1年を振り返る時期になった。困ったことに、LIVEを基礎づけるその場の音とその場の光景が月日の経過でバラけてしまった。こういう時は、後退途上国の流行語を手懸かりに1年間を『しっかり精査し、適切に対応する』ことが宜しそうだ。ついてはこの路線で逃げ切りを図りたい。今年の突破じめはKANI-BANDだった。必ずしも聴く機会が多いとは言えないフルート(小島さん)が入ると、サウンドの暴れ度が変わることが分かり楽しませてもらった。曖昧な記憶をカットして勢い2月。渡辺翔太トリオ(b俊也、ds一哲)あたりからリスナー軌道に乗ってきたと思う。このピアニストへの注目度は高い。自分のものにしている閃きがある。中でも喜劇王の「Smile」にはこっちもニコッとさせられた。まだ年の序盤で戦局が定まらない中、早くも大手がかかった。翌日から脳の半分以上が音符で占めていると言われる鈴木央紹が参加し、名曲と名演の大つばぜり合いが展開された。またまた振るえが来てしまう(俗称フルエル・マータ症候群)のであった。3月もフロム東京組の豪華合わせ技で、田中菜緒子トリオ(b俊也、ds柳沼)に始まり、一夜を越すと松島啓之と池田篤が加わる展開だ。トリオの方は田中の個性的なオリジナル曲が中心、知らない曲もベースとドラムスのタイトなサポートによってピアノが小気味よくスイングする。菜緒子も固定席ゲットに意欲を見せているようだ。そして黄金のツー・トップ、夫々のソロをぐるりして解決へ向かう2管のアンサンブルはスリリル満点、何と気持ちの良いことか。4月に入ると敏腕プロモーターの底力の見せどころ、19周年企画だ。ハクエイ・キム、米木康志、本田珠也のトリオを皮切りに翌日から峰さんが参加してくる。久し振りにハクエイを聴きたいと思っていたので、余りにタイミングがよろしい。曲も演奏もオリジナリティーに富むのを再確認した。余談になるが、父親がハクエイの知り合いという道内在住の娘さんが聴きに来ていて、会話を弾まさせていたのは喜ばしいひと時だった。さて、詳細は省くがレジェンド峰さんの並外れたエナジーはMr.Monsterそのものだ。極め付けはジョン・ルイスの「ジャンゴ」だ。峰さんが幾重にも刻み続けてきた音の年輪に挟みつけられるようで、身動きを完全に封じられた。なお、これは珠也の選曲だったらしく、会心の一撃はプレイその他にとどまらない。時がどんどん刻まれ5月になる。この月はゴールデン・ウエークが絡むので、従来はひと山作られてきたが、コロナの制約フェーズ切り替えとなったためか、数年来にわたり全国的に中止・延期を余儀なくされていたLIVEが本格的に後追い調整され始めて来たのだと思われ、ブッキングに苦慮している様子が窺える。そうして半年を経過しようとする6月。この月の恒例となっているミュージシャンが登場してくる。まずは松原依里(Vo)を聴くことができた。最近はヴォーカルを聴き損ねていたので、この実力派の歌に触れHotさせられた。月の締めくくりは何と言っても大石・米木だ。ここんところ、このDUOでは米木がエレベに持ち替えている。個人的には、グルーブの異質性から、エレベとウッドは別楽器に思えていた。そしてこの日もそういう聴き方をしていた筈である。ところが、エンドを飾った大石の「ピース」を聴いていて、楽器がどうのこうのという思いは消えて飛んだ。説得力のある演奏ってこういうことなんだな。7月は「内地」からの攻め込みがなく、本山・Nate、昼下がりのクラシックなどを聴いた。8月は早々に竹村一哲バンド(g井上銘、p魚返、b三嶋)だ。道東を起点に幾つかの会場を回り、ツアー締めくくりのLIVEがここに実現した。各地で盛況を博したと聞く。彼らのサウンドは、ぶ厚さの中に華麗さが織混ぜられており、さすがの猛暑も逃げ場を失ったのではないか。とかく井上銘に脚光が浴びがちではあるが冷静になろう。彼以外は割と頻繁に聴ける機会がある。いま聴いておくおくべきだ。ここでちょっとブレイクさせて頂く。LBと縁の深い臼庭潤が他界してから19日で13年も経ってしまった。だが彼の演奏はいつも昨日のことだ。この日は彼が追及したJAZZ-ROOTSを偲ぶことにしている。まあ臼庭は湿っぽいのを嫌うから、長居せずに9月に行こう。鈴木央紹の”Stars”リリース記念LIVE(g荻原亮、b若井俊也)がやって来た。セールスに影響するので、余計なことは言わないことにする。このライブの完成度は本年屈指。購入して出来ればそれなりの音量で聴くことをお勧めする。月の半ばにはLUNAの「ジャズ」ライブ(gネイト、b柳)、「ペシャワール」などのオリジナルのほか「竹田の子守唄」など、歌いきっているのが記憶に残る。10月にはドット・プッシュのトリオ版(p魚返、b富樫、ds西村)と池田篤が加わるカルテット版。還暦に至るも意欲に衰えを見せない池田と若手・中堅の一歩も引かないせめぎ合いだ。オリジナルを基調とするプッシュの曲に堂々乗り込んでいく池田は実にカッコいい。月末に急遽決定したKurage-Mini-Band、頗るユニークな演奏で中島さち子にメンバー分を含め座布団3枚。