2021.9.24-25  鈴木央紹3 Groove Struttin’ !

鈴木央紹(Sax)宮川純(H.Org)原大力(ds)
レイジーでは幾度も素晴らしい演奏に巡り逢っているが、今回3年連続となるこのハモンド・オルガン入りは他になく、稀少さなどという次元を超えて、初聴き時に筆者の体感メーターの針が右往左往していたのを思い出す。それは以後も変わりはない。では、トリオ・サウンドを思う存分味わうこととしよう。予め演奏曲を紹介しておこう。「Solar」、「No Moon At All」、「Babbles,Bangles&beeds」、「Dolphin Dance」、「Detour Ahead」、「My Heart Stoods Still」、「If I Should Loose You」、「Love Walked In」、「How Long Has This Been Going On」、「You’d So Nice To Come Home To」、「The Ruby&The Pearl」、「The Favourite」、「Some Other Time」、「So In Love」and「All Of Me」。中には知らない曲もあるが構いはしない。聴いた後で、唐突に思い出したことがある、“ジャズに名演有りあり、されど名曲なし”という誰が言ったか知らないが、相当前に発せられたセリフである。“名曲なし”については歴史的事実に反するが、“名演あり”については日々発現している。従って、そのセリフの半分は妥当性を失っていない。いったい何処から何処までがジャズなのかという問いがあるとすれば、”演“が感じられるかどうかに尽きると言ってよさそうだ。裏を返してそれ以外はジャズあらずといえば言い過ぎか。トリオの話に戻どそう。肝心のこのトリオの聴きどころについてである。バンマスの鈴木については何度もレポートして来たので、何度も類似したことを述べてきたのだと思う。それは名盤は何度聴いても飽きないことと似ている。手短に言うと、彼の演奏は兎に角捉え方の大きさにある。これは実力者たちの共通域であるが、そこにおいて鈴木を決定づけているのは、圧倒的なニュアンスの多彩さである。街場の風景によれば、鈴木食堂に行列ができるのは、丹念に仕込まれた下味をベースに多種多様な具材が”瞬時に“出てきてしまうところにある。形容語は過去に使い果たしてしまったが、毎度々々凄いと言うより他ない。さて、オルガンの宮川だが、その演奏を耳にしたことのない人も多いかと思う。いきなり天才幅肌と言うのも興ざめだけれども、元々はアコースティックの演奏家がハモンドに執着しているのは、優れて本人望むところとこの楽器と相性の良さによるものだろう。その演奏に対するこちら側は絶対鈍感に陥らないよう気を付けておけば、それだけで彼のグルーブを満喫できるのである。そして御大の原、この人は例によってドラマーの役割意識とドラムスの音がそっくり連動しているので、気持ちの良いい音を叩き出す才において人後に落ちない。勿論、この気持ちの良さは、トリオのサウンド展開において隠れもしないのである。(ナイショ話だが、とても蓬莱の定食で胃もたれを引きずっていたとは思えない。)演奏が終わってから耳をそばだてていると、“You’d be so~”と“All of me”は、歌で取り上げられることも多く、私たちは割と構えないで聴いていることの多い曲だが、プロにとって難曲に位置づけられるのだそうである。素人としては聞かなかった振りをしておく。結局この鈴木央紹トリオ、ヴァリュアブルだ。
 これから少々広報的なことを申し上げる。今年の追い込みラインナップは重鎮はもとより、中堅・若手のスゴ腕がライブ・スケジュールに掲げられている。ベースでは楠井、若井にまとまった日が用意されているようだ。また、ドラムも鮮度の西村匠平、札幌のプライド竹村一哲、そして筆者が隠れファンを自認している小松伸之も来る。おっと、鈴木の再登場もある、壷坂も来る。例年以上に冬支度が後手に回りそうだ。なお、標題は、ソニー・クラークのマスト盤から拝借。鈴木トリオのGrooveがStruttin’、少々誇らしげに歩いているぐらいのことだ。あのジャケットの足運びのように。
(M・Flanagan)

2021.9.14-15  LUNA女気の初秋夜曲

 LUNAによると、9月は10本のLIVEが流れたのだという。本文に目を置く各位はご承知のことと思うが、恒例となっているこの月の北海道ツアー(本編)もその流れに飲み込まれたのである。従って番外編も行き場を失うはずであったが、尻尾だけは再生することとなった。これはLUNAの女気を結晶させた本編なき変異型LIVEのドキュメントである。
9.14 Unpluged Rock Again  LUNA(Vo)町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
今年の4月、これまで積み重ねてきたRock-Loud路線がショパンの事情によりUnplugedに切り替わったが、予想に増して好評を博したことは記憶に新しい。そしてその第2弾がここに実現したのである。前回は初競演とは思えぬ調和のとれたパフォーマンスを残していったが、今回は夕暮れに霞む“Loud”を尻目に“Unpluged”は満を持して綿密に電子連絡を交換し合ったとのことである。演奏曲は、「Long train running」(ドゥービー・ブラザーズ)、「NewYork state of mind」(B・ジョエル)、「Sunshine of your love」(クリーム)、「Old love」(クラプトン)、「Little wing」(ジミヘン)、「Forever young」(ディラン)、「Redemption song」(B・マーリー)、「Knocking on heaven’s dooe」(ディラン)、「The waight」(ザ・バンド)、「Imagine」(レノン)、「Nowhere man」(ザ・ビートルズ)、「Natural woman」(A・フランクリン)、「You’ve gatta friend」(k・キング)。個人的には1970年代後半くらいまでしかRockを聴いていないが、本日の演目の多くをリアルタイムで聴いていた。ということは、それらの曲は風雪に耐えて来たということができる。ただオリジナルの大半がソリッドのギターであったのに対し、“Unpluged”はアコギなので、異なった趣へと導いてくれる。しかも腕前を徒に見せびらかせない大人の立ち振る舞いが三者のバランスを絶妙なものとしていて、ジックリと聞いていられるのだ。加えてハモりを大の好物とするLUNAの期待に応えて余りある野郎どもの喉が何とも味わい深い。“洗練”という言い方が似合うこのコラボはまた有りそうであり、そう有って欲しいものだ。
9.15 日本の歌ブラジルの歌
LUNA(Vo)(Vo)古館賢治(g、Vo)板橋夏美(tb,Vo)
標題は前宣伝のコピーだが、全体としては“ほぼブラジル”である。まずはそれらの曲目から見ておこう。「晩歌」、「folas secas」、「corcovado」、「samurai」、「時よ」、「felicidade」「beijo partido」、「intil pasagem」、「romaria」、「行かないで」、「equilibrista」、「四季」、「panta de areia」、「chega de saudade」。ブラジルもの精通している人は、ニンマリするのだろうが、筆者にはほとんど何のことか分からない。いくつかは聴いたことがあるような気がする。だが知っているか知らないかを基準にすると音楽は部分化されて広がりようがない。そもそも音楽が世界化するのは、何度も引用されるエリントンの「音楽には好ましいものとそうでないものの二種類しかない」のであって、これは普遍的認識といっていい。従って知らないことに臆することはない。エリントンの音楽観を持ち出したのには理由がある。9月3日の本編は幻となってしまったが、これが実現していたら、エリントン特集だったのである。このこと自体は残念と言うより他ないが、私たちは何であっても聴いている間はその曲その歌を楽しんでいるだけでよいと思うのだ。ただ今回楽しむことを可能にしたのは、知らないもの伝えきるLUNAの力量によるものと言い切っておくが、それをサポートした女殺しの古館Voiceと添い寝されているような板橋の心地よい音色がこの日を大いに盛り立てていたのを忘れるべきではない。
翌日、所有しているボサノバもののなかから3枚ほど立て続けに聴いた。持っていても曲名は殆ど知らないことに気付かされたが、LIVEで助走がついているのですぅっと入ってくるのを感じた。ところがである、期せずして次の1枚はコルトレーンのヴィレッジバンガード・ライブを選んでしまった。音楽はどこからも繋がってしまうといという真実の前では、一貫性のない選択など些細なことである。やはり私たちはエリントンの音楽観から逃れることは出来ない。
最後に複数の実行犯が絡んだらしいハプニングについて伝えておきたい。LUNAはこの10日ほど前に迎えた誕生日を一人三角座りしながら夜に涙をぬぐっていたそうである。二日目のセカンド1曲目の最中に、何処からか不規則にカチッカチッという音が聞こえてきた。この曲の目終了に合わせてそれは起こったのだ。バースデイ・ケーキの進呈だ。年の数を大きく下回るロウソクの本数ではあったが、点火に手こずったそのカチッカチッが今も耳に残っている。
(M・Flanagan)

2021.8.20 松島&山穰5 ウルトラQ

松島啓之(tp)山田穰(as)本山禎朗(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
ウルトラQとは、怪獣系の草分けと思って頂いても結構であるが、素朴にウルトラ“Q”uintetのことである。それはさておき、ご存知のとおり松島は定期的な出演枠を持つtpのトップ・ランナーである。そして今回は継続的に共演を続ける山穰入りという願ってもない贅沢な編成だ。LBでの山穰は7、8年ほど前のLiveを最後に少し遠ざかっている。従って、待ち望まれた再登場である。思い起こすと山穰と言えば若き‘90年代を駆け抜けた花形プレイヤーという印象が強過ぎて、個人的には演奏家としての全体像が明快にならない。職業評論家なら豊富な情報を背景に俯瞰的に論ずるのだが、素人のライヴ・レポートというものは、限られた聴音体験しか持ち駒がないので、そこは割り切るより他ない。そうではあるが地方都市にいて、“これは是非聴きたい”と気がはやるLiveに足を運び、それが僅かずつ積み重ねれられた位置で、Liveの素晴らしさを伝えたいと願うことに徒労感はない。少し勿体ぶった物言いになったが、これも行動抑制下のストレスによるものと容赦願いたい。まずはおおよその流れを紹介しようと思う。最初の数分でこの日の全貌が掴めた気がした。自明のことだが、演奏が終わるまで全貌が分かる筈ないのだが、時として“今日は行っちまうな”と確信することが、時おり起きるのだ。松島の「Back to Dream」で幕を開けたのだが、2管で立ち上げ、松島のソロへ突入した、彼は音一発でライブの醍醐味をぶっつけて来る。こっちに向かって突き抜けてくるのだ。そして山穰のソロ、彼はどのような局面でもロジカルに演奏を発展させるタイプと思っていたが、やや感情を前に出す展開に持って行っているような印象を受けた。そしてそれが何ともこっち(胸)にくるのだ。この様子は最後の最後まで継続して行ったのである。開演が導く快演の連鎖というべきか。最初の数分に予期したことが的中したのは、勘が冴えていたのではなく成るべくして成ったに過ぎない。2曲目はガレスピーの名曲「Con・Alma」、松島のワン・ホーンによる「Skylark」、N・アダレー「Tea met(と聞こえた)」、柳を大きくフィーチャーしたP・チェンバースの「Ease It」、松島作「Treasure」、山ジョーのワン・ホーンによる「My Foolish Heart」、音の深みを握りしめて離さない雰囲気が充満していて、説得力に溢れていた。バラードと言えば内省的味わいを噛みしめるのをイメージするが、その佇まいを保ちながら情感が注がれていく様に喉元から変な唸り音が出てしまった。制限時間一杯に選曲されたのはお馴染みの「Lotus Blossom」、ウルトラ“Q”uintetの百花繚乱サウンド、中でも山穰のソロは圧巻だ。鳴り止まぬ拍手が残業命令となって「I’ve never been in love before」に突入した。迫り来る閉店時間と忍び寄る国防婦人会の見回りに最高度の緊張感が走る。だが、事なきを得て無事終演した。いつまでも拍手は鳴り止まなかった。これは忘れられないLiveになりそうだ。記憶に納められた財産は減価しないからである。振り向けばドアの前に“立ち見”のお客さんがいて、ドアーズの“Touch Me”を思い出してしまった。
晴れないモヤモヤがまとわり付いて久しいが、それを吹っ飛ばすLiveが終了した。禁酒法の適用下でウーロンを含みながら、ふと思い出したことがある。Tpのクラーク・テリーがエリントンをこう評していた。『彼は人生も音楽も常に生成過程におきたいんだ』。
(M・Flanagan)

2021.8.6  本山禎朗4 ヒートでジャンプ

本山禎朗(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)+山田丈造(tp)
札幌は連続真夏日の観測記録を更新する熱波の只中にあった。しかも個人の話で恐縮だが、ワクチン摂取により少々熱っぽく頭がフワ~ットしている始末である。かかる事情下とはいえ、例年と異なり今回の米木さんが本年最初で最後ということなので、奮い立たねばならない。加えて丈造の参加で真夏の夜のジャズはあらゆる熱を好作用に導くだろうと期待が膨らんでいった。そしてスタート時間の繰り上げを余儀なくされているなか、リーダーの本山が時間の制約に配慮して簡潔に開演宣言を行ったのだった。
1曲目はガーシュウィンの「エンブレイサブル・ユー」、これは熱さ求めて前のめりになるのを戒めるような端正で落ち着いた演奏。2曲目は米木さんが今年リリースしたアルバム“SIRIUS”からハロルド・ランドの「ワールド・ピース」、終始ベースのビートに乗っかって各自が開放的なプレイを展開し、ややアクの強い曲を一般人の耳にスンナリ入ってくるように仕上げられていて、聴き応えがあった。次は数多くの名演・名唱がのこされている「アイ・フォーリン・ラブ・トゥー・イージリー」、丈造のバラード感性が格段に研ぎ澄まされていることを印象づけるものだ。4曲目はE・マルサリスの「スインギン・アット・ザ・ヘブン」、多くのライブがそうであるように、終盤の聴かせどころは渾然一体感を流し込む仕様である。そしてその通りとなったのである。締めくくりは「ストレイト・ノー・チェイサー」、ぜい肉なし。
ご存知だろうか、1960年代にフィフス・ディメンションという歌のグループがあった。彼らには“ビートでジャンプ”という割と知られたナンバーがある。“ビート”から煩わしい濁点を取っちまえばスッキリするだろうと他愛ないことを考えていたが、演奏者・客ともども熱さ満開の“ヒートでジャンプ”に行き着いてしまったと言える。
なお、冒頭に述べたとおり、今年の米木さんは聴き納めとなるので、あと2daysを覗かせて頂いた。鹿川暁弓3とNate Renner3である。両者とも高鳴る緊張感を露わにすることなく一身に演奏する素振りが見て取れ、持ち味が十分引き出されていたように思う。三夜を通じて攻めの姿勢を緩めることのない米木さんに改めて頷かさせられた。そこには生き続けるジャズとは何かという問いが漂っていた。
(M・Flanagan)

2021.7.1~2  三嶋大輝 SPECIAL GIFT

ここ数年来、東京を拠点にしている若手を招くことが、LBのひとつの柱となっている。この企画がなければ、彼らは見たことも聴いたこともない連中のままになっていた可能性が大いにある。三嶋の初演は2年半ほど前に過ぎないのだが、以降、彼はサイドマンとして抜かりなく出演機会をモノにして来ている。ただ今回は、三嶋の仕切りでライブを挙行することになっており、そこに課された条件は、現時点で想定される最高のメンバーを人選し、最高の演奏をすることだったという。そして我々は三嶋のギャンブルに巻き込まれていくことになったのである。
2021.7.1  PassioNate Renner 4
Nate Renner(g)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
この日は、当地でコンスタントに活躍するネイトのリーダー・カルテット。ネイトはJ・ホールがお好みらしいが、直接的な影響は感じられない。演奏家によっては先人の影響が割と露骨になっていることもあれば、表に出ることなく内的蓄えに留められていることもあるだろう。ネイトは後者に属しているので、彼独自のフィーリングから押し出されるフレーズがそれをよく物語っている。話しは飛ぶが、今はフュージョン絶頂期のようにギターでお客さんを呼ぶことが珍しくなった時代だと言える。それは逆に落ち着いてギターを聴くべき時代になっているのではないかとも思う。そうした時代だからこそネイトには一層のPassioNATEな活躍を期待する。演奏曲は「All Of You」、「Finding Our Feet」、「On A Misty Night」、「9th February~Mono Koko」、「The Way You Look Tonight」、「Moment’s Notice」。なお、柳沼は最近招聘されない匠平(西村)の後輩筋になるそうだ。明日も期待が膨らむ中々のプレイだ。
2021.7.2 三嶋大輝TRIO
加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
これが三嶋の真価が問われる注目のTRIOだ。聞けば月に一度のペースで演っているとのことである。言わば彼らは、気心の知れる域に入っているのだが、慣れによる予定調和は決して許されないことを覚悟した三嶋はリハに普段の倍ほど時間を費やしたらしい。それはこの日に賭ける三嶋の愚直なまでのメッセージであるが、それは実際のライブ・パフォーマンスの出来は全くは別のことである。筆者は三嶋が毎回ひと山越えてやって来るので、意識的にハードルを上げて聴いている。なおかつ今回は三嶋の統率力も注目して置かなければならない。ここで演奏曲を紹介する。「Time After Time」、「You Stepped Out Of Me」、「You’ve Changed」、「Martha’s’ Prize 」、「In The Still Of The Night」、「Nearness Of You」、「Cakewalk」、「Fly Me To The Moon」。“いる所にはいるものだ”、ピアノの加藤、まだ二十代半ばである。瑞々しさを湛えながらも臨機応変に攻勢をかけるところにはその才量を認めぬ訳にはいかない。そして前の日に肯定すべき片鱗を見せつけていた柳沼は、この日もケレン味のないタイトなプレイを披露しており、彼ら二人は三嶋の土台音に乗っかって清心な印象を刻んでいったのだった。唯一気がかりだったのは、気合の入りすぎによる勢い任せの大芝居だったが、そんな心配を見事に引っくり返してくれた。
店内にはもちろん川は流れていないが、三嶋はTRIOと客席の間にきっちり橋をかけていった。若きM・ヴィトウスに“限りなき探求“という作品がある。若き三嶋の奮闘に”限りなきThank You“を献上する。三嶋からSpecial Gift(大輝ん星)を貰ったのである。
(M・Flanagan)

2021.6.1  本山禎朗 孤高のソロ

本山については、これまでのレポートで手短に触れるに留まっていた。そんな中でもう“ソロソロ”ひと踏み込みしようかなというタイミングでこのソロに巡り合うことになった。従って、いつに増して真摯に聴くことになったのである。時の流れは、これからのJAZZシーンを担おうとする連中が東京に活動拠点を移す中で、本山は東京との交流を巧みに消化しつつ、それを地元に還元している貴重な存在である。折に触れ彼の音に接してきたが、いつの間にか気になる演奏家になっていたというのが個人的思いである。私たちが音楽に共感すると言うとき、大別して理由は二つあるだろう。一つは演奏そのものに、もう一つは演奏に対する演奏家の姿勢に対するものである。普通は前者が優先的に享受され、後者は遅れてやって来る。ところが、継続的に聴き続けていると、これは逆循に転じていく。演奏家像を通じて演奏を聴くようになるのだ。思い浮かべただけで、直ちに音が聞こえてくるミュージシャンがいるのはこのためだと思うのである。どうやら本山はその中の一員になっているようなのだ。そういう思いで聴いていたのだが、彼の静かなる熱意が、静まり返った場内を独占していく様子が胸を打つ。孤高のソロというに相応しいライブとなったのである。演奏曲は、「ウィッチ・クラフト」、「エミリー」、「ペンサティヴァ」、「ミスティー」、「ブッチ&ブッチ」、「カム・トゥギャザー」、「リトル・ウイング」、「ソラー」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」。振ったら当たったというような、まぐれの演奏は有り得ない。試練のあとの成果、これに逆循はない。当夜の模様は、CD-R10枚限定で提供されるとのことである。手遅れにならぬようお問い合わせ願いたい。
ところで、昨年、本山はソロのインプロ・アルバムを2枚リリースした。それは幾つかの音楽誌で賞賛されたと聞く。そこに何が書かれていたかは知らないが、聴いてみると、音に向かう本山の姿勢が伝わって来るものであった。ソロといえば、聴くのをためらう向きもあるかも知れないが、筆者は途中で止めることなく2枚一気に聴き終えた。それだけで、お分かりになるだろう。
(M・Flanagan)

