jazz紳士交遊録 vol31 鈴木良雄

チンさんこと鈴木良雄さんが亡くなった。享年80才。チンさんとは1回だけのご縁であった。だが1回の縁だからこそ鮮明に覚えていることもある。1979年の事であったと思う。年3,4日回東京のグループのライブを主宰するようになっていた。その2番目のグループがチンさんのバンドMATURI
であった。チンさん、井上淑彦、秋山一将、内田恒誠、セシル・モンロー。その後何回と付き合うことになるメンバーであった。だが秋山以外皆鬼籍に入っている。その日は厳寒の真冬日で出迎えに行った札幌駅で遅れた汽車を体を擦りながら待っていた。メンバーの顔を見た時には一安心した。釧路からの入りであった筈である。ライブ主催を初めて間もなかったので開演前当時の札幌のジャズシーンの窮状を訴えるような挨拶をしていた。秋山から「ジャズを滅びゆく恐竜の様に言うのはよくない」と釘を刺された。チンさんは知っての通り貞夫さんのグループがデビューである。LPなどなかなか買えない時期にシングル盤のジャズを買っていた。その中に貞夫さんの「パストラル」のライブがあって若いころのチンさんとギターの増尾さんが入っている。そういう経歴のチンさんであるが当時貞夫さんには厳しい意見を吐いていた。「貞夫さんがジャズをダメにした」・・・・カルフォルニアシャワーなどが大ヒットしフュージョン全盛の時代がやってくる。それにつれライブツァーの形態も変容していった次期で地方のライブハウスが少しづつ衰退していった時期でもある。チンさんはそういう事を危惧していたのだと思う。なぜチンさんと呼ばれるのか・・・もう一人ベースで鈴木姓の重鎮がいる。オマサンである。そちらと識別するためと言う事が一義にあるが中国人に似ているからと言うのが定説である。本人から聞いたのであるが動作がチンタラ、チンタラしていたので貞夫さんがつけたと言う事である。確かに打上を一緒にするとそういう感じがする。重鎮になったのちも自分のグループで積極的にツァーを敢行している。そのグループはチンさん抜きで秋のツァーをやり遂げると聞いた。いないからこそ際立つ存在であったと改めて気づかされる。チンさんはそういう存在であった。ミュージシャンの愛情あふれる追悼文がネット上に溢れかえっている。合掌