いよいよ11月に突入。低空飛行を伴わないフライトはない筈なのだが、今のところlazybirdは上空高いところばかり翔んでいる。そして更に高度を上げようというのだ。世にいう令和の”大催し”だ。先陣を切ったのは松島のカルテット(p本山、b三嶋、ds一哲)だ。いつも松島のプレイにはワクワクさせてもらっている。周囲の人々も同じに違いない。聴いていると何だか自分にも運が回って来そうな気になる。改めて素晴らしいトランペッターに感服。そしていよいよ鈴木央紹参上。前記(9月)の”Stars”とのセット・アルバム”Songs”のリリースに歩調が合っている。彼については何度もレポートしているので、借りネタだけを垂れ流すつまらないジャズのような書きぶりになりはしないかと萎縮気味になる。そこで理屈っぽいことを排除することにした。筆者は鈴木をゲッツと同じレベルで聴いているのだ。この実感をもってまとめとする。そろそろ息が切れてきた。LIVEは宝クジではないから引けば当たる確率が高い。来年もこういう安心できる博打に賭けたいものだ。その意欲を途切らせないためにも、怠惰>成実の人生観に磨きを掛けて行くとしようか。今年の駄文をチラ読みされた各位にお礼を申し上げておきたい。最後に生演奏をレポートすることについて、右手を胸に充てて言い訳する。生聴記よ永遠なれ(笑sometimes泣)。
(M.Flanagan)
カテゴリー: ライブレポート
2023.10.31 Kurage Mini Band
中島さち子(p) チェ・ジェチョル(Changu) 小林武文(ds)
これはピアノと打楽器2つのレア編成である。レアと言えば”Changu”という楽器を初めて見た。これは韓国ではごく一般的らしく、我が国で言えば和太鼓に相当するのだろう。その形状は丸太りの砂時計風だ。折角なので当人に簡単な解説を求めたところ、3つの音程を基礎としながら上部と下部を繋ぐロープに結わい付けられた留め具をスライドさせて変化をつけるということであった。急遽決定したこのライブの狙い目は「ジャズと民族音楽の掛け合わせ」ということになっている。日頃からジャズをジャズとして意識しながら聴くこともないので、まして民族音楽について考えることは殆んどない。ただ耳に入ってくるリズムに「おやっ」と思うようなときに、それが民族音楽と称されるものであったりする。民族音楽というのは地域の土着性に根を持つ音楽であって、そもそも他の地域に広がることを求めない音楽だと思う。結果的に影響が広まることがあったとしてもである。この文脈の流れは何処から来たかというと、三人が先ごろエチオピアに行って音楽交流して来たという話があったことによるが、まぁ気合い入っているわ。粗い感想を述べさせて頂くと、中島がジャズ、チェ・ ジェチョルが民族音楽、小林が両者の橋渡しの役割を担っていて、トリオとして本日の主旨にアクセスしていたと思う。選曲は中島のオリジナルが大半を占めていたが、半ばで挿入されたチェによる韓国の”民族音楽”の独唱にはグサッときた。集落の祭事に欠かせぬ歌なのではないかと想像した。世に知られる「アリラン」や「イムジン河」とは異なる印象を受けたのだ。またラストで中島の代表曲「灼熱」を聴けたことも嬉しい。Kurageの由来は分からないが、世界の音楽をゆらゆら漂う意思表示ぐらいに受け止めておく。「ジャズ☓民族音楽」LIVEに型破りな感じはなく、寧ろ万国に連なろうというコンセプトから発案されたのだろうと思うに至った次第だ。
中島は5、6年前になるかと思うが米木康志、本田珠也とのトリオで演奏していた。この取り合わせが何所から来たのか不思議に思っていた。彼女がMCで本田竹広氏に師事していたことに触れ、疑問が氷解した。本田さんの曲を採り上げてもいた。何より演奏に本田因子が散りばめられていることが了解でき、繋がるべきものが一気に繋がったのだった。
(M・Flanagan)
2023.10.13~14 .Push Trio & 池田篤のTowDays ・Tow Ways
池田篤(as)魚返明未(P)富樫マコト(b)西村匠平(ds)
このTow Daysは初日がプシュの選曲、二日目は池田の選曲によるという意味でTow Waysだ。つまり私たちは、一枚の絵から二通りの鑑賞が可能となっている。これまでのプッシュのアルバムはオリジナル曲で固められており、ここでも概ねそこからピック・アップされている。池田の方はスタンダードとオリジナルが相まじえての選曲だ。初日の演奏曲を列挙しよう。「WANA BI」、「時しらず」、「Old Folks(これはスタンダード)」、「ORA 2」、「High Step Corner」、「Lonly Bridge」、「Tiny Stone」、「照らす」。よほど熱心なファンでなければ知らないだろう。しかしながらプッシュのオリジナルはシンプルで親しみやすい。数多くの曲を提供している西村も魚返もJazzのみならず昔のポップな曲を含め、幅広い分野の楽曲に精通していることがその一因としてあるのだろう。これが耳の琴線を心地よく弾くのだ。