2021.5.6-8  16周年第2談

5.6 鹿川暁弓TRIO 鹿川暁弓(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 独自の美意識から異彩を放つ鹿川と東京戦線で活躍する若井と山田との初競演。筆者は鹿川のソロしか聴いたことがなく、必然的にコンボ編成での応酬に関心がいく。以下が演奏曲である。
「In A Sentimental Mood」、「There Is No Greater Love」、「Lonely Woman」、「Hot House」、「Reverie」、「I Hear A Rhapsody」、「Time Waits」、「My Conception」。スタンダードやバップの曲が並んでいるのは少し意外な感じがした。その演奏はソロのときとは異なる印象だ。折角手合わせする相手だからだろうか、押し返すような力強さや冒険心が覗いていたように思う。聴き手がそう思うのだから、本人はスイッチが入りっぱなしだったのだろう。バラードにおいても流れ出す曲においても、彼女を特徴付けるクラシカルなニュアンスを失うことなく作用させていたところに、自身の演奏に向かう姿勢がよく出ていたように思う。なお、鹿川の演奏に狙い目を付ける人をディア・ハンターと言うかどうかは今のところ分かりかねる。 .
5.7 本山3feat.村田千紘  本山禎朗(p)村田千紘(tp) 若井俊也(b)山田玲(ds)
 予定されていた池田篤2daysが事情により延期になってしまい、これは変更プログラムの初日である。実は村田を聴いいたことがない。話によればLBで何度か演奏している田中菜緒子(p)との『村田中』というユニットを中心に活動して来たとのことである。初モノを前にすると気が引き締まるものだが、そんな思いに耽る間もなく、時間制限下の4人編成はスタートを切っていった。最初にG・グライス「In A Night At Tony’s」、急遽客演が決まったとはいえ、原曲のゴキゲンな乗りを一発達成、これだけでおおよそ力量が伝わってくる。A・C・ジョビン「Meditation」の柔らかな冥道感にも味わいがある。我々の良好な助べい根性は、ライブではこんな曲を演って欲しいと願うときがある。その思いが通じたのだろうか「Blue In Green」。選曲も演奏も願ったり叶ったりの素晴らしい出来ばえだ。知名度ほどには聴かれていないと思われるE・マルサリスの「Swing’n At The City」、軽快なミディアム・テンポが気分をほぐす。T・ジョーンズ「Lady Luck」、翌日のトリオ演奏への誘い水か、トランペットが聴きどころの曲にも関わらず、意表を突いて村田レスのトリオ演奏であった。再び村田が入る。LBではあのテナー奏者が何度か採り上げるマイルスの「Baplicity」。初めて聴いたT・シールマンス「For My Lady」、曲の親しみ易さ以上に品を感じさせる。最後は勝手な思い込みではあるがG・グライスの最も有名な「Minority」、これはMajorityが太鼓判を押すだろうアグレッシヴで立派な演奏。少し逸脱を許して頂こう。この国においては、「女性活躍」なる俗な4字を見かけるようになって久しいが、それは男女が同一の地平にいる存在であることよりも、単に男の肩代わりとしての女性像しか期待していないことが透けて見える。村田も前日の鹿川もその音によって、乱暴を働く事なくそれを打ち消していたように思う。いずれ村田の再演があると思うので、その日を楽しみにしたい。
5.8本山揁朗(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 本来フロントにいるべき池田の不在によって、かなりのプレッシャーが掛かっているだろう。池田がいるに匹敵するパフォーマンスを、自らにもリッスナーに対しても納得いく形で求められるからだ。そんなことを思いながらも、このトリオはトリオとしての演るべきことをやっていたと言ってよいのではないか。ほぼ同世代に属しているこの3人は、彼らの音楽意識として透明性を目指すというより、濁り化を残しながらその状態の純度を高めようとしているように思う。彼らがそう思っていないとしても、それはジャズとは何かと問われた時にありうる幾通りかの答えの一つになると思う。面倒な話しを程々にして、この日の演奏曲は、「You&The night&The Music」、「Miles Ahead」、「These Foolish Things」、「Buch&Buch」、「Pensativa」、「We See」、「Fingers In The Window」、「I Remenber April」、「In sentimental Mood」。では、一言づつ。本山は我ここにありに手が届いている。若井の融通無碍なプレイには今回も関心した。山田、音という音を芯で響かせる才腕ドラマーである。
 今般この周年第2弾は、汚れっちまった世の中に今日も悪夢が降りかかる状況下で行われた。言いたい事はそれなりにあるが、今日は50年代のマイルスを聴いて心を鎮めることにする。
(M・Flanagan)

2021.4.8-10 LUNA 16周年の三重品格

4.8 Unpluged Rock  LUNA(Vo) 町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
昨年までのLoud3は、LUNA vs爆音の格闘絵巻だった。そうした有り様はRockのラジカルな魅力をなすものである。それとともに、演奏力とともに台頭してきた‘70前後のRock黄金期の名曲総出演となっていたことが耳の記憶を刺激するものであった。音楽的記憶とは覚えようとしなくても無意識に刷り込まれてしまうことに気づかされる。残るものは否応なく残ってしまうのだ。さて、今夜は、正面衝突ばかりがRockではないことを証明せんとする設定である。撃ちまくる痛快活劇もRockであれば、シェーンの背に思いを込めるのもRockである。Rockなんてと受け流してはいけない、懐が深いのだ。さて、16周年の初日は、新型‘Sとして共演歴の長い町田と古館との顔合わせだ。彼らはともにギターの名手であるが、喉のレベルも人後に引けを取らなく、この二枚にLUNAが絡むとどうなるのか。それが16周年の実験室に課されたミッションである。演奏を目の当たりにすると、三者のハーモニーはナチュラルに心地よく、LOUDと異なるRockの成果を体現するものだったと言える。実験室の課題曲は「Get it on」、「I will survive」、「Desperado」、「A cace of you」、「A song for you」、「To be with you★」、「I feel The earth move」、「Nowhere man」。「Don’t let me be lonely tonight」、「Fragile」、「Johnny be good」、「We are all alone」、「A whiter shade of pale」、「The waight」、「I shall be released」。なお初めて聴いた何曲があった。興味本位に緊急聞き取り調査したところ、★の曲はある年齢層までのスーパー人気曲だったことが分かった。それは清志郎風に「聴いたことのないヒット曲」だったが、今さら知ったかぶりもできない。本日の感想を申し上げる。爆音を武器としないUnpluged Rock、それは鼓膜のケアを必要がないが、毒の回り方には気をつけなければならないというものだ。
4.9 昭和歌謡  LUNA(Vo) 古館賢治(g、Vo)、板橋夏美(tb)
昨年秋口が初演、今回は単なる再共演以上のモノにできるかが注目されるところだ。まずはLUNAレスで古館がかますウエルカムの一発、「兄弟船」でがオープニング。昭和歌謡にそれなりの造詣はあっても、寄る年波に揺すぶられている我ら高齢族、型は古くシケには弱いことを思い知って悲しいというべきか。以後LUNAを招き入れた展開となる。て惑いなき人生賛歌「あの鐘を鳴らすのはあなた」、女の情念とは距離を置くのが身のためということを教えてくれる「北の蛍」、一転ポップな「恋のバカンス」で景気づけした後は、心の汚れを洗い流してくれる「愛燦燦」、当節、気ぃ付けんとならん昼カラ人気曲「二人でお酒を」、LUNAの敬愛する安田南氏に捧げられたという「プカプカ」、昭和歌謡の金字塔「喝采」、大人になりつつある少女が捨てきれない不良の真っ当さに執着する「プレイバック・パートⅡ」、恨みが恨みを誘って‘60の後半に大衆の共感を呼んだ「圭子の夢は夜ひらく」、岡林信康が曲名を繰り返し畳み掛ける「私たちの望むものは」、あまたある漁師もので欠いてはならない「石狩挽歌」、そして後期昭和の賑わいを象徴するエンターテインメント曲「北酒場」でフィニッシュ。古館が敬愛する作曲家の船村徹や玄哲也は、地方から東京に身を移して後、薄れいく望郷の念を生き返らせようと大手との契約に見きりを付け、全国各地を巡りながら改めて日本人の情緒を突き止めようと腐心したと聞く。そうした切羽詰った熱意が礎となっている昭和歌謡には決して一筋縄ではいかない奥行がある。それを知ってか知らずか、LUNAの歌唱は「私なんでも歌えるわ」的なものではなく、原曲から自身の何かを引き出そうとすることが明確に意識されていることが伝わってくる。それが独自の凄みを獲得しているのだと感じさせる。再共演は手応え十分なものに仕上がっていたと確信する。最後に、声のような音色で寄り添う平成生まれの板橋。回を追うごとに昭和に磨きがかかっているが、果たして本人は生まれの和号を超えた地点に来てしまっていることに気がついていだろうか。
4.10  勝負のJAZZ  LUNA(Vo) 本山揁朗(p)菅原昇司(tb)
ほ~う、これが本職なのか。職業に優劣がないように、音楽ジャンルにも優劣がないことを思い知らされた前二日。それでも人は利き足を無視しては四方に飛ぶことができない。やはりLUNAの利き足はジャズのなである。取りも直さずRockと昭和歌謡をさばく上手さはジャズあってのことだ。語らずとも、以下の曲での歌唱が文句なしにそのエヴィデンスになっていた。「I love you」、「Spring can really hang you on」、「I’ve got you under my skn」、「Answer me my love」、「Star crossed lovers」、「Beautiful love」、「Shenando」、「Misty」、「Feel like making love」、「ひとり」、「We will meet again」、「Beautiful love」、「Here’s to life」、「Smile」。
本山はLUNAと初競演である。飲んでも寡黙な本山が、今日は留め金をはずしたように楽しさ行き交う奔放な演奏に徹しており、誕生日を迎えたハズミで勢い24を乗り越した御年34が、一瞬ハメを外したのも貴重なものとして水に流そう。菅原はLUNAとの共演回数を重ねているが、そうした慣れに寄りかかることなく、気迫のこもった演奏を貫いていたのは彼の力量が一級であることを十分に伝えるものであった。
16周年の始まりは、Rockの祭典Woodstockを凌ぐアッという間の三日であった。その祭典に出演したザ・フーに「四重人格」という危ないタイトルのアルバムがある。それには格が一つ不足するとは言え、記念行事の初っぱなは、Unpulgedrock、昭和歌謡そして輝けるJAZZの「三重品格」フェスティバルだったとキレイに締めくくり、概況レポートとする。
(M・Flanagan)

2021.2.26~27 松島啓之4&5 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)・・With江良直軌(bs)
 松島を何度も聴いているが、いつも円熟の中に新鮮さを感ずる。何故だろうか。20代の松島には“Something Like This”という力作がある。そこは瑞々しい力感に溢れている。その後の活動プロセスには、若き日の核心部分が劣化することなく寄り添っていると思われる。おそらく松島は昔も今も同じ合鍵を使って演奏しているのだ。
 最初の数音で生き返ったような気分になった。飛び切り音が突き抜けて来たからだ。ここにはホールでは味わえない至近距離感があり、音楽会ではなくライブ、Jazz Lives Matterなのだ。初日はオーソドックスな4人編成で、トランペッターの曲を中心にプログラムされており、松島の演奏を思う存分聴くことができた。改めて音のニュアンスの多彩さに息を呑み、相当ニンマリしていた自分が想像できる。2日目はバリトン入りの2管編成。J・マリガン、P・アダムス、C・ペイン、S・チャロフ。バリトン奏者の名前は一気に底をついてしまった。コンボ編成では多くを聴いて来なかったのだ。江良の音を聴いていて、当たり前だが、その重厚な音色を直に確認することができた。初日と異なるサウンド・カラーに出遭えたことに何ら不満はなく、寧ろ大いに楽しませてもらった。カルテットの演奏曲は「Back To Dream」、「Miles Ahead」、「Ceora」、「PS I Love You」、「I Remember April」、「Just Out The Moment」、「Sleeping Dancer Sleep on」、「Lady Luck」、「Little Song」、「Lotus Blossom」、「All The Things You Are」、クインテットの演奏曲は「Just Because」、「Driftin’」、「Gradation」、「Panjab」、「Fiesta Mojo」、「Treasure」、「Darn that Dream」、「Black Nile」などで、江良の持ってきた幾つかの曲が披露されていた。
冒頭、松島に毎回新鮮さを感ずると述べた。得意の曲を得意のパターンで演奏するのは、アマチュアリズムの大いなる美徳である。一方、毎回新鮮さを提供するということはプロであることの美徳である。そうでなければ、次も、その次も足を運びたいという動機は生まれない。
思いっきり脱線するが、いま唐突にベンチャーズのことを想い出した。何十年も同じことを演っているのだ。つまり、ベンチャーズの最大のコピー・バンドは、ベンチャーズということになる。彼らは新鮮さを追求することは無く、一世を風靡した過去の演奏を型通りに再現する。進歩することを仕舞い込んだ音楽芸人だったのかも知れない。余計なことを思いついたせいで、プロの定義が揺らいでしまった。
(M・Flanagan)

2021.1.22-23 鈴木央紹4 ハッとしてGOOD

鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds) 
毎年、素晴らしい管奏者が来演する。彼らはいつも絶頂期と思わせる演奏を提供してくれる。メシ代を削ってでもその場に居合わせるのが、人生の正しい選択だ。
鈴木には王道を行く演奏家に欠かせない太い芯の通ったノリと、マジックと言われている曲への思いが咄嗟に音変換していくスリルがある。そうしたハッとする瞬間がGoodタイミングで繰り出される。我々に鈴木ジャズの真髄を感じさせてくれる秘密がその辺りに隠されているのかも知れない。鈴木の演奏を聴いたことの無い人に彼をどう伝えればよいかは難しい。閃きのゲッツ、豪快なブレッカー、柔らかいC・ロイドを混ぜ合わせて更に・・・、と言ってみても用をなさない。それは鈴木が歴史上のテナー・ジャイアントに比肩するレベルで演奏するONE&Onlyのプレイヤーだから止むを得ないのだ。すると鈴木評は弓折れ矢尽きてしまい、結局、生で聴いて見てくださいということに着地する。この醍醐味を一人でも多くの人と共有したいと思うのである。
さて、本レポートは鈴木5DAYSのうちの2夜分であるが、今回は5日間、1曲も被っていないそうだ。演奏曲は「ウイッチ・クラフト」、「ルルズ・バック・イン・タウン」、「フォー・ヘヴンズ・セイク」、「クレイジオロジー」、「マイルス・アヘッド」、「ハルシネーション」、「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」、「バット・ビューティフル」、「ブルー・ローズ」、「セレニティー」、「マイ・シップ」、「エアジン」、「ヴェリー・アーリー」、「ニュー・ブルース(Knew Blues)」、「イマジネーション」、「飾りのついた四輪馬車」、「コートにすみれを」。
後ろのメンバーについて一言。三嶋は今回が鈴木と初共演、それが暗中模索、局面打開の格闘劇であったとしても、何かをモノにしたに違いなく、更に大きく輝くことを期待する。本山はここ5、6年の間に向き合った真剣勝負の成果を完全消化していて、安定感と主張が融和しているのが頼もしい。さらに風格さえ、と言えば褒め過ぎか。伊藤は大人である。妙な言い方をして申し訳ないが、最近の伊藤には大人が大人の演奏をしているという嬉しい等式のようなものを感じている。
多言は無用でエンディング。比較的ハコの大きい東京都内のライヴハウスは、ミュージシャンにPCR検査を求めるらしい。鈴木は既に数度受けていて、勿論、いずれもネガティヴだ。結果待ちにソワソワすることも無いという。テナーのリーディング・ランナーは演奏以外でも揺ぎ無しだ。なお、現下の情勢から聴きに来られなかった人のために2日分コンプリートでCDR提供される。これは、LBのポジティブ・キャンペーンに相当する。標題はミーハーながら、今やアイドルの片鱗もないT・俊彦氏のヒット曲から拝借、フゥー。
(M・Flanagan)

2020 レイジー・バード・ウォッチング

 今年はアノ話題一色になってしまうのであるが、ここは、そういうページではないようにしたいものなのだが・・・。年明けは1年で最も寒い。例年の北海道ならダイヤモンド・ダストの季節だが、今年は横浜のダイヤモンド・プリンセスに乗っ取られてしまった。ここまで傷口が深くなるとは思っていなかった2月、日本が誇るコードレス・トリオがまさに円熟の熱演を残していった。そして4月を挟むかのように14周年記念ライブへと突入する。先発のLUNAウイズ一哲LOUD3、このライブは目玉でもありスクランブルでもあった。続けざまに、一哲が自身のバンドで畳みかける。LB初演の今を時めく井上銘が唖然とするパフォーマンスを見せつけて行った。矢継ぎ早に本山Special Trio(本山、米木、小松)に引き渡された。本山の充実ぶりがこのまま闇を突き抜ける光となればよいのだが、取り越し苦労はあっけなく現実のものとなっていった。
マスクも満足に入手できない状況下、勤務先の自粛指令強化によって世は一気に暗雲に覆われて行ってしまったのである。ライブは中止、順延、ライブ配信などに取って代わられることになってしまった。暗黒の4月、5月が過ぎてようやく脱巣ごもりに切り換えられて行ったのだが、三密回避の号令が定着しており、中々、ライブに活況が戻らない情勢が続くことになったのである。そんな6月に鈴木央紹が来演した。やっぱり“生”だよなという思いが込み上げてくる演奏だった。この月の後半には恒例の大石・米木が陣を張った。ここで大石はレイジー特選“いも美”をモチーフとする“E・MORE・ME(Eの音をもっとくれ)”を初披露した。6月27日は“いも美の日”となったが休みではない。そして祈りを込めた「Peace」でトドメを刺したのである。低空飛行の日々が続き、夏が過ぎていくころLUNAによるJazzと昭和歌謡の二股ライブ、恐ろしや恐ろしやだ。残念ながら9月の松島を聴くことは叶わなかったが、それを補って余りあるのが鈴木・宮川のDUOだ。いつ聴いても素晴らしい鈴木だが、DUOなので存分に吹きまくる最高の姿があった。そして宮川のベース音が醸し出すグルーブは得も言われぬものだ。“オルガンの・超つくすごさ・テナーもんや(一茶)“。この月の後半、大口・米木のDUOだ。大御所の沸き上がるエナジーには脱帽するしかない。そういえば本山が、大口さんが弾いたあとのピアノはよく鳴ると言っていたのを思い出す。10月は池田篤、バラードにアップテンポに非の打ちどころ無し。12月は壷阪健人トリオ、LUNA2デイズ。何れもベース若井俊也の”どえりゃー“演奏が聴けた。イライラとムシャクシャの同盟軍に愛知・神奈川連合軍が完全勝利した。この3日間の模様は、止むにやまれず来られなかった人にCD-RでLive For Sale。
こうなりゃ最後にひとこと言わせて頂く。今年のGO TO騒ぎだ。一部の経済活動が全国民の利益になるかのような虚構が政府に仕組まれてしまった。月並だが、セーフはアウトだ。“こんな・頓智メンタル・ムード”から来年は脱出しましょう。
(M・Flanagan)

