追悼式での高市総理の式辞に戦争に至った反省はない。寧ろ巻き込まれたとのニュアンスさえ醸し出している。この日靖国神社参拝をするかどうかが取り沙汰されていたが流石に取りやめたようだ。だがこれでは右派支持層から見放されるという危機感から武道館駐車場から靖国神社の方に向かい正式な作法でこうべを垂れたと報道させている。参拝には行けなかったけど出来ることはしてるわよ・・・という右派人気取りの行動である。新聞各紙には遥拝と報道されている。戦争末期ガダルカナル島などで最後の突撃前にはるか離れた皇居の方に向かい万歳を三唱した後、深々と礼をする行為である。
そもそも靖国問題とは何であるのか・・・。中国は軍民二元論を採用している。中国は日本に侵略されたのは事実であるがそれは一部暴走した軍部の仕業であって多くの日本人民もその被害者である。1972年の日中国交正常化での共同声明では周恩来はその趣旨から日本に賠償を求めなかった。
靖国神社は明治時代に設立された一宗教法人である。官軍、いわば国家に奉仕した人間を合祀している。そこにA級戦犯が合祀されたのは1979年のことである。その後中曽根総理が公務として参拝をしてから中国が話しが違うと反発しだした。それ以前は反対声明を出したことなどなかった。歴史的経緯を知っておくことは重要である。