池田は(多分)初見になる彼らの曲を違和感なく受け入れていた。彼は小手先であしらう様なことをしないし、得意技で纏めるような方法に依拠することもない。そうしたプロとしての矜持が渾身のプレイを促すのだ。だからプッシュのどうにも止まらないエナジーに対し、存分にキャリアを重ねてきた池田は格上として受けて立つように振る舞うことをしない。だからこそ四者の音圧がひと塊のJazzとなって会場を埋めつくして行ったのだと思う。二日目の演奏曲は「On The Trail」、「Never Let Me Go」、「Subconsciouslee」、「For A Little Peace」、「Out Of Africa」、 「UGAN」、「Long Vib On The Blues」、「Every Time We Say Good By」、「Flame Of Peace」、途中、池田のノン・タイトル2曲が採り上げられていた。池田を長らく聴いてきたが、ここ10年ぐらいを切り取るとキレッキレの高速演奏もバラードも辛口ではあれウォームになっているというのが筆者の見立てである。そういう視点で池田の音色に舌鼓を打つことは筆者にとってこの上ない喜び事なのである。折角の機会なので、締めくくった後、粒ぞろいの演奏の中から「Every Time We Say~」にジーンと来たことを池田に伝えた。すると池田は「シンプルな曲って、普段から手入れしておかないと、扱えなくなるんですよね」と応じてきた。また噛みしめるものが増えてしまった。今回は前日(10/12)のプッシュ・トリオ(1年前はナーテー曽我部入りのカルテットで来演)の熱演に感服させられたことを付け加えておくが、それとともに思い浮かべていたのは、LBでの東京で活躍する生きのいい若手を聴くシリーズで期待値がハネ上がった連中は、今や日本のジャズ・シーンを担う段に来ているということだ。そんな時に彼らより手前の世代である富樫が現れてしまった。先輩格はウカウカしてられない。人生、逃げ足より追い足の方が速いから十分気を付けた方がよさそうだ。何はともあれ二日間のTow Ways「ごっつあん」でした。角界用語を使ったついでに付け足そう。ご存知だろうか外国籍で初めて関取になった高見山という力士を。この人はいつも自らの相撲信条を「押して押して押す」つまり「Push,Push&Push」と語っていた。奇策を排し「Push」を貫く取り口は彼をして多くのファンを獲得せしめたのである。このライブを聴いていると、時を隔てて古い記憶と繋がってしまった。謂わばドット・プッシュによる『”唸らせられたで東京』と言ったところだ。
すこし慎重に仕上げよう。「芸術とは真実を気づかせるための嘘である」と言ったのは、かのパブロ・ピカソである。今回のライブからはどうにも”嘘”が見つからない。例外のない名言はないということか。ここでもう一つ。筆者は”嘘”のない広告代理店を気取って、”真実”の宣伝を付け加えておきたい。最近「白鍵と黒鍵の間に」という映画が公開された。この音楽を担当しているのが魚返である。札幌でも上映されるであろうから、誘い合って魚返のニュー・シネマ・パラダイスを観に行こうではないか。
(M・Flanagan)
2023.9.14 LUNA の前転先祖返り
LUNA(Vo) Nate Renner(g) 柳 真也(b)
ここ数年、LUNAはバク転的活動に芸能人生を割いていたようだが、順序からいって人みな前転が基本であり優先される筈だ。そんな逆転現象のためか「Jazzやってるの、やってないの?」という疑念交じりの半苦情ーンズな問いを突きつけられていたらしく、後ろ髪を引かれる思いでこのほど意を決した”Jazz Tour In 北海道”なる看板を持ち込むに至ったそうである。かくして日々道内の犠牲心を厭わないメンバーとともに、各地を行脚した最後に LBにて千秋楽を迎えることになったのだった。大相撲でいえば千秋楽は15日目、このライブは9月の14日で千秋楽には届かない。2日分の頑張りを見せて貰おうじゃないの。この日数カウントの理屈はヘンテコだけど、それでイイのだ。さて、周知の通りベースの柳とLUNAは、古くから共演を重ねている仲だが、一方のNateとは初共演ということだ。この日は幾つか日本の曲が採り上げられており、Nateの日本力が本物であれば日本帰化の第一関門突破を認定するというウラの課題も入っていたようだ。私見では概ねNate色をキープしながら相応の出来栄えであったように思われた。話は変わるが、個人的に60を過ぎるころからVocalに接する機会がかなり増えたという実感がある。それは誰かが「60くらいになると、ルイ・アームストロングのように”What A Wonderful World”を歌うことに憧れる」と言っていた一文を目にした時期と対応している。そんなこんなで色々聴いていると、歌唱力やセンスを基準に気に入っただの入らないだのと断を下していたことに”ちょっと待て”を掛けることになっていった。それは”声の質“に重きを置いていなかったのではないかという自問である。