2020.12.10 若井俊也Presents壼阪健登TRIO

壼阪健登(p)若井俊也(b)伊藤宏樹(ds)
 壺阪が居住地ボストンをやっとの思いで脱出して、帰国できたのはつい最近のことだ。そうした経緯の中で、今年最後の月に彼を聴くことが出来るのは、何かの縁が取り持ったささやかな贈り物と言えるのではないか。
 昨年、初めて壼阪を聴いた印象を手短かに言うと、“清新なエモーション”である。ミュージシャンにお好みを訊いたとして、まずは楽器奏者がきて、副次的にシンガーがくることもあると思っていた筆者は、壼阪がB・ホリデイをこよなく愛するということに特異な感じがしている。そのせいだろうか、壼阪が誰に似ているかを問われたなら、壼阪に似ているとしか言いようがない。一流の演奏にはクツロギもあれば、一音も聴き逃せないという緊張もある。壼阪は若くしてそこに仲間入りしているように思う。そこに与する若井はこれまで様々な企画をプロデュースして楽しませてくれているが、本業での太さと繊細さを兼ね備えたプレイには震える。そして抑制的にサポートする伊藤のドラムスも文句なしによい。演奏曲は「East Of The Sun」「Good Morning Heartache」「I Could Write A Book」「For Heaven’s Sake」「The Blessing」「I Wish I Knew」「My Old Flame」「Francisca」「Little Girl Blue」「Bye-Ya」「Santa Claus Coming To Town」。
 さて、私こと。壺阪の「壺」という字を多分生まれて初めて書いてみた。スラーッと書けない。コルトレーンのLIVE-IN-JAPANを想い出す。スラーッと聴けない。
このとおりの世情なので、壺阪は当面の間は日本に留まることにしているらしい。しかし、彼も人の子、いつ気が変わるやも知れない。事態の急変を予期してか、壼阪の掲示板には次のとおり書かれていたので紹介する。
☆<IMPORTANT !>☆この日のLIVEは近々CDRで提供されるようなので、是非ともお求めくださることをお願いします。再び勢いづくことを「捲土重来」と言いますが、このCDRに関しては「健登頂戴」と言います。詳しくはHPをご覧ください。またLAZYBIRDで演奏できることを待ち望んでおります(壼阪健登)。
(M.Flanagan)
2020.12.11-12 YOUNG LUNA TRIO
LUNA(Vo)壼阪健登(p)若井俊也(b)
 LUNAはかつてが、壼阪はいまが、若井はなまえがYOUNG。ベタなトリオ名で恐縮する。LUNAが札幌に初お目見えしてから10年以上経つ。最近はその年月をlook-backしているのだという。この春には「Forever Young」に心を込めた。そして今回は自己検証するかのように「My Back Pages」を採り上げた。いずれもB・ディランの曲というのが興味を引く。人は一度は本気で人生を振り返るのだろう。そのタイミングは人それぞれだと思うが、LUNAにとっては今なのだということが、本格的な大人の歌唱となっていることによく出ていた。我らを説き伏せた一連の曲は、「Silver Bells」「Gee Baby」、「Frim From Sauce」、「Love For Sale」、「What are You Doing The Rest Of Your Life?」、「My Back Pages」、「My Favorite Things」、「You Must Believe In Spring」、「Here’s To Life」、「Give Me The Simple Life」、「We Shall Overcome」、「This Cristmas」、「Everything Must Change」、「Winter Wonderland」、「Hallelujah」「Christmas Time Is Here」「Here’s That Rainy Day」「Lost In The Stars」「I’m Beginning To See The Light」「The Christmas Song」。
このライブは、そんなこんなのコロナの1年をYOUNG- LUNA- TRIOがブレークスルーした極めつけの2夜と断言しておく。初期の山下トリオに“ミナのセカンド・テーマ”という作品がある。今回聴いていて“LUNAのセカンド・テーマ”は幾つかの曲名にもある“LIFE”ではないかと思うのである。勿論、ファースト・テーマはVOCALを極めることだ。
 LUNAからライブ・レポートで余り茶化すな、と釘を刺されたのでそれに従う。今年のLUNAはRockに、昭和歌謡に、たまたまJazzに素晴らしい足跡を残していった。今後もLUNAの誤作動を期待して止まない。これで約束を果たした。ハハハ。
<追伸>このトリオの二日間も各CDR提供されるようです。
(M.Flanagan)

2020.10.23-24 オータム・イン・24区

池田篤(as)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
 現在とは、過去と未来の境目に位置する時のことである。それは誰にも等しく与えられているが、池田の過去と現在の結束関係は、追い風と向かい風のせめぎ合いの中で強度を高めてきたという意味で胸を打つものがある。そうした思いがあるため、いつも演奏前から感動の準備が整ってしまうのである。そんな神聖な気分に突然ヒビを入れられてしまった。ファミマの入口で串ドーナッツをト音記号にかぶりつくように貪っていた大男に出くわしたのである。壊し屋の異名をとる三嶋だった。これも何かのアヤであろう。会場に着くとオールド・ファンも駆けつけていた。新旧のお客さんが混ざり合うのも中々宜しい光景である。
いよいよ開演となる。ジャズの世界では昔から著作権のトラブルを避けるため、テーマから入る正当な進行形式に依らず、アドリブから入る方法が採られてきている。最初の曲はそうした方法をもとにしていた。4月に感染して他界したリー・コニッツもその手の音源を残している。最後に原曲が顔をのぞかせたのは「All The Things you are」である。池田はこの曲を“Kontz-Lee”と称していた。どんどん進める。池田のファンタジー「Forest Myth」、森の妖精。マイルスのネフェルティティー収録W・ショーター「Fall」、広大で穏やかな情景が描かれるJ・コルトレーンの「Central Park West」、新聞記者だった池田の父に捧げた取材のスピード感溢れる「Newspaper Man」、池田に演奏家のあり方を教示した辛島さんに敬意を表する「His Way Of Life」、池田の令嬢をスケッチした「She Likes To Dance」、これはⅡ-Ⅴ-ⅠをMとmでトレーニングする教材用に作ったものでもある。再びショーター「ESP」、スタンダード「When Sunny Gets Blue」、またまたショーター「Yes or No」、A・ジャマルによる8小節のブルース「Night Mist Blues」、本レポートの標題「Autumn In New York」では淡く過ぎ行こうとする日々を見事なまでに歌い上げていた。池田による安静なる世界の極み「Flame Of Peace」、LP片面の長尺演奏で熱気が四方八方を突き抜けるJ・コルトレーン「Impressions」、2日間の最終曲はキャノンボールの夢を紡ぐ人「You’re A Weaver Of Dreams 」。サイドメンも最後まで緊張を途切らすことなくやり切っていた。始まる前の感動の準備が感動に変わっていたのである。
 池田篤。やっぱりひと桁違う。素人風情が池田を最高ミュージシャンに任命するのを拒否するならば、それは論外の更に外と言わざるを得ない。マスク2枚配布事件以降、この国は不要なコストをロストしてきたが、聴いてる間は苛立ちの一切を払拭できたのだった。外に出ると、24区の秋はひっそりと終わりを告げ、次の季節を迎えようとしていた。
(M・Flanagan)

2020 .9.21-22 This is 高級数の子

大口純一郎(p)米木康志(b)
忘れられないライヴはそれなりの数に昇るものだ。10年近く前だっただろう、コルトレーンやエリントンの曲を並べた両者の丁々発止は忘れがたい。以後、大口さんの演奏には極力足を運んできた。大口さんがブラジル音楽に造詣が深いことはつとに知られるところであるが、本人によると、発掘しようとすれば探し当てられる多様な音楽の宝庫がブラジルであるそうだ。そのためか、大口さんから浮遊感やある種の屈折感といったブラジルもの特有のフレーバーを感ずることが出来る。その一方で、鳴りに鳴るスイング感を始めバラードの沈んだ味わいなど聴きどころ満載なのだが、分けても短めのフレーズにハッとするような瞬間が幾つも仕込まれているあたりは堪らない。よく知られた曲も多く採り上げられていたが、いずれも大口さん流の筆跡でサインしているものばかりだ。月並みに言えば両者は共演歴の長い重鎮である。年齢とは避けようもなく若さを削る月日のことである。それを代償に形成される質感をキャリアというのだが、くぐるものをくぐった演奏家を目の当たりにすると、これまでの両者は真摯な交遊録を綴りながら、こん日のステージを築き上げたことがよく分かる。後で聞くと、今回は決め事によらず自由にやろうというのが、決め事であったらしい。かつて“ヤバイ”という言葉は好ましくない状況で発せられていたが、今では肯定的タイミングで用いられている。ちゃっかり嵌めれば、このスリリングなライブはヤバイということになる。薬師丸ひろこ曰く、快感!だ。演奏曲は「ステラ・バイ・スター・ライト」、「エヴィデンス」、「(カーラおばさん風S・スワローの曲)」、「プレリュード24番(仮題)」、「マイルス・アヘッド」、「マイナー・コラージュ」、「ニュー・ムーン」、「イマージン」、「朝日の如くさわやかに」、「ハイ・フライ」、「スインギン・アット・ザ・ヘヴン」、「イスパファン」、「アグリー・ビューティー」、「ミスター・シムズ」、「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・プロフェット」、「ルビー・マイ・ディア」、「クリス・クロス」、「ネイチャー・ボーイ」、「ニンニクのスープ」、「アイ・ラヴ・ユー・ポギー」。
高級数の子とは、しっかりしたツブとコシの強さが二大要素である。それを噛みしめた時の食感は何ものにも代え難い。今回ピアノとベースという二大要素によって、余すことなくその満足を得ることができた。因みに筆者は高級数の子を食べたことがない。
(M・Flanagan)

2020.9.11  GO TO LIVE

鈴木央紹(ts)宮川純(Org) 
 1年余り前に鈴木の「Favorites」リリース・ツアーの一環として、今日の二人と原大力を含めた収録メンバーによるトリオ・ライブがあった。この時に初めて宮川を聴くことができた。腕達者という以上にオルガンからアーシーな音を見事に引き出していたことが強く印象として残った。では、DUOならどうなるのか。上げ潮と円熟の頂上決戦、さぁ2時間がかりの実験を見届けよう。
わが国屈指のサックス奏者である鈴木は、これまで比較的オーソドックスな編成によるものが中心となって来たが、過去に若井優也(p)と圧巻のDUO演奏を行ったことがある。今回はオルガンに代わったが、期待にたがわずこの希少楽器との取り合わせから魅力溢れるサウンド満載の展開となっていった。例によって悠然と王道を闊歩する鈴木に、鍵盤をまばゆく走らせる宮川のフレーズは実に心地よく、それを援護するベース音が分厚いグルーブを演出する。加えて両者の音量バランスが抜群に良く、聴き応えをがぜん後押しする。類まれな力量を持つ両者は、技術至上主義とは一線を画しているのだが、スタジオの精度がそっくりライブ仕様に転じられていて、緩みなきパフォーマンスを演出していたと言えよう。何といってもライブには生の直接性というこの上ない味わいがあり、それが演奏家と客をつなぐ命綱となっている。そうではあるが、おみくじと同様、そこに“吉”ばかり仕込まれているわけではない。この演奏を聴いていると、そんな講釈はどうでもよい。2時間を経た実験結果は出色の大吉で決まりだ。個人的にDUOを好むものであるが、新たに記憶に刻まれるものが確かに付け加えられた。演奏曲は「エブリシング・アイ・ラブ」、「イエスタデイズ」、「ビウイッチド」、「ウイスパー・ノット」、「マイ・シャイニング・アワー」、「ユー・ノウ・アイ・ケア」など、アンコールの「カム・サンデイ」には、背筋がゾクゾクした。果たしてDUOの名演と呼ぶに相応しい一時を彼らは残していった。大力なくともパワー・レスにならなかったと言えば、原御大からクレームがつきそうだな。
 ところで、お上が誘導するGO TO キャンペーンは“値引き”で人を釣る仕掛けになっている。一方、本日のGO TO LIVEは、某家具の宣伝ではないが、“お値段以上”ニッタリ。翌二日目に行けなかったことが無念。
(M・Flanagan)

2020夏 LUNAの飛び石ライブ

2020.8.28 るなんぴる2020
LUNA(Vo)南山雅樹(P)菅原昇二(Tb)
 ライブを強行すべきかどうか随分思い悩んだ末の決断だったそうである。LUNAは今年2度目となるが、いずれも感染棒グラフ山頂付近での来道である。LUNAは、歌うジューク・ボックスの異名を持つが、今回もボサノバ、スタンダード、ニュー・ミュージック、フォークなど多彩な曲が並べられていた。個性のある曲それぞれを滑らかにLUNA流の統一感にまとめ上げていくのが、ジャズ・シンガーとしての彼女のステージ・パフォーマンスなのである。そしてこの日は、幾つかの曲において特別な思いが込められていたように思う。あからさまな批判が封じられている状況下で裏歌詞を以て風刺した「酔っ払いと綱渡り芸人」。‘60代の公民権運動の時代にP・シガーによって世に知れ渡ることになった「ウイ・シャル・オーバーカム」をイントロを入れずに歌い始めたのは、自己主張のようにも聞こえた。毎回聴く「諸行無常」では、いま蔓延している息苦しい諸行に対し無常を宣告するかのような熱唱となっていた。感動を突き抜けていくと、何故か切ない。
他の曲は、「サマー・タイム」、「オール・ザ・シングス・ユーアー」、「サニー・サイド・オブ・ライフ」、「ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」、「ウイル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」など。え~と、世間の標的にされているが、そもそも日没を境に全国津々浦々が“夜の街”だ。今日はノース・サイド物語の“夜の街”。バーンスタイン流に言うと、“何かが起こりそう(Something’s Coming)”ということになる。そしてその通りになった。Tonightは気分がいい。
2020.9.1 昭和歌謡 狙い撃ち
LUNA(Vo)、古舘賢治(G 、Vo)板橋夏美(Tb) 
JAZZのみの一本足打法では、時折、浮かせた方の足が退屈を訴えて来る。そんなときに転がり込んで来たのが昨年来の古舘&板橋の昭和歌謡であった。この路線は何度か予備走行を繰り返してきたが、いよいよ本格的にダイヤに組まれた格好だ。それに華を添えるようにこの日はあのLUNAをお迎えするという豪華版になったのである。この歌い手はJazzとRockを往来し、ついに歌謡界にウララ~ウララ~しながら狙いうちを仕掛けて来たというべきか。もともと“昭和歌謡”シーンで名をはせた人の中には、“JAZZ”歌いが結構いるので、この両者とって逢う時にはいつでも“他人の関係”ではない。昭和に生きた筆者は、今ここが地方の公民館であり、玉置ひろしの架空ナレーションも想定して臨んだ。一気に曲を紹介する。珠玉の古賀メロディー「影を慕いて」、細川たかし「北酒場」、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、昭和の作詞・作曲を代表する六八コンビの「黄昏のビギン」、石川さゆり「天城越え」、ディランⅡ「プカプカ」、松崎しげる「愛のメモリー」、北原ミレイ「石狩挽歌」、五木ひろし&木の実ナナ「居酒屋」、河島英五「酒と泪と男と女」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」、マッチ「ギンギラギンにさりげなく」、女王美空ひばり「愛燦燦」。昭和を万遍なく網羅した曲を配してきた。小粋な曲はチョチョイのチョイ、ド演歌でみせた衝撃の絶唱はモノホンを認めざるを得ない。これからLUNAはどうなってしまうのだろう。LB専門家会議でも意見が分かれている。
余談。LUNAの祖母が愛知で音楽教師をしていた時、年少の伊藤ユミ・エミを指導していたそうだ。それが後のザ・ピーナッツである。叩けばホコリが、持ち上げれば貴重な話が出て来るものだ。終演後、達成感とともにこぼれ出た。『RockはJazzの10倍疲れる、昭和歌謡はJazzの10倍緊張する』。果敢に挑戦して10倍にへこたれないのがLUNAの得難いところである。
(M.Flanagan)

2020.6.26-27 PB2DAYS

6.26 松原衣里(vo.)With大石学(p)・米木康志(b)
 PBとは、PLEY・BOYと言いたいところだが、シンプルにPIANOとBASSのことである。 
松原は4度目になるが、前回は我が国が誇るこのPBをバックに共演した。その時の松原の様子は、得難いものが一夜に舞い降りて来た時のような万感の思に溢れていた。松原は、所謂本格派とよばれる一群に属するシンガーである。声量に恵まれた資質はそのまま彼女の個性に繋がっていて、巧みに彼女のオーソドックスなジャズの世界を体現している。それは選曲からも窺われる。「オールド・デヴィル・ムーン」、「マイ・リトル・ボート」、「ピース」(H・シルバー)、「サムタイム・アイム・ハッピー」、「ヒアズ・トゥ・ライフ」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。自称神戸のでっかい姉さんの中央に陣取った歌いっぷりは、見ばえの重量感を伴って堂々たるものである。その後ろでは、時に指を躍らせ時に控えめの主張を組み入れていく。どれもこれもワクワクする贅たくなステージの一丁上り!となった。歌伴あっての歌ものとよく言われるが、このPBによるサポートぶりは、歌伴の極意が満載されて飽きる暇がない。流石。

6.27 大石・米木DUO
 両者は長年に亘って共演を重ねて来た。その積み重ねの中にはLBでのものも数多く含まれている。関係者以外でそれを熟知しているのは、LBとともに歩み続ける宮崎焼酎のスタンダード“いも美”である。ここから少々解説を入ることにする。昨年来演した時に、“いも美“の曲を提供すると大石は言明した。そして誕生したのが「E more me」である。これは単に銘柄をもじったパロディー・タイトルではない。「Eの音をもっと私に」という狙いが仕込まれており、”ミ“の音がふんだんに散りばめられているのだ。筆者のごときにとっての”いも美“は、酔っ払い衆が囲む酒盛りのイメージに過ぎない。ところが、大石はそれとは真逆の格調高い装いに仕立て上げており、彼ならではセンスが織りなす綾である。笑いが漏れるほど圧巻のリップ・サービスは、この演奏をボサノバの巨匠J・ジルベルトとLBマスターに捧ぐと、大石から落差十分な感動コメントがあったことだ。これが実録”いも美”をめぐる冒険のアウトラインである。今回のライブは“いも美”づくしではない。タイトル未定または不明のものが多かったが、それをものともしないDUOの緊張感漲る演奏が終始展開された。知っている曲では、切れ味抜群にスイングする「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」、大石の美意識が滲む「LONESOME」。ピアノソロでの「ひまわり」にはM・マストロヤンニがシベリアの極寒に身を預ける張りつめた映像を思い浮かべた。そして時は流れ、行き行きてアンコール。大石楽曲の最高峰をなす「ピース」。終ってから「いつ聴いてもジーンと来ますね」と米木さんに一言を向けてみた。「あの演奏には大石の“祈り”が入ってるんだよ」。ベーシストはそう受け止めていた。深く根の張ったベース音は、感受性つまり米木さんのサイレンスの部分から伝達されているのだと思った。
 ここで新着情報をお届けする。この9月に米木さんのリーダー・アルバムが吹き込まれる計画が進んでいるらしい。何でも米木選集によるによるトリオ作品(米木、大石、則武)のようである。タイトルは決定していて『夢色のノスタルジア』。名盤の匂いがする。
(M・Flanagan)

2020.6.12-13 反転攻勢 鈴木央紹4

鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds) 
この4月に15周年記念の有終の美を飾るはずであった鈴木央紹ライブが、新型Vに直撃されていた。以後、胸の内は“Come Rain Or Come Rain”で、陽が差すことのない日々をくぐらされていた。店にナマ音がないということは、人が酸欠状態になるようなものだが、ひとまず呆然自粛明けを迎えた。これは何かの巡りあわせだろう、辛抱つづきのLIVE情勢が息を吹き返すに誰よりも相応しい鈴木が登場することになったのだから。かつて鈴木について、込み入ったことを、事も無げにやり遂げる演奏家である旨を記述したように思う。それは彼の演奏にいつも付き纏う印象だ。今回も同様のことを感じながら聴いていて、ふと思ったことがある。かつて川上哲治という野球人がいた。この野球人は打撃の神様の異名をとった人で、現役時代に「向かってくるボールが止まって見えた」という有名なセリフを残している。筆者は流れゆく演奏に耳を傾けながら、鈴木は瞬間的に時間を止めているのではないかと感じる。その一瞬のうちに音の玉を連打し、元の時間に戻って行くのである。この特異な時間感覚と演奏力が調合され、彼の並外れた仕上げが可能となっているのだろう。久しぶりに聴衆がいて鈴木の尽きない魅力に浸っていると、安堵という言葉が浮かんだ。これは偽らざる心情である。初日はオンライン配信されていたが、全国でこうした相互支援の活動が展開されたことは、遠まきに眺めるしかない者にとっても、その尊さが伝わって来くる。2ステ前に本山がモニターに向かってCDの宣伝をしているとき、機転を利かせた鈴木が、ピアノで「Smoke gets in your eyes」を奏でるという、心が和む一時を提供されたのも嬉しい。演奏曲は「ノーバディーエルス・バット・ミー」、「ハルシネーション」、「イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー」、「ヴェリー・アーリー」、「ミスティー」、「ソシアル・コール」、「In The Wee Small Of Hours Morning」、「マイルス・アヘッド」、「セレニティー」、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」、「コートにすみれを」、「ダフード」、「アイル・ビー・シーイング・ユー」など。どれもが素晴らしい演奏だった。
今年に入ってから“さんみつ”なる新語を毎日見聞きしている。これは耳ざわりも悪く残念ながら「はち蜜・すい蜜・あん蜜」のことではない。先ごろのLB-BLOGには国から国民へのお願いが「密接・密集・密閉の回避」、国民多数から国へのお願いが「密談・密謀・密約との絶縁」と記されていた。私たちは今日、鈴木央紹から『緻密・緊密・濃密』の演奏メッセージを確かに受け取った。“余人を以て代え難い”とは闇から闇へのⅡ-Ⅴに手を貸す者のことではなく、鈴木のような演奏家のことをいうのだ。いよいよ反転攻勢の始まりだ。
(M・Flanagan)

2020.3.27-28 竹村一哲アメイジング・バンド

井上銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
 待望のバンドの登場である。とりわけこのメンバーの中で初のナマ聴きとなる井上の来場に並々ならぬ期待を寄せてきた。そのことは若井俊也を通じて聞いていると井上から知らされた。気分が盛り上がらないはずがない。ゆえに前がかりの筆者にとって渋く「ブルー・イン・グリーン」からスタートしたのは意外だったが、井上の溜めのあるフレーズは、この曲の根幹に潜む魔力のようなものを十分に引き出していた。1日目と2日目はほぼ同一の選曲だったが、2日目のこの曲は後ろがフリー化する中で、ギターだけが旋律の手綱を離さず難所を渡り切ったようなタフな演奏になっていた。というように同一曲に別の表情を付けているので、全く飽きることの無く2日間が過ぎて行った。従ってこれ以上曲に解説を加えることは、繰り返しになるので良策とは言えない。ここでこの日のメンバーを簡単に覗き見ることにしよう。井上は初めてのレイジーバードをドアの外から眺めて、“名演が生まれそうな店ですね”と言った。バレてしまうが、“銘演”によってそれは本当になって行くのである。ディストーションやピックで弦を擦るなどの技を駆使していたが、それは演奏を高次に引き上げる抜群の効果を体感させるものであった。高音部でこれをやられると大量のワサビが鼻から脳天に突き抜けるようなマヒ状態に陥ってしまった。技術もオリジナリティーも兼ね備えている彼は、逸材と言うにはそれを大きく飛び越えている。LBに名演を残して逝った津村和彦を想い出した。魚返は腕が立つことは重々承知していたが、どちらかと言えばリリカル派と思っていた。ところがどっこい、このライブではとんでもないグルーブを何度も発散させており、彼の異様な一面を思い知らされた。魚返の自作曲のタイトルは一風変わっていて“うっ?”と思わせるものがある。今日の魚返のパフォーマンスを彼流に言うと“熱く凍らせる”だ。三嶋が2年余り前に初登場した時は、可能性を感じたのでもっと出て来るなと思った。余り時は経過していないが、ここに来て一気に表舞台に駆け上って来た。演奏中、笑みを絶すことはなく、本人によれば、「やっていて楽しくてしょうがない」とこぼしたのも頷ける。一哲には色々な思いがある。十代から「一哲凄い」の評判をとってきた。反論の余地はなかったが、少々違和感を持ったこともあった。何故なら「凄い」で終わってはならないと感じていたからだ。最近の一哲は筆者が思っていたとおり“ビヨンド・凄い”になって来た感がある。出したパスは完璧につながり、打ったシュートは全部決まる。この二日間で彼が今やりたいことを実現しているのがこのバンドだと強く確信した。よくぞやってくれた!一哲、有難う!!冒頭以外の演奏曲は、「スパイラル・ダンス」、「A」、「ロロ」、「モズ」、「シャイニング・ブルー」、「バキヤオン」、「ロスト・ヴィジョンズ」など。書き留めておきたいことはもっとあるが、それは次回来た時に譲る。
かつてダイア・ストレイツ(Dire Straits)というRockバンドがあった。そのバンド名は“苦境”を意味する。いま多くの人々がそれに晒されている。不要不急を重要緊急に読み替えなければ、ライブに行けない窮屈さだ。こんなご時世にも拘わらず、大盛況のライブとなった。竹村一哲アメイジング・バンドが引き出した必然だ。Jazzを取り巻くダイア・ストレイツからの脱出を心から祈ろうではないか。
(M・Flanagan)

2020.3.25-26  LUNA+LOUD3 WITH SURRPRISE

LUNA(vo)碓井佑治(g)柳 真也(eb)竹村一哲(ds)
  第5回Rockの狂宴。連戦連勝の快挙を続ける祭典ではあるが、全国各地の大規模イベントが軒並み中止に追いやられている折、“レイジー・バードお前もか“の心配が走るも、無事挙行されるところとなった。それはそうとM・タイナーに“トライデント”という力作があるが、加療中の秋田不在のこの日は“トラ入れんと”の3人編成だとされていたのが、急きょ柳が参戦することになり、辛うじてLOUD3の看板は傾かずに済んだのである。こんな異例のづくめ状況で、JAZZクソクラエ興業の開始だ。
‘70年ころ一世を風靡したハード・ロック・トリオのGFR(グランド・ファンク・レイルロード)の「アメリカン・バンド」が最初の曲だ。沈滞ムードが漂っていた場内からどれだけ叫びを引き出せるかが、本節、LUNAの重大任務である。果実が熟しながら膨らんでいく時の圧力が一気に皮を引き裂くような爆唱・爆音。これで過去4回の実績が敷き詰めて来たレイルロードに乗っかったといっていい。そこに快速「ロックン・ロール」が追っかけて行く寸法だ。ライブでは3曲目当たりがバラードの指定席になっているが、クラプトンの「オールド・ラブ」を持ってきた。悲惨な歌詞らしい。人生色々なことがある。「グッド・タイムス・バッド・タイムス」。2nd.は景気づけの「ウイ・ウイル・ロック・ユー」で開始。その終わりにSuddenly,サプライズがやって来た。LOUD3オリジナル・メンバーの秋田が演奏に立つというのだ。LUNAがアナウンスすると涙交じりの大歓声が沸き起こったのだ。秋田が数カ月振りに抱くベースは「ホール・ロッタ・ラブ」を突き抜けて行った。そして「ステア・ウェイ・トゥ・ヘヴン」、「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」、秋田に対する毒づいたヘブン選曲が並び、「リデンプション・ソング」に繋いだ。リデンプション=償還だが、この日に限り“生還”という意味が適切だ。アンコールは再び柳が入り、「ホンキー・トンク・ウイメン」で閉めたのだった。なお、2日目は、初日の数曲に合わせ「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、「ザ・ウェイト」、「リトル・ウィング」、このバンドが最高の緊張感と最大の興奮を提供する「プラウド・メアリー」、「諸行無常」を脅かす圧巻の「フォーエバー・ヤング」でフィニッシュ。
 この日15周年VOL.1は、Rockは決してRockdownされぬと宣言したのだった。では、秋田の順調なカニ・バックを願いつつ、横バイバイ。
 (M・Flanagan)

2020.2.28 ザ・グレーテスト・コードレス・トリオ

池田篤(as)米木康志(b)原大力(ds)
 待ちに待ったと言うべきである。事前の触れ込みどおり我が国コードレス・トリオの最高峰が登場するのだ。このメンバーは10年余り前に原大力名義の“You’ve Changed”(貴方は変わったのね)をリリースしており、そこからの曲を中心にこのライブは進行して行った。
1曲目は「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」、恐るべき穏やかさである。処どころP・デスモンドのような音色が覗いていた。パーカーのCHARLIEを逆さ読み風にしたと言われている「Ah-Leu-Cha」、アップテンポの曲を湧き出すままに池田は仕上げてみせた。3曲目のJ・ロウルズ作「ザ・ピーコックス」は暗がりに誘い込むような曲想で孔雀を彩る華やかさはないが、こうした渋い演奏から三者のバラード達人ぶりが伝わって来る。1st.を締めたのは「フォア・イン・ワン」。T・モンク特有の突起物に躓きそうな曲を平然と捌いていたのは流石。2nd.は「ジャスト・イン・タイム」、軽妙な仕上がりが嬉しい。演奏時間が実時間より短く感じる。2曲目は、樽に寝かせてウン十年の「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」、このコクだ。当夜のハイライトを成したのは「チェイシン・ザ・トレーン」、池田の長めな独奏から一気にインタープレイに突入して行く瞬間はスリル満点。この曲名はV・バンガードでのライブ録音でコルトレーンが動き回りながら演奏するため、録音技師のR・V・ゲルダーが収音マイクを持ってTraneをChaseしたことに由来している。池田は動き回らないが、引き出しの奥にまだ引き出しがあるその音をChaseするのは快感至極。最後は「タイム・アフター・タイム」、これぞ大人の風格というべきやや抜いた感じの演奏に心がなごむ。アンコールはミデイアム・テンポの「コンファメーション」。池田のウラ攻めが何とも心地いい。因みに日本国の宣伝文句は「オモテ無し」。
冒頭で“You’ve Changed”(貴方は変わったのね)について触れた。聴き終えてこのトリオには過去に甘んずる姿勢が微塵もないことが見て取れる。「同じことやってたら進歩ないからさぁ~」と呟いていたのは何時ぞやの米木さんだ。そういうことなのだ。ここで原を語るために少し振りかぶった物言いをする。音楽家であるかどうかに関わらず、人には基礎的ビートが備わっており、誰もがその一本道でつながるからこそ音楽は広く受け入れられることになっている。バンマス原のメリハリに浸っていると、我々の少々バラバラな基礎的ビートは歓喜に包まれ総取りされてしまう。そして取られた方の気分を益々上々にしてしまう。原とはそういうドラマーである。
ところで、今回と同じ編成でL・コニッツに“モーション”という傑作がある。これとの比較級は置いといて、このトリオは熱が加わった“エモーション”としておこう。そこで行き着いた先が最上級の『ザ・グレーテスト・コードレス・トリオ』ということになる。
<追伸>翌29日は原大力+1のLIVE。“+1”扱いされたのはピアノの本山禎朗だ。本山は端正かつ力強い堂々たる演奏を貫き、彼が単発で喝采を浴びる段階を優に超えていることを窺わせていた。演奏曲を紹介しておこう。「イン・ラヴ・イン・ベイン」、「バウンシング・ウィズ・バド」、「サム・アザー・タイム」、「ホエン・ウイル・ザ・ブルース・リーヴ」、「バプリシティー」、「You’ve Changed」!!!、「クレイジーオロジー」、This is the beginning of a「ビューティフル・フレンドシップ」、「ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー」。
(M・Flanagan)

2019年 レイジー・バード・ウォッチング

 LBライブとその周辺の記憶を客席から振り返ることにしよう。今年は冬期間に対するリスク・マネジメントが奏功し、スケジュールの混乱は回避できたように見受けられる。この寒い時期にfood-fighter碓井佑治が東京行きを決断したことは、スポーツ新聞の風俗欄よりは値打ちのあるローカル・ニュースだ。その碓井は3月に14周年ライブにおいて、大山淳をDsに配したAnother-Loud3でRock-LUNAとの共演を後に取敢えず旅立ったのだった。それから程なく、本州では“桜”のころに周年記念ライブの第2幕となって行くのだが、地元連を交えつつ米木、池田、荒武といった店主招待枠のミュージシャンが、きっちり演奏責任を果たして行った。初夏を告げるころには大石がやってくる。今年は米木週間の最終盤に組み込まれる形で、松原衣里(vo)との初共演を含め大石美学を余すことなく伝えていった。なお、大石はLB特選名酒“いも美”を素材に曲を作ると言明。それは後日、“E・More・Me”と題され、約束は成就されたのだった。来年はきっとそのお披露目があることだろう。7月になると鈴木央紹が登場。日々の編成替えを経て、新作“Favorits“のメンバーによるライブが挙行された。初登場のオルガン宮川純、鈴木、原大力のトリオである。若き宮川のグルーブには油断できない。今回、原は断続的に登場したのであるが、原および共演者の一部始終は書かれざる“原達日記”と言われているらしい。盛夏の候、8月に初めて壷坂健登を聴いた。原石が光を放ち始める場に立ち会ったような気になった。アイラーの「ゴースト」にはちょっとビックリした。9月には恒例となっているLUNAの本業ライブがあり、新しいものを出しつつ決めの定番が「諸行無常」というパラドキシカルな着地で芸術点を稼ぐ。わが国では100年に一度のという語り口が頻発し、もはや自然界の歯車が完全に狂い始めている。交通機関がマヒする中、LUNAはやっと乗った飛行機を降りてから数十キロを徒歩移動したと後に聞いた。この月には大野えりが来た。文句なしに今年のベスト・ライブに属すると確信する。特に、A・リンカーン作の「throw it away」には胸が締め付けられた。10月に入ると池田篤半年ぶりに再登場。乱気流で飛行機が相当スイングしたらしい。だが到着時の疲労モードから「Impressions」で快心のモード演奏に突入したのだった。それから10日後には、池田とともに辛島さんのバンドにいた小松伸之(ds)と楠井、ここに快進撃を続ける本山のTrio2Days、三日目はハヤテのように現れた鈴木央紹が入りトドメを刺した。そして寒さ対策の11月を迎えた。そんな初冬に‘70年代以降をけん引してきた峰さんが来られた。我が国JAZZの様々な効能が全身を包んでくれる峰の湯は流石の名湯だ。続いて実力と人柄で高位置をキープする松島が引き締まった演奏を披露して行ったと思ったら、次は梅津さんだ。世界中の音楽を2日間に凝縮して行ったのである。感性が限りなくアバンギャルドな人だ。それから1月と7月の2度来ていったマキシム・コンバリュー(p)も今年に花を添えた1人である。同じ欧州人のJ・キューンのような硬派ではないが、そのことが逆にヨーロッパの音楽風土の多様性を感じさせてくれた。いよいよ2019年も大詰めとなった師走、22日は荒武裕一朗、米木康志、竹村一哲のトリオ、翌23日は山田丈造が加わるカルテットが有終の美を飾った。マイルスはハンコックに「何を“弾けば”いいか聴こえてくるまで、耳を澄ませて何もするな」と言ったが、我らは“弾けば”を“聴けば”に置き換えて来年のライブを楽しみにしようではないか。ここらで2019のLB-Watchingを終えたい。では、不特定少数の皆さんよいお年を。
(M・Flanagan)

2019.11.22-23 梅津ワールドがやって来た ヤァ!ヤァ!ヤァ!

11.22 梅津和時withEKB+1
梅津和時(as)碓井佑二(g)池田伊陽(g)秋田祐二(b)大山淳(ds) 
 “KIKI bandの曲を中心に演奏する予定”というのが、当店ライブスケジュールの触れ込みであった。早速、1曲目に碓井のカッティングに乗ってKIKI bandの曲がピックアップされた。ではあるが、2曲目はB・マーリーの「I shot the sheriff」、3曲目はC・ミンガス「Good by pork by hat」、4曲目は我々の耳にとって本家よりJ・コッカーの熱唱で強烈な印象のある「With a little help from my friends」ということになって行った。この流れはEKB+1サイドに配慮したものか?それはどうでもよろしい。セカンドに入ると早川さん(b)の曲が2曲演奏された。「ジョ・パシフィック・ストレス」、「ジュマイナ」である。筆者がこれまで聴いてきたFork、Rock、Jazz他が詰まっているデータベースに検索かけると、難なくK・クリムゾンにヒットした。このライブはクリムゾン・サウンドのように目まぐるしい変化の中で進行していく仕掛けなのだ。中ほどに碓井のバラード「フード・ファイターズ」が採り上げられた。しっとりと懐かしい感じの旋律に24のマックス・ヴァリューはかつてフード・センターズという名前であったのを思い出した。いよいよ演たけなわに向かう。R・カークの名曲「レディース・ブルース」をたっぷり聴かせ込んで、最後は梅津さんの「発端は破局」という元も子もない恐ろしいタイトルの曲、日本を拠点にしている多国籍ミュージシャン梅津さんの力感あふれるブルージーな演奏でフィニッシュした。この日のツイン・ギター、碓井が弾きたい盛りの一方、それを一巡している池田は持ち味で臨んでいる様子があり、そこも楽しめるものであった。LBブログの導きにより余計なひと言。桜の下で退化している精神よ、音楽はプログレしているのだよ。
11.23 梅津和時with田中朋子G
梅津和時(as、cl、Vo)田中朋子(key)岡本広(g)秋田祐二(b)大山淳(ds) 
この日はカウントが入る前の一言二言をリハにするスリリングな仕儀。1曲目は田中の難曲「ジャックと豆の木」、1発OK。2曲目も田中の「VEGA」、何度も聴いているがClに持ち替えた梅津さんが曲の新たな一面を引き出す。3曲目は「西陽のあたる部屋」。梅津さんがアフリカを訪れていた時の話。R・ワークマンとの共演が叶いそうな流れの時、ワークマンが“そんなTeke 5みたいなのやらない”と暗雲。梅津さんから“獄中のN・マンデラが西陽の向こうの新世界に辿り着く渇望を5拍子の曲にした”旨を説明してGOサインが出たという実話が紹介された。人間のエネルギーの極限を問う演奏だ。4曲目は梅津さんの「ウエスタン・ピカル」。西部劇とクレズマを合体させて集落の祭りに仕立てたようなハチャメチャ感が冴えわたる。セカンド1曲目は、田中の「レクイエム」。この曲を聴くと心の遣り場を失う。ある人物のことが思い浮かぶからだ。梅津さんは演奏しながら素晴らしい曲だと思ったと告白した。2曲目は梅津さんの「東北」。仙台出身の梅津さんが3.11の風化に警鐘を鳴らす。穏やかだが力強い肉声で歌い上げる。2曲続けての“グサッ”を堪えるのは苦労する。3曲目は暗殺されたブラジルの環境保護活動家に捧げた「シーコ・メンデスの歌」。最終曲は「いつだっていい加減」、だが演奏はシリアスの極み。アンコールは「ぶどう園の住人」。“ぶどう園”とはかつて東京某所に存在した集合住宅。部屋に鍵を掛けない住人達、解放区ならではの大らかな悲喜を綴った曲だっタータタ、タタタッター。
世界中の音楽とともに進化する梅津さんを語るのは難しい。だからこの二日間に限定した話に纏めるのが賢明だと判断した、と言い訳しておく。初日と二日目はガラリと違う雰囲気であったが、この人はなんと生命力を感じさせる音を出すのだろうという印象を以て結びたい。なお標題は、今回の梅津ワールドの選曲とメロに〇ートルズがやって来たのでヤァ!ヤァ!ヤァ!
(M・Flanagan)