インストものでは”この人にしてこの音色”という聴き方をして来たにも関わらず、Vocalには脇の甘さを露呈し続けていたのだ。以後、単にアクが強いとか美声であるとかを超えて”この人にしてこの歌声”というような歌い手と声との一致関係のことを気にするようになったと思う。それまで多くの人が当然視していたであろうことに、筆者は相当遅れを取っていたのである。本日のLUNAも聴くと直ぐに分かるシンガーだ。いま筆者は”声の質“は個性に欠かせぬ重大要素なのだという思いを強くしており、その軸をズラすことなく「Jazz Vocalist」LUNAの”声の質“に寄り添って聴こうとしていた。そして進み行く内に長年に渡り累積表現されたLUNAの”声の質“に更なる深みが加えられているように感じ取ることができたというのが結論らしきものである。そろそろJazzにされてしまった曲を紹介することにしよう。「Summertime」、「深淵」、「Summer Song」、「竹田の子守唄」、「Hand In Hand」、「A Case Of You」、「挽歌」、「Early Autumn」、「夕暮」、「Peshawar」、「Wind Of Fields」、「Blues In C」、「Tow For The Road」、「Destination Moon」、「Everything Must Change」。どうやら前転先祖返りは成功だったようである。
因みに「A Case Of You」はカナダの国宝ジョニ・ミッチェルの曲だ。勿論LUNAの選曲によるものだがNateは同郷の大ミュージシャンに対して余すことなく母国愛を込めた演奏をしていたように見える。そこから察するに、まだまだ帰化は難しいな。
(M・Flanagan)
2023.9.1-2 鈴木央紹 完璧トリオ
鈴木央紹(ts)荻原 亮(g)若井俊也(b)
ライブに行こうとする時に迷うことなく足が向く演奏家が少なからずいる。鈴木央紹は間違いなくその一人だ。こうした演奏家に巡り会えることを世間では「幸運」と言ってるらしい。その鈴木のニュー・アルバム「Stars&Smiles」がリリースされ、絶好のタイミングで今回のトリオ・ライブがブッキングされた。鈴木と若井は出演番付の上位者なのでお馴染みだが、荻原はおよそ5年振りのブランク永井だとなる。いずれ実力者なのだが、何と言ってもテナー、ギター、ベースという編成が魅力的だ。鈴木によればレコーディングに当たって、夫々がブースに入るのではなく、敢えてフロアに三者揃って演奏する方式を採ったということだ。つまりメンバー同士が息遣いをキャッチしたりアイ・コンタクトが十分可能となる条件設定だ。このシチュエーションは客を入れないライブに相当するので、演奏に仮想の臨場感を持ち込むことを狙いとしていたのだろう。その仮想を剝がしたのが、このLBライブということになる。何でもレコーディングに当たって、50曲をほぼワン・テイクで収録し、そのうち20曲をカット、30曲を厳選して2枚のCDにまとめたということだ。その第一弾がこの「Stars&Smiles」になっている。ライブでの選曲はそこに収められた曲を中心に進んで行く。その曲群を紹介する。「So Many Stars」「Milestones」「Wrap Your Troubles In Your Dream」「All My Tomorrows」「Groovin’ High」「Lucky Southern」「Little Willie Leaps」「Dreamsville」「You Say You Care」「Someday My Prince Will Come 」「Turn Out The Stars」「Hullcinations」「The Touch Of Your Lips」「Where Are You?」「Baubles,Bangles&Beads」「Get Out Of Town」「I’m Old Fashioned」「I Cover The Water Front」「Peri’s Scope」「Moon River」。筆者の狭い聴き歴で恐縮だが、ここにはよく聴く曲とそうでもない曲が混在している。途中で不思議に思ったことがある。それはどの曲も耳馴染みあるように感じられたことだ。答えは向こうからやって来た。鈴木のMCで「ハーモニーへの気遣い」についての語りがあった。我々の耳にすぅ~と入ってくるのは矢張りスーパー・ハーモナイズされた彼らの演奏によるものだと考えれば納得できる。バンマス仕切りのもとギターとベースは全曲について手を休めるひと時もないハード・ワークだ。鈴木スキ無し、荻原ミス無し、若井ムダ無し、我ら言うこと無し。言わば会場が調和していたのである。これは「完璧トリオ」によるパーフェクト・ゲームだ。終焉後、そこはかとなくドラムが入る時入らない時談義が聞こえてきた。どこかの空の下で「原たち日記」がアップさていたかも知れないな。なお、シリーズ第二弾は歌モノを揃えた「Songs」というタイトルで、近くリリースされることになっている。これに合わせて、11月に再び鈴木がやって来る。北区役所に転入届を出す勢いの長期企画であるらしい。皆さん「幸運」に巡り会うべく聴きに来てみなはれ。