2019.11.15 松島啓之4 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳 真也(b)伊藤宏樹(ds)
 ジャズ喫茶に通っていたころを思い出す。店側は特定の楽器編成に偏らないことを選択基準にしていたので、色々な演奏に接することが出来た。レコード店でも見かけないものも結構かかっていた。その記憶をぼんやり纏めると、管楽器は華だなぁということになるかも知れない。レコちゃん(レコードを選ぶバイトさん)が持ってきたものを、店主がその適否を決定するのだが、ああいう光景は懐かしいものだ。広範な盤選択の中でバップは暗黙のリクエストを受けるかのように、ターンテーブルに乗っていた。誰かが音楽には二種類あって、“聴いたことのある音楽”と“聴いたことのない音楽”だと言っていた。この分類は、あることに関しての体験や知見があったかどうかの区分に過ぎず、音楽の分類である必要はない。ジャズ喫茶の客は満足度を高めようと“また聴きたい”あるいは“聴いたことが無いのを聴きたい”という動機で、足を運ぶ回数を重ねていくことになるので、先の変な分類に当てはまる一面もある。前置きが長くなったが、ご存知のとおり今日演奏する松島は何度も来演しているが、それは回を重ねるに値する演奏をしてきたことの証左である。そして何といってもバップ感溢れる演奏が彼の聴きどころだ。バップというのは、リズムやコード進行の細分化等々で解説されるが、音楽的定義や分析は専門家に任せるとして、筆者風情には音から汗がほとばしり出る音楽であるというだけで事足りる。その世界を目の前で体現してくれるのが松島なのである。当夜も今日的バップを熱帯的に味わうことができたのであった。演奏曲は、松島の「ジャスト・ビコーズ」、「マイルス・アヘッド」、ガレスピー「And then she stepped」、「Peace」、B・パウエル「Oblivion」、ミュージカルBye, Bye Birdieから「A lot of livin’ to do」、松島「トレジャー」、P・チェンバースの「Ease it」、松島「リトル・ソング」、ドーハム「Lotus Blossom」、「オール・ザ・シングス・ユーアー」。この傑出したトランペッターの共演者の今日について一言。ここのところ本山の充実ぶりには目を見張る。“いよいよ来たな”と声を掛けたくなる演奏だ。柳の得意分野は外交である。成る程、どこのどんな相手にもケチのつく対応はしない。嘘っ気のない伊藤は今日も火中の栗を率先して拾いに行く気合がフル回転だ。
 ジャイアント・バッパーの熱い16文キック炸裂。松島や、なう松島や、いい松島や。三景Very・Much.
(M・Flanagan)

2019.11.9 峰 厚介 Mr.Monster

峰厚介(ts)中島弘恵(p)秋田祐二(b)小山彰太(ds)
 峰さんは昨年の年明け以来だ。その日のことを思い出しながら、今後どれくらい、峰さんの生に接することが出来るのだろうかという思いに駆られ、手に取るまま数枚のアルバムを聴いた。ささやかに助走付けをしてから会場に向かった。これまでギリギリまでスコア・チェックするといった厳しい演奏姿勢の峰さんを何度か目撃してきたが、この日のレジェンドは柔和な雰囲気を漂わせていた。時間を押すことなく開演を迎えた。おおよその流れに沿ってみよう。1回目はW・ショーターの逸品「LIMBO」にて開始、中島の「セカンド・ステップ」は次に踏み出す一歩というよりは二の足を踏むとした方が相応しいような曲想。次は峰さんのオリジナル2曲。公演先をひっそり去る時の心情のような「アフター・ザ・チェック・アウト」。聴く側は哀愁のバラッドにチェック・イン。昨年リリースしたアルバムのタイトル曲「バンブー・グローヴ」、パワフルな魅力にぐいぐい引き込まれる。これぞワンホーン・カルテットの醍醐味。2回目は、最近休筆から復活を遂げた時事評論家がタイトルを付けたという中島の「ガンボズ・ステップ」、S・リバースのメロディアスな佳曲「Beatrice」、彰太さんの「月とスッポンティニアスな夢」はタイトルとは逆に深海を彷徨してるような不思議な曲。最後は中島の「スリー・ヒルズ」で、終局の聴かせどころに巻き込んでいった。アンコールはD・チェリーの「Art・Deco」。
峰さんは十代から夜の営業の生バンド需要がある世界で身をもって腕を磨いてきた人だ。そういう出自は、今では縮小過程に入っているのだと思う。現代という時代は、ネットで幾らでも音楽情報を手にすることができるので、土埃をかぶらなくても、ソコソコの考古学者になれるかも知れないような怪しい陰が貼り付いている。とはいえ、最近の台頭著しい若手ミュージシャンたちは、そうした懸念を払拭してくれていることも知っている。彼らは、峰さんをはじめとする偉人たちの描いてきた軌跡をきちんと視野に収めているのだろう。それにしても、ワイルドさありデリケートさあり、そこを自在に往還する風格は、わが国JAZZの覇権を握る演奏家の威容そのものだ。当然の帰結と云おうか、峰ウチでは済まされず、バッサリやられたことのこの快感。今なお湧き出すエナジーによって、Mr.Monsterは今日も峰ブランドをクリエイティヴに更新し続けているのである。
(M・Flanagan)

2019.10.18 本山 東京以心伝心トリオ

 本山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
これは在札の本山が、アウェイの東京で演奏する時に組まれるトリオである。メンバーは、LB登場から月日は浅いが、その驚異的テクニックは(ペデルセン+ビトウス)÷2+something-elesと言われており、衝撃のベーシストと称されている楠井、原大力の一番弟子で札幌には10年余りのブランクを置いて舞い戻って来たドラムスの小松。この二人は先ごろ深い感銘を残していった池田篤とともに辛島さんのバンドに在籍していたので、そちらで聴いていた向きも多いと思われる。1回目は、ガーシュイン「エンブレイサブル・ユー」、「マイルス・アヘッド」と名曲が並べられ、耳馴染みのないクレア・フィッシャーのしっとりとした「ペンサティバ」、オスカー・レバントという作者の曲で、若き純粋は時に危険でもある「ブレイム・イット・オン・マイ・ユース」、4曲目は「ホワット・イズ・ディス・シング・コールド・ラブ」、品位優先の曲だと思っていたが、ここでは奇襲攻撃が絡む熱の入った演奏。コール・ポーターが気に入ったかどうかは誰も知りようがない。2回目はR・ロジャース「ハブ・ユー・メット・ミス・ジョーンズ」、モンク「レッツ・コール・ジス」、R・カークのゴスペル・ライクな「フィンガーズ・イン・ザ・ウインド」。最期は、ここのところ本山が好んで採り上げるピーターソンの「スシ」、トロトロするどころか、抜群のスピード感が漂うもので、ネタの鮮度は開店前の行列モノであった。アンコールはE・ガーナーの「ミスティー」で、とろけるようにライブの幕を下ろした。演奏側自らがオススメ・トリオと言っているだけのことはある。連携十分な纏まりの良さを目の当たりにして、以心伝心トリオという思いに行き着いた。
2019.10.19 鈴木 一心不乱カルテット
 鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
前日のトリオに加え、当夜だけにのみ鈴木が駆けつけた。この演出は賞賛すべきものである。1stは、前日もやった「エンブレイサブル・ユー」、テナーが入ると相当雰囲気が変わることが見て取れる。マイルス初期の「バップリシティー」からカーマイケル「スカイラーク」と古典群が続く。ドラマーV・ルイスの「ヘイ、イッツ・ミー・ユア・トーキン・トゥ」は初めて耳にしたが、太鼓屋ならではのドライブ感のある曲に猛アタック、爽快そのものだ。2ndは、今どきの冷え込みから、枯れゆく葉のリーブスと秋が去り行くリーブスが重なる。「オータム・リーブス」でスタート。続いてモブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」でバップ的に会場を加熱。続く「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、ゆったり流れるモノクロ映画の中に誘い出されるかのようだ。それに身を任せていると、“うっとり”から“うとうと”に引きずり込まれそうになった。とその時、鈴木のカデンツァから「ザ・ソング・イズ・ユー」に突入して一気に覚醒した。今日のハイライトを成すに相応しい滅茶カッコイイ(少し軽いか?)熱演にゴキゲン沸騰。酔いしれる演奏とはこのことだ。アンコールは今も昔もあらゆる瞬間が「ナウズ・ザ・タイム」。これは我らに脇見を許さぬ一心不乱のライブだ。
鈴木は7月のオルガン入りトリオで問題提起していったが、時を経ずして再び聴ける本企画に有難みを感じつつ、バースを回す。鈴木、大きく歌いながら、細かく音が刻まれるパッセージがふんだんに湧き出るさまは、恰も管をくわえた話術師と言えるものだ。500円と1万円のワインをハズしても、鈴木を聴き間違えることはない。楠井、イフェクタありアルコあり、パッション・アリアリ。小松、原師匠のエッセンス継承の上に、自身の個性を貫徹。前日からソツ無しスキ無しユルミ無し。本山、他のメンバーの押上げに真っ向勝負、実に腰のすわった演奏を披露した。2日合わせて延べ“7人の侍”よるヌルさ撃退ライブでした。 
(M・Flanagan)

2019.10.4-5 池田篤 今日のインプレッション

池田篤(as)田中菜緒子Trio(田中(p)若井俊也(b)西村匠平(ds))
 4月の14周年に池田が荒武との共演を果し、「閉伊川」の感動的ソロは記憶に新しい。その池田をよもや年内に再び聴けるとは思っていなかった。今回は昨年の3月に13周年で初登場した田中菜緒子Trioとの合流Quartetという妙味も加わる。
ところで、私たちの演奏家に対する思いは、それまでに聴いてきた延長線上に位置させているのが普通である。人によっては、前期と後期のどちらの方がいいかというように、はっきり線引きして問いを立てることもある。それは一概には、否定できない面もある。しかし、演奏家の積み重ねの裏には体力的変化や私事などの連続性において、誰もがそうであるように人の属性が否応なく影響している。池田の凄まじい演奏力に釘付けにされた体験者は相当数いると思われるが、これまでにも触れて来たように、それが一聴変わっていないようでいて、今は8の力に10の思いを込める池田のように思えている。この熱く浸み込んでくる池田を聴き逃すことがあってはならない。それが池田に対する今日のインプレッションである。それを象徴する演奏が、もう聴く機会はないと思っていたあの曲、「Impressions」だ。こうなるとマナジリの緩みが容赦してくれなくて困る。言いたいことを言ってしまったので、その他の曲を紹介する。出だしはモブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、田中の「ルンバ(とメモされているが無題)」。池田は石垣から船で南下した琉球地方のある島を訪れるのを恒例としている。その地を素材とした「ウガン」。これは南国情緒を綴ったものではなく、その島の祭祀を行う“拝み山”を曲名にしたもので荘厳な佇まいの曲である。一月前に作った池田の未だタイトルのない曲も披露された。更には池田のラージに聞こえる「リトル・バーニング」。ショーターのお馴染み「YES・OR・NO」、シルバの「ピース」。田中オリジナル「MT」はアグレッシヴな曲。何と田中は“ふぐ”を飼っているという。聞いただけで痺れが回るが、小さな観賞用で暗がりで目が光るのだそうだ。それを曲にした「アベニー・イン・ザ・ダーク」。ガレスピー「コン・アルマ」、マクリーンの「DIG」、など。そういえばブルースをやっている時に、池田が“イン・ザ・ムード”のテーマをハメ込んでいたのには結構ニンマリだ。折角なので、Trioについて付け加える。田中に池田と共演の感想を訊いて見た。初共演だけれど池田さんをよく聴いています、とはぐらかされてしまったが、日頃色々な取組みをしているのだろう、1日目から2日目に向かうにつれ、冷静さと思い切った踏み込みがバランスし、適応力をたっぷり見せ付けていたことは記憶にとどめる。若井と西村は、毎回やることやっていくなぁ、だ。そろそろ若き名演請負人と言うべきか。
池田の真綿で暖められた音が、適温となってこちらの体内に伝えられてくるかのような2日間であった。こうした味わいを生で聴く喜びはこの上ない。そう思いつつ、ここのところ池田を語ろうとすると力みが入り過ぎる。今まさに、抜き方を池田から学ばなければならない。
(M・Flanagan)

2019.9.20 大野えり&石田衛meets TKO

大野えり(vo)石田衛(p)立花泰彦(b)小山彰太(ds)奥野義典(as)
40年もの長きにわたり第一線を張っている大野えり。腹心の石田を従えて3年ぶりの登場だ。片や迎え撃つは初共演の硬派TKO。軍配が返る時間がやや押し加減になった。皮肉にも1曲目は「ジャスト・イン・タイム」という塩梅だ。最初から心をとろけさせるのは流石というしかない。この達人はライブで必ず自作曲を入れるが、この日も「イン・ザタイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」、「ウイ・ワー・メント・トゥ・ビー」、「カム・アラウンド・ラブ」が採り上げられていた。このことは、自己主張というよりは自己確認のためになされているように思う。シンガーとコンポーザーの共同作業が彼女にとって欠かせない音楽コンセプトになっているのだろうと想像する。それら以外の曲は、お馴染みの「エスターテ」をじっくり聴かせて何とも艶やか。B・ストレイホンの「ロータス・ブロッサム」、「ラッシュ・ライフ」。コルトレーンほか多くのミュージシャンがやっている「アイム・オールド・ファッションド」、S・ラファロが他界して失意の中で彼に語りかけた(と思われる)エバンスの「ハウ・マイ・ハート・シングス」。人種・人権に深く関与したA・リンカーンの「スロー・イット・アウェイ」。スキャットを含め高速かつ滑らかな離れ業、この「コンファメーション」に匹敵する熱唱に出遭うことは、今後もそうそう望めないかもしれない。シナトラも歌っていた「The best is yet to come」については、最後に触れる。思わぬ話だが、えりさんはクラゲ好き(食用ではない)なのだという。山形県にある“クラゲ水族館”(NHKの逆転人生で、その苦闘が放映されていた)とも交友関係が築かれているらしい。そのクラゲ哀歌は「ジェリー・フィシュ・ブルース」。最終曲はエリントンの「ラブ・ユー・マッドリー」、アンコールは最近リリースされたPIT-INNライブVOL.2のタイトル曲「フィーリング・グッド」。これが当夜の大体のところである。音楽を聴く者の嗜好基準は非常に曖昧なため、感涙ものが別の者にとってはマズマズの評になったりする。こうした感覚の段差と大野えりは縁がない。歌も楽器も上手い人は山ほどいるが、そこにJAZZならではの色気が息づいているかどうかを問えば、大きくその数を減らすであろう。この色気には長年にわたって飽きが来ない、つまり心を酔わせて止まない何かが宿されている。だから多くのレコードを所有していても、手を差し伸べるものに偏りが生ずるのだと言える。話を戻すが、歌唱力を頂点とする大野えりのステージ・ワークは既に完成域に到達していると誰しもが思っている筈である。それは全く正しいのだが、ここで少し修正を加えなければならない羽目になった。
名唱の余韻をよそに、わが国の至宝に対し失礼を顧みず言うならば、欠けているのは還暦越えの年齢的若さ以外にないと思っていた。だが、本人によれば、達成し終えたという意識は皆無で、これからがさぁ本番なのだそうである。前述の「The best is yet to come」。言わば“頂上はまだこれからよ”なのである。若さという失礼の辞は、あくなき探求心に撃墜されてしまったので、訂正してお詫び申し上げる。語り尽くせぬ部分を別の形で補完しておく。よくライブにはCDが持参され、数人が買い求めることは珍しくない。えりさんは、PIT-INNライブのVOL.1、VOL.2、DVDの3点をダンボール詰めで用意していた。知る限りこれだけの飛ぶようなSOLDを見たことがない
(M・Flanagan)

2018.9.6 Trio De るなんぴる

LUNA(vo) 南山雅樹(p)菅原昇二(tb)
丁度1年前、ブラックアウトで札幌の灯は消えていた。辛うじて北24条界隈は部分復旧下にあり、ギリギリのところでLUNAの10年連続ライブが挙行できる運びとなった。首に懐中電灯を下げて何とか会場に辿り着いたのを思い出す。この特殊事情からその日は予定曲の多くが差し替えられた。災害とシンクロしない「明るい表通りで」のような曲を歌う訳にはいかなかったのだろう。そんな中での最終曲「ナチュラル・ウーマン」の熱唱は今も印象深い。さて、今回は何ともイージーなツアー・バンド名ではあるが、それを覆すシリアスなライヴとなるのか?それを気に懸けながら追ってみることにしよう。ひとまず選曲の妙が織りなす英語、ポルトガル語、日本語による世界旅行を楽しむことが出来たとしておく。曲名が余り紹介されなかったので分かる範囲に限定されるが、かなり凝ったアレンジの「サマータイム」からスタートし、ブラジルの蝉「シガーハ」、スタンダード「ジス・オータム」、スキャットを駆使したブルース、悲恋がテーマの日本語の曲、J・レノンの「Love」などが1ステで採り上げられた。2ステは再びブラジルに飛んだ後、わが国にとんぼ返り、“ざんし”と聞こえた失意の曲。次は安部公房の作品に武満徹が曲を付けた「他人の顔」、郷愁をそそる旋律とは裏腹に、歌詞はホラー映画並みに怖い。このあと懐かしくも思いがけない曲が現れた。多分、筆者は四十数年ぶりに聴いた「教訓」。曲も意外だったが、歌詞を断片的に覚えていた自分が照れくさい。これは曲の生命力を気付かせてくれる当夜の掘り出し物。最終局面は必殺パターンの「ヒア‘ズ・トゥ・ライフ」、曲名不詳だが聴き覚えのある魅力的ブラジル曲、そして「諸行無常」にてFine。ジャッジの採点では、燃焼部門LUNA、小粋さ部門NAN、マイルド効果部門PIL、それぞれ高得点をマーク。人生色々なことがあるが捨てたもんじゃない、と思わせるような“Trio-De-るなんぴる”の『今夜は最高!』ライブでした。
この蛇足は失礼に当たらなければよいが、LUNAの話し言葉は、その声の転がし方が気のせいかアジアの歌姫テレサ・テンに似ているような気がする。ホーリー ジュン ザイライ(いつの日君帰る)。ジャズに?ロックに?歌謡に?何処に帰るのだろうか、ヒヒヒ。
(M・Flanagan)

2019.8.9 壷阪健登 器用な果実

壷阪健登(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
 近年、若手の台頭には目を見張るものがある。率直にこの日聴いた壷阪から今後重要な役割を果していくのではないかと感じた。まだ二十代半ばであることによる清新さはさて置き、既に自己の方向性が定まっており、その射程圏内において存分に研鑽を積むことが今日の演奏活動なのだと思われる。折々のアナウンスから少しずつその秘密が明らかになって行った。それは、彼が過去の遺産の中に未来を発掘しようとする明確な自覚を持っており、強めて言えば当代の毒気のない流行は眼中にないということだろう。余談だが、エリントンを学習したか否かでその後の演奏に明確な差が出るという話を聞いたことがある。因みに現代音楽あがりであるC・テイラー自身の発言よると一方で“私は4ビートをできない”と語り、他方で“デューク・エンリントンを最大限に尊敬している”と述べている。その両立を可能にしているのはエリントンの想像力を学習したことによるものだと思われる。さて、この日の選曲は、1曲目が「ステラ・バイ・スターライト」、2曲目は「グッド・モーニング・ハートエイク」、これはエンディングにその演奏のピークを持ってくるあのスタンダーズのような仕上がり。3曲目は」「アイ・ディドゥント・ノー・ホワット・タイム・イット・ワズ」、4曲目は「プレリュード・トゥ・ア・キス」と名曲を並べ、最期はストレイホンの「UMMG」をアグレッシブに攻めた。筆者は前半だけに限っても異才を放つ壷坂を感ずることが出来た。後半はモンクの「トゥインクル・トゥインクル」、2曲目がヘイデンの「ワルツ・フォー・ルース」。そして3曲目が「ゴースト」、これには完全に意表を突かれ飲むペースが倍テンになってしまった。アメリカでの彼はFreeのセッションにも参加することがあるらしい。4曲目は一般に定着しているよりスローな「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」。5曲目は逆にアップ・テンポ気味の「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」。この若き才能の演奏から、閃き溢れるフレーズ、アクセントの付け方などの独自性をはっきりと窺い知ることができた。必然的にサイドの柳と伊藤もその刺激を十分浴びた立派な演奏をやり切っていた。
 これからの話は何処に持ってくるか迷ったが最後にした。それは壷阪が誰を最も敬愛しているかという話である。ビリー・ホリデイなのだそうだ。寝起きから聴くこともよくあると言っていた。このライブでも彼女への畏敬の念を込めて愛唱曲を採り上げていた。ビリーは器楽的フレージングやブルース感覚において天才と言われたが、我々が伝え聞く波乱の生涯のイメージが余りにも強いシンガーである。筆者には何を聴いても物悲しく聞こえてしまうのだが、改めて“奇妙な果実”を聴き直すと、彼女の背負った体験が宿命的に滲み出て来るのは致し方の無いこととして、そのことと意図的に仕組まれた感情移入とは区別しておかなければならないと思う。実際、彼女にとって歌うこととは、天性の歌唱力を極限化することのみに専念する営みだったのかも知れない。そうであれば、彼女の人生と歌とを過剰に接合させているのは恣意的に悲運のビリーホリデイ物語を仕組もうとする聴く側の干渉が働いているのではないかと疑ってみる必要がある。けれどもこの疑いは壷坂が何故ビリーなのかの手掛かりにはなっていない。凡人には謎が解けないままだが、壷坂は彼の特異な才をもってビリーの想像力を巧みに汲み取っている筈だ。“器用な果実”壷阪健登、目を離してはならない飛び切りの逸材である。
(M・Flanagan)