(M・Flanagan)
2023.8.4-5 竹村一哲 BANDの”もはや彼らは”
井上 銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
これは北海道ツアーの締め括りライブである。先行の道東2カ所(釧路、帯広)でも大盛況だったことを事前に聞いた。その勢いよろしくLB4度目の来演を迎えた。「いい演奏出来そうな店ですね」、初演のときの井上銘の一言を思い出す。以後、井上の予感が的中して今回に至っている。このバンド、芸能界的な次元では井上がセンターに君臨しているが、それは適切とは言えない。実体的には夫々が存在感を譲らない4人編成だからだ。魚返も三嶋も別建てでLBライブを重ねているので、その実力は実証済みだ。こう言ってしまうと、結論が見えてしまいそうだが、お墨付きも折り紙も付いている連中だから止むを得まい。では、完成状態で発展を止めないBANDを聴こう。まずは演奏曲を紹介する。「WE」、「The Lost Queen」、「Shinning Blue」、「Twilight」、「神のみぞ知る」、「Normal Temperature」、「妄想歩く」、「Chicken Rock」、「R M」、「悲しい青空」、「Spiral Dance」、「A」、「Mozu」、「No」、その他Non Title曲だった。大半が各自のオリジナルで占められている。最近は三嶋も曲作りに意欲をみせていて、今回も2曲提供している。失礼ながら彼は割とウラオモテのない一本気な人物だと思っていたのだが、曲想もタイトルも条理に収まらないものとなっており、ヒトの特性である矛盾を抱え込むことが垣間見ることがでる。知られざる三嶋の一面が妙に嬉しい。三嶋に寄り道してしまったので、ファンを代弁して他のメンバーにも触れておく必要があるだろう。井上は伝統を押さえた上でのスタイリシュなギター・ワークに抜群の冴えをみせ、何よりクライマックスに向かう演奏の創り方に圧倒される。魚返はリリカルな演奏に傑出する一方、何処まで行ってしまうか予測を超えた芸術的肉体労働のピアニストだ。そしてリーダーの一哲、例えば自曲の「Shinning Blue」での長尺ソロでは、打音の連鎖がいつしか物語の世界へと越境し、そのスティックによる筋書は我々の胸を打ずには置かない。改めて晴らしい。全てを聴き終えると、唐突に戦後10年余りの経済白書において我が国の再生宣言した「もはや戦後ではない」の一行を思い出していた。その誘因は少々安っぽいが「もはや彼らは若手ではない」と感じたことだ。一般論として若いというだけでそれに酔いしれてしまうことは、誰もが経験することだ。彼らは演奏家としてそれを完全に撃破して見せている。そう、”もはや彼らは”これからの我が国ジャズ・シーンを切り開く中核的な位置に足を踏み入れているのだ。こういうスリリングな局面に出会うと、私たちは一哲BANDの次回を楽しみにしたい気持ちが募る。ただ、今は過剰に美化することを控えよう。そうしなければ、次の楽しみを失いかねないからだ。
(M・Flanagan)
2023.6.25 「Under The Moon」リリース・ライブ
大石学(p) 米木康志(eb)
最新作を引っ提げた記念ライブである。これは大石によるアコピとエレベによるDUO企画だが、出自をオルガン弾きとする大石がこの楽器の低音部を見つめ直して、米木とのエレベによるコラボを持ち掛けたのが事の始まりだそうだ。実はこの青写真の現像作業は昨年からが開始されている。レイジーで恒例となっている6月のこのDUOもその意図をもとにしていた。それがこのコラボの第1回目のワクチン摂取となっていて、今回は前回の感染対策を程よく身に受け入れながら聴き進めることが出来た。「Under The Moon」とは録音した「月下草舎」というペンションの名に由来していると思われるが、それは大石の人脈由来の命名であり、そこに捧げたものと考えてよいたろう。というのも大石は演奏の場を提供する関係各位に自曲を以て一礼を表することを厭わないと伝え聞く。その律義さが勢い余って一か所3曲も提供していることがあるそうだ。何やら曲数争いが激化しそうな不穏な空気も漂うが、今回は満を持してレイジーの看板娘「いも美」をモチーフにした曲を店に劣らぬ品格を以て演奏した。筆者は現時点で「Under The Moon」を聴いていないのでアルバムに踏み込めないが、この曲が収録されていることだけはしっかり確認した。大石のMCからアルバム収録曲のほか、過去と近作を織り交ぜていたようである。ほぼ大石のオリジナルである。これまで大石の演奏を何度も聴いているが、彼は一貫して透明なものをもっと透明にしようとしているのではないかという印象を受ける。その姿は清々しいなどと云うよりも格闘に近い。それが筆者が思う大石ワールドだ。演奏曲の紹介に移ろう。