2019.7.26 マキシム・ワールド・ジャズ・トリオ

Maxme・Combaruie(p)三島大輝(b)伊藤宏樹(ds)
 前回のこのトリオ演奏でマキシムの個性を少しは掴めたと思っている。やや回りくどく言うと、アメリカはジャズ発祥の地であるが、その多様さから説明するのは容易なことではないにしても、わが国の多数はアメリカ的なるものを体感的に分かっているような気がする。そのアメリカの多様性のどの区画にも属していないというのが、少なくとも前回掴めたマキシムの個性の位置である。他のヨーロッパ国民以上にフランス人は自国語に固執するとよく言われている。訊いて見ると、マキシムはその通りだと頷いた。今回は止むを得ずカウントに英語を使っていたが、言語観と彼の音楽とは不離一体である。これを24批評界ではマキシムのFrench-Connectionと言っているらしい。通常私たちは、音楽を聴きながら頭の中をあちこち徘徊することもあれば、じっと立ち止まったりもする。そんな状態のなかで耳を傾けていると、マキシムはラ・マルセイエーズの勇ましさを柔らかさに変換させながら端正なピアノで行進しているように思えてならないのである。その行進に合わせて、マキシムの音楽に対する筆者の理解も半歩は前進したようだ。ここまで来て気恥ずかしいが、以上のことは彼のエスプリの所在はセーヌ河であってミシシッピー川ではないと言ってしまえば済むことであった。演奏曲は「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」、関西のアルト奏者の曲「大きな桜の木の下で」、「ソーラー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「エアジン」、「酒とバラの日々」、オリジナル「4:00 AM」、「ステラ・バイ・スターライト」、ブラジルもの「テドルフィン」、オリジナルの「ハピネス」で閉め。アンコールは日本をイメージしたオリジナル「エリカ」、これはソロを割愛したので2分ほどで終了、次回は演奏サイズをマキシマムにしてもらいたいものだ。
 では蛇足。ヴィジュアル的に伊藤は生粋のニッポン顔である。三島は気合が入るほどにゲバラ顔になる。マキシムは気のいいヤサ男顔。彼ら3人は自由・平等・博愛に満ちているかは分からないが、ひとまずWorld・Jazz・Trioと名付けて逃げ切りを図ることにした。
(M・Flanagan)

2019.7.19 田中朋子オリジナル集

田中朋子(key)菅原昇二(tb)中澤一起(g)北垣響(b)小山彰太(ds)
 5月の連休明けのことだ。有りそうで無かったこのメンバーによる初ライブがあった。それはお客さんを大いに楽しませるものだった。そんなこんなの勢いで、ライブ終了後にさっそく次回のスケジュール調整が始まり、そこで組まれたのが当夜である。見るからにヤル気満々のようなのである。そして田中のオリジナルが中心と紹介されたのも嬉しい限りだ。夫々の印象を添える。1stは比較的新しい曲が並んだ。1曲目は「イノセント・ウーマン」、汚れなき潔白の女性というような意味合いだが、一筋縄ではいかなかった女の半生のようにニガ目のスパイスが効いていた。2曲目は「ダブル・ムーン・フォー」、いくつもの月が天体を舞うが、その動きは引き締まったものだ。3曲目は「マグノリア」、田中の内面を静かに描写していく審美的バラード。4曲目は「ダイヤモンド・ダスト」、出だしは遠い昔に引き連れて行くわらべ歌のような感じだったが、中澤と菅原のタイトなソロによって渦を巻くように現代に連れ戻される。2nd1曲目は、唯一割って入った菅原のオリジナル「散歩・ツー」、老人のようなスロー散歩だが足元はしっかりしていた。2曲目は万雷の拍手とともに封印していたあの「SAKURARAN」、後半の山場に差しかかると混然一体、狂喜乱舞、天衣無縫、焼肉定食、美味しいとこ取りの取っ組み合いが展開された。これだけで来た甲斐があるというものだ。場内も快哉が飛び交っていた。3曲目は「ヴェガ」、ピアニカの巧みな効果音がこの曲の新たな一面を引き出しており、アコースティックとの使い分けが見事。最終曲は、このところ田中の座右に位置する「ジャックと豆の木」。スミマセン、大熱演のさ中に“ジャックとディジョネット”と呟いてしまいました。アンコールは「インナ・センチメンタル・ムード」。改めてこのバンドは実に面白い。菅原の参加が田中の楽曲に新たな花を添えているのは間違いないが、ツワモノ揃いなので聴きどころに不自由しない。夏が終わったらまたやるそうなので、未だの方にはお聴き逃しのないようチェックされたい。その時は彰太さんのハモニカをが聴けるかも。
 オリジナル中心のライブは、正直、一杯一杯になることがある。だがそうではないケースもあるのだ。虹のタナカに讃辞のあなた。
(M・Flanagan)

2019.7.13 鈴木央紹 Favouritesの頭金

鈴木央紹(ts、ss)宮川純(org)原大力(ds)
 ごく最近リリースされたこのトリオによる「Favourites」。まさにスタジオからここに直行のようなものだ。タイトル名からお気に入りを選曲したと想像できる。それよりも何よりも、今回の目玉は、オルガン入りということに尽きる。オルガンと言えば、突出してジミー・スミスが有名なように思う。これは彼の功績のほかにオルガニストが少数ないということの裏返しでもある。よもやま話は程々に会場の中に入ってみよう。音だしは鈴木の独奏によるイントロからだ。オルガンが何処からどう絡んでくるのか。固唾を呑む間が続く。本当はこの楽器、ソウルフルかつダイナミックなグルーヴが魅力なのだが、多分、ナマでは初めて聴く人が多いだろうから、この雰囲気もやむを得ない。テーマに入る段でオルガンとドラムが静かに寄り添ってきた。「ウィッチ・クラフト」、魔術の始まりだ。この演奏は後の演奏と通底する。例によって聴きどころである鈴木独壇場の高難度フレーズのスムーズなまとめと、鈴木ソロの後に回って来る宮川のベースとメロディーが合成されたアドリブに間髪入れず原が乗っかって来る。オルガンとドラムの並奏は何度も提示されたが、これが誠にスリリングだ。全編をまとめると、鈴木の圧倒的演奏力と宮川の時に地を這い時に中空を駆け回る表情豊かなプレイ、そして原の真骨頂である丁々発止に巻き込むノリが少人数編成においてひと際要求される連帯バランスを見事に体現していた。スローな演奏においてもこれは何ら揺るぎなく、目の離せないトリオの出現、新たな発見サックだ。他の曲は、「ザ・デューク」、「ユーヴ・チェンジド」、「リメンバー」、「ホエア・オア・ホエン」、「アイ・シュッド・ケア」、「エヴリータイム・ウイ・セイ・グッバイ」、「(スタンダード)」、アンコールは「ムーン・リバー」。CDと外の曲が半々ぐらい。
 このライブを「Favouritesの頭金」と名付けた。サウンドに未来的なものを感じてしまったので、今後もそれなりの負担を覚悟することになりそうなのだ。いずれにせよSomething Elseなトリオのオルガンナイザー鈴木に感服する。
(M・Flanagan)

2019.6.21-22 大石極上のスピリット

6.21 松原衣里(vo.)With大石学(p)・米木康志(b)
 松原3度目の登場となるが、関西をホームにしている彼女は2年ほど札幌に住んでいたことがある。思いでの横浜(6.17ブログ)の札幌バージョンといえようか。冒頭彼女は、1週間くらい前からそわそわしていたと正直に打ち明けてくれた。わが国屈指のバック大石・米木、言わずもがなである。ヴォーカルには色々な人がいて、色々な聴かせ方をしてくれる。なので、それぞれに聴きどころがある。松原はと云えば、その選曲やふんだんにスキャットを駆使するなど所謂正統派に属していると思う。歴史に名を残す大物を相当研究したのではないかと想像できる。そしてその持ち味である奥行を感じさせるアルト・ヴォイスとここぞの瞬発力によって彼女の資質が十分引き出されているのだ。加えて最高のバック。“大満足”、終わってからの松原の一言だ。
曲は、ピアノ・ベースDuo「オール・ザ・シングス・ユー・アー」、以下松原が入り「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、「イット・ネヴァー・エンタードゥ・マイ・マインド」、「デイ・バイ・デイ」、「ファースト・ソング」、「ムーン・レイ」、「バット・ノット・フォー・ミー」、2回目も最初はDuo「ビューティフル・ラブ」、以下「It don’t mean a thing」、「ア・タイム・フォー・ラブ」、「サムタイム・アイム・ハッピー」、「ワン・ノート・サンバ」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」、「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。アメリカでは各地にBig・Mamaと呼ばれるシンガーがいそうな気がする。極東アジアにもその一人がいるのだった。なお、どうして「It doesn’t mean・・・」ではなくて「It don’t mean・・・」なのかを調べて見たところ、「doesn’t」で歌うとスイングしないから文法を無視したのだそうだ。確かに。
6.22 大石学(p)・米木康志(b)
一夜明けると、札幌は松原のシャウトに刺激されたかのような強烈な雷雨に見舞われ、それは勢いを弱めながら夜まで続いた。大石が最初に採り上げたのは自作の「コンティニュアス・レイン」という曲だった。大石は時間があればいつもピアノに向き合い作曲しているらしい。今回もオリジナルの合間にスタンダードを添える形で進行した。順に「ジェミニ」、「クワイエット・ラヴァーズ」、「雨音」、「チェンジ」、「シリウス」(米木オリジナル)、「メモリーズ」、「ザ・ウエイ・ユー・ルック・トゥナイト」、「ピース」、「ビューティフル・ラブ」。一言つけ加えると大石の代表曲「ピース」は何度聴いても胸を打たれる。大石を初めて聴いてから15年くらい経つ。ソロ、デュオ、トリオ、カルテットと折に触れ耳を傾けてきた。大石の一種叙情に溢れた演奏が彼の音楽性だとしよう。するとその音楽性の陰にある精神性を覗き込んでみたくなる。おそらく大石学とは、音が彼から逃れなくなるまで研鑽を重ね、そこに揺らぐことなくプライドを注ぎ込む信念の塊のような演奏家なのである。これを「大石極上のスピリット」と言わずに何と言う。少し力が入ってしまったので方向転換しよう。大石は作曲魔という主旨のことを先に述べた。“いも美”という曲を作ってみようかと呟いたようである。空耳でなければ、いつか大石さまが。アルコールついでの話だが、終演後、『大石』という熊本の米焼酎が振る舞われた。この春、常連さんが持ち込んだもので、3カ月間この日のために開封せずに我慢したという。一口よばれたが、『大石』極上のスピリッツであった。
臨時ニュースを一つ。HPのライヴ・スケジュールには「米木康志多忙のため今年最後の固め聴きチャンス」と付記されていたが、12月下旬に空きが出たため、急きょ日程が組まれたのでお知らせしておく。
(M・Flanagan)

2019.5.24 古舘賢治sings 昭和歌謡

古舘賢治(g.vo)板橋夏美(tb)
 このDUOは時折ライブで歌謡曲を挿入して来たらしいが、当夜は、昭和歌謡のみに撤するとのことであった。「昭和」は、先ごろ二つ前の元号になってしまったが、ある年齢層の人たちにとって、それは今より不便な黄金期といえるものだ。筆者にとってその時期は1960年代のような気がする。あらかじめ何人かの歌手を思い浮かべていたが、結果的に的中率は非常に悪かった。それはそれでよいではないか。昭和歌謡と言いながら、最初は「ミスター・ロンリー」が選ばれた。この曲はご存知のとおり“ジェット・ストリーム”のテーマ曲である。古舘は間奏で城達也のあのナレーションを再現して見せた。彼はやるべくしてやった立派な確信犯である。いよいよ本題に突入するが、昭和63年間初期の頃の藤山一郎「酒は涙か溜息か」と李香蘭「蘇州夜曲」で口火を切った。これらの曲は勿論リアル・タイムで聴いてはいないが、その後の“ナツメロ”歌謡番組で耳にしていたものだ。後者の方は時折ジャズ演奏でも聴かれる。少し驚かされたのが、鳥羽一郎の演歌ド真ん中「兄弟船」だ。この曲には“型は古いがシケには強い”という漁師のリアリティーを込めた一節があるのだが、古舘流にかかると富裕層が所有する冷暖房、テーブル・ソファー、洋酒完備のクルージング船の雰囲気だ。その洋酒に手を出したわけではないが、聴くにつれ酔いが回って結構いい気分になってしまった。他の曲名は余りよく思い出せないが、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」のほか「影を慕いて」ディック・ミネ、坂本九、サザン・オールスターズの曲だったと思う。このライブは長い昭和の代表的な曲をLCCでひとっ飛びさせてくれた。予想した江利チエミ、西田佐知子、伊藤ゆかり、ザ・ピーナッツ。ハズれはしたが、満天の星をいただく歌謡の海に浸り、刹那の上機嫌を味わうことができた。
 夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは古舘健治、チーフ・キャビン・アテンダントは板橋夏美でした。 
(M・Flanagan)

2019.5.3 松島啓之の嬉しいTPP

松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳真也(b)舘山健二(ds)
トランペットを聴く機会はそう多くはないが、毎年やって来る松島によって、この楽器はやはりJAZZの花形であることを印象付けられてきた。松島を聴きに来る人々は同様の印象を持っておられるのではないかと思う。JAZZファンは結構得手勝手なところがあり、ギターは聴かない、ヴォーカルも聴かない、フォービートしか聴かないなどという人もいる。好みというのは個人に独占権があるのでケチの付けようがない。かく言う筆者も松島が関わるルパンや熱帯を殆ど聴いていないので、偉そうなことは言えない。話は変わるが、確か松島はC・ベーシーを聴いてJAZZに開眼し、ブラウニーやL・モーガンに多大な影響を受けたというのが音楽人生のイントロだったと思うが、この日もC・ブラウンで有名な「神の子はみな踊る」、モーガンが十代に吹き込んだ「PSアイ・ラヴ・ユー」が採りあげられていた。松島の聴きどころはバップを消化し切っていることはもとより、その突き抜けるような音圧や艶やかな音色にある。それが聴きながら“いま私たちはいい場所にいるな”と思わせてくれるのである。繰り返し聴きたくなる演奏家には、必ずそう思わせる魅力が潜んでいる。例えば「ライク・サムワン・イン・ラヴ」のようなバラードにおいては“長い年月”によって蓄積された質感が伝わって来て、深く聴き入ってしまうのである。その“長い年月”を確かめようと、翌日、松島が28歳の時にリリースした初CDを聴いてみることにした。音のコクに違いがあるとはいえ、それを払拭して余りある演奏力は実に見事なものと感じた。若い時には若い時の良さがあることを再認識した。その他の曲は、帝王の「マイルス・アヘッド」、名盤“オーバーシーズ“に収録されている「エクリプソ」、スタンダード「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー」、松島初期のオリジナル「トレイジャー」、「ジャスト・ビコーズ」それと熊本の震災直後に作ったという「リトル・ソング」、T・ジョーンズの佳曲「レディー・ラック」、C・パーカー「オーニソロジー」が演奏された。トランペットの優先道路というか、トランペットで決まりという曲がある。この日は、そうした曲がズラリと並べられた。これら嬉しい曲の一覧表をトランペット・プログラムといい、略して”TPP“と云うのだそうだ。
 ところで、演奏された「オーニソロジー(鳥類学)」は、C・パーカーがバードの愛称に引っかけて名付けたものであるが、その後J・コルトレーンが“ブルー・トレイン”の中に新種の「レイジー・バード」を収録した。時を経て、「レイジー・バード」はJAZZの発信基地として札幌の鳥類図鑑にその名を留めている。これは史実に即した作り話だが、「鳥類憐みの令」も支援するJAZZ文化の保護区から良質なライブがますます飛び交わんことを願う。
(M・Flanagan)

2019.4.10~13 14周年 連夜の三小説

これまで3月アタマに設定されていた“周年企画”は暴風雪に邪魔だてされてきたので、今年から少し後ろの“It might as well be spring”の日程に切り替えられた。お陰でウェザー・リポート確認の神経戦からは解放されることと相なった。連夜のライブを以下、三小説にまとめた。
2019.4.10 田中朋子(key)岡本広(g)米木康志(b)
‘80年代から夫々を聴いてきた。この組み合わせはここのところ年一で実現しており、感慨を凝縮してくれている。この日の臨戦態勢をお知らせすると、田中はピアノとピアニカの二刀流、岡本はギター・デュオ以外では珍しいエレアコ、米木は勿論ナマ音である。このトリオの面白さは、是非は別として田中と岡本が米木に対して人一倍敬意を払っているため、演者でありながら客のようでもあるところだ。米木がいつもより二歩前という危険な位置なので、ナマ音が田中と岡本を幾重にも包囲するかのようであり、それが札幌レジェンドの意気込みを押し上げていたことを伝えておく。演奏曲は「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」、「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「ケアフル」、「ベイジャ・フロー」、名曲「ヴェガ」「ウイッチ・クラフト」等。なお、アンコールはフェリーニの道から「ジェルソミーナ」、ピアニカの音色が人間の無垢に届いていたのではないか。
2019.4.11 荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
 荒武はこの一年余りでかなり当地での知名度を上げて来た。初登場となった昨年の冬の終わりに本文冒頭のごとく吹雪による飛行機の遅延で、その日は1ステのみに終わった。歯切れのよいタッチと本田竹廣さん直系のブルース感覚はこのピアニストの個性を印象付けるに十分なものであった。本人は今でも“申し訳ない”と思っているが、不可抗力を跳ね返した鮮烈な演奏が荒武のLBデビューであった。今日の演奏曲は荒武精神が全開の「ユー・アー・マイ・エブリシング」、「ラブ・ユー・マッドリー」、「アイ・フォーリン・ラブ・トゥ・イージリー」、「シー・ロード」、「ビューティフル・ラブ」、「オール・ブルース」、「閉伊川」、「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」等である。ここでは多くを触れないが、毎回演奏している自作の「閉伊川」は、周年記念ならではの日々編成の流れが変わる展開となって、このトリオが明日の豪華絢爛カルテットへと繋がっていくことになるのである。
2019.4.12-13 池田篤(as)荒武裕一郎(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
池田についてはこれまで何度もレポートしてきた。30年くらい前から聴いてきた意識の連続性は、大体同じことを書かせてしまうのだが、かろうじて差異を持たせてくれるのは、今回はやらなかった「フレイム・オブ・ピース」が演奏された6、7年前ぐらいを境に、それまでにないものが付加されていると思い始めたことが大きい。感動に質的変化があったと言ってもいい。それは池田と楽器との同一性から生まれる音であって、純粋に彼が今日を制している音のことだ。池田が病を克服して来たことと彼の演奏を過剰に結びつけることを本音ではしたくないと思っているし、そういう聴き方は邪道だとする指摘もがあるかも知れない。しかし、感傷的と言われようが何と言われようが、いま池田の演奏にはサイドメンの他に彼の人生の内側が伴奏していると思うと、込み上げてくる特別な感情を排除することはできない。知られているとおり、この第一人者は若い時から圧倒的なプレイを展開してきたし、その価値は決して朽ちるものではないが、筆者はここ数年の中で池田最大の聴きどころ見つけたと思っている。と同時に身を削るように吹き出す池田を案じてもいる。ところで、長らく池田を聴いてきたことは既に述べたが、これは年数自慢の話ではなく初聴きの人にとっても池田クラスになると、十分胸を打たれるだろうことには語気を強めておきたい。少々思いが入り過ぎて来たので、ちょっと会場を覗いて見るとしようか。満席にぶつけて来たのはH・モブレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、バップ系の曲に熱を通すのはお手のもの、いきなり汗がほとばしる快演でスタートした。バラード「アローン・トゥギャザー」と「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」、は池田にとって最高の仕上がりかどうかは分からないが、しなやかな弱音は最高に染み入る演奏であった。池田作の「ブレッド&スープ」、序盤はほのぼのとしているが、段々と火加減が強められて、パンもスープも一級の味で提供された。本田さんの「シー・ロード」は四者の一体感が大気圏に再突入するアポロn号が受けた引力のように我々を引き込む歓喜の調べ。次の「ブルース・オブ・ララバイ」は多分池田の曲と思われるが、濃い口のスロー・ブルースが場内に充満していく。「エヴィデンス」の逸話として、かなり前に北海道ツアーした時にセシル・モンロー(ds)がこの曲を知らず、しかし一瞬のタイミングも外さずやりきったという思い出が紹介された。この日のもその一瞬のタイミングの完全試合。そして荒武トリオ欄で予告した「閉伊川」。実は、前乗りで来ていた池田が前日のトリオ演奏の後半に顔を見せた時、偶然、今回初共演する荒武の「閉伊川」を耳にしたことが切っ掛けで、カルテットで演奏することになった。池田の音色によって岩手県宮古市を流れる閉伊川は、一地域の流れに留まらぬ深みを得たように思う。両日ともトリを取った曲は、辛島さんに捧げた「ヒズ・ウェイ・オブ・ライフ」。混然一体の中を疾走する池田が、俗人の雑念を一掃してくれた。熱い演奏、スリル満点の演奏、創造性溢れる演奏、どれも当たっている。アンコールは初日が「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」、翌日は「インナ・センチメンタル・ムード」。池田のバラードは文句なしに素晴らしい。けれども音の出るレポートを書けないのは文句なしに悔しい。
 終演後、抜群のコンビネーションを見せつけたこのメンバーによるライブは、ここ以外では実現しないだろうと、その貴重さに思いを馳せていると、視線のあった池田がニコッとしてくれた。にもかかわらず筆者は池田にではなくカウンターに向かって“お愛想”をしてしまった。
(M・Flanagan)

2019.3.28 八木に弾かれて 

八木隆幸(p)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
 北海道でのライブは初めてだという八木隆幸氏。この大学准教授のような名前を知らなかった。足を運ばせたのは、その日が金曜日という偶然に過ぎない。まずは、演奏曲を紹介しよう。「アイ・ヒア・ア・ラプソディー」、F・ハバードのワルツ「アップ・ジャンプド・スピン」、「ハヴ・ユー・メット・ミス・ジョーンズ」、「ピース」、W・ビショップ・JRの飼い猫の名から自作「サッシャ&JJ」、「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」、「ストールン・モーメント」、D・ピアソン「ジーニーン」、「ファースト・ソング」、自作「ヴュー・フロム・ニュー・アーク」、ジョーヘン「セレニイティー」、「キャラバン」、R・ウェストン「リトル・ナイル」。スタンダードや人気曲が多く盛られており、最後まで淀むことなく進行した。この人の特徴は何といっても歯切れの良さとアクセントの付け方が巧みなことだ。このことが端正さを失うことなくダイナミックにスイングさせることを可能にしているのだろうと感じた。今回は臨時編成のトリオなこともあって大きな展開を狙ってはいなかったように思われるが、その分だけ散漫になるのが回避され、どちらかと言えばスタジオで録音しているのをその場で聴いているようなライブだった。演奏の合間々々の語りによれば、自身の原点をビ・バップに置いていることやN・Y時代はこの日の演奏でも採り上げたW・ビショップJRに師事していたこと等を披瀝していた。こうした断片的情報と演奏が繋がり始めると、この人の目指してきた演奏家像が少しずつ視えてきた。八木は演奏をキッチリ仕上げることに細心の注意を払うタイプなので、聴く者の耳に納まりが良く、こういう正統派の演奏家にはきっと根強いファンがついているに違いないとも思った。
 終演後、八木とささやかな共通話題があることが判明し、その勢いで昨年リリースしたCD『New・Departure』を手にする羽目になった。そのCDは、“Out Of The Blue”のラルフ・ボーエンら2管と強力なリズム陣を配したクインテット編成のもので、聴いてみた八木の印象は本日と同様にバップ精神を今日的な色彩に塗り替える姿勢が明快に伝わって来た。アルバム全体もスリリングで分厚い演奏が楽しめる会心作であると推奨しておく。なお、かつて“山羊にひかれて”というカルメン・マキの歌があった。今回初めて“八木に弾かれて”の機会を得たが、次回があるか否かは誰も知る“メェー”。
(M・Flanagan)

20193.22~23 Rock-Queen LUNA’s Rhapsody

LUNA(vo)碓井佑治(g)秋田祐二(b)大山淳(ds)
  Rockの狂宴は4回目に突入した。今回は近く東京に活動拠点を移す碓井の送別を兼ねており、碓井上京のcome・rainと14周年のcome・shineとが交錯していたのである。回を重ねて来ているが初回以降、LIVEの鮮度は失われていない。我々にとって継続と惰性との境界はどことなく曖昧である。継続するこのRockの狂宴においては不可欠の黄金のメニューがある一方で、いつも創作料理が振る舞われ、それが惰性の抑止力となっている。今回の創作は何だ?気にはなるが、いろいろ詮索している場合ではない。今を楽しむだけだ。早速、碓井がザ・バンドの「オールド・デキシー・ダウン」、「ザ・ウェイト」を持ち込んだ。ザ・バンドの曲は泥臭いが、信仰心の薄い者にでさえ時々賛美歌のように聞こえてしまう。今回はこれに留まってはいない。昨年来ロング・ラン中の映画「ボヘミアン・ラプソディー」から同名主題曲が選曲されたのには100パー驚かされた。しかも本邦初公開のピアノを演奏して歌い上げたのは、LUNAの作戦勝ち以外の何ものでもない。ピアノに向かうLUNAの後ろ姿は、ダイアナ・クラールのそれに何ら引けを取らない、と持ち上げておこう。更に畳みかけるように「ウイ・ウィル・ロック・ユー」、「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユー」、「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」、「レディオ・ガガ」を連唱し、ついにこの瞬間Rock-Queen LUNAが誕生したのだった。筆者は、クイーンを聴きたいというより果敢に挑戦したLUNAの姿勢に心から敬意を表したいのだ。なお、不可欠の黄金のメニューは、「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、「オールド・ラブ」、「ホンキー・トンク・ウイメン」、「ムーブ・オーバー」、「ホール・ロッタ・ラブ」、「パープル・レイン」、「プラウド・メアリー」、「フォエバー・ヤング」、「ファイアー」、フード・ファイターズ・プレゼンツ「フリー・ウェイ・ジャム」等々。最近は年とともにバッタリ会ってその人物の名前を想い出せないこと甚だしい。それに似て2、3は、曲名に逃げられてしまった。そんな些細なことはさておき、率直な感想を言う。『あぁ、スカッとした~!』に尽きる。
 余り知られていないかもしれないが、トランペッタ-のレスター・ボウイに“ファースト・ラスト”という作品がある。いま碓井は道民ラストから都民ファーストへの渦中にいる。この最後感のためか彼の泣きのフレーズには嘘っぽさがなく大いに好感を持てるものであった。碓井の旅立ちに乾杯し、LUNA魔術に完敗を認めたところで締めたいところだが、言い忘れてはいけない。秋田と大山による送別の渾身サポートは、Rockの反骨精神を放浪した経験のないミュージシャンには決して有り得ぬ一体感を作りあげていた。LIVEのサイズを一回り大きくした後ろの立役者を記憶に留めておこう。最後に客人を代表して碓井に心温まるメッセージを贈る。<人生の岐路に立つ男が早速帰路についたら、笑えねぇぞ>
(M・Flanagan)

2019.2.15 松原・若井・金の卵S カルテット

松原慎之介(as)若井優也(p)富樫諒(b)高橋直希(ds)
松原がまだ中学から高校のころ、楽器を携えながらライブのかぶりつき席にいるのを何度か目撃したことがある。その少年が数年の時を経て、あの時演奏していたミュージシャンと場所も同じLBで共演できることに本人が感慨を持つことは、晴れ晴れしい話だ。かつて、LBは飛び入りに寛容な時もあったが、近年はそれに違和感を持つお客さんに配慮して、ほぼ禁じられている。松原もそのルールの壁に泣いたこともあったと思うが、今や壁の内側に陣取るまでになっている。最初に演奏曲から紹介しよう。「Everything I love」、「East of the Sun」、「You taught my heart to sing」、「High-Ace」(オリジナル)、「Giant Steps」、「Peri’s Scope」、「Turn out the stars」、「Rhythm-a-nig」、「Star dust」などスタンダード、準スタンダードを中心に並んだ。
松原が日頃どんな活動をしているのか知らないので、今日に限って言うと松原の音には彼の匂いのようなものがあり、音回しもスムーズで質感も伴っていると感じた。まずは、そうしたことを認めておこう。その上で良し悪しは別として、聴きながらバラードのところで考えさせられた。彼は燻し銀のようにプレイしており、聴かせどころのツボを知った演奏をしていた。人によって“なかなかのものだ”或いは“今こういう演奏するの?”というように印象は分かれるかも知れない。筆者はその両方を行き来していた。これをどう理解したらいいのだろうか。松原はいま多様なことを貪欲に吸収している過程にあるのだろう。多様性に対応できればできるほど、演奏の仕方次第で殆ど解決できてしまうということかも知れない。こういう状態は、演奏家が頭角を現す時に否応なく出て来ることで、特に珍しいことではないと思いながら、LB文化史に残る偉人の慧眼「技術にようやくやりたいことが追いついて来た」という演奏家への査定を思い起していた。彼がこれからどの様な未来に向かって行くのかは計り兼ねるが、回り道が最も近道であるという条理の一歩を、見栄えのするキャノンボールな体型で踏み出したのだと思う。
共演者について少々触れよう。松原と共演することも結構あるらしい若井は久しぶりの登場になる。今回はボーカルのバッキングをしているようなところが最も楽しめた。そして、ここのピアノから引き出される知性的な瑞々しさには、何度もハッとさせられてしまった。富樫(b)と高橋(ds)は、エネルギーを発散したくてウズウズしている様子が見て取れ、ある部分において、この金の卵二人が一番目立っていたのではないか。
 若手のライブ企画は最近のトレンドになっているとは云え、この日は年齢的に極限の若者が起用されていて、何となく救われたような気分になった。ふと、BST(ブラッド・スエット&ティーヤーズ)に“微笑みの研究”という曲があったのを想い出していた。数年後には彼ら(松原・若井を除く)が微笑むか否かの研究結果が露わになることだろう。それを楽しみに待っているとしようか。
(M・Flanagan)

2019.2.8 碓井佑治Food fighteresの野望

碓井佑治(g)秋田祐二(b)大山淳(ds)
 フード・ファイターズ。命名の由来は知らないが、米国ロックバンド名からのパクリと飢餓に瀕した碓井の日常を掛け合わせたものと推察する。面白がるのは程々にするが、このトリオを聴けるのはしばらく遠ざかりそうなのである。この春には、あぁ果てしない夢を追い続け“大都会”に進出するのがその理由だ。LBのお客さんの多くは、熱気渦巻く一哲ラウド・スリー・ウイズLUNAでの碓井しか知らない。しかし、統計操作をするまでもなく、客入りと演奏の面白さは全く別である。出自がロックやブルースの彼の音から、凡百のJazzを凌ぐものを聴きとれることができるのである。この日の演奏は、B・コブハム、J・ベック、J・ザビヌルの曲、「Food・fighters」、「ラスト・トレイン」、「ローンズ」、「エヴィデンス」など。時折、グレッグ・オールマンのような音に聞こえて来て、個人的に上機嫌な心模様だ。40年ぶりの寒波に見舞われた札幌だったが、ベテラン二人の強力サポートもあってホットへの突入が果たせたのではないかと思う。
碓井ら若い世代は筆者らがクリームやツェッペリンをリアル・タイムで聴いていたことを羨ましがる。だが、筆者がニルバーナを聴けば、あと一歩入り込めない。一気に感動の境地に入り込める世代が羨ましいのだ。世代は偶然の悪戯にすぎない。どちらの世代もパーカーをリアル・タイムで聴いたことがなく、この勝負引き分けとしよう。
 脱皮できないヘビは死ぬと言われるが、彼は東京に脱皮への野望を見出そうとしている。係長の出張のように3泊4日になるなよ。なぁ、碓井。God・bless・you!
(M・Flanagan)

2019.1.25 Maxime Combarieu Japan Tour

マキシム・コンバリュー(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)
 昨年初登場のマキシムを聴き逃していた。軽めにいうと、洒落たモノが聴けるかも知れないというぐらいには、興味深く足を運んだ。ルグラン、バルネ・・・あまりフランス・ミュージッシャンを思いつかない。そうこうする内に開演だ。今回は、最初に聴き終えた時の印象から言ってしまおう。マキシムは、ピアノの打楽器的な要素を極力抑えた演奏家だと思った。フランス語による柔らかな朗読を音に変換しているような感覚に捕らわれたと云えば、少し近いかもしれない。筆者は、かつてイギリスのトラッド音楽をよく聴いていた。高揚も哀愁もこの人達にしか表現できないに違いないと思っていたが、そのことを想い出した。マキシムも他のあちこちで耳にしているジャズとは異質である。重要なのは、ここにフランス人としての彼の個性が表出していることだけは、正当に評価されるべきであるということだ。そろそろ選曲を紹介する。H・シルバの「ストローリン」、オリジナル2曲「4PM」、「サニー・デイ」、マイルス「ソーラー」、オリジナル「セーヌ川ブルース」、エバンス「ナーディス」、T・ハレル「セイル・アウェイ」、映画シンデレラから「ア・ドリーム・イズ・ア・ウイシュ・ユア・ハート・メイクス」、「(無題)」、アイルランドの街への思いを綴った「キルケニー」そして「酒とバラの日々」で終えた。熱く汗臭いバップを好む信者がどう思うかは預り知らぬが、生でヨーロッパ的感受性に触れることができたことは大変貴重なことだったように思う。サイド・メンについて一言。気合の男である伊藤の中に暴れるに暴れられない抑制能力が備わっていることを初めて知ることができたのは収穫。三島は例によって「この男有望につき」の会心の演奏を披露し、LBでのランキングをまた上げたのではないか。
 ところで、フランスでは商店での接客や窓口業務の態度が宜しくないと聞く。それは、彼らがサービスとは奴隷が主に仕える時のものだという認識に由来しているかららしい。観察していると、どうやらマキシムはモノ腰の柔らかな人物であることが見てとれた。帰りがけ“We Japanese know yellow-jacket people attack Presidennt マクロン”と言ってみた。彼は、はにかみ笑いを浮かべた。たった10秒の国際交流。“風のささやき”を鼻歌まじりに家に向かった。
(M・Flanagan)

2018年 レイジー・バード・ウォッチング

 これまでも悪天候によって、中止になったりメンバーが揃わなかったりはあったが、今年は2月3月の断続的な吹雪、近年は常連さんのようにやって来る台風、9月の胆振東部地震など、平穏な暮らしに影を差す自然の猛威に晒された。それはLIVEスケジュールの変更を余儀なくしたが、最小限の影響に食い止められたのではないかと思う。
 それでは簡単に振り返る。年明け早々の峰さんを皮切りに、菊池太光、楠井五月DUO、2月荒武裕一郎(p)・三島大輝(b)4、実力を見せつけた松島啓之4、3月石井章3with池田篤、田中菜緒子(p)3。4月RockのLUNA、ハクエイ・キムのSolo、気鋭の魚返明未(p)3、楠井バラエティー、5月北島佳乃子3。6月清水末寿(ts)4、本田珠也3、大石・米木DUO、7月円熟の中本マリwith大口・米木。9月JazzのLUNA、荒武4、10月清水くるみ・米木DUO、ドクトル梅津4、11月驚異の鈴木央紹4など多くの道外ミュージシャンの演奏に接することができた(楽器を付記しているのは初聴き)。また、サポートには餌を求めて人の生活圏に降りて来る野生動物のように若井俊也、西村匠平らが出没していたことを加えておく。彼らと共演する在札勢として重鎮の彰太さん、朋子さん、岡本さんカニさんの健在ぶりや、本山禎朗、中島弘恵、高野雅絵といった若い世代の健闘ぶりも印象に残る。また、現住所を特定できない竹村一哲のハード・ワーク、そして山田丈造の特筆すべき飛躍は新鮮な感動を呼んだ。
 2018年を俯瞰すると、わが国のジャズ・シーンを担って来た世代と担っていく世代、それぞれの聴き比べと両世代の共演に焦点が当てられていたことが見て取れる。一般的サラリーマンには60才と30才の見比べはあっても対等な協働はあり得ない。ミュージシャンは実入りという重大要素を除けば羨ましい世界にいると思う。今年も期待を裏切るものは無かったので活力が湧くというものだ。余談になるが、東京の演奏家の中には、終演してから無性にジンギスカンを食べたがる肉食系がいるのを何度か目の当たりにした。夜の夜中にあんな凭れるものをと不思議がる干支がSheepの筆者なのだった。
 さて、今年も終わろうとしているのに、一向に終わる気配のないのがLB名物“腹立ち日記”だろう。この国は余りにも無秩序にブレているので、スイングの何たるかを説こうとしているように見える。時の権力者たちは、最も誤魔化しを排除しなければならない商売道具の“言葉”を極限まで劣化させてしまった。どうやらこれが彼らの汚いオリジナル兼スタンダードになっていて、これを糧に生き延びているようなのだ。LIVEで商売道具の“音”を誤魔化したら間違いなくお客さんは去っていく。これが真っ当な世の中である。かつて、演奏前に“札幌で最も汚い店”と逆説を吐いた超有名ドラマーがいた。灰皿と金持ちは溜まるほど汚いというが、このLIVE会場では喫煙者は少数派に転落したので吸殻が溜まらない、資産家風情も見受けられない、つまりここは汚くないと証明して、いや強引なロジックを押し付けておく。腹立ちの下りで少し熱くなったのでリットしながらエンディングとしよう。LIVEに来られる皆さん、来年もまた共に楽しみましょう。そしてごく僅かな読者の皆さん、よいお年を よいお年を よいお年を。
(M・Flanagan)