過去に何度か共演した高野雅絵氏を鎮魂する「Melanchly」、お好みのスコッチ・ウイスキーに寄せた「Talisker」、前述した看板娘の「E More Me(いも美to Mr yoshida)」と二つの飲酒癖モノが続く。その酔い覚ましのような大石宅に咲く花「Color」、ブルース作品の多くない大石が名古屋の店に捧げた「Blues For Lamp」、倦怠感が燻る様子を綴ったような「花曇りのち雨」、米木のオリジナルでベース・ソロをフィーチャーしたシリアスな「Sirius」、闘病中のキースと先ごろ他界したゲイリーに捧げた「k・J&G・P」、鬱蒼とした時の流れを美的に構成した「Heavenly Blue」と「雨音」、かつてのアルバムからのタイトル曲「Nebula」。そして最後に待ち構えるのはあの曲、「Peace」だ。この曲を初めて聴いてから20年くらい経つ。幾度となく聴き、その都度感動を共にしてきた。かつて米木にこの曲をどういう思いで演奏しているのかを訊いたことがある。大石の演奏に込められた祈りを感じながら演っているよと言っていた。その一言を噛みしめている内に、悠久の名曲は渾身の演奏で締めくくられて行ったのだった。
(M・Flanagan)
2023.4.6-8 祝19周年記念LIVE
かねがねハクエイのLIVEを聴いてみたいと思っていたので、それが周年記念の大催しで実現したのは大いに喜ばしい。しかもトリオでの初日は米木、珠也との共演、翌二日間はそこにレジェンドの峰さんが加わるカルテットである。ハクエイと峰さんは両者とも多分4年ぶりくらいの来演と期間が空いたことも気分をプッシュしてくれた。話は変わるが、去年が17周年で今年が19周年になっている。18周年がないのだ。真相はよく分からないので、今回は2年分の気迫で臨んだということを正解としておこう。何よりこのキング達を結集ならしめたのがその気迫の現だ。つまり納得のキングをコールしたのだと一旦ショボく締めておく。
<4.6トリオ キム・ハクエイ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)>
総じて短めのイントロからテーマに入るパターンにはなっていないので、何が始まっていくのだろうかと思わせる。眺望するとそんな感じで進行していった。オリジナル以外は、あらかじめ曲名が紹介されないので、聴いている途中で「あっ」ということになる。そこから圧巻のインタープレイに突入するのだが、このレベルになると握る我が手の汗も上質になった気にさせられる。またハクエイの曲はどうかというと、彼がイメージしているものとそれを旋律に落とすことにかけては、抜きん出たものを感じる。タイトルをつけてから、曲作りをしているのではないかと想像するが、どうだろうか。では簡単に演奏曲を紹介する。MCは僅かだったのが、それを手懸かりにそして後は当てずっぽうにしよう。まずは「Solar」、実はマイルス作ではないかも知れないとコメントされた深淵なる「Solar」、オリジナルで重厚感タップリの「Gardens By The Bay」、コルトレーンの「Some Other Blues」、身も心も分解させられる「Body&Soul」、既知の者が初対面であるかのようにフレッシュな「Have You Met Miss Jones」、オリジナルの「Fish Market」は小樽の三角市場のようなサカナ臭はなく、多分架空の何処かと思わせる。続く2曲もオリジナル、最初の「Sleep Walking」は夢から覚めぬまま彷徨い歩いてしまった実体験を曲にしたもので、その危うさを映し出していて怪しげだ。次の「Late Fall」における三者の熱量と所どころのエキゾチズムには少々陶然とさせられっちまった。ここで一段落といきたい「Old Folks」ではあったが、一息つけるものではなかったな。最後はショーターを偲ぶ「Foot Prints」。アンコールはオリジナル「Open The Green Door」、扉の向こうに何があるのか?珠也のドラムは「皆んな気をつけろよ」と警告しているようでもあった。全11曲、ピアノ・トリオとしては異例の長時間に及んだが、それは時計が言っているだけのことで、短くすら感じられたのだった。
<4.7-8カルテット 峰厚介(ts)キム・ハクエイ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)>