2018.11.23  鈴木央紹カルテット

鈴木央紹介(ts)本山禎朗(p)若井俊也(b)西村匠平(ds) 
 鈴木は丁度1年前にレギラー・カルテットで来演し、圧倒的なパフォーマンスを見せつけて行った。今回は一回りと少し下の年恰好になるLB馴染みの若手精鋭を配して臨むこととなった。それはそうと、以前、ここのブログで『央紹』『禎朗』『伊陽』が難読三羽ガラスとされ、しかし、それを読めねばモグリと断じていた一行があったかと記憶している。本日はその中の二人が顔を揃えている。これも何かの縁だろう。ところで、“凄い”ということばを使わずに、その力量を的確に言い当てることに苦慮するミュージシャンは少なくないが、鈴木はその先端に陣取っている。かつてミスター・ジャイアンツと呼ばれた長嶋茂雄は、普通のことをより派手にプレーすることで衆目を独占する選手だったが、それとは違って鈴木は難しいことを平然と演奏して衆目を釘付けにする演奏家である。このカルテットでも、一人異次元で“天才話術”を連発していたが、そこに浮いた感じはなく、明らかに集団演奏のクオリティーを高める方へと作用していた。我らを唖然とさせる鈴木は、我が国のリーディング・テナーだと確信する。曲は全て本山が持ってきたもの。「エンブレイサブル・ユー」、「バップリシティー」、「イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド」、日本通のO・ピーターソン「スシ」、「ローラ」、D・ピアソン「イズ・ザット・ソー?」、「ステラ・バイ・スターライト」、「フォア」、アンコールは「ドキシー」。
2018.6.26 鈴木央紹クインテット
鈴木央紹(ts) 田中朋子(key)岡本広(g)若井俊也(b)西村匠平(ds) 
 この日は、朋子さんのオリジナル中心の選曲だ。朋子さんのことは岡本さんより詳しいと豪語するLBマスターの計らいであることは想像に難くない。ご存知のとおり朋子さんの作品は珠玉の名曲揃いで、彼女は“いい曲メーカー”とも呼ばれている。その朋子さんと鈴木とは初共演、したがって鈴木にとって朋子さんの曲は初演という辻褄になる。抜きんでた譜面読解力の持ち主と言われている鈴木は、この日も殆どリハなしで臨んでいるという。その朋子さんの曲は、「ヴェガ」、「ジャックと豆の木」、「一生の愛(トリプルL)」、「デイ・ドリーム」、「タイム・トリップ」。鈴木はこれら各曲を、ある時は豪快にまたある時は切々と歌い上げていく。難曲もドンピシャ!それは幾度も積み重ねて来た愛奏曲のようでさえあり、朋子さんの曲が新たな生命を宿した至福の一時でもあった。なお、その他の曲はスタンダード「ヒア・ザット・レイニー・デイ」、「レッツ・クール・ワン」、「酒とバラの日々」、アンコールの「ボディー&ソウル」。
 “腹立ち日記”でメッタ切りにされている我が国の権力者が最も恐れていることは、「真実が明らかになること」である。それからすると、LIVEはその場で真実が明らかかになる。今回は鈴木の真実をきちんと確認させて頂いた。蛇足ながら、筆者はルパン派ではない。アンチ・ルパン賛成。ショボッ。 
(M・Flanagan)

2018.10.26  ドクトル梅津旋風記

梅津和時(as、bcl、Vo)中島弘恵(p)立花泰彦(b)小山彰太(ds) 
 数年前の前回は2管を配した編成だったが、本日は典型的なワンホーン・カルテットだ。最近作った曲はロック系やクレズマを含め難しい曲が多くなったとは本人の弁。今回は比較的古い自作を中心に選曲したということである。
 1曲目はC・ヘイデンの「ソング・フォー・チェ」、およそ50年前にヘイデンが立ち上げたリベレイション・ミュージック・オーケストラの初作に収録されている曲である。「チェ」とは韓流女優のチェ・ジウである筈がなく、チェ・ゲバラのことである。ここでは後テーマまでの間かなり長いフリーな演奏が展開された。こういう時の彰太さんは俄然光る。2曲目はバス・クラに持ち替えて「シーコメンデスの歌」、この曲は個人的に愛聴曲であり前回のライブでも採り上げて頂いている。バス・クラの温和な低音につい心が癒されてしまう。3曲目は「歌舞玉音」、何だかんだ言っても我々日本人には、祭囃の賑わいや伝承的歌謡の旋律が刷り込まれていて、この和のエッセンスが舞う曲に4者混然一体のコラボとくれば会場はやんやの盛り上がりだ。変わり身の早さも天下一品の日本人、心が4曲目のR・カークの「レディース・ブルース」に乗り移ってしまったところで休憩タイム。次のステージ最初の曲は、梅津さんが折に触れ採りあげる「東北」。時と共に風化する震災被害への視線。仙台出身の梅津さんは声でしか表現できないものと楽器でしか表現できないものを融和させ、この世の隅々に後退せぬ思いを声と楽器を以て切々と歌い上げていたのは感動的。次は「西日のあたるへや」。これはネルソン・マンデラ氏が獄中に繋がれているときに作った曲だという。曲は遊び心を排した厳しくも切なさを感じさせてくれた。なお、演奏の外では「片山(ts)の部屋の西日は強烈だった」と少し遊んだ話を披露してくれていた。3曲目は「ンカッカ」。彰太さんをフィーチャーした“ンカッカ”の一席といえよう。最終曲は「ヴェトナミーズ・ゴスペル」、力みのないゴスペルといった感じの曲、静けさの中でアルトが艶やかに歌うと、色気のある音色にうっとりさせられてしまうなぁ。その演奏が終わると一瞬の間をおいての大喝采が沸き起こった。止まぬアンコール手拍子のテンポで追加曲に突入。民族音楽風の曲で村人たちが飛び跳ねる光景を想像することが出来る。お客さんにも村人の躍動感が伝わってきたのか、帰る間際の人からも飲み直す人からも満足感のざわめきが無意識に演出されていたのだった。
 今やこの世は人工知能(AI)が席巻しようとしている。AIは絶えず論理計算に依存しながら「正しい」答えを導いてくる。今回梅津さんのように多種多様な音楽性と計算外の音を連発する人を見ていると、人間は負けないものを備えていると思わせてくれる。店を出るとき、ピアノの中島に感想を訊いて見た。「楽しかった」とシンプルに答えた。彼女も計算外の気分に浸っていたのだろう。演奏側が楽しい時のライブは悪かろうはずがない。
 筆者の年代にとってドクトルという響きからは、作家北杜夫の“どくとるマンボウ〇〇記”を思い出す。そのブランクに“旋風”を突っ込んで標題に充てた。 
(M・Flanagan)

2018.10.13  イン・マイ・オウン・スウィート・ウェイ

清水くるみ(p) 米木康志(b) 
 くるみさんと米木さんと言えば、直ちに思い起こされるのはZEKだ。その次にLBで何度か組まれているピアノ・トリオだ。しかし、両者のDUOは初めてではないだろうか。DUO好きの者にとっては聴き逃せない。試合開始前からくるみさんの強烈アタックと後ろ壁から三歩前に位置する米木さんの地を這う音が聞こえて来るようだ。ドラムレスについては、以前、ギターの岡本さんが実感を込めて「ドラムが居ないと自由度が高まるが、居ないことによってドラムの有難みに気付かされる」と言っていた。この発言は非常に分かり易い。状況次第だが、ひねくれ者の耳にはドラムが居て欲しい時と、敢えて居なくてもいいように思うことがある。ここでは、それだけドラムは重要な役割を担っているとだけ言っておくに止める。では、順を追って簡単にこの日の流れを紹介しよう。最初はくるみさんお気に入りと思われる「ハンプス・ブルース」、のっけから彼女の重たくなり過ぎないブルース・フィーリングをじっくり堪能した。続いては本田竹廣さんのアレンジに基づく「ヒア・ザット・レイニー・デイ」で、竹廣さんのオーラが乗り移っていた。この日は出かけて来る前に竹廣さんのLP2枚聴いていたので余計に感慨深い。最近は聴き返すことがなくなったミュージシャンが結構いる。この人ファラオ・サンダースもその内の一人だが、ここで演奏された「ヒーリング・ソング」は軽快な中にも彼の黒光りを確認できるものだった。くるみさんのオリジナル「ソミソミド」は黒鍵乱用防止曲で面白い。F・ハバード「ウイズアウト・ア・ソング」では両者の丁々発止にフレディ-の熱気が打ち込まれていた。くるみさん自身過去にやった記憶がないという「ワルツ・フォー・デビー」だが、タイトな中に寄り添うくつろぎ感は流石。DUOの妙味が凝縮された「エヴィデンス」には満載の聴きどころに息を呑んだ。急に迷いが出て選んだのは「コンファメーション」。高速ドライブで駆け抜けた。静謐な「ラッシュ・ライフ」、ご主人の渋谷さん同様エリントンへの敬意を感じる。エリントン絡みでミンガスの「デューク・エリントンズ・サウンドド・オブ・ラブ」、そして「レイン・ソング」。ツェッペリンの曲をZEK以外で聴くのは初めてだ。更にウッドベースというのも貴重だ。タマ込められずとも空砲ならず!なお、既発の「ZEK!」は、ほぼSold・outの好評ぶりらしく、目下、第2弾を製作中とのことだ。前作にないあの曲この曲が入っている2枚組らしいので、ボランティア営業をしておきたい。
 開演前の予感どおり、野郎どもを凌ぐくるみさんの力強さと一部では何だか分からない凄さと評されている米木さんのナマ音の快感に誘われるまま、イン・マイ・オウン・スウィート・ウェイにたどり着かせて貰った。ここは戦ならずとも快く白旗を揚げるしかない。ところで“戦争は始めたいときに始められるが、終わらせたいときに終わらせられない”と指摘した先人がいた。キナ臭いのをやめて“戦争”を“ライブ”と置き換えてみてはどうか?ライブの終わらせられない余韻に酔いしれながら、帰り路は満天下でシリウスの光を浴びて、実に足元がよろけてしまった。
(M・Flanagan)

2018.9.21 荒武カルテット+α

荒武裕一朗(p)山田丈造(tp)三島大輝(b)竹村一哲(ds)
 このカルテットによる初ライブがセットされたのは今年の2月、しかし荒天の影響で荒武と三島の到着が遅れ、1ステは珍しい山田と竹村のDUO、2ステがカルテットの変則進行となった。その時だけでも荒武の力量は十分伝わってきたが、心のどこかで生煮え感を引きずってしまったのも事実だ。それから半年余りの今回は、前ノリでやって来るという気合の入れようで、ここに全貌が明らかにされていくところとなった。
選曲はオリジナル、スタンダード系、知る人ぞ知る曲を三面等価に配した構成となっていた。まずは、オリジナルだが、目まぐるしき人生のような「トーキング・ジャンクション」、河川が放つ大らかさと抵抗しがたさの「閉伊川」、叙情とノリノリ感を融和させた「夕焼け」は騙されたもの勝ちのような曲。いずれも奇をてらわない荒武等身大の演奏で、彼のオリジナリティーを強く印象付けた。
スタンダードは「ザット・オールド・フィーリング」、「アイ・フォール・イン・ラブ・トゥー・イージリー」、「サマー・サンバ」、「ザ・グッド・ライフ」が採り上げられた。後世に残されている名曲はビギナーからプロまで世界中で演奏され尽くされており、演奏家のイマジネーションがなければ、one of themに吸収される危険性が極めて高い。そこにハットさせられる流れがあるかどうかが天下の分け目ともいえる。筆者は荒武を掴まえ切ってはいないが、彼のアーシー・アーシー・アーシーな個性は見逃していない。そして知る人ぞ知る曲は本田竹廣さんものである。本田さんを心底リスペクトしている荒武の演奏には至る所に竹廣さんの影響が横溢している。だが、荒武の野心は竹廣さんの追随者に終わることなく、自己実現を果すことだ。人は誰の影響も受けないことはあり得ないが、彼はパウエル派でもエバンス派でも竹廣派でもないARATAKEを目指しているのだろう。演奏曲は「シーロード」「ウィンド・サーフィイン」。いいピアニストだ。
竹村一哲の攻防兼備なプレイ、演奏に浸りきっている三島大輝の大器ぶり、どれもがライブに大きく貢献していた。ここで、もう一つ語って置かなければならないことがある。山田丈造である。彼は、早くから注目を浴びて来た若者の一人であり折に触れ聴いてきたが、このライブにおいて彼は飛躍的に完成度を高めていることを我々に見せつけたと言って良い。バラードを含め全曲にわたって圧巻の演奏だった。「荒武カルテット+α」とは?「荒丈カルテット」のことだ。
(M・Flanagan)

2018.9.7 LUNA 10年ライブ

 LUNA(vo)菅原昇二(tb)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
早いものでLUNAの初登場から10年を数えることになった。輝かしくもこの間、彼女において髪型やT形、ファンの数などエブリシングがチェンジしてきた。本人のMCからも10年の年月を噛みしめている様子が窺われたが、この日は激烈な地震の直後という状況が状況だけに、選曲の多くを差し替えたとのことだった。最初の3曲は「サマータイム」、「セプテンバー・ソング」、「ジス・オータム」といったこの時期を移ろわせるような練られた構成。次の曲からが今回のことを強く意識したのではないかと想像する。復興と再生のオリジナル「ペシャワール」、沈痛な面持ちの「ロスト・イン・ザ・スターズ」、以下いろいろな願いが込められた「オン・ア・クリアー・デイ」、「Re:レクイエム」、「ウイ・ウィル・ミート・アゲイン」、「ハレルヤ」、「ファースト・ソング」、「ハンド・イン・ハンド」そして「諸行無常」。アンコールは先ごろ他界したA・フランクリンの「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」を思いのたけの敬愛を込めて熱唱した。異様なシチュエーションのライブたったが、LUNAの魅力となっている高音域がいつもに増して切なくも心に浸みてきたのは筆者だけだっただろうか。
(M・Flanagan)

三連単

2018.6.23 本山禎朗special trio
本山禎朗(p)米木康志(b)西村匠平(ds)
 このトリオは、憧れのベイシスト米木との共演を切望していた西村匠平の念願が叶ったという意味でspecialである。また中央には西村と同齢の本山が配されることとなった。これは今後のジャズ界を背負うだろう若手と、背負って来たそして今なお背負い続けている実力者の共同事業だ。東京のジャズシーンで名を成した演奏家は、野生動物並みの生き残り戦を乗り越えてきた人たちである。彼らと共演すると地域を主戦場としている演奏家は、普段になく力が引き出されるとよく言われる。地域が東京の後塵を拝するために存在しているのではないことを証明するために、札幌の若手ミュージシャンに同士よって夫々の力を引き出し合う陣形を組んで欲しいと願っている。本山を含め、何人かは既に願いを託されるところに来ているのだ。演奏曲は「ローラ」、「リプシー」、「ワルツ・フォー・ルース」、「マッシュルーム・キッド」、「バプリシチィー」、「アウト・オブ・ドリーム」、「星影のステラ」、「サテン・ドール」その他Wショーター、Rカークの作品。
  この日は月曜日にも関わらず、西村の念願がここでも叶ったのか“押すな押すな”の盛況。これを横文字に置き換えると「Don’t Push」。西村、これでいいよな!
2018.6.27  松原衣里 爆発ボイス
松原衣里(vo)南山雅樹(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
 松原、2年ぶりのステージとなる。前回、初聴きの印象は、何といってもその声量だ。その野太い声質を聴いたら、チェット・ベイカーなら背を向けてしまうのではないか。“関西の実力派シンガー”といわれると大体は“コテコテ感”が咄嗟のイメージになるだろう。だが筆者的には、ロバータ・フラックが関西のおばちゃんだったら松原のような個性になると思う。潤う情緒とパワーの一体性においてである。また聴く機会があると思うので、その時は堂々たる優しさを兼ね備えた爆発ボイスを一聴あれ。Killing me softly~な気分になれること請け合いだ。曲は「I just found out about love to you」、「It never entered my mind」、「Day by day」、「Come rain or come shine」、「It don’t mean a thing」、「Lullaby of Birdland」、「My little baby」、「Just in time」「Yesterday」、「エリ’s blues」、「My funny valentine」。
2018.7.3 ザ・グレイテスト 中本マリ
中本マリ(vo)大口純一郎(p)米木康志(b)
マリさんクラスになると、歌が人生そのものである。人生が歌わせていると言ってもいい。多くの者は年とともに勢いを失う宿命にあるが、マリさんには黄昏に浸る晩年のような様子は窺われない。訊いてみたのだが、今現在の自分として最も声を出せるのだという。そのことを裏打ちするように、ライブでは殆どナマ声で歌っていた。バックもナマ音なので場内は人間のみの気配に包まれていた。全編、マリさんがイニシアチブを握って進行していくのだが、後ろの的確かつ自由なサポートも見事中の見事だ。札幌の重鎮ピアニストが聴きに来ていて“涙が止まらない”と言っていた。他言は無用、この一言をザ・グレイテスト中本マリのライブ・レポートの結論とする。曲は「Star dust」、「On green dolphin street」、「Days of Wine & Roses」、「I got it bad and that ain’t good」、「I could write a book」、「セントルイスから来た人」、「Skylark」、「Autumn leaves」、「This autumn」、「My favorite things」、「Georgia on my mind」「Sunflower」、「Just friends」、「feeling good」、「Love for sale」。
これは筆者が気づいている以上の素晴らしいライブだったのではないか?それが何なのか?このライブを電気の要らない無人島に持って行って“ナマ”で確かめたいものだ。
(M・Flanagan)

2018.6.15  今日も深い川は静かに流れる

大石 学(p) 米木康志(b) 
 このDUOはLB6月の風物詩のようなものになっている。聴衆を代表して言わせていただくが、何度聴いても心を動かされるというのが実感だ。よく優れたジャズマンを称して“名手”と表現することがある。この両者はそれだけでは言い足りなく、更に彼らを特徴づける何かが潜んでいると思わせられる。残念ながらそれを感ずることができるのは、聴いた者の特権と言わねばならない。ここ数年、大石は自主製作CDを数多く録っている。その一部しか聴いていないので詳しくは分からないが、これだけの作品を残すということはピアノによる徹底した自己追求の記録を一滴たりとも漏らしたくないということなのだろう。つまり、大石は彼の流儀において自身とピアノを一致させようとする究極のハードワークに挑んでいるのだ。オリジナル曲中心のソロ作品が多いのもそれを裏付けていると言えよう。一方の米木は長きに亘り聴き続けているが、この人は幾多の難局をロジックで克服しようとしたのではなく、飽くまで“感ずること”によって突破してきたのではないか。あの大きなグルーブ感は、“感ずること”がストックされた音楽現場からしか生起しようがないと思えてならないからだ。後ろで演奏しながら不動の地位を得ているミュージシャンは、危ない言い方だが、“感ずること”を生業とする輝かしい病を持っているに違いないのだ。演奏曲は、ピアノ・ソロの「レイン」、かつて日野元彦さんと録音しながらお蔵入りになっていたという「クレッセント」、米木のオリジナル「シリウス」、大石のオリジナル5曲「コンテニアス・レイン」、「雨音」、「メモリーズ」、「リリー~ワイン・カントリー」、スタンダードの「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」、H・シルヴァー「Peace」。アンコールはシルヴァーと同名の大石不朽の名曲「Peace」で21世紀に警告を発したのだった。
最近は立会いで変化する横綱もいて、勝ち星のためなら上に君臨する者の品格そっちのけの取り口が散見される。これは単に横綱が取った相撲に過ぎず横綱相撲とは言わない。この国には“深い川は静かに流れる”という言い回しがある。思慮ある者は小細工などせず悠然としているという意味で使われる。深い米木と静かに流れる大石。我々の日々において謙虚さに徹することは甚だ難しいが、このDUOにはいつも謙虚に耳を傾けることが出来るので助けられる。それにしても“雨模様”の曲名が多かったが、大石と雨の浅からぬ関係を聞いてみたいものだ。
翌日は、ボーカルの高野雅絵を迎えてのトリオ演奏。曲は、「Girl Talk」、「塀の上で」、「When the world turns blue」、「One day I’ll fly away」、「Come together」、「スパルタカス愛のテーマ」「Waltz  for Debby」、「Both sides now」、「泣いて笑って」、「Bridges」、「What a wonderful world」。筆者は珍しく愛聴していたA・オディのせいもあって、長らくボーカルものは歌を聴き込むことだと思っていた。それは間違えではないにせよ、そのままでは楽しみの半分を失うことになる。そのことにハッキリ気付いてからそう長くは経っていない。後ろがどれ程にか前に音の色合いをつけ、メリハリを提供しつつ、歌を輝きの中心におびき寄せていくか、決してこのプロセスを聴き落としてはならない。これはボーカルが操られる存在だと言おうとするものではなく、ボーカルの最大限の良さを引き出すには後ろの手腕が決定的な役割を担っていると言いたいのだ。バッキング最高峰の大石と米木を従え、高野は“この素晴らしき世界”を体感しながら、彼女自身ベストの出来に仕上げていた。だが、明日からはそう上手くは行くまいよ(笑)。
(M・Flanagan)