そこにいるだけで存在感がある。峰さんのことだ。’70年代の峰さんのことを思い浮かべていた。既にその頃から50年を数える。尋常ならざる音楽精神のタフさが秘められているだろうことは創造に難くない。筆者のような一般人は体力と精神力の下降は相関してしまうばかりか、そもそもチューニングが狂いっぱなしの人生がチラついてしまう。よって、そこは見て見ぬふりをしなくてはいけない。それはさておき、実在する特別の巨人が凡人の目の前に座しておられることに集中しよう。カルテットでの二日間は、ほぼMCレスで余計なもの?は徹底して排除されていた。選曲はスタンダードとハクエイのオリジナルで占められていが、一部の重複曲も別演奏になっていて、JAZZのエッセンスが凝縮されたものになっていたと言える。敢えて触れておきたい。二日目の終盤に「Django」が演奏された。過去にプーさん(菊地雅章氏)と峰さんによるDUOの名演があり、即座にそれが頭をよぎってブルッときた。懐の深い音色に吸い込まれていったのだと思う。後で分かったことだが、この選曲は珠也の提案によるものだったらしい。曲によってハクエイが容赦なくアップテンポのカウントを出したりすることもあったが、峰さんは泰然自若、どの音域でも太く鋭くそしてノリの大きい歌心で例えようもなく素晴らしい演奏に仕上げていった。どうやも筆者は「このLIVEを聴きに来て本当によかった」ということを言いたいらしい。演奏曲は「Beatrice」、「I Want To Talk About You」、「Turn Arround」、「Sleep Walking」、「Body&Soul」、「In Your Own Sweet Way」、「Django」,「Offer Refused」、「Orgy」など。春の祭典は終了したが、LB史に残るLIVEが、また一つ加わった。
昨今では、何とかの”壁”という言葉が定着している。数年に亘って才気あふれる若手・中堅の演奏を大いに楽しませて貰っている。今回のLIVE3日間で巨人の壁があるかも知れないと感じた。さて、来年は何周年記念になるのだろうか?カウント蔑視はマズイよね。
(M・Flanagan)
2023.3.10-11 松島・池田Quintet 『夢で逢いましょう』
松島啓之(tp)池田篤(as)田中菜緒子(p)若井俊也(b)柳沼佑育(ds)
本文のイントロは私ごとから。このLIVEの数日前、夢に池田が出てきた。誰にも思い当たる節があるだろうが、夢という夢は何者かに追い詰められるような後味の良くないものが多く、それで目を覚ましたりするものだ。先日の夢では池田が古臭い大衆食堂のようなところにいて、確か彼に声かけしようとするあたりで終わったが、ニンマリできるものである。このあやふや短編動画は池田の預かり知らぬことではあるが、助走がついてしまったので、LIVEで最高の演奏をしてもらわねばならぬと思ったのだった。さて、ここからは現実に帰ろう。最近の池田の話によれば「今は若い頃のようには吹けないが、音楽は間違いなく向上していると感じている」という境地にあるそうだ。多くの池田ファンもそう感じているに違いなく、それは”吹けない”のではなく”老けない”のだと言葉を遊ばせたくなる。筆者としては、局所・難所を疾風のごとく駆け抜けてきた池田が終焉したとは思っておらず、それは”Warm”感が強まる境地に引き継がれているのだと思っている。ではこの日のLIVEではどうだったのか。まず鍵を握るのは松島だとしておこう。いつものことながら、初めて聴いたときの鮮烈な印象に呼び戻してくれる。つまり毎回新しいのだ。彼には「Treasure」というオリジナルがあるが、ぞれを地でいくように大判・小判ザックザクだ。松島の音には光源が仕込まれているようであり、更に突出したバランス感覚、ニュアンスの多彩さがその輝きに拍車をかけている。しかも呆れんばかりに無尽だ。その鍵を握る松島に対し、鍵を預けた池田はどんな図面を引いてくれるだろうか。もちろん池田は力ずくで扉をこじ開けるようなエラーを犯さないことは分かっている。二日間池田を聴いていて、体感的に固まってしまうことはなく、ずっと目尻が緩みを帯びていたような気がする。後でその理由を考えてみたが、踏み込み切れない。仕方ないので今現在の思いを残しておくことにする。それは池田がテンポの如何に関わらず、どの曲もラブ・ソングとして演奏していたのではないかということである。では何に対するラブ・ソングなのか?それは自身の音楽に対してであり、聴きに来る者たちに対してである。物語性に富んでいるとしても、ラブ・ソングを男女関係に限定するのは誤りだ。その関係は、一方の気遣いがいつの間にか過剰な干渉に転じ始め、両者の均衡は一気に失われて、典型的な結果に至ってしまう。音楽は均衡の不整を求めてはいない。筆者が池田式図面から探し当てたのは彼の隠された鍵としての”Warm”な音であり、それがラブ・ソングとして聴こえていたのだろう。ラブ・ソングとは攻め過ぎることなく、守り過ぎることのないところに見いだされる究極の調和なのだろうか。今回、ラブ・ソングという鍵ワードが頭から離れず、思わぬ方向に舵を切ってしまったが、LIVE終了後に松島と池田による出色の調和をそっくり家に持ち帰りたい気分になっていた。こういうことなら、次回もまずは「夢で逢いましょう」といきたいな。演奏曲は「Take Your Pick」、「Serenity」、「In A Sentimental Mood」、「Cup Bearers」、「Fee-Fi-Fo-Fun」、「Fly Little Bird Fly」、「Embraceable You」、「Crazeology」、「Fasta Mojo」、「My Heart Stood Still」、「You Don’t Know What Love Is」、「Eiderdown」、「On The Trail」,「It’s Easy To Remember」、「Be Bop」、「Ease It」。
なお、リズム・セクションを務めた3人は、この前日、田中菜緒子トリオとしてひと山作っていった。彼らはQuintetにおいても堅実かつ意欲的な演奏で見事に貢献した。この3人に対し近々やって来るドラマーのセリフを借りて一言付け加えておこう。「また来てやるからな」。
(M・Flanagan)
2023.2.17-18 鈴木央紹4&3 秘伝の『My Shining Hour』
鈴木央紹(ts)渡辺翔太(p)若井俊也(b)竹村一哲(ds) *二日目はドラム・レスのTrio
今回のLIVEについては結構前から知っていたので、待ちに待ったという胸中だ。当初の予定では二日間ともカルテットだったのだが、同行するはずの山田玲が都合により欠演となったため、代わりに竹村一哲が参加することになった。災い転じて福となったのである。それはさておき、鈴木のLIVEを振り返ってみると、スランダードや準スランダードがよく採り上げられている。このことは一面ファン・サービスでありながら、そこには明確に別の意味合いがあると考えてよいだろう。少しばかり余談から本筋に向かって行こうか。私たちにはお好みの曲というのがあって、色々な演奏家や編成で聴いて楽しんできたに違いない。個人的には例えば”Whisper Not” が収録されているレコードを見つけては、持ち帰って聴き比べていたことがある。そこには何度聴いても唸らされるものもあれば、年がら年中コロッケを食わされているような飽きのくるものもあった。同じ楽曲から感じられるこの差は一体何なんだろう。必然的に演奏とはそしてそこに生ずる差をどうう思うのかと襲いいかかってくる。原曲と演奏家の関係から何が視えるだろうか。一般に物事の辻褄に納得することを「理解」すると言うだろう。これと似て非なる「解釈」するという想像力に属する次元のことがある。ここでようやく鈴木についての手がかりまで辿どりついたかも知しれない。「理解」は横並びにつなぎ合わせても成立しそうだが、「解釈」は深化する方向に進路をとらざるを得ないように思う。彼は原曲に敬意を払うことを最も大切にしている。そこから繰り返し原曲の未来像を引き出そうとしているに違いないのだ。鈴木にとって「解釈」の徹底が演奏することであり、聴き手が同一曲に飽きがこない理由はそこにある。だから彼にとって”All The Things You Are”はいつも新曲なのだ。今回も能書き許さぬ演奏集となったのだが、それは鈴木の突出した「解釈」力にあると結論づけよう。やれやれ、いつも楽しみにしている彼のバラードの聴き応えは格別だったことを付け加えておきたい。では演奏曲を紹介する。まずカルテット。「I Love You」、イントロ早押しクイズなら”キラー・ジョー”と言ってしまいそうな「Along Came Betty」。照れくさいが20ほど若かったら惚れっぽい男を演じてみたくなるような「Be My Love」、モードでない方の「Milestones」、「Reflections」、「Like Someone In Love」。三曲続けて翔太作品「Color Of Numbers」「Pure Lucks In Bear’s House」「かなめ」、初見で譜面に噛り付いてしまったと鈴木は後で微笑んでいたが、実際これらは脅威のパフォーマンスといえるものだった。次はトリオ、「Long Ago&Far Away」、G・グライスの「Social Call」、「I Love You Porgy」、「Four」、「Sweet Lorraine」、「Autumn Leaves」、「It’s Easy To Remember」、「I Should Care」、「Bye Bye Blackbird」。古くも新しい名曲のフルコースだ。
よく江戸の時代からつぎ足し続けて200ウン十年、守り続けた秘伝のタレなどという老舗の看板セリフを見聞きする。筆者は鈴木のLIVEを聴いて僅か10年余りでしかないが、秘伝の生聴きが底をつかぬよう、毎年つぎ足しつぎ足し、いや紹たし紹たし聴き漏らさないよう心がけている。そしてこの二日間、秘伝のひと時にどっぷり浸かった。思わずタレのラベルをボレロから『My Shining Hour』に書きかえておいた。
なお、この前日となる2.16には渡辺翔太Trio(翔太、俊也、一哲)のLIVEがあり、聴く機会の少なかった翔太の演奏に三夜向き合えたのは収穫だ。彼の演奏個性が確かめられたのだ。曲目を添えておく。「歩く」「But Beautiful」「金曜の静寂」「かなめ」「We See」「Tones For Joan’s Bones」「Lullaby」「Equinox」「Body&Soul」「Smile」「Her Marmalade」。
(M・Flanagan)